うわまち病院移転建て替え後の新病院と市民病院の「新たなベッド数」と「機能」が健康部から報告されました(その2)/2018年12月議会

前の記事から続いています)

2018年現在の市立2病院の「機能」を2025年にどのようにしていくかも報告されました

『医療機能』という専門用語があります。

具体的には「その病院が地域でどのような役割を果たしていくのか」という意味で使われています。

今日の教育福祉常任委員会では

「2025年に向けて市立2病院がどのような『機能』を持つことにするか」

についても、健康部内で決定された事柄が報告されました。

今回の記事では、健康部の報告資料をもとにフジノが説明(*)を加えてご紹介します。

(*)この説明はフジノが大学院での医療政策の聴講などを通じて学んだことや過去の議会での質疑応答をもとに記しました。その為、健康部の説明したい意図とのズレや専門家からみて表現がおかしい部分があるかもしれません。そうした点はぜひご指摘頂けるとありがたいです。


2025年の(うわまち病院移転建て替え後の)新病院の「機能」

健康部内で決定した2025年の市立2病院の『機能』について紹介していきます。

まずは、うわまち病院を移転建て替えしてスタートする新病院についてです。

下の表は、左側が2018年現在のうわまち病院の持っている『機能』で、右側が2025年にスタートする新病院の持つ『機能』です。



1.救急医療

現状(うわまち病院)新病院
現在、うわまち病院は

です。

(説明)
現在、市立2病院と横須賀共済病院の3病院を中心とした『救急受け入れ態勢』が整備されています。

うわまち病院は『救命救急センター』の指定を受けています。

また「断らない救急」をモットーにし、年々受け入れ台数が増加し、昨年度は初めて年間7000台を超える救急車を受け入れるなど、重要な役割を果たしています。

このような『救急受け入れ態勢』によって、救急車で搬送された方々の『市内での受入率』は91.5%となっています(つまり、市外への搬送は8.5%)。

新病院は救命救急センターとしてふさわしい施設を整備します。

ベッド数は未定です。




2.災害時医療

現状(うわまち病院)新病院
現在、うわまち病院は

  • 神奈川県が独自に指定している『災害協力病院』

です。

(説明)
災害発生時、地域の医療救護活動の拠点となるのが『災害拠点病院』です。

この『災害拠点病院』は、厚生労働省の基準では2次保健医療圏ごとに『原則として1ヶ所』となっています。

ここ横須賀・三浦2次保健医療圏ではすでに市民病院と横須賀共済病院の2ヶ所が指定を受けている為、改めてうわまち病院が厚生労働省の指定は受けていません。

しかし、指定こそ受けていませんが、実質的な施設基準は整備されています。

また、神奈川県が独自に指定している『災害拠点病院』を支援する『災害協力病院』として指定を受けています。

災害発生時に医療拠点として活動できることが重要である為、新病院は『災害拠点病院』の施設基準を満たす施設を整備します。

(『現状』で記した理由から厚生労働省の指定は受けませんが、実際の施設基準は『災害拠点病院』と同等の整備をします)




3.周産期・ 小児医療

現状(うわまち病院)新病院
現在、うわまち病院は

です。

(説明)
周産期医療とは、妊娠22週〜出生後7日未満までの医療を指しています。

合併症の発症や分娩時の急変など、母子ともに身体・生命にかかわる事態が発生する可能性が高くなる期間です。

その為、緊急時の医療体制の確保が特に必要です。

現在は、うわまち病院と横須賀共済病院が『地域周産期母子医療センター』として認定されています。

また、小児医療(新生児期以降)については、市民病院の入院を廃止してうわまち病院に機能を集約しました。

この集約のメリットもあり、うわまち病院の小児科は全国的も高いレベルを維持しています。

また、全国的に小児救急の担い手が足りず問題化している中で、うわまち病院では小児救急体制も担っています。

うわまち病院に機能集約しているメリットを生かし、新病院は新生児期以降の小児重症患者へのより充実した対応を図ります。

NICUなどのベッド数は未定です。




4.療養病棟

現状(うわまち病院)新病院
現在、うわまち病院には

  • 療養病棟はありません

(説明)
積極的な治療は必要としませんが、人工呼吸器や中心静脈栄養等の医療処置が必要な為に、在宅等での療養が難しい患者を受け入れるのが療養病棟です。

うわまち病院は、2006年に療養病棟を開設しました。

しかし、2016年12月、療養病棟において薬剤耐性菌(VRE)の院内感染が起こりました。

その対策として、療養病棟を廃止して、昨年2017年10月に回復期リハビリテーション病棟へ転換しました。

その為、現在のうわまち病院には療養病棟がありません。

新病院は、療養病棟を持たないこととします。

その理由は大きく2つあります。

第1に、『神奈川県地域医療構想』の入院患者推計では慢性期の医療ニーズが記されてはいますが、その全員が療養病棟へ入院しなければならない訳ではなく、在宅医療等で対応可能な患者も含まれています。

全国的にも横須賀市は在宅療養を先進的に進めてきた為、今後さらに『療養病棟への入院』ではなく『自宅での在宅療養』へのシフトが進んでいくと見込まれます。

第2に、療養病棟へのニーズには、すでに市内の他の医療機関の病床で応えられています。

現在、市内には合計3病院356床の療養病床があります(パシフィック・ホスピタル259床、湘南病院50床、聖ヨゼフ病院47床)。

これらのベッドでおおむね今後の医療ニーズには応えられるの考えから、今後は市立2病院では療養病棟を持たないこととします。

ただし、将来の医療制度改正には柔軟に対応できるようにします。

新病院を建設するにあたっては、回復期リハビリテーション病棟を現在の療養病棟の施設基準も満たすように整備することを検討します。




市民病院の2025年の「機能」は次の記事で記します

ブログ記事が長くなりすぎてしまったので、市民病院については次の記事で報告いたします。



僕が世界を救える訳でも無いのに、仕事から逃げられない/この仕事を続けることに限界を感じる

僕が世界を救える訳でも無いのに、仕事から逃げられない

肩から下げるカバンの中に、フジノは仕事道具一式を入れています。

仕事用の携帯電話、プライベート用のiPhone、ノートパソコン、PocketWi-fi。

神奈川新聞と毎日新聞、読んでいる途中の仕事の文献2冊、仕事用に購読している月刊誌、気分転換用のプライベート用雑誌。

ペンケース、その日に受け取った紙ベースの資料、その日に支払う予定の振込用紙、受け取った領収書。

体調が悪くなった時の為のクスリ一式を入れてあるピルケース。

そして、飲み物として買ったペットボトルです。

昨晩、自宅に帰ってきて気づいたのですが、なんと買ったばかりのペットボトルの中身が全て漏れていました。

カバンの中は500ml分の液体に浸ってしまい、新聞も本もグニャグニャになっていました。

大急ぎで携帯電話とパソコンをタオルで拭いて、その他のものはなかば諦めて、1つずつ干していきました。

今朝になってすぐに確かめてみたところ、パソコンもiPhoneも問題なく使うことができました。

けれども、本や資料など紙ベースのものは乾いても飲み物の色がついた上にガビガビになってしまっていて、朝からすっかり落ち込んでしまいました。

フジノは、議員バッジもふだんは一切身につけずにペンケースの中に放り込んであるのですが

フエルトの部分がすっかり変な感じになってしまいました。
         ↓

議員バッジと横須賀市章

議員バッジと横須賀市章


こんな風にユーウツな気持ちで1日がスタートしたのですが、なんとか頭を切り替えて、今日の仕事に向き合うことにしました。

原稿書きや電話での応対をはじめ、各部局へのヒアリングなどを大急ぎで終えました。

14時頃で仕事を切り上げることができたら2ヶ月ぶりに祖父の家に行こうと決めていたからです。



祖父に会いにいくことができました

予定どおり14時過ぎには仕事を終えることができたので、祖父の暮らす平塚へと向かうことにしました。

JR平塚駅の構内には、スターバックスとお花屋さんが併設されていて、いつもここで祖父におみやげを買っていくことにしています。

祖父は、樹木や草花にとても詳しいので、毎回なるべく知らなさそうな珍しいものを選んで持っていきます。

今日は『観賞用のパイナップル』というのがあったので、さっそくこれに決めました。

観賞用のパイナップル

観賞用のパイナップル


前回は、鉢植えのミニトマト(とてもよく実がなるもの)をおみやげに持っていきました。

前々回は、ガジュマルの小さなものを持っていきました。

ひまわり

ひまわり

こうして、夕方には祖父の暮らすまちへとやってくることができました。

50代で早逝してしまった祖母の仏壇にお線香をあげて、しばらくの間、訪れることができなかったことをお詫びしました。

祖父は94才。

左耳はずいぶん前から全く聴こえなくなってしまい、右耳も補聴器を付けてもほとんど聴こえなくなってしまったけれど

フジノのノートパソコンのモニターに大きめの文字で表示して、いろいろなことを今日も会話することができました。

祖父とフジノ

祖父とフジノ


毎回1~2時間くらいしか滞在できないのですが、今夜は一緒にお夕飯を食べていくことにしました。

指先がリウマチで曲がってしまったけれど、さすが大正生まれの祖父のお箸の使い方の美しさは変わりません。

祖父と夕食をとりました

祖父と夕食をとりました


こうして、3時間ほど滞在して、またの再会を約束して祖父宅を後にしました。



体調不良で駅から救急車で救急医療センターへ

バスに乗って、平塚駅へ。

そしてJRに乗って横須賀へ戻ります。

この電車・バスでの移動時間がまとまって1時間半くらいあるのでいつもフジノはノートパソコンで仕事をするようにしているのですが

突然に体調が悪くなり、どこの駅か分からないままにとにかく駅に到着した途端に降りて、電車から出ました。

ベンチに座って、少し休みました。

けれども、一向に治る気配がありません。

6月末に電車の中で倒れてしまった時と同じで、クスリをのんでも全く体調が治る気配がありません。

駅員さんにお願いして、駅員控え室で横にならせてもらいました。

10分ほど寝転がっていても全く体調が良くなる気配が無いので諦めて、救急車を呼んでもらいました。

こうして、救急医療センターへと運ばれていきました。

ドクターの診断は、過労、脱水症状、過呼吸、パニック発作。
 
2本ほど点滴を打って、少しでいいから眠るように、と言われました。

目が覚めたら点滴が吊るされていた

目が覚めると点滴をしていました

目が覚めると点滴をしていました


それでも僕は、翌日も仕事があるので終電までには帰りたくて、1本目の点滴が半分終わったところで

「帰らせて下さい」

と、ドクターにお願いしました。

そして、タクシーを呼んで駅に向かい、とにかく横須賀へと戻る為に電車に乗りました。



たぶんこのままでは、この仕事を続けていくことはできない

優先順位を付けて仕事の依頼や相談を断わっても断わってもきりがなく続いて、市民の方々からの相談も途切れず、取材や原稿の執筆依頼や役職への就任の依頼などがやってきます。

政治家としても、人としても、他人から求められることは僕にとってありがたいことですし

困っている人や苦しんでいる人がいる限り、いつも全身全霊をかけて仕事をするのが在るべき姿だと信じてきました。

だから、体調不良はすでに6月末から続いているにも関わらず、自分の心身よりも仕事を優先して、病院にも全く行かずにきました。

でも、この仕事漬けの暮らしはもう限界かもしれません。

できることならば、僕自身、休みたいです。

夏休みやお盆休みどころか、丸1日の休暇は、1ヶ月に1~2日取れるかどうかの日々で

心身ともに完全に疲れ果てているのですが僕自身、どうすることもできません。

いっそ、入院しなければならなくなって物理的に離れてしまえばラクなのに、と感じることもあります。

それでも

メールの受信フォルダを開けば、留守電を聴けば、郵便受けを見れば、途切れること無く相談の声は続きます。

留守電には、深夜だろうと早朝だろうとカンケーなく、つらさや苦しさを訴える声が吹き込まれてきます。

僕は、どこかで折り合いをつけなければ、この仕事を続けていくのは難しいかもしれません。

以前にも書きましたが、政治家に転職して10年間で今が最も体調が悪いです。

何とかして、これを乗り越えなければ。