まちの政治家は、こんなことしてます


2010年12月31日(木)のフジノその2
● 大晦日ひとり自殺対策街頭キャンペーン

 大晦日である今日も、クリスマスイブと同じように
 年末年始の『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』を行ないました。

 毎年こうして12月23日くらいから
 三が日が終わるまで市内をまわって演説をしていると

 市民の方々の歩く速さが違うことが
 はっきりと分かります。

 12月はせわしない、早足の方が多いです。
 年末は、人々のこころもはやるのでしょうね。

 わずか1日しか違わないのに
 1月1日なると、人々の歩みはややゆっくりになります。



 今日のワイデッキでも
 本当にたくさんの方々から声をかけていただきました。

 「寒そう」「風邪をひかないように」「無理しないで」

 と、心配の言葉や
 ねぎらいの言葉をいただいてしまいました。

 でも、フジノに対する励ましの言葉は必要ありません。
 どうか、ご理解いただきたいのです。

 この寒い空の下で、身体を休めることができる場所も無く
 気持ちを許してたわいのない会話をできる相手もいない、
 本当に苦しい状況に追い込まれている方々が
 たくさんいらっしゃるのです。

 そんな方々の存在が分かっているのに
 政治・行政は、支援の為の情報さえ
 必要な方に有効に届けることができていません。

 だから、こうして街頭でフジノが叫び続けるのは
 必要な支援が足りていない政治・行政の至らなさを埋める為の
 せめてもの行動に過ぎないのです。

 温かい言葉をいただく立場に
 僕はありません。

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 今年も本当に多くの人々を
 自殺によって失ないました。

 とてもさみしいです。

 ふと寝転んだ時に、亡くなった方々の顔が浮かんで
 改めて亡くなってしまったということをかみしめて、
 あまりにもさみしい気持ちになります。

 どうか、死なないで下さい。

 僕は、本当にさみしいです。
 あなたがこの世界から消える必要はありません。
 どうか、死なないで下さい。お願いです。

 どうか、死なないで下さい。

 世の中は大晦日で、
 あと15分で新しい年を迎えます。

 僕の新年の目標は、ただ1つ。

 自殺へと追い込まれる犠牲者を
 1人でも多く減らす。


 この1つだけです。

 その為に、来年も今年以上に全身全霊を賭けて働きます。

 どうか、死なないで下さい。

 あなたが生き続けられるように政治・行政が
 何とかしてサポートをさせてほしいのです。

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 今年も1年間、本当に多くの方々が
 フジノの自殺対策・精神保健福祉・高齢者福祉をはじめとする
 あらゆる取り組みに力を貸して下さいました。

 いくつものいくつもの成果を新たに生み出すことができました。

 絶望的な状況のこの国ですが、
 良い方向へと変わったこともたくさんあって
 フジノ自身が関わることができたことが今年もたくさんありました。

 8年間も政治家をしているとはいえ、
 あなたのサポートが無ければ

 これだけの成果を出すことは
 フジノ1人では不可能でした。

 こころから感謝しております。

 どうかみなさま、来年も力を貸して下さい。
 救うことができるはずのいのちを守る為に
 奪われるべきでないいのちを守る為に、力を貸して下さい。

 いのちを賭けて、いのちを守る。
 そんな政治家として生きていかれるように努力を続けます。

 どうかあなたの力を貸して下さい。

 今年も1年間、本当にありがとうございました。
 どうか、良いお年をお過ごし下さいね。


(2010年12月31日23:53記)


2010年12月31日(木)のフジノその1
● 年越しSOS電話相談がおこなわれます!

 湯浅誠さん(反貧困ネットワーク)と
 清水康之さん(自殺対策支援センターライフリンク)のお2人から
 それぞれに連絡をいただきました。

 今日から1月3日まで、緊急の電話相談が設置されます!
 どうか、ぜひご利用ください。

 みなさまもどうか告知をお願いします。


 【年越しSOS電話相談、開設します】

 <内容>

 ・31日〜1月3日のお昼12:00〜18:00まで。

 ・携帯電話3回線で、相談に対応します。

   電話番号080(5917)0996
         080(5917)0997
         080(5917)0998


 ・原則として、東京都内のみです(あくまで原則としてです)

 ・年越し支援として1月4日の朝までの宿泊費と食費

 ・来所ができない方にも、対応をします。

 ・4日の朝には、原則として
  自力で都内福祉事務所/ハローワークに行っていただきます。

 <主催>
 湯浅誠さん・清水康之さん(ともに内閣府参与)、
 および有志


 ぜひご利用ください!
 お願いします。



2010年12月30日(木)のフジノその1
● ついに完結、『僕らの七日間戦争』シリーズ・横浜3部作

 今日は、うれしい記事を発見しました。

 毎日新聞の網谷利一郎記者によって書かれた
 作家・宗田理さんの最新作の紹介です。

 (2010年12月30日・毎日新聞より)

 何故この記事がうれしいかというと、

 何よりもまず、宗田理さんが脳こうそくをのりこえて
 『ぼくら』シリーズの横浜三部作を完成されたことです。

 かつて57才の時に『ぼくらの七日間戦争』を出版して
 映画化もされて大ベストセラーになった宗田さんも
 今はもう82才なのですね。

 三部作の2作目が去年出版されてから
 宗田さんの闘病生活を知って
 3作目は無いかもしれないと覚悟していただけに
 本当にうれしかったです。

 もちろん最新作も、
 すぐに読みましたよー!

 大人向けに書かれた
 分厚くて読み応えのあった
 『ぼくらの七日間戦争』第1作に比べると

 今ではすっかりこども向けの
 ラノベと化してしまっていて

 読み応えという意味では
 物足りなさはありますが

 根底にある想いは
 変わらないと感じました。

 そして、もう1つ本当にうれしかったのは
 この記事そのものです。

 宗田さんが4年がかりで三部作を完成させたのと共に
 この記事も4年がかりの完結編だったからです。

 毎日新聞記者の網谷利一郎さんが
 最初に横浜・三部作の記事を書いたのは2007年のことでした。

 (2007年2月25日・毎日新聞より)

 記者生活41年、網谷記者の姿勢を
 フジノはとても尊敬しています。

 どれだけ時が過ぎてみんなが忘れてしまっても
 絶対に忘れない。

 誰の関心も呼ばないようなささやかなことでも大切だと信じれば
 それを世間に発信していく。

 僕もずっとそうでありたいと願っています。

 大切な想いをずっと忘れ続けない
 2人の姿を4年ごしで見せてもらいました。

 こういう大人になりたいです。



2010年12月29日(水)のフジノ
● 大学の同級生との再会に過去をふりかえる

 夜、有楽町へ。
 大学の同級生との忘年会に行きました。

 (画像:有楽町の東京交通会館。かつての職場のすぐそば。懐かしい)


 大学時代のフジノにとっての
 唯一の親友が幹事をしてくれていて

 毎年わざわざフジノの予定に合わせて開催してくれるのがありがたくて
 出席することにしています。

 かつてフジノがいた心理学専攻は
 1学年に50名だけしかいなくて
 それがクラスになっていました。クラスの担任もいました。

 こういう『クラス』というのが存在するのは
 大学ではとても珍しいことのようです。

 法学部などの他の学部ではクラスという存在そのものが無いので
 3年生になってゼミに入るまでは
 同じ学部なのになかなか知り合いができない 
 という話を聴いたことがあります。

 だから、そういう学部に比べると
 僕たち心理学専攻は必修科目が無くても
 毎日のように顔を合わせる親密度は高い状況だったのです。

 でも、大学時代について というか、
 母校についての記憶がフジノには、ほとんどありません。

 友達を作る気持ちも全く無くて、
 ただひたすらに精神疾患を打ち負かす為に学ぶことだけが
 当時のフジノにとって唯一の目的でした。

 (画像:フジノが通っていた校舎、12月11日に仕事で母校に来ました)


 フジノの記憶に残っているのは、

 図書館の書庫、 大学生協の本屋、
 夜遅くに図書館を出てJRの駅まで歩く時の暗くて長い道のり、
 古本屋の灯、池袋と成城学園のメンタルクリニックでのボランティアの日々

 これくらいだけなのですよね。

 アルバムに残っている
 大学時代の写真を見てみると

 アメリカに短期留学したり、交換留学生試験に合格したり、
 友達と語ったり飲んだりもしたり
 学究生活以外にも
 いろいろしていたみたいなのですけれども

 でも、入学から卒業まで一貫して母校のことが嫌いで
 卒業してからもどうしても好きになれなかったからだと思うのですが

 全くといって良いほど
 母校での日々が記憶に残っていません。


 (画像:学部の正面にあった定食屋『牛めし三品』によく通っていました)


 だから、同窓会/忘年会で同級生に再会しても
 ほとんど全く誰のことも憶えていません。

 もちろん名前や顔は記憶にあるのですが
 共有している思い出とか何も無いので

 同世代の人に初めて出会って話しているような、そんな気持ちです。

 このこと1つを取っても、
 精神疾患との闘いこそが大学時代のフジノにとって
 何よりも大切だったのだと改めて感じました。

 (画像:常連だった『牛めし三品』の店内に久しぶりに入りました)


 元クラスメートも、そんなフジノを本音では
 かなり扱いづらくて大変だったろうなあと思います。

 いや、過去形ではなくて、今も大変なのだろうなあ。

 同窓会に現れても、何も憶えてないのだから。
 赤の他人が来ているようなものだもんなあ。

 それでも、幹事をしてくれている親友は
 亡くなったフジノの元恋人と一緒にダブルデートをしたこともある
 本当に数少ない大切な存在なので

 せっかく会える機会がある限りは
 やっぱり会いたいのですよね...。

 クラスのみんな、毎年忘年会ありがとうね。

 (画像:『牛めし三品』といえば、ミックスです)


 ちなみに、定食屋『三品』の名前の由来は
 昭和40年に開店した当時は
 1.カツ、2.カレー、3.牛めし、の
 3品しか作っていなかったからだそうです。

 この3品を同時に食べることができるミックスこそが
 『牛めし三品』の王道です。

 ん、考えてみたら、ミックスもフジノにとって
 数少ない大学生活の思い出でした。

 おいしいですよ。



2010年12月28日(火)のフジノ
● 僕は音楽のおかげで生きていかれる

 『政治家』という職業は
 『年中無休のサービス業』ですから

 年末年始であっても
 ふだんと何も変わらずに仕事をしています。

 市役所が閉じてしまっているので
 ヒアリングができないこと以外は全くいつもと変わりません。

 むしろ、自殺対策については
 年末年始・年度末の方が注意が必要になりますので
 ぴりぴりしながら毎日を過ごしています。

 フジノにとってはそんな年末年始ですが
 世の中にとってはやっぱり特殊なお祭り状況になるというか

 いろいろなイベントがこの期間に集中的に開催されるのが
 本当にありがたいです。

 おかげで、このわずか3日間で
 合計4つものライブに行くことができました!


 松崎ナオさん

 彼女の歌は僕が生きていく為に不可欠なだけでなく
 同世代として
 同じ時代を生き延びてきたその生きざまも含めて
 この13年間ずっといつも気になっている大切な存在です。


         

 ・県立逗子高校の吹奏楽部

 春の横須賀芸術劇場と
 冬の逗子文化プラザで開かれる定期演奏会を聴くのが
 この数年間のフジノの習慣になっています。

 来年も4月の定演が楽しみです!




 ・純コバ
(森純太さんと小林雅之さんのユニットです)

 バンド『JUN SKY WALKER(S)』のギター&ドラムの2人が
 期間限定のユニットを組んでツアーをしています。



 純太さんたちは僕にとって
 年齢がひとまわり上ということもあって、アニキのような存在です。

 アニキのせいで音楽を好きになって
 パンクスの洗礼も受けて

 自分が30代になるなんて姿をイメージできなかった10代から
 年をとってしまってまもなく40代が見えてきたフジノに

 音楽を一生愛し続けるという姿を
 音楽を一生愛し続けてもいいのだという姿を
 いつも見せてくれる。

 迷いながらも前に歩き続けるということを
 いつも教えてもらっています。



 そして、われらが横須賀のヒーロー
 卍Line。



    ↑
 めちゃくちゃ楽しかった!

 今年は3枚目のアルバムも出て本当に良かったし、
 リリースパーティーにも招いてもらえてうれしかったなあ。

 3枚目のアルバムということで音楽としてのクオリティも上がってきたし、
 歌に込められた想いの強さもますますパワーアップしているのを感じます。

 これからもずっと歌い続けてほしいです。

 ●

 この3日間、ライブにまにあうように仕事を必死に終わらせて
 ライブハウスにかけつけて
 終わるとすぐに飛んで帰ってと
 スケジュール的には大忙しでしたが

 でも、本当に良かった。

 どの1つをとってもフジノの人生にとってすごく大切な音楽で
 生きていくことを支えてくれている存在なのですね。

 『自分の為の歌』なのですね。

 ●

 音楽だけではなくて、
 誰にとっても

 『自分の為の映画』
 『自分の為の本』
 『自分の為の絵』などなど

 が必ず存在すると思うのですね。

 良いことなんてたいして無い世の中だけど
 これがあるから生きていかれる

 という存在があると思うのです。

 あなたはどんなものが大切な存在ですか?



2010年12月27日(月)のフジノその1
● おもちつき大会in「観音崎青少年の村」

 今日は、観音崎青少年の村で
 コウジさんらによって『焚火の村祭り』の第2回目がひらかれました。

 おもちつきです!

 観音崎青少年の村を愛するたくさんの人たちが集まりました。

 突然の開催でしたし、何よりも寒いから人は来ないかなと思っていたら
 親子づれがすごくたくさん来てくれて
 第1回目よりも盛況だったかもしれません。

 先日、存続を求める約7000筆もの署名が市長に提出されましたが
 やっぱりこの村は深く愛されているのだなあと実感しました。



 フジノは横須賀中央から観音崎までバイクで走ると
 この季節はかなり寒いのですが、
 焚火にあたって暖をとると本当に温かくて気持ちいいのですね。



 さっそくおもちつきです。

 まず、もち米をつぶさなければいけません。



 そして、ひたすらつきまくります。
 腰痛持ちのフジノは、へっぴり腰。



 こどもたちにもどんどんついてもらいます。
 大盛況で、2つのキネ&ウスに行列ができました。



 誇らしい笑顔。



 小さなおこさんがおもちをつく
 そのかわいらしい姿に
 まわりのみんなが笑顔になりました。



 お雑煮もふるまわれました。



 さらに、焚火の火をつかって
 じゃがいも。熱々で、おいしかった!



 神奈川県は『観音崎青少年の村』を廃止しようとしています。
 (詳しくはこちら

 しかも、吉田市長も廃止を止める意思がありません。

 財政難を理由に廃止をしようとしている松沢知事も
 吉田市長も、こういう場所の必要性が無いと考えているようですが
 本当に残念です。

 もったいない。

 (フジノが考える存続の意味については
  12月議会で市長に対して行なった本会議での質疑をご覧ください)

 このマッシュルームキャビン、
 小6の春休みに泊まった思い出が残っています。



 こどもたちが散策を楽しむ姿。
 やっぱりこどもたちは自然の中にいないとね。



 フジノが街頭でみなさまにお伝えしていた
 明治時代から残るイギリス積みのレンガとは、こちらの建物です。



 このアーチが特徴ですね。



 自然を残して守りたいという想いと同時に
 こうした文化遺産を残したい、残さねばならない、と強く願うのです。

 それは財政の問題で片付けるべきではないし、
 青少年の村の廃止で財政難が解決する訳では無いのに
 まやかしの理屈で廃止すれば、
 こどもたちの希望をまた1つ減らすことになります。

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 焚火の村祭り、コウジさんやミホティンのおかげで
 今回も大成功でしたね!

 おもちつき、楽しかったですね。
 おもち、お雑煮、ジャガイモ、大福、すごくおいしかったですね。

 年末の楽しいひとときをみんなでこうして過ごした記憶は
 いつまでもこころに残り続けます。

 そんな素晴らしい場所を思い出の中だけで残すのではなく
 現実にまた訪れることができる場所として存続させたいです。

 どうかあなたも力を貸して下さいね!



2010年12月25日(土)のフジノ
● 佐藤方哉先生、ありがとうございました

 今日は、東京・市ヶ谷へ。
 『故・佐藤方哉先生を偲ぶ会』へ参加しました。

 佐藤方哉先生(慶応大学名誉教授)は、
 我が国の心理学の発展に大きな貢献をした方です。

 特に、行動分析学においては
 世界的な活躍をされました。

 フジノにとっては、本当に大切な恩人です。

 もしも19才の時に佐藤先生と出会わなかったら
 今の僕は存在していませんでした。大切な存在です。

 今年8月末に、とても悲しい事故によって
 いのちを奪われてしまいました。

 大学時代の同級生から訃報を聴いた時には信じられず、
 インターネットやテレビのニュースが誤報であることを祈りました。

 全ての用事をキャンセルして、お通夜に向かいました。
 4か月が経った今も、先生はどこかで
 お元気でおられる気がしてなりません。



 18才の時。

 僕は精神疾患と闘う為に大学に進学したのですが
 専攻した心理学は、3か月も学ぶと
 「何の役にも立たない」ということが分かりました。

 さらに、母校で出会った先生方の誰1人として
 精神疾患に苦しむ人々の為に
 研究や実践に取り組んでいる方はいませんでした。

 心理学を学びさえすれば精神疾患と闘うことができると
 早とちりして盲信していた僕の、
 完全な進路選択ミスだったのでした。

 僕が学ぶべきは、精神医学だったのでした。

 こうして早くも大学1年生の夏には、
 何の希望も僕は持てなくなっていました。

 そんな大学2年の春に、佐藤方哉先生と出会ったのです。

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 必修科目の『学習心理学概論』を
 担当するはずだった先生が
 体調を崩したか何かの理由で交代になって

 その担当だった先生とご縁があった佐藤先生が
 代わりに講師として来て下さったのです。

 (本当にラッキーでした!)

 佐藤先生の講義、そして行動分析学との出会い、
 それは『衝撃』そのものでした。

 佐藤先生は、ラディカルでした。

 行動分析学によって世界は必ず良い方向に変えることができると
 佐藤先生は確信しておられました。

 その強い情熱は、とても定年を間近に控えているとは思えない
 若々しさとポジティブさに満ち溢れていました。

 もはや心理学に何も期待していなかった僕は、
 佐藤先生に出会って、もう1度、
 精神疾患との闘いに光が見えた気がしました。

 あっという間に僕は、
 佐藤先生と行動分析学に激しく惹かれていきました。

 週1回の行動分析学の講義が
 何よりも待ち遠しかったです。

 行動分析学についての論文が僕の大学には少なかったので
 佐藤先生の勤務する慶応大学の図書館に通って
 とにかくたくさんの論文を読みました。

 講義が終わると佐藤先生のもとに駆け寄っては質問攻めにして、
 時には近くの喫茶店に連れて行っていただいて
 いろいろなことを教えていただきました。

 佐藤先生のご自宅にも何度かお邪魔させていただいたり、
 お酒も飲みにつれていっていただきました。

 (画像:先生の明るい人柄を反映して偲ぶ会はとても明るい会でした)


 大学2年が終わりに近づいた頃、
 佐藤先生に相談を聴いていただきました。

 「佐藤先生のもとで行動分析学を学び続けたいので
  大学を辞めて入試を受け直そうと考えています」

 すると佐藤先生は

 「大学は辞めずに、慶応大学の私のゼミに学びに来なさい」

 とおっしゃってくださいました。

 他大学生なのに、佐藤先生のゼミに通うことができる!
 信じられない言葉に、僕はこころから感謝しました。

 こうして早稲田に籍を置いたまま、
 佐藤先生のゼミに潜らせていただく為に
 毎週、僕は三田の慶応大学に通ったのでした。


 (画像:たくさんの映像も紹介され、クイズダービー出演時の先生の姿も!)


 僕は、佐藤先生を通じて『希望』を取り戻すことができました。

 行動分析学を学ぶにつれて
 SST(社会生活技能訓練)とも出会うことができました。

 認知行動療法の1つで、
 統合失調症などの精神障がいの慢性期に対応した技法です。

 実効性の高さが知られていくにつれて
 対象は精神障がいだけでなく大きく広がっていって

 今では医療機関・福祉施設・学校・矯正施設など
 あらゆる場で用いられています。

 このSSTを確立させたリバーマン教授(UCLA)に会いたくて
 大学2年の夏に、僕はアメリカに短期留学もしました。

 また、都内のメンタルクリニックに
 学部生ながら無給研修生として通うようになりました。

 就職活動が始まる3年生の夏頃、
 佐藤先生のもとで学び続けるべく大学院進学を決心して
 相談にうかがいました。

 しかし、先生は「進学は薦められない」とおっしゃいました。

 もしも僕が大学院の入試にストレートで合格したとしても
 佐藤先生の定年退職が1年後に迫っており、
 僕の卒業までは担当することができない、というのです。

 さらに先生は

 「きみは行動分析学のマインドを持った
  法律を扱う仕事に就いた方が良いのではないか」

 とおっしゃったのです。

 法律を扱うこととは無縁な心理学専攻の21歳の僕には、
 この意味が全く理解できませんでした。

 佐藤先生のもとで学び続けることができないことが
 大きなショックでした。

 けれどもそれから10数年後の今、
 確かに、先生の言葉のとおりになりました。

 行動分析学のマインドを持った政治家として
 僕は今こうして働いています。

 今、僕の人生につながる様々なことがらは
 佐藤先生と行動分析学に出会えたおかげだと思うのです。

 僕は佐藤先生との出会いを通じて
 『希望』を取り戻すことができたのです。

 本当に感謝してもしきれません。




 大学を卒業してからは年賀状をお送りするだけで
 佐藤先生と再会することはありませんでした。

 先生は、慶応大学を退職された後も
 帝京大学や星槎大学の学長として活躍しておられることは
 インターネットなどを通じて拝見していました。

 僕が政治家に転職することになった後、
 初めての年賀状に

 「佐藤先生はあの当時から
  僕が政治家になると見抜いておられたのでしょうか?」

 という質問を記しました。

 先生は僕の当選をとても喜んで下さいましたが
 その質問については特にお答えになりませんでした。

 だから、佐藤先生に再会できたら
 その答えをじかにお聞きしようと思い続けていました。

 今となっては
 それも叶わなくなってしまいました。

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 佐藤先生のあの情熱に満ちた確信を
 僕は、絶対に忘れません。

 世界は必ず良い方向へと変えることができる。

 今、社会から希望が失われていて
 世の中は絶望感であふれています。

 僕も体調が思わしくない時には
 その空気にのみこまれて
 こんな世界を生きていくことにうんざりして
 消えてしまいたくなります。

 でも、そんな時こそ、佐藤先生の姿を思い出していこうと思います。

 目の前の出来事は、必ず原因があって、
 同時に、必ず変えることができる。

 世界は必ず良い方向へと変えることができる。

 佐藤先生に教えを受けたひとりとして
 絶望に負けてはいけない、絶対に。

 行動分析学の学徒ではなくなってしまいましたけれど
 先生の教えを、絶対に忘れません。

 佐藤方哉先生、本当にありがとうございました。



2010年12月24日(金)のフジノ
● いずれ僕が必要とされない時が来ることを祈りながら

 フジノがうつ病にかかってから10年以上が経ちますが
 今年の3月末に10年間の闘病生活で初めて
 クスリを大きく変えました。

 どんなクスリにも副作用が必ずあるものですが
 精神科系のクスリは副作用が強いので
 それが原因で
 服薬をやめてしまう人がたくさんいらっしゃいます。

 僕も今回は本当にひどい副作用が出てしまって
 数カ月にわたって苦しみました。

 ひどい吐き気やめまいなどの副作用に
 半年以上かけてようやく慣れてきたのですが

 11月末の臨時議会から12月議会が終わるまで
 あまりにも忙しくてどうしても病院へ行く時間を作れませんでした。

 クスリが無いままに1ヶ月を過ごさねばならず
 市長への質疑や委員会での質疑を作る為に
 何日も徹夜が続きました。

 突然の断薬と不規則な生活のダブルパンチによって
 とてもひどい離脱症状が起こってしまい、
 本当に苦しみながら議会を終えました。

 半年以上かけて副作用に慣れつつあったことも
 断薬によって全て台無しになってしまいました。

 12月14日に議会が終わり、やっと病院に行くことができて
 今、改めてクスリをのみはじめたのですが
 また完全にゼロからスタートなので

 うつそのものの苦しさと共に
 クスリの副作用とも向き合わなければならない毎日が続いています。

 世間には誤解があるのですが
 うつがひどくなると
 精神的な落ち込みが起こるというよりも
 肉体を動かすことがそのものが全くできなくなってしまいます。

 こころの病という言葉からくるイメージとは違って
 実際には『脳』という器官の病気ですから
 体の全体にあらゆる影響が出てくるのですね。

 毎日当たり前にこなしてきたような
 顔を洗うとか、歯を磨くとか、全くできなくなってしまいます。

 どれだけ気合いや根性を入れ直しても
 おなかが減っているのに、ごはんを食べることさえできません。
 (おハシが持てない...)

 人と会話するのも、電車に乗るのも、
 何もかもができなくなってしまいます。

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 だから、いつだって心は折れそうになります。

 僕が街頭に立ってマイクで語りかけなくても
 地球は回り続けるし、世界は動いていきます。

 僕なんか存在しなくても
 このまちは何も変わらずに明日がやってくるのです。

 だから、どれだけ僕が切実に
 「自殺に追い込まれる犠牲者を無くしたい」と願っても
 そんな祈りは決して届かないのかもしれません。

 昨日の温かさから一転した心底から冷える寒さ、
 世の中の楽しそうな人々、うつの苦しさ、
 クリスマスイルミネーションの輝き、押し寄せるめまいや吐き気。

 僕なんかが何かをする必要なんてもう無いんじゃないのか。
 ワイデッキに向かう意味なんて無いんじゃないのか。

 僕が何をしようが誰も救われないし現実は変わらないなら
 めまいがして寝転んだ事務所の床に
 このまま伏せったまま、立ちあがれないまま、休んでいればいい。

 ひとり自殺予防街頭キャンペーンなんて
 僕だけがやって何になるのだろうか。

 でも、昨日の街頭演説を聴いてくれた方が
 すぐにツイッターでメッセージをくれた。
 親しい人を今年1年間だけで2人も自殺で失った、と知らせてくれた。

 こんなにもたくさんの人が自殺に追い込まれている
 この現実を変える為に今この瞬間にできることを全てやることが
 僕が生きている唯一の意味では無いのか。

 ワイデッキで語りかける僕の声は確実に届いているし
 僕が語りかけるのをやめたら、
 誰が助けを求める声に耳を傾けるのだろう。

 僕はこんな風にいつも自分自身と
 自分の抱える病と絶望と
 わずかに感じる希望との間で葛藤しながら過ごしています。

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 今日も、立ちあがれなくなりそうでした。

 体調はどうにも上がらず、
 自分のやるべきことの意味を見失いつつありました。

 それでも今夜も立ちあがろうと
 残る気力を振り絞る勇気を与えてくれたのは

 故・山本孝史さんの人生を
 奥さまである、山本ゆきさんが記した本でした。



 2006年に自殺対策基本法成立が実現したのは
 山本孝史さんのおかげです。

 この法律が成立した時、亡くなった元恋人に対して
 初めて僕は1つの責任を果たせた、と感じました。

 そんな僕にとって、山本孝史さんの存在はすごく大切です。

 自殺対策に取り組んできた政治家フジノとしてだけではなくて、
 ひとりの人間・藤野英明として、

 山本さんのように
 命をかけて毎日を生きていきたいと
 いつも願っているのです。

 でも、そう願いながらも、あまりにも大きすぎる山本さんの姿に
 ちっぽけすぎる自分が恐れを感じてしまうこともあります。

 自分のできることの少なさに絶望をして
 逃げたくなることもたくさんあります。

 昨年の山本さんの命日に
 新聞の同じスペースに載せていただいた時には
 あまりのプレッシャーで、どうにかなってしまいそうでした。

 おととい(山本さんの命日です)、
 山本孝史さんを偲ぶ会でこの本を頂いてから
 少しずつ読みすすめてきました。

 途中、涙が何度も出てきました。

 病をおして立ちあがり続ける山本さんの姿に触れるたびに
 「何度でも何度でも立ちあがるしかないのだ」と
 背中を押されているような気持ちになったのです。

 こうしてようやく今夜も
 なんとか気力をふりしぼることができたのです。

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 ワイデッキに立てば、いつもどおりに政治家フジノは
 祈りをこめて自殺を無くす為の方策を語り続けます。

 クリスマスイブの華やかさや明るさとは全く無縁のフジノの話に
 今夜も街ゆく人々はとても好意的に反応をしてくれました。

 この数年前から、自殺の話をフジノが街角で語っても
 苦情をいう人は誰もいなくなってしまいました。

 つまり、それだけ自殺はあまりにも身近なことになってしまったのです。

 悲しみを体験した多くの方々が
 自殺を無くす為の対策を
 こころから願っているのを強く感じます。



 今日もまた本当にたくさんの方々が話しかけてくれました。

 パワーハラスメントによって
 自主退職に追い込まれた方。

 おかあさんを小学生の頃に亡くしてしまったという方。

 死んでしまいたいと夏頃からずっと考えているという方。

 そうした声の数々を聴かせていただくにつけても
 今日ここに立っていることは「やはりやるべきこと」だったのだと
 感じざるをえませんでした。



 語り続けるフジノの姿に何かを感じてくれたのか
 中学3年生の男女6人が話しかけてきてくれました。

 ありがとう。

 こんな笑顔に励まされて、何とか僕は今までもやってこれたのだ。
 何とか今日も最後までのりきることができたのは、
 彼ら/彼女らの笑顔のおかげだ。

 ふがいない僕だけれど、やらなければならないことが
 まだいくつもいくつも残っている。

 いずれ景気もよくなる時が来たら
 いずれ何かが良くなったならば、
 世の中は僕を「いらない」と言うだろう。

 そんな日が来ることを僕はこころから祈ろう。
 それはつまり、自殺が無くなる日が来ることを祈るということなのだ。

 それまでは、何度でも何度でも歯を食いしばって
 立ちあがるのだ。

 それ以外に僕に何ができるだろう。

 それでも立ちあがること。
 それだけが僕のできるたった1つのことだ。


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