まちの政治家は、こんなことしてます政治家フジノの活動日記


2008年11月2日(日)のフジノ
● 点字図書館フェスティバルへ

 今日は『点字図書館フェスティバル』へ行ってきました!

 昨年は、午前のみで終わりなのを気づかずに
 フジノが到着した時にはもう終わっていました...(汗)

点字図書館フェスティバル看板  今年は、点字図書館の場所が
 総合福祉会館へ『移転』して
 最初のフェスティバル
 ということもあって

 時間もバッチリ
 朝から参加できました!


 今日のプログラムはこちらです。

 今年のフェスティバルのメインは
 双子のピアニスト、木村りえさん&木村りささんによる
 ピアノ演奏です!

 木村さん姉妹は、いわゆる全盲のピアニストです。
 木村りえさん、木村りささんのお2人のプロフィールはこちらです。

音楽会プログラム  「アーティストは作品が全て」

 という視点に立つと

 アーティストが持つ
 障がいの側面を
 売りにするような紹介は

 僕個人としては
 本当に不適切だと感じて

 書いていて
 とても不快です。

 かつてレーナ=マリアさんを
 このHPで紹介した時にも
 同じ葛藤を感じます。

 同じように感じる市民の方々には、お詫びを申し上げたいと思います。

 (フジノ自身も映画業界の出身なので、
  アーティストに対する最大限のリスペクトは常に持っています)

 それでもあえて、このように
 障がいがあるというプロフィール紹介をフジノが記したのは、

 わが国では、いまだ障がいがあるということだけで
 全国の多くの方々が活躍の場が奪われているからです。
 また、活躍する勇気をくじかれている方々が
 たくさん存在しているからです。

 そんな現状においては、
 『障がいのある方々が活躍している』という情報は
 大きな価値や意味を持っているのです。

 スポーツ選手、アーティスト、いろいろな職業、あらゆる場において、
 障がいのある方々がこんなに活躍しているんです!

 というアナウンスは
 まだまだこの国には必要不可欠なのです。


 ...話を戻しまして

 まずは、木村りささんが
 ドビュッシーの組曲『子どもの領分』より
 4番・雪は踊っている、
 6番・ゴリウォーグのケーク・ウォークを演奏しました。

 続いて、下の写真ですが
 木村りえさんが
 モーツァルトの『ああ、お母さん聞いて』による12の変奏曲の
 Kv.265(これは『きらきら星変奏曲』です)を演奏しました。



 それから2人での連弾として
 フォーレの組曲『ドリー』から
 1番・子守唄、
 4番・キティワルツ、
 6番・スペインの踊りが演奏されました。




● 点字図書館は「点字」だけじゃありません

 この後、休憩をはさんで
 連弾&会場のみなさんと一緒に合唱、
 というプログラムがあったのですが

 みんなで歌うのはニガテなフジノはここで中座して
 フェスティバルの他のコーナーを観にいきました。



 まずビデオ上映、『朝子さんの1日』を観ました。

 視覚障がいのある朝子さんが
 朝起きてから寝るまでの1日を
 絵とナレーションで紹介しただけのシンプルなものなのですが
 とても分かりやすく良くできているなあと感じました。



 点字図書館では、こうした啓発活動も行なっています。

 市民のみなさまに
 視覚障がいのある方々のことを知っていただく為に

 政務調査費でフジノは絵本を買ったり、分かりやすい本を買って
 どんどんお貸しして読んでもらっているのですが

 こういうビデオの上映会をやっていくのも
 かなり有効なのではないかと思いました。

 (もちろん、当事者の方にお話をうかがったり
  一緒に過ごすのが最も有効だと考えています)

 続いて、『録音体験コーナー』へ行きました。

 「点字図書館」っていうと
 市民のみなさまは『点字の本』だけの図書館だと思うでしょう?

 でも、これだけ技術が発展した社会ですから
 もはや点字だけではなくて、

 パソコンやインターネットや新しい技術を使って
 音声による情報アクセスも、かなり進んできています。

 したがって、点字図書館ではもちろん点字の本も扱いますが
 現在では音訳された本がメインになってきています。

 ボランティアスタッフのみなさんによって
 朗読(音訳)された本が

 CDとして貸し出されたり、
 mp3ファイルとしてインターネットでダウンロードできるのですね。

 今年7月の点字図書館の
 場所の移転と共に

 新しく防音が完備された
 録音ブースが導入されました。

 外部から完全に音が遮断された
 1人1畳くらいの部屋で

 マイクと原稿と向き合いながら
 朗読をしていく作業は
 ちょっぴり密閉感があります。

 でも、とても大切な作業です。

 フジノも録音体験として
 太宰治の『走れ、メロス』の音読をさせてもらいました。

 今日はフェスティバルということで
 その場で録音した音声をCDに焼いてくれました。
 なんかうれしかったです(フジノの『走れ、メロス』はこちら

 改めて自分の声を聞くにつけても
 ハッキリと発音したり1語1語くぎって読んだはずなのに
 なかなかうまくいっていませんでした。

 音訳ボランティアさんってやっぱりとても練習が大切で、
 その活動って本当にすごいなと感じました。


● 点字図書館は、情報アクセスの発信センターです

 点字図書館の役割は、
 視覚障がいのある方々に本を貸すことだけではありません。

 生活をしていく上で必要ないろいろなもの、
 または、使うことができる様々な便利な機器について
 紹介をしています。



 下の、白杖(はくじょう、と読みます)。

 視覚障がいのある方々が杖で床を確認しながら歩いているのを
 市民のみなさまも見かけることが多いと思いますが
 こんな風に小さく折りたためるんですね〜。


 また、下の『カラートーク』という機械は、
 センサーがついていて、色を音声で読み上げてくれます。

 例えば、下の写真で言うと
 水色の紙の上にあててスイッチを押すと「みずいろ」と読み上げて
 オレンジの紙の上にあてると「だいだいいろ」と読み上げます。



 手のひらの上にのせて読み上げてみたり
 スーツの色を読み取らせてみましたが
 かなり細かく読み取ることができていました。

 さらに、下の『人生ゲーム』(タカラトミー)は
 視覚障がいのある方々も利用できるバージョンが出ています。



 説明書も点字でつくられていて、
 ボードにも点字が、おカネには切れ込みが入っていて
 ちゃんと単位も分かります。

 もっともっとたくさんの機器があるのですが
 活動日記でのご紹介はここまで。

 ぜひみなさまも、点字図書館に遊びに行ってみてください!

 誰でも利用できます。
 気軽に入っていってくださいね。

 汐入のダイエーの隣にある、総合福祉会館の4階です。

 ぜひ来てくださいね!



2008年11月1日(土)のフジノ
● 坂本中学校PTA祭へ

 今日は、坂本中学校へ行きました。

 『第5回坂本中学校PTA祭
  〜地域・学校・保護者・楽しいふれあい 秋の1日〜』


 に参加する為です。

 政治家としてフジノが
 坂本中学校を訪れる場合は

 桜台中学校との統合
 理由であることが多いのですが

 今日は違います。

 僕の年下の友達が
 『スペースゆうゆう坂本』
 通っていて

 「今日のPTA祭で
  クッキーを販売するから来てね」

 と誘われたので、
 喜んで、行きました。 

 昨日が生徒のみんなによる『文化のつどい』
 (文化祭)だったんですね。残念、昨日は行けませんでした。

 今日はとても
 天気も快晴で
 気持ち良かったですね。

 校門を入って
 1番手前で

 『スペースゆうゆう坂本』が
 クッキー販売をしていました。

 アイスボックスと
 ルシアンクッキーの
 2種類でした。

 200セットを
 販売したのですが

 11:00スタートで、
 11:45には
 売り切れになりました。 

 『ゆうゆう』のみんなが作っているこのクッキーは
 毎年人気だとは聴いていたのですが(「12時には売り切れますよ」)
 今年もあっという間でした。

 フジノが行った時には
 すでにアイスボックスは
 売り切れ。

 ルシアンクッキーを
 3セット買いました。

 おいしかったです!

 たくさんの出店がありました。

 バザーもあれば、
 お花屋さん、
 フランクフルト屋さん、
 カレー屋さん、
 焼きソバ屋さん、
 焼きイモ屋さん、
 八百屋さん、
 チョコバナナ屋さん、
 飲み物屋さん

 などがありました。

 素敵な花があったので
 1つ買って帰りました。

 PTAのみなさま、おつかれさまでした。
 地域のみなさま、学校運営にいつもご協力ありがとうございます。

 こういう風にPTAや地域の方々が
 どんどん関わっている学校っていいですね。


● 吹奏楽部はとても素敵でした

 カレーを食べながら、出店を観て回っていると
 小幡校長先生がいらっしゃいました。

 今日も小幡校長先生はとても熱くて
 ほんのわずかなフジノとの会話のあいだも

 坂本中学校の生徒たちのことを
 本当に熱心に語ってくれたのでした。

 お会いするたびに

 「こんな風に生徒のことばかりいつも考えてくれてる方が
  『先生』として存在してくれていることは
  本当にありがたいことだよなぁ...」

 と、つくづく感じます。

 実は、先日、アメリカのロスに暮らしている方から
 メールを頂きました。

 かつて校長先生になる前の小幡先生の教え子の方が
 フジノのHPを観て、

 当時と変わらないままの小幡先生の様子を知って
 うれしくて、先生によろしくお伝えください、

 という内容のメールでした。

 卒業してから何年たっても
 たとえ海外にいたとしても
 卒業生に思い出してもらえるような職業ってすごいですよね。
 こういう職業って、『先生』ぐらいしかありえないと思うんです。

 えーと、話を戻して

 今日は何を校長先生が
 熱く語っていたか
 というと

 『吹奏楽部のみんなの
  がんばり』

 についてでした。

 第14回東関東
 吹奏楽コンクールの
 中学校B部門で
 『銀賞』を受賞しました!

 地区予選、
 県大会を勝ち抜いて
 東関東大会に出場して、
 そして銀賞!

 本当にすごいなあと思います。

 「今日、12時45分から吹奏楽部が演奏するんです!
  しかも3年生は今日で部活を卒業ですから
  フジノさん、聴いてあげてください!」

 でも、吹奏楽部の演奏までにはまだ1時間以上あるし、
 この後、僕は用事があるんだけどなぁ...

 なんて、言えなくなってしまうくらいの
 校長先生の熱意にうたれて、思わず

 「分かりました!いったん帰りますけれど
  必ず12時45分に戻ってきます!」

 と答えてしまいました。

 そして、
 演奏スタート。

 感動だったです。

 今日で部活を卒業する3年生の為に
 1・2年生がサプライズで演奏をした『世界にひとつだけの花』では

 3年生が涙を流す姿に
 フジノもつられて涙がこぼれてしまいました。

 銀賞を受賞した曲をはじめ、
 アンコールのタイタニックのテーマ曲もすごく素敵でした。

 個人的な感想なのですが、
 吹奏楽部というと、金管楽器がメインのイメージだと思うのですが
 坂本中学校の吹奏楽部の魅力は
 パーカッションにあるのではないかと感じました。

 ドラム、シンバル、鉄琴、などなど
 たくさんの打楽器のあいだをすばやく動きながら
 的確にリズムを打ち鳴らし、場の雰囲気を高めていったり、
 聴いていてここちよいドキドキ感がありました。

 校長先生が熱く語る気持ちが分かりました。



 とても良い気持ちで、帰りました。
 吹奏楽部のみなさん、ありがとうございました。
 特に、3年生のみなさん、今日まで本当におつかれさまでした。



2008年10月30日(木)のフジノ
● 変わらずに、まっすぐでいた人

 毎回のようにカフェトークに来てくれていた
 Aさんが亡くなった。

 カフェトークにもよくバイクで来ていたAさんは
 交通事故で、自動車によって命を奪われてしまった。

 昨夜のカフェトークが始まる直前に
 知りあいが連絡をくれた。

 「今日、午前中にご葬儀だったんですけど
  フジノさんはお忙しいと思ってあえてお伝えしませんでしたよ」

 そんな!

 おれは午前中、たまたま仕事を入れてなかったのに...。

 人の生き死にに関わることに比べて
 キャンセルできないほど大切な仕事なんて無いのに...。

 永遠のお別れをするチャンスさえ奪われたまま、
 こうして痛みとともに思い出が残るのは、とてもつらいことだ。

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 1日経って気持ちがおさまらなくて、
 今日の夕方になって

 Aさんが通っていた
 よこすか障害者地域活動支援センターアメグストに立ち寄って
 改めて、交通事故がウワサでは無いことを確認した。

 みなさんでAさんが亡くなったことを悼んで
 寄せ書きをしていた色紙に、僕も、記させていただいた。

 ご葬儀に出ることができなかったこと痛みは
 寄せ書きに記すことで少しだけ癒えた気がした。

 アメグストの方々とAさんのことを少し、お話した。

 僕は、カフェトークでのAさんの思い出を語り、
 アメグストの方はアメグストでのAさんの思い出を語ってくれた。

 亡くなった方のことをお互いに語り合うことは
 本当に大切な、喪の作業だ。

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 僕にとってAさんは、まっすぐすぎるくらいにまっすぐな人だった。

 カフェトークでの
 Aさんの帰りがけの口グセは

 「フジノさん、そのまま純粋でいてくださいね!
  変わらずに、まっすぐでいてくださいね!」

 強い口調でこれを言われるたびに
 僕は、Aさんのその言葉を自らの肝に銘じつつも

 これだけくりかえしこのフレーズが発せられる理由、
 つまり、Aさんがこれまでの人生で体験してきた様々なことを
 僕なりに理解しようといつも想った。

 他人にまっすぐであってほしい、と、ある人が望む理由は
 その人が過去に他人から裏切られたり
 つらい目に遭わされたであろうことは
 誰でも想像がつくはずだ。

 そうしたことに想いをはせるたびに僕は、

 Aさんが想ってくれるほどに僕は純粋では無いし
 年を重ねたなりに汚れてしまった人生を送っているけれども
 それでも、できるかぎりの努力をしよう、といつも想った。


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 カフェトークには、いろいろな方が来る。
 お互いに自分のことを自己紹介する必要も何にも無い。

 でも、Aさんは話してくれた。
 Aさんは、かつて重い精神障がいがあった。

 誤解を恐れずに書くならば
 重い精神障がいがあった方が長年の闘病の末に、
 現在ではお元気になって働いていたり楽しく暮らしている人が
 僕は、けっこう好きだ。

 語りだすと止まらない時もありつつも
 カフェトークの場では寡黙に
 他の参加者の話を聴いていることが多いAさんだった。

 病気のことだって、自らまわりに語らなければ、
 誰もそんなことは気づかなかったと思う。

 でも、Aさんはウソをつかない。
 そして、正義感の強い人だった。

 ある日、他の参加者の方から
 「Aさんが仕事をクビになりそうだ」と聞かされた。

 上司に対して激しくつめよってしまうらしい。

 「どうしてですか?」と尋ねると

 「上司が、雇われている知的障がいのある人のことを
  からかったり厳しい言い方をするんだ。
  Aさんは、それを許せないんだ」

 「へえ...それなら上司が悪いんじゃないですか」

 「でも、会社では上司ともうまくやっていかないと
  Aさんは勤まらないよ」

 心配は的中して、
 Aさんは会社をクビになった。

 でも僕は、Aさんが正しいと感じた。
 障がいのある人を邪険に扱うようなひどい会社なんて。

 きっとAさんに合ったもっと良い会社が
 必ずその良さを理解して雇ってくれるはず。

 そんなことを思った。


● 実存とは何か

 Aさんは、敬虔なクリスチャンだった。

 かたや僕は、何度も書いてきたように
 ずうっとキリスト教会に通ってきたにも関わらず
 クリスチャンになることができなかった人間だ。

 僕は、Aさんの信仰心を素晴らしいと感じた。

 階段の上に礼拝堂がある教会に
 車椅子の方が通っているのを、
 Aさんが毎回、その階段をおぶって登ってあげていると
 人伝えに聴いたことがある。

 このエピソードにしても、
 知的障がいのある人をいじめる上司につめよってしまう話にしても、
 Aさんらしい、まっすぐで純粋な行動だと感じていた。

 人には、いろいろな過去がある。

 僕は、かつて恋人と心中しようと決めた夜に教会の門を叩いて、
 やがて神では無く、改めて人を信じて、教会をやめた。

 心理学や、精神医学や、精神保健福祉や、
 そうした科学の力も大きかったけれど

 何よりも、あきらめたくないと強く想い続ける力、
 『人間の強さ』を僕は信じたのだ。

 それこそ、Aさんのような『人』の強さや優しさを
 見えない『神』の存在よりもリアルに僕は信じたのだ。

 他人をおぶって階段をあがることは僕にはできない。
 そのこと1つだけをとっても、僕は神よりも人の愛を信じるのだ。

 けれども、逆説的だけれども
 そんな力をAさんに与えているのも『神』への信仰なのだ。

 だから、僕は神は信じられないけれども
 信仰心というものはとても尊くて、素晴らしいものだと想う。

 Aさんは、それを体現していたと思う。

 ただ、僕が神を捨てた理由は
 何故、Aさんの命を奪わねばならなかったのか、ということに尽きる。

 これだけ純粋でまっすぐに生きた人を
 何故、多くの人々に愛されている人を

 こんなにも早く、あっけなく、そして交通事故のむごい死に方で
 僕たちから永遠に奪わねばならなかったのか。

 10代の頃から、何千回この問いを投げかけたか分からない。
 神よ、あなたが存在するならば、何故こんなひどいことをするのか。
 何故、善良な人ほど早く亡くなっていくのか。
 何故、何故、何故...。

 そして、いつもあなたは『答えない』。

 だから、僕はそんな『神』を信じない。

 僕は、無慈悲なこの世界の現実をただ受け入れて、
 わずか150回のカフェトークの歴史で
 すでに参加者が3人も亡くなってしまったことを忘れずに居つづける。

 純粋でまっすぐであってほしいという言葉を
 僕に課せられた遺言として、
 絶対に忘れずに生きつづける。

 これが、『人』としての僕の答えだ。

 けれども、本当に
 とても悲しい。



2008年10月29日(水)のフジノ
● 市立病院運営委員会へ

 今日は、『市立病院運営委員会』の傍聴へ。

 市民病院改革を1期目から重要な政策としてきたフジノですが
 2年以上にわたって傍聴しつづけてきた
 この委員会も、
 今まさに大詰めを迎えています。

 本来ならば前回(8月25日)の時点で、
 経営形態の変更を含めた『改革プラン(案)』が提案されるはずでした。

 けれども、その『改革プラン(案)』をつくるもととなる
 総務省の指示でなされた『医療環境調査』を実行したところ
 あまりにも結果が悪かったのです。

 (例えば、今後の患者数の推移が
  病院側の見込みよりもあまりにも少なかったり、
  地域の診療所からの評価の声が予想以上に厳しかったのです)

 根本的な見直しが必要だとの結論になり、
 『改革プラン(案)』の提案は、いったん延期となりました。

 こうして今回(第9回)は、
 調査を行なった(株)三菱総合研究所の担当者を招いて
 結果報告が行なわれました。

 その後、市議会が10月14日に決議した
 『中間審査報告書』についても報告がなされました。

 すでにタウンニュース紙でも報じられているとおり、
 市議会の特別委員会では

 『市民病院は現在の市による直営ではなく、
  民間の指定管理者による運営、つまり公設民営に移行すべき』


 という主旨の提言が出されました。

 (2008年10月24日付・タウンニュース紙より)

 運営委員会では、

 ・何故、市の直営から公設民営(指定管理者)に移行するのか

 ・あらゆる運営形態のメリットとデメリットの比較について

 などの資料が配られて、議論が行なわれました。


● 市立病院運営委員会の結論は「指定管理者による公設民営化」

 2時間の議論の結果は、
 市議会の特別委員会と同じ結論となりました。


 (1)西地区にとって、市民病院の存在は不可欠である。

 (2)したがって、病院そのものの存在は廃止してはならない。

 (3)しかし、現在の市直営の公務員型の経営ではダメだ。

 (4)議論の結果、民間の指定管理者による運営が効果的ではないか。

 (5)次回の運営委員会で、最終的な市長への報告書を決定する。



 しかし、フジノはこの2時間の議論を終えて
 大きな徒労感が残りました。

 かねてからフジノは、
 現在のまま(地方公営企業方の一部適用)ではダメだと
 くりかえし訴えてきました。

 市による直営を維持しながらも
 自らの改革をすすめていく為には

 地方公営企業法の『全部適用』こそが
 新しい経営形態としてふさわしい、というのが持論でした。

 けれども、今日の病院管理部長・病院長の数々の発言を聞くにつけても
 こんな風に述べているようにしか聞こえませんでした。

 もはや自力での経営改善・病院の再生は不可能です。
 公務員には経営はできません。あとは民間にお願いします。

 つまり、自ら白旗をあげて
 降伏をしたようにしか聞こえませんでした。

 本当にこれで良かったのか、大いに疑問です。

 フジノは市民病院で働く方々を何人も知っています。
 彼ら/彼女らはリアルに病院を変えようと連日連夜、努力をしています。

 また、市立病院運営委員会が提言を行ない、
 病院内部のプロジェクトチームによって作られた
 『経営健全化計画』も
 まだ最後まで実現すらできていません。

 それなのに、内側からの改革はあきらめて
 ただ民間に委ねることで本当に良いのでしょうか。

 フジノはこのHP上では
 『民間委託による運営』も提案してきましたが、

 市議会の正式な場での発言としては
 直営のままの『全部適用』のみを訴えてきました。

 『民間による運営』ではなく
 『経営判断の自由度が高い公による運営』である
 地方公営企業法の『全部適用』のみを
 あえてフジノが提案し続けてきたのは

 市民病院で働く全ての方々への
 エールでもありました。

 愛される病院に生まれ変わらせることができるのは
 自分たちの力なのだと自ら改革を実現してほしいと願ってきました。

 それを、病院管理部長や病院長は
 今日、完全に白旗をあげたように感じました。

 フジノにはそれが残念でたまりません。
 自助努力は不可能だということを認めたのですから...。

 また、同じ市立病院とは言っても、

 完全に公務員型であった市民病院と、
 民間によって運営されているうわまち病院とでは
 『職員の待遇』も全く違います。

 うわまち病院に勤めている方々は
 民間によって採用されています。

 多くの知人・友人が勤めていますが
 非常に低い給与で働いています。

 医療・看護・介護に関わる方々の待遇については
 もっときちんと成されなければいけないとフジノは考えています。

 根本的には国の政策の誤りが原因ですが
 経営を黒字にする為に
 官製ワーキングプアが産みだされるようなことがあっては
 絶対にいけません。

 うわまち病院の医療の質はとても高く、
 個人的にしばしば利用する僕にとっては
 ありがたい存在です。

 けれども、うわまち病院に対して
 市議会で何らかの提案を行なっても届きにくいと感じています。
 (例えば、精神科医の確保問題など)

 やはり、公設民営という経営形態は
 直営とは全く異なるのだとフジノは感じています。


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 運営委員会が終わった後、
 委員会メンバーの1人がフジノを呼びとめました。

 30分間にわたって意見交換をしましたが
 フジノと同じ想いであることを強く感じました。


 公の責任のもとで成される医療とは、一体何なのか。

 本当に公務員型の経営では、市民病院は自らを改革できないのか。

 かつてこの運営委員会で提言して作られた
 市民病院の経営健全化計画は無意味でしかなかったのか。

 そもそも市立病院運営委員会の約2年間の活動は、
 病院の現場で働く方々の想いとはクロスできなかったのか。

 今後、公設民営になったとしても
 絶対にその新しい病院をしっかりとチェックし続けること。

 市民の為の病院だからこそ
 市民病院という名前を名乗っていることの意味を
 絶対に忘れないこと。


 そうしたことを意見交換しました。

 くりかえしお互いに確認したことは
 最終的なゴールは

 単に財政を良くすることでは無いこと

 です。

 市民に愛される病院として
 再び生まれ変わることこそが真のゴールであること


 を改めて確認しました。

 こういう方が委員会のメンバーとして参加してくれていて
 本当に良かったとフジノは感じました。


● 最後は、蒲谷市長の判断です 

 市議会はすでに公設民営化の提言を行ないました。

 学識経験者や市民公募の委員らがメンバーの
 市立病院運営委員会も、今回、ほぼ提言内容が決まりました。

 どちらも、公設民営(指定管理者制度の導入)を提言しています。

 最後に決めるのは
 蒲谷市長です。

 年度内には『改革プラン』を総務省に提出するのですから
 きっと12月議会には、蒲谷市長から意思表明があるのでしょう。

 蒲谷市長の正式な決断が
 迅速になされることを強く期待します。

 どのような結論になろうとも
 (廃止は論外ですが)

 西地区をはじめとする多くの市民の方々にとって
 市民病院が重要であることに変わりはありません。

 より良い病院となるように
 フジノも全力を尽くし続けていきます。



2008年10月27日(月)のフジノ
● 会派を超えた、『障がい福祉の議員連盟』が必要です

 今日の午前は、

 障がいのある方々の様々な団体のネットワーク組織である
 『障害者施策検討連絡会』

 市議会議員たちとの懇談会でした。

 会派を超えた約15名の市議会議員が出席して、
 ご家族や福祉カンケーで働く方々の
 お話をうかがいました。

 懇談会のテーマは『障害者の地域生活の向上のために』で、
 3つのサブテーマがありました。

 (1)重症心身障害児の問題

 (2)日中活動の課題(作業所など)

 (3)住まいの問題(グループホーム・居宅など)

 配布された資料はこれらです。

 ・重症心身障害児施設について

 ・ご家族が急病になってしまった時の問題

 ・市長への予算要望

 資料は、横須賀の障がい福祉の現状をよく表しています。

 特に、ご家族が急病になってしまった時の問題は
 この方の場合だけでなく
 複数の方々からしばしばお聞きしています。

 本当に切実な問題です。

 この議員との懇談会は何年間も続いている訳ですが
 どのテーマについても今回が初めてではなく

 もう何年も前から
 同じ問題がとりあげられています。

 特に、フジノ個人で言うならば、
 重症心身障がいのある方々の暮らす場については
 すでに2004年の時点から同じ内容のご相談を受けていました。

 それが4年以上経った今も
 変わらずに同じテーマで
 市民の方々からご相談を受け続けているということは

 つまり、

 われわれ政治家が役に立ってない、

 ということなのだと自戒をこめて
 フジノは考えています。

 障がいのあるご本人をはじめ、ご家族のみなさまには
 ご苦労をおかけし続けていることを
 とても心苦しく、申し訳ないという気持ちです。

 この重症心身障がいのある方々の
 入所施設の問題については、

 市議会の中ですでにあらゆる会派が
 一般質問などで市長に対して提案をしています。

 同じ問題意識を
 全ての会派が持っているのです。

 そこまでしても市(=行政)が動かない以上、

 もう横須賀市議会は会派ごとに
 バラバラに活動していてはダメなのだとフジノは考えます。

 つまり、会派を超えて、連携すべきです。

 43名の横須賀市議会全体の意思として
 横須賀市(行政)に対して
 決議を出したり、予算案の修正を行なっていくべきです。


 重症心身障がいのある方々とそのご家族の
 生活と命を守る為に

 「財政難のこのまちであっても、優先順位は命なんだ!」

 という、市議会の意思を示すべきだ
 とフジノは考えています。

 かねてからのこの想いを、
 今日の場で参加者の方々だけではなくて
 列席していた他の市議会議員のみなさまに向けて
 マイクを通してですが、
 語りかけてみました。

 ある議員さんは賛同していただけたようで
 ご本人のブログに

 「他の出席議員から、福祉をテーマとした
  超党派の勉強会との意見がありましたが、
  それも良しかなと、思いました。」

 と記してくれました。
 ありがとうございます。

 きっと、無所属のフジノが発起人では
 実現しないのでしょうけれど

 障がい福祉に強い想いを持つ全ての議員が
 会派を超えて、議員連盟(超党派の勉強会)をつくるべき


 と提案します。

 そこで「どういう在り方が良いのか」「財源をどうするのか」など
 徹底的にアイディアを出しあって議論して
 結論が出たものは
 責任を持って自らの会派の中で提案していただく。

 さらに会派の中で合意ができたら、再び議員連盟で集まり、
 市議会全体の意思とする為に正式な決議にするのです。

 会派ごとでバラバラに行なう予算要望などではなく
 横須賀市議会の総意として『決議』をして
 市長に対して
 アクションを求めるのです。

 それでも市長が動かなければ
 最終的には、市長の予算案を修正することも
 市議会として必要だと考えます。

 この問題だけではなく、
 障がい福祉は近年ずっとピンチが続いています。

 ですから、議員連盟(あるいは勉強会)を立ち上げて
 日常的に障がいのある方々の生の声を聴き、
 日常的に行政にぶつける対案を議論しあっていく場が
 絶対に必要だと考えています。

 どうか、この想いに賛同して下さる方々が
 具体的なアクションを取っていただけるよう願っています。
 (実際には、全ての会派に存在しているはずです...)


● グループホームに泊まりこみたい

 今日の施策検討連絡会でフジノは

 「ご家族の声は、この数年間かなりうかがってきました。
  僕は、ご本人の声を聴きたいと強く願っています。

  もし許されるならば、グループホームやケアホームに
  フジノ自身が泊り込みにいきたいと思います。

  ご本人の生の声をお聴きするのは
  なかなか難しいのは理解していますが

  障がいのあるご本人の声をもっとお聴きしたいです。
  もっと生活そのものを理解したいです」

 と、発言しました。

 これは誤解だといいのですが、
 フジノのこの発言の後に、
 会場から失笑が起こったのを感じました。

 その失笑は、市議会議員側の席ではなくて
 福祉カンケーの方々の席から起こったように感じました。

 これがフジノの『被害妄想』であることを願います。

 僕は、このHPで何十回もくりかえし書いてきたとおり
 障がいのある方々の『生の声』が聴きたいんです。

 ご家族の声だけではなくて、
 ご本人の声が聴きたいのです。おかしいでしょうか?

 みなさん、冗談と受けとめたのでしょうか。
 政治家のリップサービスと受けとめたのでしょうか。

 もしそうならば、本当に残念です。

 フジノはリップサービスなんて
 時間のムダなのでしません。いつも本気です。

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 懇談会が終了した後、1人の方だけが
 名刺をフジノに渡しながら

 「いつでも来てよ。連絡、待ってるから」

 と、フジノに話しかけてくださいました。
 必ずうかがいます。待っていて下さいね。

 その後、聴覚障がいのある方々の親の会の会長さんがいらして

 「市立ろう学校に実際に行ったことがありますか?」

 と尋ねられました。

 「当選した年からもう5年半たちますが
  ずっと見学したいと言い続けてきたのに実現していません。
  今年こそ絶対に『学校へ行こう週間』を利用して
  見学をしてきます」

 と、お答えしました。
 必ず見学に行きますからね。



2008年10月24日(金)のフジノその4
● 犯罪被害者支援のボランティア養成講座へ

 さて、原子力防災訓練の見学を終えて
 お昼からは横浜へ向かいました。
 西口にある『かながわ県民活動サポートセンター』へ。

 かながわコミュニティカレッジが開催している
 『犯罪被害者支援ボランティア養成講座』を受講する為です。


 犯罪に遭った被害者の方々を支援することは
 フジノの大切な政策の1つです。

 これまでも『犯罪被害者支援条例』の制定をはじめ、
 市議会で様々な提案をしてきました。

 結果的に、今年4月から施行された
 『犯罪のない安全で安心なまちづくり条例』には
 被害者支援が盛り込まれました。

 文章はこちらです。


 第5章 犯罪被害者等に対する支援
 (犯罪被害者等に対する支援)

 第23条

 市は、犯罪により被害を受けた者及びその家族
 又は遺族(以下「犯罪被害者等」という。)を
 支援する活動を行う者と連携して、
 犯罪被害者等に対し、
 必要な情報の提供、
 助言及び相談に応じる窓口を設置するなど
 必要な支援の措置を講ずるよう努めるものとする。



 これだけでは十分とは言えないのですが、
 条例としてのしくみができました。
 今後は、さらに具体的な支援策を提案し続けていきます。

 そんなフジノの取り組みが知られてきたのか
 犯罪の被害に遭った方から
 ご相談を受けることが少しずつですが増えてきました。

 最終的に
 政策に反映することが
 政治家の仕事ではありますが

 精神保健福祉士でもあるフジノは
 被害者の方々の声を
 うかがうにあたって

 2次被害を起こすことが無いように
 市民相談をうかがう時も

 聴くスキルを高めなければ
 いけないだろうと
 強く感じていました。

 そこで、とても良いカリキュラムがあったので
 受講することに決めたのです。

 10週間にわたって毎週金曜日の朝10時から16時まで
 かなりみっちりと学べる講座です。

 今日は、『被害者の心理』について
 神奈川被害者支援センターのカウンセラーさんが講師で
 お話をうかがいました。



 配られた資料です

 自死遺族の悲嘆の過程にも通じる
 とても大切なお話がたくさんありました。

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 講義を終えて事務所に戻って夕刊を観ると
 『犯罪被害者白書』についての記事が報道されていました。

 (2008年10月24日・朝日新聞・夕刊より)
2008年10月24日朝日新聞夕刊より

 まだ全国的には被害者の方々への支援が
 不十分であることを改めて痛感しました。

 もっともっとがんばらなければ、と再確認しました。


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