まちの政治家は、こんなことしてます


2009年7月21日(火)のフジノその1
● 知的障がい・精神障がいのある方を市役所で採用すべき(その1)

 障がいのある方々の「働きたい!」という強い意欲をサポートする為に
 わが国には『障害者雇用促進法』という法律があります。

 その法律にもとづいて、
 民間企業・官公庁を問わず、そこで働く人々のうち、
 一定の割合以上、障がいのある方々を採用しなければならない
 という決まりがあります。

 これを『法定雇用率』と呼んでいます。

 横須賀市役所も当然ながらこの法律を守って
 全職員数の2.1%以上、障がいのある方々を雇用しなければいけません。

 もちろん横須賀市役所は、
 法定雇用率そのものはクリアしています。

 けれども、雇っているのは
 あくまでも『身体』に障がいのある方々だけなのです。

 しかし、障がいのある方々というのは、
 身体障がいのある方々だけではありません。

 知的障がい、精神障がい、発達障がいなど
 あらゆる障がいの種類があります。

 どんな障がいがあるとしても、人は必ず働くことができるのです。

 それにも関わらず、障がいの種別によって
 雇用したりしなかったりということは、大きな問題です。

 市役所は、他の民間企業にとって
 障がいのある方々の雇用についてお手本にならなければいけません。

 そこでフジノは2004年6月議会で
 当時の沢田市長に対して

 横須賀市役所は、身体障がいのある方々だけでなく、
 知的障がい・精神障がいのある方々も採用すべきだ


 という提案をしました。


 (2004年6月議会・本会議での沢田市長とフジノの質疑応答)






 次に、市役所での障がいを持つ方々の
 雇用のあり方について質問します。

 3月議会で内藤治明議員の質問で明らかになったのは、

 市役所は障がいを持つ方々を50人雇っているけれども、
 全員が身体障がいを持つ方々である
 ということでした。

 法定雇用率2.1%そのものはクリアしていますが、

 身体障がいを持つ方々しか雇っていないという事実は、
 障がいを種類で分けている印象を受けざるを得ません。


 この市役所の雇用のあり方に強い疑問を感じます。

 市は、広く市民に対して啓発と理解を進める立場であり、
 単に法定雇用率をクリアしていれば
 それだけでよいというのではなく、

 身体、知的、精神、どんな障がいであっても
 区別しない均等な雇用を目指すべきではないでしょうか。


 この問題については、
 すでに3月16日の民生常任委員会で健康福祉部長に所見を伺い、

 「3障がいの方々の雇用が
  全体で高まっていくことを期待している」

 という答弁をいただきましたが、
 ぜひ今回は、市長御自身のお考えをお聞かせください。









 市は単に雇用率を守るだけではなく、
 身体、知的、精神すべての障害者の方々の
 均等な雇用を目指すべきではないかとのお尋ねでありました。

 障害者雇用については、行政改革の一環として
 市全体の職員数の削減に努めている中にあっても、
 極力努力していかなければならない
 と考えています。

 しかしながら、知的障害者や精神障害者の方については、
 業務の外部委託化が進んでいる中、

 適正な対象職場がないため、
 現在のところ雇用が困難な状況にあることも事実であります。

 委託に当たっては、
 障害者雇用を契約条件としたり雇用を促すなど、
 その雇用機会の拡大に努力しているところであります。










 市役所の法定雇用率については、
 雇用がいろいろな経済状況等で難しいというお話でしたけれども、

 僕は、個人的な意見ではありますが、
 法定雇用率はこれから先も5%ぐらいに上げてもいいと思っています。

 例えば、この国には575万人も
 障がいを持つ方々がいるわけです。

 これは日本の人口の約5%にも当たります。

 だからこそ、もっとたくさんの人が
 働ける環境にしなくてはいけません。

 法定雇用率というのは、
 障害者雇用促進法という国の法律で決められていますけれども、

 長い間、身体障がいを持つ方々のみを
 対象にしたものでした。

 ですから、横須賀市役所の場合も、
 この流れを若干引きずっているのではないかというふうに感じています。

 けれども、時代は動いております。

 既に来年には障害者雇用促進法が改正される予定で、
 今度は精神障がいを持つ方々も
 法定雇用率の対象になります。

 精神障がいを持つ方々の雇用促進を検討している
 厚生労働省の研究会は、5月に報告書を出しましたけれども、

 その中では、短時間の雇用であっても、
 つまりフルタイムの社員でなくても、
 算定の対象にすると書かれています。

 ですから、今後の市役所の雇用のあり方としては、
 ぜひこれらの動きを参考にしながら、

 全障がいの方々が均等に雇われるような、
 そんな仕組みを検討してください。

 改めて、再質問として、市長にこの点について、
 今後を見据えた見解を伺えたらと思います。










 法定雇用率でありますが、知的障害の方々の場合は、
 市役所ではなかなか雇用が難しいのであります。

 適当な職場が無いということでありまして、
 市の仕事を委託した先では、
 知的障害者を雇用していただいているという例があります。

 市役所の清掃業務を受託している企業において、
 知的障害者を何人か雇用していただいております。

 それから、法定雇用率の引き上げということについては、
 基本的に国が実態をどのように考えるかと、
 今後の雇用政策をどう考えるかということが
 基本になるべき問題でありますから、

 今直ちにこれがどうこうということについての
 私自身の考えがまとまっているわけではありません。




 当時の沢田市長の答弁は、

 本来ならば、障がいの種別に関わらず雇用すべきだと考えているが
 働く場として適当なポジションが無いから雇用できていない

 というものでした。

 いくつもの特例子会社を視察して
 どんな障がいのある方々でも活き活きと働いている姿を
 実際に目の辺りにしていたフジノにとって、この答弁はとても残念でした。

 けれども、それから5年が過ぎた今年4月16日、

 総務部長名義で
 全市議会議員宛にプレスリリースが発表されました。

 (PDFファイル版はこちらです)



 平成21年(2009年)4月16日


 知的障害者を初めて雇用します〜 広めよう!こころのバリアフリー 〜


 横須賀市では、初めて知的障害がある人を
 臨時職員として雇用し、職場体験実習を行います。

 体験していただくのは、職員研修に関連する業務です。

 職員研修には、毎日多くの市職員が訪れますので、
 そこで職場経験を積んでもらい、
 今後の就職に向けて自信をつけてもらうことを期待しています。

 また、知的障害がある人と市職員がコミュニケーションをとることで、
 障害がある人への市職員の理解も深まり
 「こころのバリアフリー」が進むことを目指します。

 「こころのバリアフリーとは」

 バリアフリーには、
 バスに車いすスペースを整備するなどの「物理的バリアフリー」と、

 車いすを使っている人が乗降の時に、
 時間がかかっても周りの人が状況を理解し、焦らず待ってあげる
 「こころのバリアフリー」があります。


 1.期待される効果

 (1)雇用される人が職場経験を積み、就職に向けて自信をつけること

 (2)市職員が知的障害者と接し、ともに働くことにより、
    障害がある人に対する理解が深まり、
    「こころのバリアフリー」が進むこと

 (3)知的障害者の仕事の能力が確認されることで、
    これまで知的障害者を雇用したことのない民間企業も
    受け入れを検討しやすくなり、雇用が社会全体の中で進むこと


 2.雇用予定者

 軽度の知的障害がある37歳男性 1名


 3.雇用期間

 4カ月間(平成21年5月から平成21年9月まで)


 4.勤務場所

 総務部人事課研修担当(横須賀市職員厚生会館内)


 5.業務内容

 職員研修の受付、研修資料印刷、封入・封緘、宛名ラベル作成・貼り、
 コピー、シュレッダー作業など


 (事務担当は、総務部人事課) 


 そうなのです。

 ついに5月から横須賀市役所は
 知的障がいのある方を初めて雇用することになったのです!


 (次の回へつづきます)


2009年7月20日(月)のフジノその1
● 鎌田慧さんから取材を受けました/週刊金曜日

 今日、あの鎌田慧さんから取材を受けました。

 昨夜、雑誌『週刊金曜日』から取材依頼の電話を受けた時、
 編集部の方から鎌田慧さんが横須賀に来るとうかがって

 僕は長年尊敬してきた方とお会いできることへの喜びと同時に、
 過去の自分自身の想いをはじめ、
 いろいろなことが思い出されました。

 ●

 大学卒業を前に就職活動を行なっていた頃、
 新聞記者になることが、フジノの第1志望でした。

 その理由はすでに過去の活動日記に書いたとおりですが
 そもそも高校時代の恋人が精神障がいを発症してしまったことが原因で
 僕は大学での専攻を心理学に決めました。

 しかし、大学時代に痛感していたことなのですが
 いくら東京やアメリカで最新の事例を見ても学んでも
 横須賀のような片田舎にはそんな進んだものは全く入ってきません。

 恋人を守る為にも、日本全国の精神保健福祉が変わらなければ
 とうてい横須賀の状況も変わるはずがないと考えてきました。

 (それは今も全く同じ気持ちです)

 大学時代に複数のメンタルクリニックで
 無給研修生として働かせていただきましたが

 しょせん大卒の青二才(=僕)が
 現場で働いていくだけでは

 精神保健福祉業界全体に変化をもたらすことは
 とうてい不可能で、

 福祉の現場で働いて力をつけて発言力が持てるようになるには
 きっと30年はかかるだろう、と当時の僕は思いました。

 当時22才の僕にとって50代半ばになってからやっと
 発言できるようでは遅すぎる、と思いました。

 目指している目的の実現にはあまりにも時間がかかりすぎて
 それでは僕の望むスピードではない、まにあわない、と感じていました。

 何と言っても、僕は目の前の恋人を守る為にも
 「今すぐ」に精神保健福祉の現実を変えたかったのです。

 この国のあまりにも立ち遅れた精神保健福祉を
 一刻も早く改善したい僕にとって、30年先では遅すぎたのです。

 もともと僕の性格は目指している『目的』が実現できるならば
 それを実現する為の『手段』は何でもかまわないというものです。

 そこでいろいろ悩んだ末に、

 マスメディアで働くことができたならば
 もっと早くそれが実現できるだろう、

 少なくとも15年くらい努力し続ければ
 何とか社会的影響力のある発言が可能になるかもしれない、

 との結論に至りました。

 マスメディアで働く中で少しずつ取材対象を福祉へとシフトして
 日本の福祉があまりにも弱すぎるひどい現実を世間に広く知らしめて
 海外の福祉の最新の事例をどんどん紹介することで

 政治・行政にしっかりと改善をするように求めていく、
 メディアの力で訴えていく方が早いのではないかと考えたのです。

 また、新聞・雑誌・本・テレビ・ラジオなど
 様々なメディアが存在する中で
 当時の僕が最も有効だと考えたメディアは、ルポルタージュでした。

 もともと本を読むのが好きでしたから
 いろいろなルポルタージュ(以下、ルポと略)を読んでいました。

 当時読んでいたルポをふりかえると

 竹中労さん、本多勝一さん、鎌田慧さん、大熊一夫さん、
 本田靖春さん、柳田邦男さん、沢木耕太郎さん、

 などの名前が思い浮かびます。

 やがて就職活動に2年間もかけて
 ことごとく新聞社の入社試験に落ち続けた末に僕は

 精神保健福祉の改革という目的も
 ジャーナリズムの世界に入るという手段も捨ててしまいました。

 家でも学校でも仕事でも精神保健福祉と向き合うのではなく
 その日その日を、その場その場を、
 何とか笑顔で生きられれば
 それで良いのではないかと気持ちを切りかえました。

 そして生活の為に、就職が決まっていた映画会社に入社して、
 華やかで楽しくて夢がつまっている映画の世界へ飛び込みました。

 それでも結局は恋人のいのちを失なってしまって、
 自分の浅はかさを悔やみながら、もとの目的へと戻ってきたのです。

 ジャーナリズムという手段でも遅すぎるという想いから
 今では目的実現の為の手段は、政治に切りかえました。

 そして今、こうして政治家として
 現実と闘っているのです。

 ●

 もはやジャーナリズムの世界とは縁が切れた今でも、
 現実世界をより良いものへと変えていこうとする
 ジャーナリスト・ルポライターの方々への僕の尊敬の念は変わりません。

 特に、取材対象の中に自ら飛び込んでいって
 取材対象と一体化しながら現実世界の矛盾や問題点を描き出す
 素晴らしいルポをたくさん書いてこられた
 鎌田慧さんは、僕にとって特別な存在でした。

 それは僕にとって過去形ではなく
 今もそのお名前をうかがうと、熱い気持ちが蘇ります。

 神様とまでは言いませんが、
 鎌田慧さんの存在はあまりにも大きな存在です。

 大学卒業から約12年ほどを経て、まさか自分が
 尊敬する鎌田さんから取材していただけるとは、衝撃でした。

 取材以来の電話をもらった昨夜は、
 かつて一緒にジャーナリズムの世界をめざした友達や、
 実際に今は新聞社で働いている友達らに、
 興奮しながら報告の電話をしてしまいました。

 取材内容はあくまでも衆議院選挙の神奈川11区の情勢についてであって、
 フジノにとって大切な意味を持つ精神保健福祉のことでもなければ、
 人生を賭けたテーマである自殺対策のことでもありません。

 ふだん政治家としてフジノは、政策以外の取材は受けません。
 特に、時事的なことがらの取材はお断りしてきました。

 時事的な情報は単なる商品として消費されて終わりだからです。

 特に、テレビの取材の多くは百害あって一利なしですから
 大切な政策テーマ以外では、お断りしてきました。

 でも、僕にとって鎌田慧さんは特別な存在です。
 今日は、喜んでお会いしていただきました。

 昨夜のお電話では
 「20分ほどお話をうかがえれば...」と依頼をされたのですが

 鎌田さんと実際にお会いしていただいて、
 この横須賀というまちの現実をお話ししていくうちに
 とても対話がもりあがって、

 最終的には1時間40分も過ぎてしまいました。

 それも同行しておられた編集部の方に

 「鎌田さん、そろそろ次の取材に行かないと...」

 と急かされて終了した1時間40分で、
 あくまでも鎌田さんは

 「必ずまた会おう」

 と、おっしゃってくださったのでした。



 政治家フジノという公的な存在としても
 藤野英明という私的な存在としても

 鎌田慧さんをこころから尊敬しているということをお伝えして、
 取材を終わりました。

 もしも鎌田さんとの再会がありうるならば
 次回は神奈川11区の選挙事情ではなくて

 精神保健福祉の現状や改革の方向性や
 この国の自殺の実態やこの国の変わるべき姿についてなどを
 語り合うことができたら、本望だと思いました。

 人生とは、不思議でたまりません。

 ルポライター/ジャーナリストを目指した21才の当時には
 まさか35才になって自分が鎌田慧さんに取材をされるようになるなんて
 とても想像ができませんでした。

 生きていくということは、一体何なのだろう。
 本当に分からない。

 でも、だから生きていくのかもしれない。



2009年7月19日(日)のフジノ
● 横粂勝仁さんミニ集会@追浜へ

 今日は午後から、追浜のエルシャンテにて開催された
 横粂勝仁(よこくめかつひと)さんのミニ集会へ参加してきました。



 今回は、これまで開催してきたミニ集会の中で
 過去最高の参加者数で約40名でした。

 前回までの最高記録が約20名ですから
 一気に2倍の参加者となりました。関心の高まりを強く感じます。

 数名単位での、少人数での膝をつきあわせての
 じっくりとした語りあう対話を愛する横粂さんですが

 これからはミニ集会という名前ではあっても
 もっともっとたくさんの方々が来るようになるはずです。

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 まず最初に横粂さんから、10分ほどのごあいさつ。

 彼は数日前からスーツの上着を脱ぐようになったのですが
 その理由は、スーツの背中に
 真っ白な汚れが付いてしまうからだそうです。

 「大丈夫ですか?
  ガードレールかなんかにぶつかって背中をすったのですか?」

 と、心配した市民の方々から尋ねられてしまうのですが
 ぶつけたのでもすったのでもありません。

 実は、毎日50kmも自転車での遊説をしていると
 大量の汗が流れ出てくる訳ですが

 その汗の『塩分』がスーツに真っ白く浮きあがってるのです!

 みなさまに心配をかけるのもあれですし、
 もう脱いでしまおうということになったそうです。

 本家とも言うべき雄人(吉田雄人市長)の自転車遊説もすごいですが、
 横粂くんの走行距離数も本当にすさまじいものがあります。

 だって、雄人は選挙期間の間だけの移動ですが
 横粂くんはこれまでの数ヶ月間、毎日ですからね!本当にすごいです。



 その後すぐに会場のみなさまとの質疑応答タイムへ。

 フジノはリアルタイムでtwitterでその様子をお伝えしてきましたが
 ものすごい盛り上がりでした!

 よこくめさんが質問に答えるたびに
 会場内から大きな拍手が起こりました。

 主な質問項目を挙げてみると...

 ・少子化問題と年金の関係についてどう考えているか?

 ・小泉元総理によって『自己責任』という言葉が広められたが
  あまりにも『自己責任論』が強調されている今の風潮をどう考えるか?

 ・政治家の世襲制度についてどう考えているか?

 ・市長選挙では公開討論会を行なったのに
  何故この選挙区では公開討論会を行なわないのか?

 ・民主党の政策は素晴らしいが、その財源はどう工面するのか?

 ・横須賀には自衛隊とアメリカ軍の基地が大きな面積を占めている。
  今後もアメリカ軍に依存していくのか、自衛隊に移行していくのか?
  安全保障に対する考えはどのようなものか?

 ・横須賀には新しい市長が誕生したが、ぜひ国会議員に当選したら
  新市長に協力して改革をすすめてほしいが、どのような考えか?

 ・本当に民主党政権になったら情報公開が進むのか?

 ・横粂さんがこの神奈川11区から立候補予定者となった
  そのいきさつを教えてほしい。

 ・脱しがらみ政治をめざす横粂さんにとって、
  民主党と連合とのしがらみの関係をどのように考えているか?

 などなど。



 1つ1つの質問に対して
 決して逃げずに真正面から答えていく横粂さんは
 とても誠実でした。


● 『新しい横須賀』を実現する勝手連の第2弾が動き出します

 6月の横須賀市長選挙にて
 雄人(吉田雄人市長)を一緒に応援してくれた
 フジノ勝手連のメンバーがこの数日、少しずつ集まってくれています。



 希望ある『新しい横須賀』を実現する為には
 この勝手連活動の第2弾が大きな意味を持っています。

 新しい横須賀を創りだす為には
 市民のみなさまの声が届く新しい市長の誕生とともに

 本当に身近な存在としての
 新しい国会議員の誕生が不可欠です。

 まだ市長選挙が終わったばかりで
 本当に勝手連メンバーのみなさまはお疲れのことでしょう...。

 毎日の生活を送ることが最も大切なのに
 1年間に大きな選挙が2回もある、
 しかも3ヶ月続けてなんて、正直なところ、うんざりでしょう?

 でも、ここがまさに『正念場』です。
 だからみなさま、もう1回、フジノと一緒に闘って下さいませんか。

 どうか、再び結集して下さい!今こそ『正念場』なのです。

 フジノの大好きなテリーさんの歌に
 『正念場』という名曲があるのですが、

 その歌詞のとおりに、まさに今こそ正念場だから、
 僕も前向きに真正面から全力でぶつかっていきます。

 市民のみなさまは、フジノが選挙なんて大キライで
 福祉の現場こそ僕の本当の闘いの場だということを知っているはずです。

 でも、今は8月31日まで、走り続けたいのです。

 新しい横須賀は、新しい市長と新しい国会議員と共に、
 というのがフジノの今年の決意なのです。

 どうか、もう1度だけ、一緒に闘って下さいませんか。



2009年7月18日(土)のフジノその1
● 鳩山前総務相の発言へ抗議文を提出しました

 『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』の総意として

 鳩山邦夫さん(衆議院議員・前総務大臣)
 7月12日に行なった発言に対して、本日、抗議の文章を提出しました。

 文章は、次のとおりです。


                                平成21年7月18日


 衆議院議員
 鳩山 邦夫様

               地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会
                 代表 川口 洋一(大阪府高槻市議会議員)



  「自殺は社会的に追い込まれた末の死であることへのご理解を」



 私たち「地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会」は、
 あらゆる党派を超えた全国の地方議員が
 自殺対策推進の為に集い、共に学び、
 それぞれの市町村議会にて自殺対策を推進すべく
 積極的に活動をしている議員連盟です。

 先日12 日に福岡県久留米市の久留米大学で開かれた
 シンポジウムでの鳩山代議士の
 ご発言の真意を確認させていただくとともに、
 自殺は社会的に追い込まれた末の死であることへのご理解を賜りたく、
 本文章をお送り致しました。

 自殺はDNAに関係しているとの趣旨の発言を
 鳩山代議士がなさったと新聞・テレビ等の報道によって
 広く世間に伝えられました。

 鳩山代議士の持つ言葉の影響力は非常に強く、
 このままでは自殺が遺伝子によって規定された
 「遺伝」によって起こるとの「誤った認識」が世間に広まってしまいます。

 鳩山代議士がすでにご存知のとおり、
 2006年に自殺対策基本法が成立し、
 「自殺は社会的な要因によって追い込まれた末の死である」と
 明確に定義されました。

 また、『自殺総合対策大綱』においても、
 わが国に根強く残る「自殺は個人の身勝手な死だ」という
 偏見を取り除く必要性が強く唱えられました。
 自殺は遺伝によるものではありません。

 今日の厳しい経済社会的な状況のもとで、
 11年連続で自殺に追い込まれている方々が3万人を超えていますが、
 生活苦、過重労働、格差などの
 まさに今日的な問題の複合によって
 毎日100人もの方々が自殺へと追い込まれています。

 1人でも多くの方が自殺へ追い込まれないように
 一刻も早く自殺対策を推進していくことこそ政治家の急務だと信じています。

 そうした信念にもとづいて当会は
 全国の地方議員の仲間たちと活動をしてきました。

 鳩山代議士の信念である「友愛」の理念に照らせば、
 自殺へと追い込まれた方々の無念と、
 世間の自殺への誤解や偏見から苦しめられている
 ご遺族の想いを深く汲んでいただけるものと信じております。

 そこでぜひ、鳩山代議士のご発言の真意をうかがいたく、
 また、自殺は遺伝によるものではないとのご理解を賜りたく、
 本文章をお送り致しました。

 何卒、ご理解の程よろしくお願いいたします。




 もちろん直接にお会いしてその真意をうかがいたかったので
 鳩山邦夫さんの事務所に問い合わせたところ、

 スケジュールの調整がどうしても付かなかった為、
 東京事務所と選挙区である福岡の事務所に
 内容証明郵便でお送りしました。

 鳩山邦夫さんの持つ発信力の大きさに対して
 本会としてもマスメディアに対して記者会見を行なったり
 プレスリリースを配布したりすべきと検討しましたが

 発言から1週間が経過していることもあり
 これ以上、提出に時間をかけるべきではないとの判断から
 特にメディア対応は行ないませんでした。

 今後ですが、まずは鳩山邦夫さんからのお返事を待ちますが
 もしもお返事が頂けないままに一定の時期が過ぎた場合は
 こちらから改めて連絡をさせていただくつもりです。

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 自殺は、遺伝ではありません。

 自殺へと追い込まれる要因は1つではなく、
 複数の要因が複雑にからみあった末に起こることなのです。

 その複数の要因の1つとして、精神疾患があります。

 精神疾患が発症する原因は、
 遺伝と環境の相互作用によってです。

 つまり、自殺の要因の1つである精神疾患さえ、
 仮に遺伝的な要因があったとしても
 発病するとは限らないのです。

 自殺は、遺伝ではありません。

 これまでフジノは6年半以上、国内外の研究を追いかけてきましたが
 はっきりとした生物学的な研究に基づいた遺伝的な原因で
 自殺が起こるなどと結論付けた研究は
 全く見たことがありません。

 全国の研究者のみなさまにお願いしたいのですが
 もしもこのフジノの認識がまちがっているのであれば
 ぜひ反論して下さい。

 一方で、大切なご家族を自殺によって亡くしてしまった
 ご遺族のみなさまに心からお伝えしたいです。

 絶対に、自殺は遺伝ではありません。

 大切な方を亡くした悲しみだけでも本当に苦しいのに、
 この国の遺族ケアが不十分であることが原因で

 心理的にも社会的にも経済的にも追いつめられた
 自死遺族のみなさまはハイリスクな状況にあるのは事実です。

 しかしそれは先に述べたとおりで、
 わが国のサポートがあまりにも不十分な為に
 ハイリスクな状況へと追い込まれているのであって
 遺伝とは一切カンケーありません。

 どうか、この1点だけはご安心ください。

 今後とも、自殺対策を推進していく為に
 政治家としてフジノは全力を尽くしていきます。

 まだまだ努力が足りなくて、本当に申し訳ございません。



2009年7月17日(金)のフジノその2
● 第5回・灯ろう夜市へ

 今夜は、上町の商店街で『灯ろう夜市』が行われました。

 昨年に続いて、今年も3つの商店会が合同で開催でした。

 それにしてもすごい人出でしたね。
 通りをすれ違うのに必ず誰かにぶつかってしまうくらい。

 毎日こんなに商店街が
 人であふれていたらいいですね。



 和太鼓の演奏も行なわれました。



 踊りも。



 僕は今年も甚平を着て雪駄を履いて
 ぶらぶらと歩いていました。陶芸家みたいですね。

 大好きなおじやん@すぺーす三季さんにて。



 さらに、ライブを終えた直後のだいちゃんとフジノ。



 それにしても、市長選挙の余波がまだまだ続いていて
 フジノが歩いていたら昨年以上に声をかけられて
 あらゆる陳情を受けました。

 でも、多くの市民の方々が誤解していますが
 フジノに陳情をしても、吉田市長へと取次ぎは一切しません。

 フジノと雄人とのカンケーは
 そういう古い政治家のものではありません。

 選挙を応援したくらいで
 他の議員よりもフジノの言うことを優先的に聴くような市長ならば
 それは古いタイプのダメな市長なのですよ。

 どうか市民のみなさま、『新しい政治』が始まったことを理解して下さい。

 フジノはあくまでもマニフェストに記された政策を評価したから
 勝手連として吉田市長を応援しただけなのです。

 市長の側近でも無いし、与党でも無いし、
 フジノに伝えたとしても何も優先的な便宜はありません。

 どうか、新しい政治の姿を理解してくださいませ。

 また、自殺対策こそ政治家フジノの政策のメインですから
 市民のみなさまからうかがった相談には

 あくまでも、いのちの緊急性に照らして優先順位をつけた上で
 フジノは対応を行なっています。

 今はあまりにも相談件数が多すぎて
 本当に申し訳ございませんが

 自殺対策以外のご相談には
 フジノは全く対応できる時間的余裕がありません。

 どうかご理解ください。

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 最後は、みんなでカフェ『RRROOM』に集合して
 長井でとれたスイカを食べて、今年初の花火をしました。

 みなさまにとって、今年の夏が良い日々でありますように。


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