まちの政治家は、こんなことしてます


2009年7月1日(水)のフジノその3
● 大学院を「退学」しました

 2007年に入学して2年間にわたって在籍してきました
 上智大学大学院の博士前期課程(福祉政策専攻)を

 昨日6月30日付をもって
 正式に『退学』いたしました。





 どんなにつらい内容であっても僕は公人ですから

 学歴や職歴に新たに変更があれば
 きちんと「事実」を報告し、
 その「理由」を説明する責任があると考えています。

 そこで、退学に至った3つの理由をご説明いたします。


 第1に、最大の理由は、『学費が支払えないこと』です。

 政治家は高いお給料をもらっているんだから
 大学院の学費ぐらい何とでもできるだろう、という偏見があります。

 僕はクルマも持っていませんし、持ち家でもありません。
 父の医療費を支払いながら、家族の生活を守っていくので精一杯で
 かねて申し上げている通り、
 借金はあっても、貯金はありません。

 もう今年はどうしても
 大学院の学費を捻出することができませんでした。

 それが『退学』の最大の理由です。


 第2に、休学としなかった理由、『休学の費用も支払えないこと』です。

 1年分の学費の支払いはムリだとしても
 いきなり退学を選ぶのではなくて

 大学側は苦学生に対して細やかな配慮をしてくださっているので
 『休学』という措置があります。

 これは学費の5分の1だけ大学院に納めて、
 大学院に籍を残して学生ではあるけれども
 ゼミなどには出られない状態を『休学』といいます。

 けれども今年は休学費用もつくることさえ、どうしてもできませんでした。
 だから、休学もいたしませんでした。


 第3に、人として僕自身のこころの葛藤が許せなかったからです。

 例えば、『父の医療費の1か月分』=『大学院の休学費用』です。
 『父の医療費の5か月分』=『大学院の1年間分の学費』です。

 上智大学院の福祉政策専攻において
 こころから尊敬するT先生のもとで
 地域社会政策をもとに横須賀の自殺予防対策を研究することは
 僕の夢でした。

 だから、父の医療費のせいで大学院をあきらめることに
 とても怒りを感じることがありました。

 父さえ、こんな状態じゃなければ...と。

 あるいは、当初のドクターの見立てどおりに
 2009年の今、すでに父が亡くなってしまっていれば学費が出せたのに、
 ということさえ僕の気持ちの中には何度も浮かびました。

 けれども、同時に僕にとって父の存在は
 誰よりも大切な存在なのです。

 大切な存在が死んでしまうことが
 イコール大学院の学費をつくることが可能になる、という現実がいつも
 僕のこころを苦しめてきました。丸1年間、悩み続けました。

 人のいのちを大切にすることを最大の人生のテーマにしている僕が
 僕自身の欲求の為に父の死を願うようなことは耐えられませんでした。

 この葛藤から自由になる為には、退学するしかありませんでした。


 この3点から、大学院を退学いたしました。


● 尊敬するT先生には感謝してもしきれません

 僕の指導教授になって下さったT先生
 かねてから先生の論文・文献をほぼ全てにわたって読んでいました。

 T先生の研究テーマの1つである『地域社会政策』は
 『自殺予防対策』とは地域ですすめていくものだと考えるフジノにとって
 新たな視点・新たな道を拓いて下さったものでした。

 論文や文献でしか知らないけれども
 個人的にずっと尊敬していたT先生が教授をしていらっしゃる
 上智大学大学院で学んでみたい

 と、2004年のある日、
 夢物語かもしれないけれども考えるようになりました。

 それから政治家としての仕事のかたわら
 2年間をかけて必死に勉強を重ねて、公務の合間をぬって入試を受けて、
 なんと、合格することができました。

 しかも、念願が叶って、
 T先生のご指導を受けることができるようになりました。

 T先生のご活躍はとても有名ですから、
 この福祉業界の方々ならば

 すでに『上智大学』『T先生』というイニシャルだけでも
 フルネームが分かっておられるはずです。それくらい素晴らしい方です。

 そんなT先生ですから、ふだんは多忙を極める毎日です。

 それなのに、今回の僕の退学騒動では
 最後の最後の日まで、
 なんとか退学にならないようにできないか、
 研究生活に戻ってこられないかと、僕を激励し続けてくださいました。

 その頃、僕は吉田新市長の誕生後のフィーバーに振り回されていて
 プライベートのことを考える余裕はまったくありませんでしたが

 T先生がわざわざ僕の携帯電話に留守番電話を残して下さったり、
 メールにて「最後まであきらめちゃダメだ」と書いて下さったのを見るたびに

 こころがとても切なく、苦しくてたまりませんでした。

 もともと僕は政治家にはむいていません。

 やらなければならないことがあったから、
 他に誰もやらないから僕がやるしかなかったというだけのことで

 (フジノが政治家に当選する前、このまちに
  自殺予防対策は存在していませんでした)

 本来、僕は政治家という職業をひどく嫌っていますし
 自分がこの仕事を続けていく姿が想像できないことは
 この活動日記にもずっとくりかえし書いてきました。

 T先生も僕の内面を深く理解して下さって

 「いつでも政治家を辞めて、研究生活に戻ってきなさい」

 と言って下さいました。

 もう上智大学院生でも何でも無い一般人の僕に対して

 「きみは私の弟子です。いつでも研究室に顔を出しなさい」

 と言って下さいました。

 尊敬する師匠の温かいお言葉に、
 僕は泣けてしかたがありませんでした。

 T先生、本当にごめんなさい。本当にありがとうございます。

 いつの日にか、僕に学費を捻出できるような暮らしができる日がきたら
 もう1度、ゼロから入学試験を受けて、
 もう1回、先生のもとで研究を続けたいです。

 「学問は生涯を通じて行なうものだ。がんばりなさい」

 というお言葉、いつも胸に刻んでいます。

 T先生、そして福祉政策専攻のみなさま、上智大学院のみなさま、
 ご迷惑をおかけしたことをこころからお詫びすると共に

 政治家という激務をぬっての短い学生生活でしたが
 本当にこころから感謝しております。ありがとうございました。



2009年7月1日(水)のフジノその2
● 北川正恭さんからお祝いの言葉をいただきました/横須賀市長選挙

 今日は、いろいろなことがありました。
 その中から2つのことをご紹介しますね。


 早稲田大学マニフェスト研究所の所長であり、
 わが国でのマニフェストによる政治を推進する活動のリーダーである

 北川正恭さん(元・三重県知事)から、
 お祝いの言葉をいただきました。


 「今回の横須賀市長選挙ではマニフェストを前面に強く打ち出した
  マニフェスト選挙となったことをこころから歓迎しています」


 本当にうれしく感じました。
 ありがとうございます!

 「もう『お任せ民主主義』は終わらせなければ日本の未来は無い!」

 そんな想いで4年前、北川さんのもとに集って、
 フジノは『ローカルマニフェスト推進地方議員連盟』のメンバーになりました。

 4年前の市長選挙では、必死に働きかけたものの残念ながら
 マニフェスト選挙を実現できませんでした。

 けれども今回の市長選挙では、絶対に実現すべく、
 必死に各方面に働きかけました。

 もちろん、フジノだけの成果ではありません。

 マニフェスト選挙が成立する為には
 1人の候補者がマニフェストを作るだけじゃダメなんです。

 全ての候補者がマニフェストを作成して
 マニフェストをもとに政策を競いあって初めて実現するのですね。

 そもそも広く社会全体にマニフェストへの理解が増したこともありますが
 全ての候補者がマニフェスト作成に乗り出してくれたことに
 本当に感謝しています。

 これからの首長選挙(都道府県知事・市町村長)では
 もはやローカル・マニフェストは当たり前の存在『標準装備』です。

 選挙の時に、ただ名前を繰り返し叫んでお願いするのは
 本物の民主主義ではありません。

 マニフェスト(市民のみなさまとの契約)を掲げて政策を闘わせる、
 そのマニフェストをもとに市民のみなさまは自ら選択するのです。

 お願いから約束へ、この流れを絶対に止めてはいけない。

 そう信じて活動してきたフジノにとって
 北川さんの労いのお言葉は、本当にうれしかったです。

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 フジノとしては、できれば可能な限り早い時期に

 『吉田雄人・新市長と北川正恭さんとのマニフェスト対談』

 が実現することを願っています。

 この2人が対談することは、
 日本全体のマニフェスト選挙を推進していく上で大きな意味があります。

 なんとか実現に向けてセッティングができないものか、
 フジノは本気でこの実現を願っています。


 (今回の市長選挙におけるフジノの役割は
  北京の蝶々になれたのではないかと密かに自負しています)



● 雄人は、マニフェスト音声版を作りました!/新時代のマニフェストへ

 どこのマスメディアにも報道されませんでしたし、
 プレスリリースや発表も行なわなかったので、

 このままでは誰にも知られないまま、

 という事態に陥ってしまうので
 あえてフジノが書かせていただきます。

 今回の市長選挙はまさにマニフェスト選挙だったのですが

 各候補者がいろいろな冊子やチラシを作ったものの、
 視覚障がいのある方々にとって、どれだけ届いたのでしょうか?


 そこで、雄人(吉田雄人・新市長)に対して

 「視覚障がいのある方々にもマニフェストを読んでほしいので
  何らかの形でマニフェストの音声バージョンを作ってほしい」

 と提案したところ、雄人はその場ですぐに賛同してくれました。

 絶対に1人の市民も見捨てない、という信念を持つ
 雄人らしい即断だったと思います。

 そこでフジノは
 4月26日の横須賀市視覚障害者協会総会に来賓として招かれた時にも

 「マニフェストをユニバーサル化します」

 と、お約束いたしました。

 とはいうものの、全国的に見ても
 マニフェストの音声バージョンを作るというのは聴いたことがなく

 人手不足な上に(雄人の陣営はみんながボランティアでした)
 いろいろなスケジュールの関係もあって
 作成は難航しました。

 さらに、横須賀市視覚障がい者協会を通じて
 マニフェスト音声版をお渡しできたのは

 日曜日が選挙スタートだったのですが
 その直前の木曜日となってしまいました。

 (これはフジノの責任です。本来ならばもっと早くお渡ししたかったです。
  本当に申し訳ございませんでした)

 けれども、

 雄人がマニフェスト音声版を作って
 視覚障がいのある方々にお渡しした


 という事実は
 もっと世間に知られるべきだとフジノは考えています。

 どんな障がいがあろうと無かろうと
 このまちに暮らしている人は誰もが仲間なのです。

 今後、全ての選挙において
 選挙公報のスピーディーな音声化をはじめとして

 障がいのある方々がもっと選挙に関わることができるように
 最大限の合理的配慮を実現していかねばなりません。

 こうした世間には知られていない活動も
 雄人は一生懸命やってきました。

 まさに『新しい横須賀』を創っていく為に
 希望をかかげて市民のみなさまと共に歩んでいく新市長に
 ふさわしい行動だと感じています。



2009年7月1日(水)のフジノその1
● 新しい市長の次は、新しい国会議員の誕生をめざします!

 政治家フジノの2009年の決意は、

 「新しい横須賀のスタートは、新しい市長と新しい国会議員で!」

 というものです。

 政治家フジノにとって、新しい市長が誕生した今、
 次の闘いは、新しい国会議員を生み出すことです。

 つまり、4代目とはおさらばして
 このまちを小泉保守王国から市民の手に取り戻すことです。


 (これはあくまでもフジノ1人の考えであって、
  雄人(吉田雄人・新市長)の考えとは全くカンケーありません)


 したがいまして、新市長フィーバーがもうすぐひと段落したら
 フジノは個人として横粂勝仁(よこくめかつひと)さんの応援に
 再び戻ります。

 何故、『個人』として、という言葉にこだわるかと言えば
 フジノは民主党という政党を信じていないからです。

 今回の市長選挙での政党としての対応をみれば、
 市民のみなさまだってフジノの想いに共感してくださるはず。

 もはや都道府県知事選挙や市町村長選挙では
 自民党には相乗りしないはずなのに
 今回、横須賀市長選挙では現職市長を自民党と一緒に応援しました。

 こうした一貫性の無さがとても信頼できません。

 しかし、自民党の政策はもっと大キライです。
 日本を破壊してきました。特に小泉元総理の5年間は最悪です。

 だから、かつての国会議員選挙では
 小泉元総理を倒すべく
 2回にわたって立候補した天木直人さんを
 フジノは無所属として勝手連として応援してきました。

 (当時の様子)


 さらに、今回の市長選挙の前から
 横粂勝仁(よこくめかつひと)さんをフジノが応援してきたのは

 あくまでも彼個人を応援しているのであって
 民主党を応援しているつもりはありません。

 (当時の様子)


 ●

 ところで、その4代目が今日のお昼、よりによって
 フジノがいつもカフェトークを行なっているカフェ『RRROOM』の
 どまん前で街頭演説を始めました。



 おつきの人々にメガフォンを持たせながら
 本人はマイクを握って、
 街頭に出てきたミーハーな人々に手を振っていました。

 フジノは昼ごはんを食べながらしばらく演説を聴いていましたが
 やはり、小泉元総理の政策を引き継ぐのだとよく分かりました。

 フジノはカフェから道路に出て行って、
 プロレスで言うところのシュートサインを4代目に向けて取りました。

 つまり、「ガチンコで行くぞ」という意味です。

 その後フジノは自宅に戻ったのですが、
 さらに自宅のそばでも4代目の街頭演説が始まりました。

 被害妄想的になってはいけないのですが
 まるで『宣戦布告』をされた気持ちになりました。

 ●

 選挙が続いてうんざりさせられますが
 このまちを変えるためには、リーダーを変えなければいけないのです。

 まもなく行なわれるであろう、国会議員の選挙。
 このまちが変われば、日本が必ず変わります。

 だから、政治家フジノの使命として、
 絶対に4代目を負かしてみせます。
 この国をもっと良い国へと必ず変えていく為に。



2009年6月30日(火)のフジノ
● 雄人事務所は、7月3日(金)で閉所いたします/ご注意ください!

 今日は、良いことも悪いことも
 市民のみなさまに知っていただく為に報告したいことが
 たくさんあるのですが、体力が限界に来ている為、少しだけ...。

 まず、雄人(吉田雄人・新市長)の当選にともなって

 三笠通りにオープンしておりました
 吉田雄人事務所は

 7月3日(金)16時をもって、閉所させていただきます。

 昨日の活動日記には

 「ぜひ当選証書を事務所に見に来てください!」

 なんて書いてしまったのですが、
 あと3日間で事務所を閉じさせていただきます。

 「この週末にでも観にいこう」と決めておられた方々、
 本当にごめんなさい!



 ところで雄人の母校である
 早稲田大学の正門は
 『無門の門』といって、門柱や門扉が存在していません。

 これは創立者・大隈重信の信念として
 広く社会に開かれた大学であることを象徴しているものです。

 早稲田大学の学生にはとても良く知られているお話です。
 (現在も正門は存在していません)

 同じように、吉田雄人事務所にも、
 入り口にはドアやガラス戸などは一切なく

 市民のみなさまが誰でもきがるに立ち寄れる
 開かれた事務所として
 これまでオープンしてきました。

 こうした気軽に誰もが立ち寄って
 このまちの未来を語り合える場所が無くなってしまうのは
 本当に残念ですね...。
                        

● Twitter議員としてウィキペディアに紹介されました

 県外の方から頂いたメールで知ったのですが
 インターネットのフリー百科事典『ウィキペィア』の中で

 フジノが『Twitter議員』として紹介されている、とのことでした。

 さっそく見てみると、下の画像のとおりでした。


 こうしたコミュニケーションツールを
 ビジネスの世界と同じかそれ以上に
 政治の世界が活用していくのは当然のことだと信じています。

 ただ、あくまでもTwitterもツール(道具・手段)でしかありません。
 大切なことは「何を伝えていくか」です。

 そうした『フジノの想い』については
 これまでも書いてきたとおりです。

 これからもさらに市民のみなさまに必要な情報を
 スピーディーにしっかりと分かりやすく伝えていく努力を
 重ねていきます!


● 週刊誌『AERA』の取材を受けました

 1988年に創刊された雑誌『AERA』は、
 小6か中1の時に、フジノが初めて父にお願いして
 購読していた週刊誌です。

 ふつうの創刊号の前に、ゼロ号とゼロゼロ号の2冊があって
 これもフジノは実家に保存してあります。

 創刊号から数年間分は、
 緋色の背景に『AERA』とシルバーの文字で記された
 『AERA』専用のファイルを買って、ファイリングしていたものです。

 最近は全く読まなくなって久しいのですが
 特別な感慨を抱いている週刊誌です。

 その『AERA』から、今日、取材を受けました。

 たぶん、フジノの言葉は1行も載らないとは思うのですが
 何となく父さんへの恩返しができたような気がして、うれしかったです。

 昨年には文藝春秋社が発行している
 『週刊文春』の取材を受けました。

 この時に取材を受けることに決めた理由も
 テーマと同時に、父さんへの恩返しの気持ちがありました。

 実際に父が愛読していたのは月刊誌の方の『文藝春秋』でしたが
 それでも父が読んでいた本に自分が取材されるということは
 父への僕なりのささやかな恩返しに感じています。

 これで来月の父さんのお見舞いに行く時の
 お土産話が1つ増えました。良かったです。


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 その他にも良いことも悪いことも
 市民のみなさまにお伝えしたいことがあるのですが

 体力の限界なので、今日はここまで...。

 明日からついに7月ですね。
 どうかみなさま、お体に気をつけてお過ごし下さい。

 りらっくす&ふぁいと、そしてスマイルですよ。


 


2009年6月29日(月)のフジノその2
● 新しい市長の誕生をYデッキでご報告いたしました

 けさは6時半から8時まで横須賀中央Yデッキにて
 『新しい横須賀市長の誕生』を市民のみなさまにご報告いたしました。

 昨夜はずっと市民のみなさまから続々と届くお祝いのメールに
 お返事を書いていて完全に徹夜だったのですが
 気合いで駅へ向かいました。

 何故なら、新しい市長の信念は『伝えていく政治』です。
 勝手連のフジノも責任をもって雄人の想いを実践していかなければ。

 けさは、これからお仕事へ向かう方々から
 たくさんのお祝いのお言葉をかけていただきました。

 特に、うれしかったのは、若い市職員の多くの方々から
 ガッツポーズをしていただいたり、Vサインをしていただいたりしたことです。

 本当にたくさんの若き市職員のみなさまに
 応援していただいていたのだということを実感しました。

 部局長クラスの幹部職員さんたちは、ちょっとシブい顔でしたね...。

 でもこれからは、市職員のみなさまも共に
 こころを1つにしていくべき時ですよ!



 そして、たくさんの学生のみなさまにも

 「おめでとうございます!」

 「チェンジ!がんばってください!」

 と、熱い声援をいただきました。

 小中高校生みんなに愛されている市長というのは
 これまでこのまちには存在しなかったのではないでしょうか。

 とても素晴らしいことです。

 勝手連としてフジノが
 市民のみなさまにお伝えしたことは次の3つです。

 (1)市民のみなさまが新しい市長として選んだのは
   若き挑戦者・吉田雄人33才であった、ということ。


 (2)公職選挙法のきまりで、当選をしても
   お礼の言葉は述べるのは禁止されている、ということ。


 (3)けれども市民のみなさまが新しい市長に望んでいるのは
  『言葉』なんかではなく
  希望のあるまちの実現という『結果』のはずですから
  全力でマニフェストを実現していくことをもって
  市民のみなさまへ恩返しをさせていただきたい、ということ。


 たくさんの市民のみなさまから握手を求められたり
 祝福のお言葉をいただくと共に、
 フジノの言葉も
 みなさま笑顔で聴いて下さいました。

 お礼の言葉こそ申し上げることはできないのですが、
 感謝の気持ちがあふれそうになりました。

 さて、雄人(吉田雄人・新市長)本人は、
 地元である京急久里浜駅にて当選のご報告をいたしました。

 その様子はフジテレビのニュースで放送されていましたので
 ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

 雄人は、すさまじい量のテレビニュースが流れまくってますね!

 昨日の当選の様子(勝利のおたけびやら胴上げやら)が
 たくさんのテレビ番組で流れた為に、

 雄人のそばにいたフジノの姿を見てくれた多くの友人たちからも
 「見たよ!」メールをもらいました。照れますね(笑)


● 初登庁は7月10日(金)朝8時30分です!

 本日、雄人は市議会議長・副議長へのご挨拶を行なうと共に
 選挙管理委員会から『当選証書』を受け取りました。



 これは、『雄人』が勝ち取った当選証書であると同時に
 『市民のみなさま』が自らの手で初めてつかみとった当選証書なのだと
 フジノは考えています。

 だから、市民のみなさまにも
 ぜひ実物をご覧いただきたいと思います。

 吉田雄人事務所に掲示してありますので、
 三笠通りの事務所にどうぞお気軽に遊びに来て下さいませ。

 そして、もう1つのお知らせです!

 雄人が新市長として市役所へ乗り込む日が決まりました。
 (いわゆる『初登庁』ですね)



 よくテレビニュースとかでとりあげられている
 初登庁の時にずらりと市民のみなさまが拍手して下さっているのは

 市役所が仕切ってくれているのかと思っていたのですが
 今日、確認したら、市役所は関係ないそうです。

 という訳で、ぜひとも新市長・吉田雄人の初登庁を
 市民のみなさまと共に迎えたいと思います!

 詳しいことは決まりしだい、市民のみなさまにお伝えしますね。


 


2009年6月29日(月)のフジノその1
● 吉田雄人、横須賀市長に当選しました!

 6月18日のこの活動日記にて
 市長選挙へ立候補する為に
 市議会議員を辞職した雄人に対して、フジノはこう記しました。


 > 最高の「市議会議員」を失なった僕たちは
 > 最高の「市長」を新たに手に入れるのです。
 >
 > 僕たちは、希望を失なったのではありません。
 > 僕たちは、希望に向かって歩き始めたのです。
 >
 > 今日からフジノは、この活動日記では
 > 雄人のことを『前市議』と記します。 
 >
 > でも、2週間以内にフジノは
 > 雄人のことを『前市議』と書くのをやめるでしょう。
 >
 > 喜びとともに新たな肩書きで
 > 雄人のことを呼ぶことになるでしょう。


 この言葉が昨夜、実現しました。

 雄人(吉田雄人・前市議)が新しく市長に当選したのです。
 新しい横須賀が、ついに始まります。



 雄人という
 最高の「市議会議員」を僕たちは失ないましたが
 最高の「市長」を僕たちは選び出しました。

 フジノが雄人のことを「前市議」と書くのは、もうすぐ終わります。
 そして、数日中に彼を「新市長」を呼ぶことになるのです。

 フジノが記した言葉は実現しました。
 新しい横須賀がスタートします!



 僕たちは選挙を通じてずっと
 市民のみなさまに、

 「もう1度だけ政治を信じてください」

 と、語り続けてきました。

 テレビを観ればくだらない政治家のバカげた汚職ばかり。
 政治不信が起こるのも当たり前です。

 それでもあえて、

 「どうかもう1度だけ、政治を信じて下さい!」

 と、市民のみなさまに語り続けてきたのです。

 そして、市民のみなさまは
 僕たちの呼びかけに応えて下さいました。

 小泉元総理が4回も応援にきた
 自民・公明・民主などの政党あいのりの現職市長を選ぶのではなく

 33才の若き挑戦者に
 このまちの未来を託して下さったのです。



 僕たちは、どんな政党とも組織とも団体ともカンケーありません。

 ただひたすらこのまちを「チェンジしたい!」と願う
 ボランティアによる勝手連の仲間たちが雄人を応援してきました。

 4月27日にフジノたった1人で始めた勝手連
 今ではこのまち全体に広がって

 市民のみなさまみんなが勝手連として
 雄人を応援して下さったことが今回の結果へつながったのです。

 まさに、市民のみなさまの『勝利』です。

 『希望』を感じられる横須賀を市民のみなさまと一緒に創りだす為に
 まずは新しい市長を選び出すことが必要だと申し上げてきました。

 そして今、新しい市長が誕生しました。
 まず第一歩が始まりました。


● 大切な約束を実現していきます/公職選挙法でお礼は言えません

 公職選挙法のきまりで、当選しても落選しても
 お礼の言葉やお詫びの言葉を述べてはいけないことになっています。

 だから、ふつうの常識に照らしたら
 大変に失礼なことだと分かっているのですが
 僕たちは決して『お礼の言葉』を申し上げることはありません。

 けれども、市民のみなさまが僕たちに望んでいることは
 お礼の『言葉』なんかでは無いのだと僕たちは知っています。

 市民のみなさまが僕たちに望んでいることは
 『行動』と『結果』を出すことにこそあると信じています。

 このまちに『希望』を取り戻すことこそが
 市民のみなさまへの最大の恩返しだと信じています。

 この活動日記を書いている間も、
 サイレンを鳴らしながら救急車が近くを走り抜けていきました。

 今この瞬間も苦しんでいる方が
 確実にいらっしゃるのです。

 僕たちはその現実から絶対に目をそむけません。

 僕たちは、当選という結果に浮かれたりはしていません。
 僕たちは、喜びで我を忘れたりはしていません。

 実は、政治家にとって『当選の喜び』なんて
 いつも一瞬だけで終わりなのです。

 むしろ、当選のことはすぐに忘れてしまい、
 新たに今すぐに実現しなければならない政策の数々のことで
 こころはすでに切り替わってしまうものなのです。

 今すぐやらなければならないことが、このまちには山積みです。

 市民のみなさまにお示しした『マニフェスト』を
 実行していくことだけが、今、求められているのだと考えています。

 必ず約束を実行していきます!




 (選挙期間中はホームページを更新してはいけない為に
  インターネット上には掲載していないのですが、毎日いつもどおり活動日記は書いていました。

  これから数日かけて掲載していきますので、待っていて下さいね)


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