「東京レインボープライド2019」2日目へ/「ハレの日」の安心感や喜びを「日常」にする為に全力を尽くします

東京レインボープライド2日目に参加しました

今年も『東京レインボープライド』に参加しました。

代々木公園を会場にした「東京レインボープライド2019」

代々木公園を会場にした「東京レインボープライド2019」

毎年のことながら書きたいことが多すぎてまとまりません。

今年も写真のアップだけに留めてひとことふたことだけ文章を添えるだけにします。

絵日記レベルでごめんなさい。

ステージイベントの大トリをつとめた「星屑スキャット」のみなさん

ステージイベントの大トリをつとめた「星屑スキャット」のみなさん


「ゴールデンウィークをレインボーウィークにしよう」

のかけ声で、レインボーウィークの様々な取り組みが今年もスタートしました。

4月27日から様々なイベントや勉強会が始まって、昨日28日からは最大のイベントである『東京レインボープライド2019』がスタートしました。

ステージには初めて大きなビジョンが設置されました

ステージには初めて大きなビジョンが設置されました


昨日は恒例のパレードが大々的に行なわれて、昨日の夕方のニュースやけさの新聞各紙に大きく報じられていました(ネットメディアでももちろん大々的に取り上げられています。例えばこちら)。

有名なアーティストの参加も複数ありましたが、この人手の多さは有名人の参加だけが理由ではありません

有名なアーティストの参加も複数ありましたが、この人手の多さは有名人の参加だけが理由ではありません


メイン会場の代々木公園では野外ステージとその周辺を会場に、ステージイベント、たくさんのブースが出展されています。

プライドメッセージ

プライドメッセージ


HIVへの知識をアップデートしてもらおうというブース

HIVへの知識をアップデートしてもらおうというブース


上野の老舗の飴屋さんが作っている「レインボー飴」

上野の老舗の飴屋さんが作っている「レインボー飴」


フジノも強く応援している翻訳出版のクラウドファンディングのブース

フジノも強く応援している翻訳出版のクラウドファンディングのブース


まさに日本最大のセクシュアリティのお祭りです。

今年の参加者の多さはもはや当事者や活動団体だけの集まりではないことを示していると感じました。



さらに昨年を上回る過去最多の「東京レインボープライド」の参加者となりました

まだ公式な発表はお聴きしていないのですが、2日間で20万人を超えるのではないかと感じています。

20万人規模のイベントに成長しました

20万人規模のイベントに成長しました


とにかく体感ですでに去年の15万人規模を上回っています。

過去最大となりました。

これが「単なるお祭りだから」なのか「この社会をおかしいと感じているから」の参加なのか(もちろん両方かもしれません)は、数年後にならないと分からないかもしれません。



全国で活動するたくさんの同志と再会を果たしました

この参加者数の多さはバブルのはじける直前の絶頂なのかもしれません。

あるいはさらに拡大していくのかもしれません。

そのどちらであろうとも、フジノは活動を続けていくだけです。

自殺対策の時もそうでした。

2006年の自殺対策基本法成立をピークにそれまでは毎日のように報じていたメディアによる報道が一気にしぼんでいきましたが、僕たちの活動は何も変わりませんでした。

全国で地道な活動を続けてこられた先輩方・仲間たちの想いは(分野にかかわらず)全く変わらないと思います。

お祭り騒ぎやブームが来ようが去ろうが、ひたすら厳しい状況の中で闘ってきた仲間たちは変わらずに活動を続けていくのだと信じています。

この『東京レインボープライド』はフジノにとってそんな全国の仲間達と年1度の再会を果たせる場でもあります。

「虫めがねの会」の鈴木茂義さんとフジノ

「虫めがねの会」の鈴木茂義さんとフジノ


『虫めがねの会』の鈴木茂義さんとは一昨日の上映会でお会いしたばかりでしたが、嬉しい再会でした。

11年前そもそもフジノはこどもたちの命を守りたくて『性的な多様性の保障』についての活動をスタートしたので、教職員の方々の集まりである『虫めがねの会』の活動には強く励まされます。

ぜひ横須賀とも関わりをもっていただけたらとフジノは願っています。

パープルハンズの永易至文さんとフジノ

パープルハンズの永易至文さんとフジノ


『NPO法人パープル・ハンズ』事務局長の永易至文さん。

永易さんはライターとして積極的にたくさんの文章を世に問うて下さっています。横須賀のことも何度もとりあげていただきました(もちろん好意的なことだけでなく厳しくしっかり書いていただいています)。

また、昨年2018年に横須賀市の公証役場で初めて同性パートナーによる公正証書の作成にあたり、パートナーの支援をして下さったのも永易さんです(行政書士もしておられます)。

フジノにとっても横須賀の性的な多様性の保障を実現する活動にとっても永易さんは不可欠な存在なのですが、日頃はお忙しくてまずお会いできないので今日のこの機会は本当に貴重でした。

「MrGayJapan2018」のSHOGOさんとフジノ

「MrGayJapan2018」のSHOGOさんとフジノ


『MrGayJapan2018』(初代のMrGAYJAPANです!)に選出されて様々な活動に取り組んでおられるSHOGOさんとフジノ。

日本で初めて『MrGayJapan』を選出するというスタートから、実際に選出されるまでを時系列で追っていたフジノは、選ばれたSHOGOさんとその後の様々な活動を追いかけてきました。

現役の先生として働きながら日本代表としてのたくさんの啓発活動に身を投じる姿はとても心を動かされ、個人的にずっと励まされてきました。

こちらは一方的にネット情報やツイッター・インスタグラムで応援していた訳ですが、リアルでお会いできたのは初めてでお話しすることができてとても光栄でした。ありがとうございます!

Palette編集長の合田文さんとフジノ

Palette編集長の合田文さんとフジノ


『Palette』の編集長である合田文さんとフジノ。

『Palette』がフジノを報じて下さった2018年8月の記事は、横須賀市パートナーシップ制度の導入にあたって大きな後押しになりました。

フジノが戸籍制度や婚姻制度についてどのように考えているかを公に語る機会が無かったので、初めて全国に対してその考えをお伝えすることができた思い入れの深い記事でもあります。

合田編集長、伊藤副編集長、ありがとうございます。

畑野とまとさんとフジノ

畑野とまとさんとフジノ


畑野とまとさん(ライター)とフジノ。

フジノがまだ11年前全くセクシュアリティに関して無知で突っ走っていた頃から、すでに長年にわたって活動を続けてこられた先輩としてとても面倒をみていただいています(ありがとうございます)。

特に、2016年に横須賀で大きなトラブルがあった時には大変ご心配いただいてその収束に力を貸していただきました。

あらゆる取り組みは歴史的な流れの1つとしてあることを常に思い返させてくださる、フジノにとって取り組みの理論的な根拠になるヒントをいつも頂いている存在です。とまとさん、いつもありがとうございます。

早稲田大学GSセンター&LGBT稲門会

早稲田大学GSセンター&LGBT稲門会


フジノは早稲田大学で臨床心理学を修めましたが、在学中も卒業後もマッチョでホモ・ソーシャルな学風が大嫌いで『母校』だと感じたことが全くありませんでした。

むしろ母校であると思いたくなくて、出身大学を尋ねられても答えずに、中退をした上智大学院のことを名乗るようにしていました。

けれども2017年4月にGSセンターが設立されてその活動が広く知られるようになってからは、ようやく早稲田大学のことを母校と感じられるようになりました。今ではGSセンターの活動にも時々参加することもあって、母校を誇りに感じられるようにもなってきました。

それくらいフジノにとっては入学以来のわだかまりを解いてくれた存在がGSセンターです。

このブース出展もそうですし、良いイベントや活動をたくさん続けてくれています。フジノもこれからもGSセンターの取組みを積極的に応援していきたいですし、学ばせていただきたいです。

Polarisのお二人とフジノ

Polarisのお二人とフジノ


今年のレインボープライドは『Polaris』のブースに来たくて訪れたといっても大げさでは無いのです。。。

実はフジノが長年スーツの胸につけていたレインボーのバッジは『Polaris』さんで購入したとてもめずらしい横長のピンバッジなのですが、今回の選挙中に紛失してしまいました。

本当に大切にしていたのでとても悲しくて、日頃は通販メインの『Polaris』さんとじかにお会いできるのをとても楽しみにしていました。

残念ながら全く同じピンバッジの出品はありませんでした。でも同一作品が無いのがアーティストによる作品の物販のウリですよね。

でもそこまでフジノが大切にしていたことをお二人はとても喜んで下さいました。

Polarisの作品たち

Polarisの作品たち


『Polaris』さんはレインボーをモチーフにしたワンコグッズを販売しているとても珍しいハンドメイドのショップなので、ぜひサイトを覗いて見てみて下さいね。とてもオススメです。

砂川秀樹さんとフジノ

砂川秀樹さんとフジノ


砂川秀樹さんとフジノ。

ピンクドット沖縄の顧問であり文化人類学者でもある砂川さんの著作は必ず読んでいます。やはりフジノが理論的な根拠に立ち返りたい時に頼る存在で、フジノはとても尊敬しています。

那覇市のパートナーシップ制度実現にも欠かすことができなかったのが砂川さんだとフジノは認識しています。

というか、砂川さんと話しているフジノのまわりを通り過ぎているたくさんの会場に今日来ている人々はそもそも砂川さんのことを知っているのかなあ?と感じてしまいました。

この東京レインボープライドの前身的存在である、『東京レズビアン&ゲイ・パレード2000』の実行委員長こそ、砂川さんなのです。みんな、知ってるのかなあ。

静岡から来てくださっているみなさんとフジノ

静岡から来てくださっているみなさんとフジノ


東京レインボープライドに静岡から合同でブースを出してくださったみなさんとフジノ。

犬飼このり議員(伊東市議会議員)とフジノはともにLGBT自治体議員連盟で活動する仲間で、昨年しりあって意気投合しました。

フジノの不勉強からまだあまり静岡県内での活動を詳しく知らないのですが、今日いろいろな団体の活動を聞かせていただきました。神奈川とはお隣同士ですし、いろいろな取組を連携していけたらとお話させていただきました。ありがとうございます!

今話題沸騰の「どん浴」スタッフのさとこさんとフジノ

今話題沸騰の「どん浴」スタッフのさとこさんとフジノ


そして、写真の最後は新宿2丁目に新しくオープンして僕たち横須賀組のあいだではとても話題になっている足湯&カフェ『どん浴』

選挙が終わったら絶対に行くと決めていたのですが、一足先にブース出展でお会いすることができました。

セクシュアリティを問わずに入店できておいしいごはんと足湯が待っています。絶対に5月中には訪れます!

たくさんの同志との再会にエンパワーされて、またこれからもがんばっていこうと力強く感じたのでした。



「日常」をこの会場と同じくらい安心できる場に変えていきます

お祭りは、終わりました。

ライブが終わりに近づいてきました

ライブが終わりに近づいてきました


そして日常生活がやってきます。

そして全てのステージイベントが終わりました

そして全てのステージイベントが終わりました


祝祭はあくまでも一過性のものに過ぎません。

フジノは毎年繰り返し書いていますが

年に1度の『祭りの日』に休養し羽目をはずし仲間と旧交を温めたりしてエネルギーを養い、そして『日常生活』へと戻っていくのです。

地元に戻ればまた無理解や偏見にうんざりさせられる日々に疲れ、心も体も壊れてしまうこともあるでしょう。

でも、絶対的に僕たちが生きていかざるをえないのは『日常生活』です。

果てしなく続いていく、終わりの無い『日常生活』こそがどんなに避けたくても逃げられない僕たちの主戦場です。

だからこそ僕の仕事は、『祭りの日々』だけが喜びであり幸せであるような社会ではなく、人々が毎日の暮らしの場で生きていかれるような社会にすることです。

『東京レインボープライド』であなたが感じた、平和で、ありのままの自分で居ることができて、安心できる空間と時間を、『日常生活』の場にもたらすのが僕の仕事です。

その為に、全力を尽くし続けます。

これまで16年間そうだったように、今日と同じく、明日もあさっても、ずっと全力を尽くしていきます。

来年もまたみなさまとレインボーウィークをより良い形で迎えられるように、全身全霊をかけて働いていきます。

ぜひまた来年、お会いしましょうね。



【お誘い】LGBTs施策実施の全国自治体ランキングが発表されます/「早稲田大学GSセンター・石川大我氏 LGBTs春の報告発表会 in Waseda」にいらして下さい

講演とシンポジウムのおしらせです

今日は、講演とシンポジウムのおしらせがあります。

早稲田大学のイベントですが、学生だけでなくどなたでも参加できますので、関心のある方にはぜひお越しいただきたいのです。

「GSセンター×石川大我氏『LGBTs春の報告発表会in WASEDA』」のチラシ

「GSセンター×石川大我氏『LGBTs春の報告発表会in WASEDA』」のチラシ


当日の内容は、大きく分けて3つです。

第1に、早稲田大学に新たに創立されて1周年を迎えた『GSセンター』(Gender and Sexuality center)の活動報告会です。

フジノは『GSセンター』の存在を今回のイベントを通じて初めて知ったのですが、国内の大学では全国初となるセンターだそうです。

下の1分半の動画、活動がとても分かりやすく紹介されているのでぜひご覧下さい。




早稲田大学のサイトでは、すでに1年間の活動報告書も公表されていますね。

第2に、石川大我さん(豊島区議会議員)がプロジェクトペーパー『自治体におけるLGBT施策の促進要因と阻害要因の研究』をもとに報告を行ないます。

発表では、今まで日本で明らかになっていない『LGBTs施策実施自治体ランキング』の発表があるそうです。

全国のLGBTs施策先進自治体へ実施したアンケート調査結果を分析し、①施策数での自治体ランキング、②具体的施策ランキング、③地域での取組の違い分析(男女共同参画か人権か)、④当事者との連携が施策に与える影響などを発表するそうです。

第3に、『自治体LGBTs施策のつくり方』をテーマにしたシンポジウムが行なわれます。

全国の地方議員たちが集まって立ち上げた『LGBT自治体議員連盟』という議連があるのですが、このメンバーと、『レインボーとしまの会』の方が出演します。

GSセンター×石川大我氏 『LGBTs春の報告発表会 in WASEDA』

  • 日付:2018年5月7日(月)
  • 時間:17:30開場 18:00開演

  • 出演:石川大我(豊島区議:政治学研究科修了)
    前田邦博(文京区議:法学部卒業)
    藤野英明(横須賀市議:教育学部卒業)
    レインボーとしまの会
  • ファシリテーター:大賀一樹(早稲田大学GSセンター)

  • 場所:大隈記念タワー(早稲田キャンパス26号館)地下1F 多目的講義室(〒169-8050 新宿区西早稲田1-6-1)

  • 主催:早稲田大学スチューデントダイバーシティセンターGSセンター



詳しい内容の記してあるチラシはこちらをご覧下さい)

月曜日の夜ですが、もしもご都合のあう方はぜひいらして下さいね。



実は、フジノも出演します

実は、最後のシンポジウムにフジノも出演します。

早いもので、大我さんとも出会ってから10年くらいになります。

当時の大我さんはまだ政治家ではなく、市民の立場で本当に活動を一生懸命にがんばっておられた姿が印象に残っています。

当選後もいろいろな機会に意見交換をさせていただきました。

前回の統一地方選挙の前には、大我さんらと秘密の会合を何度か開いて

「無事に来期も当選を果たしたら『議連』を立ち上げて、地方議員の手で『性的な多様性』を当たり前のものにしていこう」

と約束したものです。

残念ながらフジノは、この議連の立ち上げには失敗しました。

けれども大我さんは決して諦めず、いつもの粘り強さによって、『LGBT自治体議員連盟』を昨年7月に無事に立ち上げました。

そして現在では、100名以上の地方議員が所属しています(ナイス大我さん!)。

さらに、シンポジウムで一緒に出演して下さるのが文京区議会議員の前田くにひろさんです。

前田さんとも長いおつきあいで、フジノが代表を務めた自殺対策の地方議員連盟(『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』)でともに活動をさせていただきました。

幹事会のメンバーを務めていただき、やはり旧知の間柄です。

いろいろな理由から、フジノはかれこれ何年も前からあらゆるイベントへの参加を全てお断りしてきました。

けれども、長年の同志である大我さん・前田さんとの共演、そして(在学中にお世話になった記憶は全く無いので『母校』と思ったことは1度も無いのですが)出身校での開催。

そこで今回だけは出演することを快諾しました。

たぶん、フジノがシンポジウムなどでお話をする最後の機会になるのではないかと思います。ある意味、プレミアかもしれません(笑)

GSセンターの活動報告、話題を集めるであろう大我さんの自治体ランキング発表、そしてシンポジウムと盛りだくさんです。

ぜひいらして下さいね。お待ちしております!



母校に卒業証明書と成績証明書をもらいに行きました/改めて学び直したいことがあるので大学を受験します

「卒業証明書」他を発行してもらう為に母校まで行ってきました

今日は、2ヶ月ぶりに母校を訪れました。

時間が無くてそばまで行けなかったのですが、大隈講堂

時間が無くてそばまで行けなかったのですが、大隈講堂


(前回は1月23日に出演した『メンヘルナイト』の終了後に、夜の母校を散歩しました)

目的は、『卒業証明書』と『成績証明書』を発行してもらう為です。

教育学部の事務所にて

教育学部の事務所にて


郵送でも受け取れるのに、あえて2時間近くかけて実際にやってきた理由は、今日どうしても入手したかったから。



フジノは大学を受験することに決めました

数年前から学び直したいことがあって、ある通信制の大学を受験するかずっと悩んできました。

毎年、学校紹介の資料や願書を請求するものの、『学費を捻出できないこと』と『時間を作れないこと』の2つがネックで諦めてきました。

でも、今年は少し条件が変わりました。

  • 父が昨年6月に亡くなった為に僕が支払い続けていた医療費を、今年はもう支払わなくて済むようになりました(借金はまだ残っていますけれど・・・)。

  • 新年度、フジノは教育福祉常任委員会には所属しない方向なので(この委員会に所属すると凄まじく忙しくて他の何もできません)、少し自分の時間も作れそうです。

とはいうものの、ギリギリまで決心がつきませんでした。

忙しくてなかなか入試の小論文(+ミニ小論文×2)も願書も書くことができませんでした。

けれども何とか昨夜、全ての書類を書き終えました。

証明写真も大学のそばの3分写真コーナーで撮りました

証明写真も大学のそばの3分写真コーナーで撮りました


4月から新学期なので、当然ながら、本来、今頃に受験はありません。

募集は昨年からスタートしていて、第1次募集と第2次募集はすでに終わっています。

この2回の募集後に定員に満たなかったごくわずかの人数だけ追加募集(第3次募集)しているのに申し込むのです。

受験するだけしてみて、合格すればラッキー、不合格ならば「今は学ぶタイミングじゃない」と思うことに決めました。

そして、明日が願書の締切日(消印有効)なのです。

そんな訳で、今日はわざわざ母校にじかに証明書を発行して受け取りに来なければならなかったのです。



いつものごはん「牛めし三品」へ

教育学部の事務所で発行してもらった後、母校を訪れるといつも足を運ぶ『牛めし三品食堂』へ。

牛めし三品

牛めし三品


いつもの『ミックス』をいただきました。

ミックス

ミックス


在学していた頃と、おいしさは全く変わりませんでした。

ミックスを食べて元気をもらいました

ミックスを食べて元気をもらいました


この味に、ちょっと勇気をもらいました。

そのまま郵便局に行って、書留で願書を送りました。午後も横須賀で仕事があるので1時間も経たないうちに東京を出ました。

果たして、合格できるかどうか。

結果は4月19日以降に分かるそうです。



横須賀市長選挙の立候補予定者・吉田雄人さんにお会いしました(その1)

6月の市長選挙に立候補を予定している3人に順番にお会いして頂き、お話を伺ってきました。

4月4日、岸牧子さん4月7日、広川さとみさん

今日は、ついに最後の1人である吉田雄人さん(現・横須賀市長)にお会いしました。

吉田雄人さんの「選ばれるまち横須賀へMOVE!」

吉田雄人さんの「選ばれるまち横須賀へMOVE!」


そこで感じたことを記します。

現職の市長と市議会議員である前に、長年の戦友であり、大切な後輩

今日は、3年半以上ぶりに、僕は『政治家フジノ』という公人の肩書きを外して、『藤野英明』という私人として、吉田雄人さんと向き合いました。

このブログを読んで下さっている方々は、この11年の間に大きく変化しました。

かつては、僕の同級生や長年つきあいのある方々を中心に、いち私人としての僕を立候補前から知っている方々がメインでした。

それが今では、このブログを読んでいる方々の半数以上が、政治家になった後のフジノしか知りません。

フジノを知ったきっかけというのも、「自殺対策」「性的な多様性を保障する政策」「脱原発」「給食食材の放射性物質対策」などを通して知った、という方々が大半を占めるようになりました。

特に「3.11後に初めてフジノの存在を知った」という方々がとても増えました。

そうしたみなさまは「吉田市長」と「政治家フジノ」が、政治家になる以前から20年という長年の関わりがあることも全くご存じないと思います。

そこで、改めて(僕の側から見た)これまでについて少し記したいと思います。


そもそも、フジノ(39才)と吉田市長(37才)は、神奈川県立横須賀高校の先輩・後輩にあたります。

僕が高校45期生、吉田市長が高校46期生。

当時、僕は17才。雄人は16才。

1学年しか違わず、現役の高校生時代からお互いに知っていました。

だから今でも僕は、つい当時からの親しみをこめて「雄人」と呼びすてにしてしまいます。

当時から、接点はいろいろありました。

例えば、高校の文化祭の実行委員会。僕が2年生代表、雄人が1年生代表を勤めました。

また、体育祭では、各学年から1クラスずつで3学年で1つのカラーを作るのですが、僕と雄人のクラスとは同じカラー(緑軍)でした。

20年以上前からお互いに知りあいであるだけでなく、共通の知人も多いです。

大学も、同じく早稲田大学でした。

僕は93年入学、教育学部。雄人は94年入学、政治経済学部です。

ふだん接点は無いものの、同じ早稲田キャンパス(当時は「本キャン」と呼んでました)ですから、見かけることもありました。

また、渋谷駅で偶然に再会したりすると、お互いの近況について話したりしました。

大学時代、僕はアメリカへ。彼はイギリスへ。それぞれに短期留学をしています。

卒業後は、それぞれ民間企業に勤めていました。

僕は映画会社、彼はコンサルティングファームです。

同じ時代の空気をともに吸って生きてきました。

雄人と僕は、高校・大学が同じ、年齢も1才しか違わない。街頭演説を中心とする活動や、若さや同期での当選。

こうしたキャリアパスに共通点が多いことから、現在に至るまで、市民のみなさまから「吉田・フジノ」と並べて言及されることが多いです。

でも、実際の2人は、かなり対象的な在り方でした。

11年前(2002年)の夏、彼が初めて横須賀市議会議員選挙に立候補する為に、逗子から引っ越してきました。

今では信じられないと思うのですが、雄人は僕に「選挙の応援をしてほしい」と頼んできました。

僕は、雄人に対して

「お前の幸せは、本当に政治家になることなのか?それで良いのか?」

と、強く引き止めました。とても良く憶えています。

雄人は高校時代から「総理大臣になりたい」と言っていたのですが、僕は「政治家なんかになることは間違っている」と感じていました。

だから、僕は、彼が政治家なんかを目指すよりも、ひとりの個人として、ハッピーな人生を送ってほしいと素直に願ったものでした。

それにも関わらず…。

とても数奇な運命から、そのわずか数カ月後(2003年1月31日)に僕自身が政治家に転職をする決意をしました。

この僕の決心も、実は、雄人が僕にかけてくれた言葉が強く背中を押してくれたのでした。

公職選挙法などを全く知らない無勝手流の僕に対して、時にアドバイスをくれたのも雄人でした。

こうして2003年4月の統一地方選挙で、2人とも市議会議員に当選しました。

山本賢寿さん巨人軍入団祝賀パーティーでの雄人とフジノ

山本賢寿さん巨人軍入団祝賀パーティーでの雄人とフジノ

それから6年の間に、雄人は、政界の階段を2段抜かし3段抜かしでどんどん登っていきました。

彼は、後援会組織をしっかりと固めて、学生インターンを募集してシンパを増やし、街頭演説を1000日も続けるなど地歩を固めていきました。

市内のあらゆる交差点などの人目につく場所には、彼の看板が付けられています。

選挙になれば、日に焼けた姿で自転車に乗りまくる。

そして自転車と同時に、選挙カーもしっかりと活用していました。

イメージ戦略・空中戦と同時に、地べたをはうようなドブ板選挙・地上戦も雄人は得意でした。

真夜中の終電まで駅に立ってお辞儀を繰り返す、精力的な選挙でした。

政治家に当選後は、4年間の任期で4つの常任委員会を全て回りました。

会派(ニューウイングよこすか)にも所属したり、離脱したり

また、他のまちの若手政治家と積極的に交流をして、他のまちで選挙があればすぐに飛んでいってお互いの選挙を支援しあったりというのが雄人のスタイルでした。

かたや僕は、政治家でありながら政治家であることにいつも違和感があり、自分が政治家であることを嫌い続けました。

後援会は作りませんでした。

まちなかにも、1つも看板を出していません。

街頭演説に立つことはあっても、政治家になる前からパニック障がいとウツ病もちの為、人前で話すことは今に至るまで嫌いなまま。

選挙では「選挙カーは絶対に嫌だ」と、僕は1度も使ったことはありません。

しかも、「雄人が自転車に乗るのはパフォーマンスだから絶対に間違っている」と公言してきました。

だって、『自転車に乗ってまちを走り回ること』は政治家の仕事ですか?

ひたすら政策を訴えて市民のみなさまに信を問うのが政治家の本分でしょう?

彼の選挙のやり方が嫌いでしたので、僕はひたすら自分の足(徒歩)で市内を歩いてはひたすらに政策を訴えて回りました。

体力抜群の雄人とは違い、精神疾患もちで体力の無い僕は、すぐに過労で倒れてばかりでした。

心理学を専攻していた学部生時代から大学院進学をすすめられていたように、僕はもとから研究者気質の性格でした。

政治家に当選した後も、政局は大キライで、ひたすら保健・医療・福祉の政策の為だけに働くことを望みました。

資料を読み漁る方が性格にあっていました。

派閥に属することも嫌い、無所属でひとりきりで仕事だけに専念することを好んできました。

8年前、『政治家としての父』と慕っていた木村正孝さんが市長選挙に立候補しました。

2005年6月の市長選挙、木村正孝さんが立候補して下さいました

2005年6月の市長選挙、木村正孝さんが立候補して下さいました

雄人はこの時すでに市長選挙立候補の決意をしていましたが、みんなで「まだ早い」と必死に止めました。

「将来、必ず良き政治家に成長するであろう『プリンス』である雄人を、みすみす落選させるなんてできない」

というのが、木村さんや僕の想いでした。

木村さんが立候補してくれたのは、あくまでも僕の中では「雄人を守る為に代わりに立候補してくれたのだ」と受け止めています。

2005年市長選挙、木村さんは落選しました。

政治家としてたくさんの市民の方々から厚い信頼を受けていた木村さんの、政治家人生を絶つことになってしまいました。

この時、フジノは「どんなことをしてでもオヤジ(=木村さん)の仇を取る」と誓いました。

そして4年前(2009年)、横須賀市長選挙が行なわれました。

今回は、もはや雄人が立候補するしかありませんでした。

フジノは全てを賭けて、吉田雄人候補を応援する決心をしました。

記者クラブでの声明発表では

「吉田候補が市長選挙に落選したら、僕も市議会議員を辞職します」

と宣言しました。

雄人が市長になる為に、僕は全てを捨てる決意をしました。

2009年、市長選挙直前の決起集会のバックステージで語り合う2人

2009年、市長選挙直前の決起集会のバックステージで語り合う2人

「新しい横須賀」を実現する為であると同時に、政治家としてのオヤジの仇を取る為であり、大切な後輩(=雄人)をどんなことをしてでも守る為でした。

こうして、2009年の市長選挙に突入しました。

当時は「現職が絶対に有利」「絶対に当選不可能」と言われていた吉田候補は、奇跡の逆転当選を果たしました。

吉田市長が当選した翌朝、ワイデッキにて報告に立つフジノ

吉田市長が当選した翌朝、ワイデッキにて報告に立つフジノ

市長選挙終了後。

僕は、公人に戻りました。

フジノは「市長が誰であろうと僕は是々非々で厳しく臨む」と市民のみなさまにあらかじめ約束してきました。

その言葉どおり、歴代市長に向きあってきたのと同じように、吉田市長には、フジノこそが誰よりも厳しい追及をしてきました。

マニフェスト実現に向けて誰よりも厳しく質疑を行なって来ました

マニフェスト実現に向けて誰よりも厳しく質疑を行なって来ました


プライベートでは雄人の結婚式にまで呼ばれている間柄ですが、市政という41万人のいのちを預かる場において、とにかく僕は私情をはさんではいけないと自分を強く戒めました。

先輩・後輩の『情』の部分で流されてしまわない為に、彼が市長に就任してからは公の場以外では一切接点を持たないようにしてきました。

つまり、年4回の市議会だけが2人の接点です。

その場での真剣勝負の質疑のやりとりだけが、フジノが吉田市長と交わる唯一の接点です。

来賓などで招かれたり、自殺対策街頭キャンペーンなどで一緒に活動する時であっても、第三者が立ち会って居る場だけでしか一切の会話をしないようにしてきました。

市議会議員として、市民のみなさまに開かれた場で無ければ、市長とは個人的な会話は徹底的に慎んできました。

つまり、今日に至るまで3年半以上、私的な会話をしたことはありません。

これが僕の側から見た「政治家として10年間、個人としては20年以上にわたる藤野英明と吉田雄人との関わり」です。

吉田雄人はフジノにとって、市長と市議会議員である前に、同じ時代を同じ空気を吸って生きてきた大切な同世代のひとりなのです。

そして、僕にとってはどんなことがあっても、20年来の大切な後輩なのです。

誰がなんと言おうとも、僕たち2人にしか分かりあえない固いつながりが存在しています。

適当な言葉が見つからないのですが、『信頼感』や『絆』のようなものでしょうか。けれども、もっと強いつながりです。

だから、フジノが市議会議員としてどれだけ激しく厳しく吉田市長を追及したとしても、それによって2人の20年以上のつながりが消えることは無かったと僕は信じています。

こうしたことを知らない方々は

「フジノさんは吉田市長のこと大キライなんですよね?」

と真面目な顔で尋ねてきたりします。

僕は、笑い飛ばしています。

僕は、2003年に政治家に転職することを決意した時、こころの深い底の部分で信じている希望ある未来を実現することを誓いました。

それ以来、「好き」「嫌い」といった感情のレベルで『まちの未来』『政治』『市長』などを考えたことは全くありません。

政治家として雄人と僕がお互いに目指した夢、『新しい横須賀』の実現を市長としての雄人の取り組みがダメな時、大切な後輩に檄を飛ばすのが先輩の義務ですし、このまちの為に働く公人として全力で批判をしてきました。

それができるのは、20年間のつながり、同じ時代を生きてきた戦友、と雄人のことを感じているからです。

市長選挙が近づいてきて、いろいろな人が僕に近づいてきては(僕からすると信じられないような)『不仲説』みたいなものをニヤニヤしながら話しかけてきます。

そういった全てのことを、僕は否定します。

長い長い前置きになりましたが、まずこのことを市民のみなさまに改めてお伝えすべきだとフジノは感じました。

(その2へ続く)

JR福知山線事故・なぜ想像を超す救援活動ができたのか/日本臨床死生学会(第16回)

日本臨床死生学会@早稲田大学へ

今日は、東京・高田馬場へ。
 

第16回日本臨床死生学会

第16回日本臨床死生学会


『第16回・日本臨床死生学会』に参加しました。

日本臨床死生学会の会場にて

日本臨床死生学会の会場にて


昨年、東京大学で開かれた第15回大会に続いて、年1回の大切な学びの場に参加です。

「死生学」とフジノの関わり

もともと大学時代から『死生学』に強い関心があって学び始めました。

まだ一般的に知られてはいない学問ですが、本当に大切な分野です。

就職してからも、上智大学のコミュニティカレッジで開かれているアルフォンス=デーケン先生らによる『死生学』の連続講座に仕事帰りに通ったりしていました。

政治家に転職してからは、「これほど重要な分野は無い」と改めて感じるようになりました。

医療のすさまじい進歩によって、『人が生きることと死ぬこと』はその内容が大きく変化をしています。

その激しい変化に対して、これまでの歴史の中でじっくりと育まれた既存の哲学や宗教では現代の人々のこころに全く対応できなくなっています。

法律・制度も全く対応しきれていません。

脳死、臓器移植、尊厳死、安楽死、尊厳のある生き方、尊厳のある死に方、

あらゆる目の前の現実に対して、自分なりの価値判断をしっかり持っていなければいけない、とフジノはいつも感じます。

だからこそ、政治家こそ誰よりも『生きること』と『死ぬこと』をいつも考えて考えて考え抜かなければいけない

そうフジノは考えています。

会場にて

会場にて


臨床死生学会は、死生学を単なる机上の学問として扱うのでは無くて、最前線の現場(=臨床)から向き合っている、とても大切な場なのですね。

年1回だけの学会なので、フジノにとっては「必ず出席したい場」になっています。

実家に帰ってきたみたいな感覚に襲われました

今年の会場は、早稲田大学の図書館に併設されている国際会議場でした。

早稲田大学・図書館入り口

早稲田大学・図書館入り口


大学時代、フジノはこの図書館の地下にある書庫でいつも論文を読みあさっていました。

こうして仕事で立ち寄ったのですが、かつて図書館に暮らしていたような生活だったので、上の写真は図書館の入り口なのですが、なんだか実家に帰ってきたみたいな気持ちになって、すごく変な感じでした。

JR福知山線事故 なぜ想像を超す救援活動ができたのか

今日のプログラムは、

  • 終末期のケアについて
  • 遺族のケアについて
  • 継続的な遺族ケアの実践について

などについて、臨床の現場からの発表がありました。

グリーフケアで重要なポイントとは

グリーフケアで重要なポイントとは


そして、今日の最後のプログラムは『JR福知山線での事故』についての特別講演でした。

今回のフジノの最も強い関心をひいたプログラムだったのですが、民間企業の社長である齊藤十内さんが講師としてお話をしてくれました。

「JR福知山線事故 なぜ想像を超す救援活動ができたのか」

講師の齊藤十内さん

講師の齊藤十内さん

2005年4月25日、JR福知山線事故。

事故の報告を受けて現場に直行した斎藤さんは工場の操業を全て止めさせて、社員全員によって救助活動を行なうように指示を出しました。

その結果として、多くの被害者が救われたのです。

何故、即座に援助の決断ができたのか?
 
何故、想像を越す援助活動ができたのか?

詳しい内容はこちらをご覧ください)

関西で起きた事故に対して、関東ではどうしても関心が薄くなっています。

けれども、この事故について、僕たちはもっと学ばなければならないことがたくさん存在しているのだと知りました。

最悪の事故のもと、何故、民間企業のふつうの社員の方々が、消防・救急よりもめざましい救助活動にとりくむことができたのか。

一方で、現場にいたはずのJR西日本の関係者は、消極的な対応にとどまってしまったのは何故なのか。

フジノが死生学を学んでいるのは『ふだんの暮らしの中での人の生きることと死ぬこと』についてですが、こうした『非日常の中での死生学』というものは、災害現場での対応に必ず活かすことができる貴重なものだと受け止めています。

まだまだフジノは学びが浅いので、この活動日記を通じてあなたにフィードバックできるほどではありません。

でも、先ほども記したとおりで、『政治家としての必修科目』だと考えていますので

もっと深く学んで、必ず仕事に活かしていきたいです。

過去の日々との和解

大学時代、図書館を出ると下の写真のとおりでいつも真っ暗でした。

外に出ると真っ暗でした

外に出ると真っ暗でした

未来に希望なんて何も見えない。

そんな自分の気持ちの同じような外の暗さだといつも思いました。

フジノの人生をふりかえると、18才から23才まで5年間通った大学時代は、最もつらくて厳しい日々でした。

自分の大学では友達もつくらずに、師と呼べるような先生もこの大学には最後までいなくて

与えられた大学の枠組みからは完全に離れて、自分自身でひたすら学び続けました。

他の大学のゼミに通わせてもらったり、都内の複数のメンタルクリニックで無休研修生をさせてもらったり、

だから、僕は自分の大学が大嫌いでした。
 
つい最近まで本当に大嫌いでした。

大隈さん

大隈さん


それなのに、今年に入って、いろいろなことが僕のこころの中で変化が起こって、

今日ここに来ても『激しい嫌悪感』がわき起こらずに、自分の中でわだかまりが消えていたことに気づきました。

過去の自分と折り合いがついたのかもしれません。

人生というのは、本当に不思議ですね。