臨時議会が開かれます/葉山との訴訟を終わらせるべきだ

今日は議会運営委員会が開かれました。

議会運営委員会が開かれました

12月27日に1日限りの臨時議会を行なうことが決まりました。

2012年12月21日・神奈川新聞より

2012年12月21日・神奈川新聞より

横須賀市は、約4年間にわたって、葉山町と裁判を行なっています。

その二審(高等裁判所)の判決が12月19日に出たのですが、横須賀市にとって不利な判決だったので上告をしたい、と吉田市長は判断しました。

市町村が訴訟を行なうには議会の議決が必要です。その為、吉田市長は議会を招集しました。

これが臨時議会が開かれる理由です。

議会運営委員会審査事項

これまでの経緯を簡単にご紹介します。

1997年、国から都道府県に対して、『ごみ処理の広域化計画について』というタイトルの通知が出されました。

今後、各都道府県はごみ処理の広域化について検討し、広域化計画を作り、それに基づいて市町村を指導するように、という内容でした。

その通知に基づいて、翌1998年7月、『横須賀・三浦ブロックごみ処理広域化協議会』が設置されました。

三浦半島の4市1町(横須賀・三浦・鎌倉・逗子・葉山)でごみ処理を広域化する方向が検討されはじめました。

その後、2005年12月に4市1町首長会議の場で、2つのグループに分かれることが決まりました。つまり、鎌倉市と逗子市の2市は別グループとなって広域処理を検討することとなりました。

こうした紆余曲折を経て、横須賀市は三浦市と葉山町と共に2市1町でごみの広域処理を検討してきたのです。

2市1町による計画案も完成して、あとは国に申請をすれば実際にスタートするところまで進んでいました。

パブリックコメントの為の資料

パブリックコメントの為の資料

2008年1月、葉山町で町長選が行なわれました。森英二候補が『ごみ処理広域化からの脱退』を掲げて、当選しました。そして、当選後、公約どおりに脱退しました。

残念ながら横須賀市は葉山町長選挙の行方をしっかりと追いかけ切れていなかったのです。(2008年1月29日の活動日記をご覧下さい)

この脱退に対して、横須賀市は三浦市と一緒に、2008年8月に葉山町に対して損害賠償を求めました。

スタート直前まで来ていた計画を破談にされたことで、横須賀・三浦の2市は損害を被った。だから葉山町がそれを賠償せよ、という理由です。

2008年10月28日、葉山町から賠償には応じられないとの回答を受けて、2009年1月29日に提訴し、裁判での決着を付ける道を横須賀市は選びました。

損害賠償として求めた金額は1億646万5969円です。

2011年4~5月には和解の協議を行ないましたが、失敗に終わりました。

2011年12月8日には第一審の判決が出ました

横須賀市には、330万円(事務費・調査経費として)だけが認められました。

1億円の損害賠償を求めたのに330万円しか認められなかったのは不服だとして、12月21日に横須賀市は控訴しました。

それから1年が経ちました。

2012年12月19日に、高等裁判所から判決が言い渡されました。

これが今までの経緯です。

フジノは、この訴訟そのものに反対です。

ですから、まず最初に2008年12月議会に市長から提案された訴訟の議案(106号)にも反対しました。

控訴する為に2011年12月議会に市長から提案された控訴の議案(104号)にも反対しました。

今回の上告を求める議案にも反対します。

(その理由については2008年8月28日の活動日記をご覧下さい)

三浦市、葉山町、横須賀市。

三浦半島に位置する3つのまちは、いずれは合併もせざるをえなくなるとフジノは考えています。

医療計画においても、同じ二次医療圏と指定されています。

きょうだいで訴訟を起こして、同じ家族の中で賠償金をとりあっても、誰も得をしないし、むしろ傷つけあうだけで無意味だとフジノは考えています。

すでに三浦半島全体が疲弊しきっている状況で、こんな訴訟に何の意味があるのでしょうか。

市長のくだらないプライドが満たされるだけで、市民には何の利益もありません。

情けないことに吉田市長は、昨日、葉山町長が横須賀市役所を訪れた際、面会を拒否しました。

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こういう対応は、間違っていると思います。

市民の利益とは何なのかをもっと吉田市長には考えてほしいです。こんな訴訟を続けることは、間違いです。もっと話し合いをしっかり行なって、解決を急ぐべきです。

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