2011年3月3日・本会議での討論

藤野英明です。

議案第15号「横須賀市基本計画の策定について」に反対する立場からの討論を行ないます。

20100303plan

まちの重要な計画である『総合計画の策定』に対して議会が積極的に関与することは、議会改革の流れの中でとても重要な1つだと僕は考えています。

まちの『基本構想』は地方自治法に定められた議決事項でしたが、『基本計画』は議決事項からは外れていました。

その為、これまでの地方自治体の『基本計画』は首長と行政がつくって、首長と行政が決定して、首長と行政が運営してきました。

けれども、これからの地方政府の『基本計画』は、市民のみなさまと行政と議会とがともにつくりあげるものでなくてはいけません。

その為にも『基本計画』に議会の議決がなされることで、形式的ではない『地域経営に対する議会の責任』も生まれることになり、これまでとは異なる正当性が付与されるようになります。

本市において『第2次議会制度検討会』の成果が活かされて、平成18年第4回定例会において、議会の議決すべき事件に関する条例が改正され、『基本計画等の策定』が議決事件に加えられたことは大きな意義がありました。

そして、今回、『基本計画』が市議会の議決事項となってから初めて『基本計画』の策定が議案となりました。

特別委員会を設置して議会が積極的に関与してこうして本日議決されることそのものは大いに評価されるべきことだと考えています。

特別委員会のみなさまには深く感謝を申し上げます。

横須賀市の「基本構想」に反対

ただ、僕は『基本計画』の上位に存在する『基本構想』に全く賛成できません。

そもそも賛成できない『基本構想』の理念を実現する為に作られた『基本計画』には、どうしても賛成することができません。

(図・『基本構想』と『基本計画』の位置づけ)


横須賀市の『基本構想』は、今から15年も前の平成9年に策定されました。

1997年策定「基本構想」より

1997年策定「基本構想」より


平成37年を目標とした、横須賀市がめざすべき都市像を『国際海の手文化都市』として、その実現のためのまちづくりに関する基本戦略、基本条件、政策の目標および推進姿勢を定めています。

僕はそもそもこの『基本構想』が決定的に間違っていると考えています。

自分自身が36年間このまちに暮らしてきて、そして、まわりで暮らしている人々の現実の姿を見ていれば

このまちが目指すべき姿は「国際」都市でも無ければ、「海の手」都市でも無ければ、「文化」都市でもありません。

こんな都市像は、あまりにも現実と市民感覚からかけはなれています。

都会の空気が何か田舎とは違うように感じている夢見がちなこどもが背伸びしたような都市像です。

けれども現実の姿は

「半島のどんづまりのまち、どこにでもある田舎町。特に産業も無い、みんな貧しいけれど、だけどなんとか元気で生きていかれるまち」

これが横須賀です。

僕は愛情を持ってそう感じます。

『基本構想』では、まちづくり政策の目標は「あれもやります」「これもやります」と詰め込みすぎて、究極の理想の姿が『幻想』や『妄想』のように描かれています。

ページをめくるとまず出てくるのが『東京湾口道路』です。



横須賀から東京湾をまたいで千葉県まで橋を渡すのかトンネルをつくるのか、いずれにしてもありえない『大型公共事業』である『東京湾口道路』を真っ先に掲げていたり

次に、いまや巨額の赤字を生み出すお荷物でしかないハコモノである『芸術劇場』から世界に文化を発信するといったことが、高らかに出てきます。

こうしたハードありきの姿は完全に的外れです。

目指すべきこのまちの未来の姿

今、目指すべき本当の姿は、等身大のまちづくりです。

背伸びをしない、都会を目指さない、ふつうに暮らす人々が元気に暮らしていかれるまちの姿です。

身の丈を超えた借金をしまくってハコモノをつくってきた歴代の横須賀市政の過ちをしっかりと学んで、人と人とがお互いに助けあう中で元気に生きていかれる、そんなまちになるべきです。

そのことにすでに市民の方々はとっくに気づいていて、「『基本構想』のような絵空事を信じているのは行政だけではないか?」と僕は感じています。

改めて現実の姿に立ち戻って、現実に寄り添った『基本構想』に改められた時に、横須賀は本当に市民の求めるまちになるのだと思います。

以上の理由から、そもそも賛成できない『基本構想』を実現する為の『基本計画』には賛成できませんので、議案第15号に反対します。

これで僕の討論を終わります。