NHK『ドキュメント72hours』スタート/主題歌は松崎ナオさん

『ドキュメント72hours』スタート

今夜からスタートしたNHKの新番組『ドキュメント72hours』を観ました。

20061003NHK

僕の大好きな松崎ナオさんがこの番組のテーマ曲(『川べりの歌』)を歌っているからです。

ドキュメント番組は昔からよく観ているのですが、政治家になってからは関心のあるテーマ以外はあまり観なくなりました。

だって、ふだんからドキュメンタリー番組以上の出来事を仕事としてリアルに受けているから。

守秘義務で書けないだけで、この3年半は毎日のようにすごい悲しい出来事に目の前でたくさん出会ってきました。

そんな日々なので、ドキュメント番組そのものはどちらかというとあまり観たくないのですがそれでも昨日は30分間観てみました。

番組は、神宮外苑の花火大会をぽんとまんなかに置いて、そのまわりで日々生活する数名を72時間おいかけたものでした。

例えば、会場のそばの都営住宅(みたいなところ)に暮らす94才の女性。

例えば、会場のとなりのビルにある伊藤忠商事に勤めるバリバリの商社マン。

例えば、会場のそばで2年間ホームレスをしている74才の男性。

94才の女性は、20年前に夫を亡くしてからは独りで暮らしています。

暮らしている4階の部屋から郵便ポストのある1階まで毎日往復90段近くの階段を「心臓がこわれそう」と笑いながら歩きます。

ポストには、離れて暮らしている息子さんから毎日ハガキが1枚ずつ送られてきます。

花火大会が無い時は、とても閑散としている家の前の通り。

でも、年1回花火大会の日は、すさまじい人波になるのです。

女性は、「花火も好きだけれど人を見るのが好きなのよね」とカメラに語りかけます。

ホームレスにならざるをえなかった男性は、2年前にアパートの建てかえによってそこを立ち退いたら次のアパートが見つかりませんでした。

ホームレスというだけで批判する人がたくさんいます。

実際にドキュメントの中では、花火の場所取りに来て夜ずっと騒いでいた若者グループが「ホームレスは許せない」と何も理解しないまま、ほざいていました。

こういう許容度の無い若者って、本当に情けない。

高齢者の独り暮らしを嫌って物件を貸さない不動産業者がどれほどたくさんいるか現実を知らない。

現実を知らないからへっちゃらで自分勝手なことばかり言う。

独り暮らしの高齢者がこういう理由で家を失って次の暮らす場が見つからないって、たくさんありますよ。

これは政治家としてフジノはずっと問題視してきました。

そこで、行政(公)が保証人になるから独り暮らしの高齢者の方にもちゃんと物件を貸して下さいという『公的保証人制度』を横須賀では今年度から高齢者の方を対象にスタートしました。

(本当は障がいのある方も対象にしてほしかったけれどなかなかすぐにはスタートできませんでした)

ともかく2年間ホームレスとして暮らしている男性は花火大会の日にはそこから花火をながめて故郷を思い出すとのことでした。

伊藤忠商事の商社マンの方は、いかにも商社マンという感じで陽に焼けていて精悍そうな方でした。

20時くらいにカメラが入ったのですが、仕事はまだ続きそうでした。

伊藤忠に限らずに企業で働いていれば22時すぎくらいまで働くのは驚くことではありません。

だからこの方もまた、2人のおこさんに対して平日はなかなか時間をとって遊んであげることは難しい、とつぶやいて携帯電話のまちうけをこどもたちの画像にしていました。

でも、花火大会の日は、まさにそのオフィスが神宮球場のどまん前なので (打ち上げられた花火を横から見れる)こどもたちを招いてそこから眺めるということでした。

番組はまだ第1回が始まったばかりなのでこれからどういう方向に進むかは分かりませんが、初回を観る限りでは、わりと良い番組に感じました。

特に、94才でかくしゃくと暮らしている女性の姿には、胸をうたれるものがありました。

決してドキュメント番組が高い視聴率を取るということはもともとありませんが、じっくりと秋の夜長に観てもらえたらいいかなあと思いました。

そして、同時に(いや、何より)松崎ナオさんの歌が静かに深く浸透していくといいなあと思ったのでした。

本気で「弟子入り」をお願いしに行きました/福光洋一さんの『くらしの相談センター』へ

福光洋一さんの『くらしの相談センター』へ

今日は、衣笠にある『くらしの相談センター』を訪れました。

このセンターをたったお1人で運営されている、福光洋一さんにお会いするためです。

このセンターは、先日テレビのドキュメンタリーでも放映されて知っている方もすごく多いと思います。

どんな相談にも『無料』でのってくださる、ものすごく素晴らしい方です。
 
こんな方が同じまちに存在していることは「奇跡だ」と僕は思います。

遅まきながら僕もまたこの番組を観て、福光洋一さんという存在を知りました。

番組を観終えて涙がたくさん出て、

「ああ、この方のやっていることは僕のやりたいことを究極までつきつめたものだ」

と感じました。

『センター』という名前ではあるものの、あくまでもわずか数畳くらいしかない部屋です。

そこにテーブルとイスがあって、24時間そこで福光さんは寝泊りしながらたくさんの方々の相談をうけていらっしゃるのです。

75才の福光さんは、退職されてから14年間、たくさんの方々を助けてこられました。

その生き方を知って、僕は僕のめざしているものを突き詰めた姿を見た気がして、「こういう生き方がしたいんだ」と自分のことを再確認しながらも、同時に、ものすごく恐ろしい気持ちになりました。

本気で「弟子入り」をお願いしました

ものすごく運が良かったのですが、長年にわたって福光洋一さんと交流のある方と出会いました。

そこでその方にあいだに入って頂いて、福光さんの忙しいスケジュールをやりくりして頂いて、やっと今日お会いすることができました。

福光さんは今日も朝7時半から相談にのっていらっしゃいました。

僕は10時から11時半までお時間をいただいたのですが、その間も電話がかかってきたり人が訪れてきたり。

本当にたくさんの方が福光さんの存在を必要としていることが、わずか1時間半の滞在でも十二分に分かりました。

僕がお会いした目的は、本音で書きますが

「弟子入りさせてください」

とお願いしに行ったのです。

朝から夜中までぶっとおしで、福光さんのスケジュールは完全に埋まっています。

毎月100件以上の相談に福光さんは支えになって下さっています。

けれども、もしも福光さんがいなくなってしまったら...。

「これだけ多くの『福光さんを必要としている人々』が行き先を失ってしまうのは絶対に避けたい」

と僕は考えました。

「彼の遺伝子・たましいを受け継ぐ人材を育てなければならない」

と(生意気ですが)僕は考えました。

それならば、まず僕自身がそうなろう、僕自身がそうなるべきなのだ、と思いました。

僕でも、僕じゃなくても、誰でもいいんです。
 
こういう大切な『よろず相談所』をこのまちにたくさんたくさん存在させたいのです。

本当は行政がそうなれれば1番いい。

けれども、行政(市役所)でさえ、福光さんに相談をまわしているのが現実の状況です。

そこで、弟子入りをお願いしに行ったのです。

弟子入りは断られてしまいました

「きみはまじめすぎるからなあ(笑)」

あっさりと弟子入りの話は断れらてしまいました。

「週1日だけでも、福光さんのそばについて学びたいんです」

そうお願いしたのですが、やんわりと笑顔で諭されてしまいました。

「市議会議員には、市議会議員にしかできない仕事がある。きみにはそれをやってほしい」と。

そして、これまでの相談体験を1時間半、語ってくれました。

笑いが絶えない、楽しい時間を過ごさせていただきました。

やがて、別の相談者の方が訪れて僕たちは帰りました。

ソーシャルワークを徹底してやり続けて、いつか福光さんの弟子になります

断られても、僕はめげていません。

いきなり今日会っただけの人間を弟子にするような人なんて、いないはずです。

正直なところ、昨日から緊張してしまって、話したいことの10個のうち1個くらいしか話せませんでしたし、僕のことを全然伝えきることができませんでした。

確かに『政治家にしかできないこと』を政治家フジノとして僕がやらなければならないことも、十分に僕は理解しています。

でも、その前に『人間として僕がやらなければならないこと』があるのを
 僕は僕としてやらなければならないのです。

めげずに、邪魔にならないように時々顔を出させていただいて、福光さんのすごさを吸収させていただきたいと思いました。

相談者として生きることの重みと苦しみと

そんなことを書いておきながら、全く逆のことを書きます。

『相談を受ける者』として生きていくのは本当につらいし、覚悟がいるし、精神的にも肉体的に苦しみます。

今日、数ヶ月にわたって相談にのってきた方が、なんとかましな結末を迎えることができて、フジノはふらふらです。

もちろん相談してくださっている方こそが最も苦しくてつらくて大変なんです。

僕なんかどうでもいい。

だから、相談にのっている時はガンガンいけるのです。

でも、無事解決というかハッピーエンドであっても、それがひと段落つくと、気づいていなかった疲れが出てきます。

今日はもう立ち上がれないくらいに、言葉のあやでなく本当に立ち上がれないくらいに疲労感で動けなくなってしまいました。

畳の上でスーツのまま数時間ぶったおれて、やっと今、何とかパソコンの前に座っています。

フジノは「改革者」ではなくて、社会福祉を実践したいだけなのです

まちかどで演説をしていて話しかけられたりする時、多くの方々が

「政治家フジノは『改革者』として在ってほしい」

というイメージを持っているのをつくづく感じます。

若き政治家として、リーダーシップを取っていくことを期待されているのもよく感じます。

けれども、僕自身の中には、『そういう自分』を全くイメージできません。

繰り返しずうっと「市長選挙には出ません」と語ってきたのも決して謙遜でも何でもなく、それは僕自身の『在りたい姿』では無いからなのです。

苦しくても苦しくても他人の相談に少しでも乗りたいと願うのは何故なのだろう、と自問自答した頃もありました。

でも、また疲れが癒えると立ち上がって、少しでも他人の力になれたらと本能のように願うのは、僕が「そう在りたいから」だと今はハッキリと分かります。

僕はそういう人間で在りたいのです。

人の生き死にに少しでもかかわることの重みと覚悟。

それはたぶん相談を受けたことのない方には絶対に理解できない、自分の全存在をかけた時間を過ごすことです。

時に苦しくて吐き気さえしてくることもありますが、でも、それが自分の生き方なのだと思います。