浅野史郎先生がわざわざ横須賀を訪れて下さいました/こころの師匠の来訪に感激と恐縮の気持ちでいっぱいです

なんと浅野史郎先生が横須賀を訪れてくれました!

市議会議員選挙の投開票日の翌朝(4月22日)。

アサノ先生(浅野史郎先生)に当選報告のお電話をかけたところ、

「フジノさん、いつもこっちに来てもらってばかりだから、今回は私の方からお祝いに横須賀に行くよ」

と言われてしまいました。

これはフジノにとってあまりにも衝撃的なお言葉でした。

過去にアサノ先生が横須賀にいらしたことは複数回あります。

フジノはその全ての機会に立ち会ってきました。

いずれも講演会シンポジウムのメインスピーカーとしての来訪であり、ホールクラスの会場はいつも満員になりました。

そんな存在がアサノ先生です。

「アサノ先生が自分の当選祝いやねぎらいの為にわざわざ横須賀を訪れるなんてことはあってはならない」

率直にそう感じたフジノは全力で繰り返し固辞しました。

しかし決意を固めたアサノ先生を翻意させることは難しく(長年のおつきあいでとてもよく知っております)、僕は根負けしました。

アサノ先生の横須賀来訪が決まってからは毎日とにかく緊張しかありませんでした。

そもそもどんなお店を予約すれば良いのか。悩みに悩みまくりました。

アサノ先生は高級料理店を好きではありません(そういう所に入っていくのを見たことがありません)。

慶応大学SFCで教授をしておられた頃にはゼミの学生と一緒に焼き鳥屋さんに行きつけていました。

それでは『中央酒場』にしようか?

それとも焼き鳥『相模屋』の2階にしようか?

せっかく横須賀にいらっしゃるならば、地元のお野菜やお魚を食べていただきたい。

でも限られた時間の中で、走水や佐島のように横須賀中央駅から離れたところにお連れするのは難しい。

迷い続けました。

最終的に、横須賀中央駅そば、地元の野菜と魚がウリの人気店『オーシャンダイニングKUROFUNE』に決めました。

5月1日に予約を完了したのですが、それから2週間、緊張が止まりませんでした。

そしてついに今日がやってきてしまいました。

アサノ先生です!

アサノ先生と乾杯

アサノ先生と乾杯


いざお会いしてしまえば、あっという間の3時間半でした。

温かくて、優しくて、包容力があって、アルコールが入っていようと常に頭は切れていて、ジョークを飛ばさずにはいられないアサノ先生なのでした。

ふだんはアルコールを飲まないフジノも今夜ばかりはビールをおつきあいさせていただきました。

浅野史郎先生、本当にありがとうございます!



フジノの「こころの師匠」=浅野史郎先生

今回の選挙。

フジノは立候補すべきか否か、ギリギリまで悩んでいました。

その率直な想いはブログ記事でも報告させていただいた通りです。

どれだけ多くの市民の方々が立候補を期待して下さっても、迷いは消えませんでした。

当時の僕にはあまりにもたくさんの悲しい出来事が押し寄せていたからです。

もう1度立ち上がれる自信がありませんでした。

それでも最後に立候補を決めたのは、心の師匠のひとことが背中を押して下さったからでした。

「胸を張って立候補しなさい」

と。

『こころの師匠』とは、浅野史郎さんです。



アサノ先生とフジノの27年という日々

高校2~3年の僕には取るべき手段がこの2つしか分かりませんでした。

  • 臨床心理学や精神医学を学び研究によって現実にアプローチしていく道
  • 心理カウンセラーやセラピストになって目の前のおひとりおひとりにアプローチしていく道

しかし、すでに大学1年の5月には、絶望していました。

僕は今すぐに現実を変えたかったのです。

入学前に調べていた大学のカリキュラムなんか表面的で何の役にも立たないことに入学後すぐに分かりました。

現実を変えるのには、自分が歩もうとしている道では全く時間が足りないことに気がついてしまったのです。

現実社会はとても厳しく、いっぱしの研究者になるにも現場でベテランのカウンセラーになるのも時間が膨大に必要な上に、もしもそうなれたとしても法律や制度を変えることができる訳ではないことに気が付きました。

そんな18才の時に大学の図書館で1冊の本に出会い、アサノ知事のことを知りました。

フジノが18才の時に出会った浅野史郎さんの本

フジノが18才の時に出会った浅野史郎さんの本


厚生省で障がい福祉課長としてグループホームの制度化をした人ー。

調べれば調べるほどいろいろな制度や仕組みの成り立ちを調べていくと、必ず浅野史郎さんの名前が出てきました。

「そうか、アサノさんのように厚生省に入省して全力で働けば、法律や制度を変えたり新たな仕組みを作ることができるのか」

と第3の道を見つけたのです。

僕にとっては、まさに天啓でした。

厚生省に入ってアサノさんのように働くのだと思いました。

それからいろいろな出来事があって、フジノは厚生省に入省する道は断念することにしました。

研究者の道も断り、カウンセラーになることもやめて、ふつうの会社員として働いていく道を選んで、幼い頃からの夢だった映画の仕事に就きました。

働きはじめて5年が過ぎた頃、再び人生の転機が訪れて、僕は政治家になりました。

アサノさんが厚生省を辞めて知事として政治家になったように、フジノも政治家の道へと進むことにしたのです。

2度の人生の転機において、アサノさんの存在はフジノを導いてくれました。

もちろん1度もお会いしたことはありませんので、フジノが一方的に尊敬をしていただけなのです。

そこで『心の師匠』と僕は呼んでいます。

フジノが政治家になった直後、どうしてもアサノさんにお会いしたくて横浜での講演会を終えたところを控室に押しかけて会っていただきました。

それ以来、あらゆる機会を見つけてはアサノさんにお会いしていただくことができました。

2004年12月4日には、正式に横須賀市のイベントにアサノ知事をお招きすることもできました。

知事を引退した後もアサノさんはものすごい人生を送りました。

慶応大学SFCの教授となり、東京都知事に立候補したり、多くの方々が亡くなってしまうATLという病気を発症し、闘病生活に入りました。

奇跡の回復後に再び慶応大学SFCに戻り退官まで務められ、さらに神奈川大学の特別招聘教授になり、現在に至ります。

18才でフジノはアサノさんの存在を知り、15年前リアルにお会いすることができてからは少しずつアサノさんに信頼していただけるようになりました。

そして45才の現在、フジノは『アサノ先生の最後の弟子』を名乗らせていただけるまでの関係になりました。

ただ、もともと人見知りのフジノは、尊敬している方のプライベートに入っていこうという気持ちはありませんでした。

(アサノ先生に限らず、交流のある俳優やアーティストの方々と親しくなっても絶対にお酒を飲んだり2人で過ごすことはありません)

いまだにアサノ先生からお電話をいただくと、めちゃくちゃ緊張して手に汗が出て、敬語がおかしくなってしまいます。

だから、こんなにも長い日々を過ごしていながらアサノ先生とふたりきりで過ごしたことはこれまで1度もありません。

今回、長期休職を経て、選挙を目前にしてフジノは途方に暮れていました。

初めてひとりきりでアサノ先生のご自宅にお邪魔しました。

政治家として、ひとりの人間として、全ての本音を聴いていただける方はアサノ先生以外に浮かばなかったからです。

約3時間近くも立候補すべきか否かについてご相談にのっていただいたのでした。

そしてフジノは立候補を決めて当選し、現在に至っているのです。

人生とは不思議な出会いの連続です。

27年も前に1冊の本で出会った存在と、今この横須賀で一緒にお酒を酌み交わしている。

生きていくということは不思議なことばかりです。

アサノ先生、貴重なお時間をありがとうございました!



還暦を迎えたアサノ知事をお祝いしました/浅野史郎さん横須賀講演会

還暦を迎えたアサノ知事をお祝いしました

今日は4ヶ月ぶり浅野史郎さんにお会いしました。

『横須賀法人会』の主催による新春講演会として『地方活性化とこれからの福祉・医療・地方分権』のタイトルで講演が行なわれたのです。

しかし『浅野史郎さん』なんて書くとなんかフジノには違和感があるなあ~。

15年前(大学1年)からフジノはこころからリスペクトしている、元宮城県知事のアサノさんです。

アサノさんの横須賀での講演は2004年12月にお招きして以来3年2ヶ月ぶりです。

会場は満員です

会場は満員です


会場のセントラルホテルは満員でした。
 
横須賀法人会さん、貴重な機会をありがとうございます!

特に、事務局長の釜谷さん!ありがとうございました。

(アサノさんにとても気に入られてしまって「釜ちゃん」と呼ばれてました)

会場全体を駆けめぐる大活躍でしたね~。本当におつかれさまでした。

アサノ節、炸裂です

アサノ節、炸裂です


会場を大いに笑わせながら、民主主義の意味、情報公開の大切さ、政治家が生まれる時の『正当性』についてなどなどが語られました。
 
アサノさんの話術は見事なので会場は爆笑しながらお話を聴いていました。

1つずつのお話が本当は1時間くらいかけて語られるテーマをすさまじい勢いと笑いと共に語られてしまいました。

例えば、政治家が生まれる時の『正当性』の話なんて本当は涙なしには聴けないシリアスな話なのになぁ。

正当性、という言い方を今日はしていましたが、アサノ知事が誕生して以来『出生の秘密』という言い方でどんな時もアサノさんが常に忘れずに語り続けてきたことなのですね。

どうして政治家にならなければならなかったのか

という、立候補せざるをえなかった『原点』についてのお話です。

アサノさんの『原点』についてのお話をフジノは政治家になってから一瞬も忘れたことがありません。
 
僕にとっても、どんな時も常に戻るべき政治家フジノの原点です。

だから、というか、初めてアサノさんにお会いした方々の為にも、もっとじっくり1つのテーマだけでお話ししてほしかったです。
 
ちょびっと、もりだくさんすぎたかなぁ。



「こころの師匠」に対する、勝手な想い

実は、今日の講演会、行かないつもりだったんですよね...。

「横須賀に行くといつもフジノが出てくるんだよなあ」

って、アサノさんが思ったらイヤだなあと心配で行くのやめよう、と思ったのです。

(僕は尊敬する人や好きな人に対してはすごく小心者なのです)

でも、ある日、アサノさんと親しい大坂聖子さん(前・大磯町議会議員)からメールをいただいて

「横須賀での講演会の日、アサノさんは還暦の誕生日なんだよ~!お祝いしましょう!」

とお誘いをいただきました。

それはお祝いしなければ!

ということで、講演会に行って、誕生日をお祝いしようと決心しました。


 
でも、政治家になってからあらゆる贈り物・プレゼント(身内への誕生日プレゼントさえ)をフジノは完全にやめてしまったので

いったい何をあげたら喜んでもらえるのか、けっこう考え込んでしまいました。

アサノさんはおしゃれだから、赤いチャンチャンコは着ないだろうし。

さんざん悩んだ結果、『プリザーブドフラワー』の真っ赤なバラを一輪、プレゼントすることにしました。

相手に喜ばれる為、というよりはフジノの願いを勝手にこめました。

プリザーブドフラワーは、ドライフラワーとは違って、枯れているわけではありません。
 
何年も何年も、美しく咲き続けた姿のままで存在します。

いつまでも枯れることなく、情熱の真っ赤なバラのように咲き続けてほしいなあという願いを(勝手に)こめました。

浅野史郎さんとフジノ

浅野史郎さんとフジノ


今日の講演の中で、アサノさんが候補者としてかつぎだされたこないだの東京都知事選挙について、少しだけ触れました。

本当に何気ない話を一瞬だけされたのですが、思わず僕は、あの選挙の最終日に引き戻されました。

あの夜、僕は雨の降る新宿駅東口にいました。

(翌日の読売新聞の一面に載ったアサノ候補を囲む大観衆を写した写真の中にフジノの姿が映ってました)

アサノさんの言葉に、こころの底から感動をしました。

その言葉にこころを揺り動かされて知らずのうちに涙が流れて、初めて「福祉を守りたい」と願った日の原点を想いました。

そして、政治家を辞める決意をしていた自分自身も改めてもう1度、闘う決心をしました。

だから今、僕は再び政治家になりました。

このまちの精神障がいのある方々の声と、追い込まれた末に亡くなっていった自死をされた方々の声と共に、アサノさんの存在こそが僕を政治に引き戻したのです。

僕の原点です。

だから、なんかうまく言えないのですが、もう1回、アサノさんの闘う姿が見たい、と感じました。

教授の仕事も素晴らしいし、コメンテーターの仕事もお見事ですし、アサノさんの才能は多彩だなあと感心するばかりです。

でも、でも、あえて。

もう1回、福祉を守る為に政治の世界で闘ってほしい。

そんなことを、勝手に弟子だと信じているフジノは『こころの師匠』の姿を見て、思ったのでした。

それは、あまりにも手本にできる政治家がいないからかもしれませんし、この国の福祉があまりにも追い込まれているからかもしれません。

いずれにしても、フジノは、
 
アサノさんのような方の存在が今こそ政治の場に必要なのに

と強く感じたのでした。