医療費カットのための尊厳死法案や胃ろうを問題視するメディアの薄っぺらさと、目の前にある現実の重さ

父のお見舞いへ

今日は、父さんのお見舞いに行きました。

6月末に僕が体調を崩してしまってから、ずっとお見舞いに行くことができませんでした。3ヶ月半ぶりにようやく父さんに再会することができます。

たとえ植物状態であっても、父に会えるのはとてもうれしいです。

いくら語りかけても返事が帰ってこなくても、父が生きていてくれる、目の前に存在してくれている、その事実だけで、僕には十分に大きな意味があります。

いつか必ず父を地元へと連れ戻って、自宅で過ごさせてあげたい。

いつも、そう願いつづけています。



父のおかげで「日本の医療・福祉の貧困」を身を持って体験できた

父との日々は、政治家フジノに「この国の医療・福祉の社会資源が全く足りていない現実」を教えてくれました。

父の闘病生活で僕が直面した課題を通して、政治家として取り組んできた政策はとてもたくさんあります。

  • 小泉政権が決めた『療養病床の廃止』を撤回させること

  • 小泉政権が決めた「リハビリのカット」を撤回させること

  • 急性期(3ヶ月)が過ぎたら退院させられてしまう仕組みになっている中で、入院中から退院後の行き先探しをサポートしてくれる「地域医療連携室」「医療相談室」を充実させること

  • 『特別養護老人ホーム』への莫大な数にのぼる待機者を解消すること

  • 特別養護老人ホームの待機者の実数と実態(介護度の重さなど)を把握すること

  • 特別養護老人ホームには重症の方を優先的に入所できるようにすること

  • 医療ニーズの高い人でも特別養護老人ホームに入所できるようにすること

  • 医師・看護師にしか認められていなかった「たんの吸引・経管栄養」などの『医療的ケア』を介護職にも実施できるようにすること

  • 特別養護老人ホームなどの入所施設だけでなく、住み慣れた地域で自宅で暮らせるように『夜間対応型訪問介護』を実現すること

  • さらに24時間対応型の『定期巡回・随時対応型訪問看護介護』を実現すること

  • 厳しい坂や階段の上にある一戸建て住宅で暮らし続ける困難さを自らの意思で早めの住み替えを実現できるように『サービス付き高齢者向け住宅』を増やしていくこと

  • 『サービス付き高齢者向け住宅』以外の選択肢として『住宅型の有料老人ホーム』を増やしていくこと

ここに挙げたのは、ほんの一例に過ぎません。

病院からの景色

病院からの景色


他にもあらゆる課題があって、それらを解決・改善する為に政治家として取り組みをすすめている政策がたくさんあります。




胃ろうと気管切開をしている父との濃密な8年間、薄っぺらいメディアの報道

フジノの活動日記をずっと読んで下さっているみなさまはご存知の通りですが、父は2004年12月に病に倒れました。植物状態になってから、もう8年が経ちます。

脳の中に血があふれて、いろいろな機能が壊れてしまいました。

植物状態(遷延性意識障がい)にある父とは、全く会話ができません。

僕の声が届いているのか届いていないのかは分かりません。仮に届いているとしても、父には返事を伝えるすべがありません。声を出す為の信号が脳から送られているのか、送られていても筋肉が反応しないのか、それも分かりません。

けれども、父は自分自身の力で「呼吸」をしています。「心臓」も動いています。

ただし、自分の力で食べ物を口からとることはできないので、「胃ろう」を造設して栄養剤を胃に直接に流し込んでいます。

父は気管切開をしている


マスメディアを中心にして、この胃ろうを「=悪」と決めつける報道が増えています。

あなたは「胃ろう」を付けてまで生きたいですか?

といった感じで、口から栄養を取れないことが「人としての終わり」のように煽っています。

さらに、国会議員の間では「尊厳死法案」が超党派で作られて、父のような状況に追い込まれた人々は医療費がかかる為に財政を悪化させるという観点から、「治療はせずに死なせるべきだ」という流れが作られようとしています。

でも、どちらの動きも薄っぺらで、現実をまるで知らない議論に過ぎません。



いのちは理屈じゃない。社会保障の財源はもっと徹底した工夫で捻出できる

医療コストをカットする為に「胃ろうはさせない。そのまま餓死すればいい」と栄養を送ることさえさせない、そんなことを家族は絶対に受け容れることはできません。

人生の質を高めることが大切だという『クオリティ・オブ・ライフ』という理論があって、胃ろうや気管切開をしてまで生きていくことは『クオリティ・オブ・ライフ』が損なわれる、人生の質が低くなる、と決めつける福祉の専門家もたくさんいます。

けれども一方で、『クオリティ・オブ・ライフ』の在り方を選んで決めるのは自分自身ですが、植物状態にある本人から『クオリティ・オブ・ライフ』について聞き取りをした調査はゼロです。無いのです。

どれだけ意思疎通をしたくても言葉を発することができず、胃ろうや気管切開をして生きながらえていくしかない、ということは、本当に福祉の専門家が決めつけているようにクオリティ・オブ・ライフが無い状態なのでしょうか?

僕は、僕自身が植物状態になっても僕のいのちが続くことを願ってくれる家族がいてくれるならば、できるかぎり長く生き続けていきたいと強く感じると思います。

自分のクオリティ・オブ・ライフなんかよりも、ただ家族が自分のいのちが続いてくれることを願う祈りを、少しでも叶えてあげる為に。

いのちは、理屈じゃない。

僕にとっての大切な父、母にとっての大切な夫、失いたくない。僕たち家族は、どれだけ自分たちの暮らしが厳しくなろうとも必死に生活費を削って、父を生かし続ける為に医療費を払い続けるのだ。これまでもそうしてきたし、これからもそうしていくだろう。



父に会える限り僕は、誤ったメディアの論調には流されない

父の存在は、政治家としてのフジノに目の前の現実がいかに問題に満ちているものかをいつも教えてくれる。

僕や僕の家族が体験しているつらさや苦しさは、全国で同じようにたくさんの人々が体験していることだから、それを改善することは多くの人々の願いなのだと僕は信じている。

だから、僕は可能な限り父のもとを訪れて、その姿を目に焼き付けて、感じる悲しさや怒りやいろいろな気持ちと大切に向き合っていきつづけなければならないのだと思う。