「婦人会館」1階の様子をご紹介します/「婦人会館」が2016年3月31日をもって閉館されました(その2)

前の記事から続いています)

館内の様子を写真で紹介します

では、続いて『館内』の様子を写真でご紹介いたします。

館内の配置図

館内の配置図

玄関

玄関


菊池寛さんの小説『不壊の愛』の中に、『婦人会館』の過去の様子が記されています。

菊池寛「不壊の愛」より

菊池寛「不壊の愛」より


(このボードは市民の方が寄贈して下さったものです)

不壊の愛

菊池 寛

「私は、数年来毎夏、湘南大津に避暑してゐる。

毎年定まって、同じ家を借りてゐる。

その家は庭が少しもないのだが、その家の二階から見下ろす隣家の庭が、芝生を一杯に植ゑた、西洋風の美しい庭園なので私はいつも、

『この家は、庭はちっともないが、お隣の庭を自分の家の庭だと思ってゐたら、それで間に合ふ。』

と、云ってゐる。

隣の邸は、三百坪ばかりの広い庭だのに、建物はごく小さく、わづかに四間か五間かの平屋が、庭の一隅に、小ぢんまりと建ってゐる丈だった。

しかし、それはそこに住んでゐる老人夫婦には、充分な広さであった。

夫婦は子無しであるらしく、夏海に行っても子や孫らしい家族は見かけなかった。

老人の姓は、松波謙介と云った。

もうすっかり白髪になってゐたが、雄偉と云ってもよい堂々たる体格であった。

老妻の方は小柄な上品なお婆さんで、目鼻の整った、若い時はどんなに可愛かったであろうと思はれる老女であった。」

こうして菊池寛さんにも愛されたのが、ここ『婦人会館』なのです。

玄関に貼られている「利用者のみなさまへ」の文書

玄関に貼られている「利用者のみなさまへ」の文書


横須賀市の所管になってからは、地域コミュニティの拠点として貸し館をしてきました。

囲碁や将棋をするグループ、裁縫やお花の教室など、いろいろな方々がここに集い、交流し、生きがいを見つけてきました。



まずは1階の様子です

それでは1階の様子です。

玄関から左側を観たところ

玄関から左側を観たところ


玄関から左側は、後年になって増築されたものです。

玄関から右側へ

玄関から右側へ


明治四十年からのオリジナルの建物は、玄関から右側の部分になります。

明治四十年の建築当時のまま

明治四十年の建築当時のまま


関東大震災、東日本大震災を乗り越えてきました。

学習室1と2のあいだにある「欄間」

学習室1と2のあいだにある「欄間」


最終日ということで職員のみなさんも片付けに忙しかったのですが、フジノがお邪魔すると手を休めていろいろなお話を聴かせて下さいました

所管として管理運営をして下さった教育委員会職員のみなさん

所管として管理運営をして下さった教育委員会職員のみなさん


毎日の出来事、東日本大震災の日、大吹雪の日など、様々な出来事を聴かせていただきました。いかに『婦人会館』が愛されてきたのかを改めて感じさせられました。

110年、風雪に耐えてきた


これまでずっと『婦人会館』を守って来て下さった職員のみなさまに対しても、「閉館・廃止を止められなくて申し訳ございませんでした」と深くお詫びをしてまいりました。

学習室1の廊下

学習室1の廊下

学習室7の廊下

学習室7の廊下

廊下を照らす電灯


学習室7と8の様子

学習室7と8の様子

廊下でふと立ち止まっても見とれてしまう光景

廊下でふと立ち止まっても見とれてしまう光景

趣のある廊下

趣のある廊下

柔らかな陽射しと長い月日を経た木材

柔らかな陽射しと長い月日を経た木材

和室


廊下の木目も美しい

廊下の木目も美しい




(次の記事へ続きます)



長年にわたって「婦人会館」を愛してこられたみなさまに心からお詫びを申し上げます/「婦人会館」が2016年3月31日をもって閉館されました(その1)

本日2016年3月31日をもって「婦人会館」が閉館します

吉田市長によって定められた『施設配置適正化計画』。

吉田市長が定めた「横須賀市施設配置適正化計画」

吉田市長が定めた「横須賀市施設配置適正化計画」


この中で、『廃止』が明記されていました。

「施設配置適正化計画」P29より

「施設配置適正化計画」P29より


ここに至るまで、『婦人会館』を愛してこられた方々は多く、たくさんの閉館反対の声がありました。

市議会にも反対を求める『陳情』が出されました。

しかし、残念ながら結論は覆りませんでした。

2016年3月24日・神奈川新聞より

2016年3月24日・神奈川新聞より


すでにメディアの報道でもご存知の方も多いと思いますが、本日2016年3月31日をもちまして『婦人会館』が閉館されます。



その美しい建物と庭園をせめて写真に残したいと思いました

最終日の今日。

政治家としては『婦人会館』を守れなかったお詫びに、個人としては素晴らしき歴史的文化財を目に焼き付ける為に、『婦人会館』へと向かいました。

なるべくたくさんの写真を撮って、画像だけでも遺しておきたいと思います。

京急大津駅を降りて歩くこと三分ほどで、印象的な生け垣が見えてきます。

馬堀町1丁目に婦人会館はあります

馬堀町1丁目に婦人会館はあります


ココです!

「婦人会館」の門です

「婦人会館」の門です


懐かしい。

「門」をくぐると建物が見えてきます

「門」をくぐると建物が見えてきます


門を入ると、美しい庭が広がっています。

旧佐賀藩士が別荘としたそうですが、この美しい庭を愛でたのでしょうね。

でも、まずは建物の外側をじっくりと眺めましょう。

「婦人会館」の建物(玄関から左側は後年に増築されたものです)

「婦人会館」の建物(玄関から左側は後年に増築されたものです)


この建物は、大きく2つに分かれています。

明治40年に建設された最も古い部分が右側です。

「婦人会館」と言えば「松」です

「婦人会館」と言えば「松」です


『婦人会館』の松はどれも本当に印象的ですね。

玄関とその右側はまさに明治40年に建築されたまま

玄関とその右側はまさに明治40年に建築されたまま


玄関から左側と2階は、昭和14年に『浦賀船渠』の保養所にかわってから建て増しされました。

ぐるりと裏側へ

ぐるりと裏側へ


建物の裏側にも行ってみます。

右側の裏側へ

右側の裏側へ


そういえば、裏側に回ったのは今回が初めてでした。

同じ側面を少し離れたところから(松が印象的ですね)

同じ側面を少し離れたところから(松が印象的ですね)


市は「耐震化工事をしていない」ことも廃止の原因の1つに挙げていましたが、そもそも建築後に関東大震災を乗り越えて、さらに2011年には東日本大震災も乗り越えて、建物の損壊はありませんでした。

再び正面玄関に戻ってきました

再び正面玄関に戻ってきました


さて、正面玄関に戻ってきました。

それでは建物の中に入ります!

それでは建物の中に入ります!


次の記事では建物の中をご紹介しますね!

次の記事へ続きます)



「3.11東日本大震災を忘れない・かながわ~東日本大震災から4年、今求められる被災地支援に向けて」へ

「3.11東日本大震災を忘れない・かながわ~東日本大震災から4年、今求められる被災地支援に向けて」へ

今夜は、横浜のかながわ県民センターへ向かいました。

「3.11東日本大震災を忘れない」会場入口にて

「3.11東日本大震災を忘れない」会場入口にて

*書きたいことは山ほどあるのですが、取り急ぎ写真の一部だけ、掲載しますね。

「3.11東日本大震災を忘れない・かながわ」チラシより

「3.11東日本大震災を忘れない・かながわ」チラシより

「東日本大震災から4年、今求められる被災地支援に向けて」プログラムより

「東日本大震災から4年、今求められる被災地支援に向けて」プログラムより

東松島市大曲浜の震災1か月後

東松島市大曲浜の震災1か月後

①震災当時を知る

①震災当時を知る

講師の中井政義さん

講師の中井政義さん

中井さんのご自宅が解体される様子

中井さんのご自宅が解体される様子

最近完成した慰霊碑

最近完成した慰霊碑

宮城県に何が起こったか

宮城県に何が起こったか

自衛隊に救助された方

自衛隊に救助された方

②被災地・被災者の現実を知る

②被災地・被災者の現実を知る

遠い復興の道のり

遠い復興の道のり

仮設住宅で4回目の冬を迎えた被災者

仮設住宅で4回目の冬を迎えた被災者

黄色い安否確認ハンカチプロジェクト

黄色い安否確認ハンカチプロジェクト

ボラバスは4年がたった今も被災地へ向かっています

ボラバスは4年がたった今も被災地へ向かっています

「被災地支援は『今』からだ」と改めて痛切に感じたのでした。



「防災専門のツイッターアカウントは作らない」「被害が無い時は発信しない」が現在の横須賀市の考え方です/災害時の情報発信の在り方へのフジノの問題提起

災害時に何も発信しない市長のツイッター、観光情報ばかりの横須賀市公式ツイッター

台風や大雨などの警報が出ている時。

あらゆる注意報・警報が出ている時。

これから災害がやってきそうな時。

まさに来ている最中。

そして災害が去っていく時など。

フジノは「どんどん情報発信をしていくべきだ」と考えてきました。

けれども、横須賀市は情報発信をしてきませんでした。

吉田市長のツイッターアカウントはきまぐれで、時々だけ発信したり、しなかったり。全く中途半端です。

吉田雄人市長のツイッターアカウント

お呼ばれした集まりの記録集に過ぎない吉田雄人市長のツイッターアカウント


横須賀市役所の公式ツイッターアカウントも、何も伝えようとしません。

横須賀市の公式ツイッターアカウント

横須賀市の公式ツイッターアカウント


観光情報がメインになっています。



近隣の他都市は防災・危機管理専門のツイッターアカウントを持って発信をしています

一方、近隣のまちでは、防災専門のアカウントを持っていて、発信を続けています。

三浦市防災課のツイッターアカウント

三浦市防災課のツイッターアカウント


三浦市。

藤沢市の防災行政無線情報ツイッターアカウント

藤沢市の防災行政無線情報ツイッターアカウント


藤沢市。

横浜市のツイッターアカウント

横浜市総務局危機管理室のツイッターアカウント


横浜市。

川崎市総務局危機管理室のツイッターアカウント

川崎市総務局危機管理室のツイッターアカウント


川崎市。



災害をはじめとするあらゆるリスク発生時における情報発信に対するフジノの考え方

だから、いつもフジノは自らのツイッターアカウントとブログを使って、徹底的に情報発信をしてきました(例えばこのブログ記事のように)。

それには理由があります。

フジノが大学時代に専攻して学んできた心理学の知識をもとに、政治家になってからも『リスク・コミュニケーション』について学んできた結果、

  • 専門家にとっては「ささやかなことに過ぎない」と思うような情報でも、情報を求めている市民の方々が1人でもいらっしゃる限り、全て発信すべきだ。

  • これだけインターネットが発達しあらゆる情報リソースを市民のみなさまが持っている時代に、『公的な機関が正確な情報をいつも発信し続けること』だけが、ウソや噂レベルの情報を排除することができる。

というのがフジノの結論だからです。

『実際の被害』を受けたことで苦しむだけでなく、人は、あらゆる『不安』によっても苦しめられています。

ネット上には、ウソの情報もまるで本当のようにたくさん記されています。そうした情報によって『不安』に追い込まれている市民のみなさまを守ることができるのは、公的な情報発信です。

フジノは市民のみなさまの不安をとりのぞけるならば、政治・行政は何でもやるべきだと考えています。



12月議会で改めてフジノは「情報発信の在り方」を問題提起しました

そうした立場から、12月議会でも改めて質疑を行ないました。

2014年12月4日・生活環境常任委員会での質疑

フジノの質問

市民安全部に質問です。

災害に関する専門のツイッターアカウントやフェイスブックなどで発信をできないかという質問です。

横須賀市の公式のツイッターアカウントはあるのですけれども、「情報が多過ぎるので、防災は防災で分けてほしい」という声をよく聞くのですね。

福岡市などは、既にソーシャル・ネットワーキング・サービスを使った避難訓練なども行なっているということも聞くと、他都市の事例を見ても、近隣のまちでは、独自の防災アカウントを持っている。

横須賀市のアカウントではなくて、横須賀市市民安全部もしくは横須賀市災筈対策など別の発信方法も必要なのではないかというふうに感じています。

すでに意見交換も課長とさせていただいたのですが、改めてどんなお考えか、お聞かせいただきたいと思います。

危機管理課長の答弁

これについては、なかなか藤野委員とは意見が合わない部分かなと思っています。

私たち危機管理部門の基本的な考え方は、「危ない時には必ずお知らせします。ただ、逆に危なくない時は危なくないかと言うかというと、それは言わない」のです。

「危ない時は言うので、何も言ってない時は危なくないのだとお考えください」という考え方を持っている部署でございます。

ですので、我々がSNSの何らかの特別なアカウントを持ったとしても、それが実際に活用される時は、年にl回とか、そのようなアカウントを持ったとして、今度市民の方が「あんなものは意味がないのだ」とかなってしまっては図ります。

東日本大震災まで、私たちの部署はいろいろなところで「金だけ食っている」と、「無駄な投資をひたすらしている部署だ」と言われ続けてきました。

私たちの考え方は、東日本大震災以降、防災意識が高まったからチャンスといって、いろいろ手を広げてやろうという部署ではないと思っています。

「細く長く続けるべき部署だ」と思っていますので、なるべく今の皆さんの意識を維持しつつ、必要最低限の我々が必要と言ったからには、それは絶対必要というような予算をとりたいと思っておりますので、今のところ『市民安全部組自の情報発信ツール』をこれ以上ふやすという考えは持ってございません。

フジノの質問

本当にぜひこれからも議論を重ねていきたいなというふうに思うのですが、課長の信念もとてもよく分かる。

本当に危ない時に、本当に必要な限られた人材ですから、そこに職員を傾注するというのはもっと
もな考えだと思います。

ただ、その一方で、僕がよく使っているツイッターなどの世界では、「何もなければ何もないという情報発信を欲しい」という世界です。

1時間ごとに「何も無い」。「良かった、良かった」というふうに。

「それで市民の方々が安心するならば、低いコストで安心を提供できるならば、いくらでも僕は発信しよう」

というふうに考えて、自分自身で発信を市民安全部にそのたびにお電話して、大変恐縮ではあるのですが、その情報をもとに発信をして、みんな安心してくれただろうか、あと1時間後、何も起こってないことを信じながら、また市民安全部に電話するというような状況なのですね。

本当に繰り返しになってしまうのですけれども、課長の信念もよく分かるのですけれども、一方で「何も起
こっていません」という情報提供をするだけで、安心を得られる方がいらっしゃるなら、「こんなにローコスト・ハイリターンなものは無い」という考えもあるのですね。

どんなふうにお考えでしょうか。

危機管理課長の答弁

「常にその発信をしない」と言っているつもりも無いのです。

東日本大震災のときに、平成23年3月11日に、一番私が学んだことは、そのときは横須賀市内は震度4で、大津波警報は発表されましたけれども、市街地に何ら影響なし。

我々が当時まで思っていた情報発信は、被害が起きたら発信するだったのですが、そのとき市民の皆さんからたくさんいただいたお言葉は、

「停電してテレビが見れない。電話も通じない。被害が無いなら被害が無いとさえ言ってくれれば、横須賀市に住んでいる親は無事でいるのだということが確認できたので、発表してほしかった」

と言われましたので、かなり有事と思われる時に「何も起きてない」ということは、私どもはこれまでの台風の際にホームページで「特段の被害は発生していません」ということで、報道発表等をしてきたつもりでございます。

ただ、何もなく1時間おきにとか、そういうのはなかなかそれは我々としても限られた人員で運営しているので、難しいということでございます。

フジノの質問

先日お話しさせていただいた時も、

「市民安全部の人材を使うのは有事や災害の時の発信に使うのはもったいないので、できれば広報課と協力しながら、『何もなければ何もないというのを発信してもらえないか』ということも、申し上げました。

本当に有事であるときには、当然横須賀市も動くと思うのですけれども、前回の台風18号・19号と続いてきたような、ああいう時でも、インターネットを通してですけれども、市民の方の不安というのは伝わってくるものがあるのですね。

僕は、それをぬぐいたい。

その一心なのです。

結局、『流言飛語』というか、いろいろな『うわさ』だけが飛び交うぐらいならば、市が「何も無い」というのをある程度の警報が出ている時には、例えば、波浪響報、大雨警報などが出ている時には、そういった情報の提供とともに、『今のところ被害は出ていない』といったものも発信してほしい、というふうに思うのです。

これは横須賀市の市民安全部だけにかかわる問題では無くて、情報発信の在り方、市全体の問題、市の姿勢の問題だと考えているのです。

市長は時々発信するし、しないときもあるし、よくわからない。

どういう基準でやっているのかがよくわからない。

やるならやるできちんとずっとやる。

やらないなら横須賀市やらないのだと宣言する。

そのかわり「本当に必要な時だけは、確実にやってます」と。

今までの運用のあり方なのか、そのあたりを『基準』をつくってほしいのです。

もちろん災害の時は、自分もできることを全力でやるし、市民安全部の邪魔にならないようにしながら発信をしていきたいと思うのですが、

繰り返し同じことの提起になってしまうのですが、このことを改めて研究していただきたいと思うのです。

いかがでしょうか。

危機管理課長

まず、ちょっとお話がずれてしまうかもしれないのですけれども、『ITリテラシー』では無く、『情報リテラシー』の話として、私たちこの生活環境常任委員会でも何度か答弁しましたが、「言い訳のための仕事は絶対にやってはならない」と思っております。

情報を隠したから何か被害があった。だから、何でもかんでもオーブンにして、何でもかんでも伝えて、「言っていたではないですか、それを見なかったあなたが悪い」という部署では無いと私たちは思っております。

ただ、だからといって、かたくなに、「せっかくこの情報発信さえすれば、未然に防げた。もしくはもっと
御安心いただけたのに」ということをかたくなに拒むつもりはございません。

現状「SNSをやる気はないか、市民安全部のアカウントを持って何かをする気はないか」という御質問でしたので、「その考えはございません」と答えましたけれども、

うちの部署は常に「こうしたらどうなるのだろう。今日より明日に進む為にはどうする。よそは何をしている」と、そういうのをずっと考えている部署でございますので、委員の御提案の趣旨は、日々の業務で踏まえていると御理解いただければと思います。

以上です。



あなたのご意見をお聞かせ下さいね

この質疑をお読みになって、市民のみなさまがどのようにお感じになったか、ぜひご意見をください。

フジノは、市民安全部の危機管理課長を心から尊敬しています。

ただ、『情報発信に対する考え方』は、大きく異なります。

市民のみなさまの不安を無くしたい。

だから、情報発信をすべきだと考えています。

市民安全部の危機管理の専門家は数が少ないので、発信まで彼らがやる必要は無い。何故ならば、市役所には広報課という広報専門の部署もあるからです。

市役所という大きな組織のリソースを使えば、必ずもっと良い情報発信ができる。

そして、市民のみなさまの不安を減らすことができるはず。

そんな当たり前のことをフジノは訴えているだけです。

ぜひあなたのご意見をお聞かせ下さいね。お待ちしております。



汐入駅前では「いじめとか許さない」と話す若者たちが手伝ってくれました/ひとり自殺対策街頭キャンペーン2014-15

今日は汐入駅前で「ひとり自殺対策街頭キャンペーン」。助っ人が登場してくれました!

昨日をもって、『御用納め』で9連休に入ってしまった市役所など官公庁。

あらゆる公的な支援が受けられなくなってしまう9日間。

それでも、NPOや市民団体が全国でセーフティネットを必死に広げています。

そしてこのまちではフジノが、『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』を今日も行ないました。

「公的な支援はなくてもセーフティネットは必ずあります!」をお伝えしたくて、市内を回っています。

今夜は、汐入駅前で活動を行なったのですが、下の写真を観てくださいね。

3人の若者がフジノをサポートしてくれました

3人の若者がフジノをサポートしてくれました


3人の若者は、りょうちむさん・菅原元気さん・高岡玲雄斗さん。

全くの初対面。

でも、フジノの活動に共感してくれてサポートしてくれました。

ありがたいです。

東日本大震災の時、フジノは翌12日から募金活動でひとり街頭に立ちました。

その時のことをふと思いました。

あらゆる初対面の人が飛び入りで募金活動を手伝ってくれたのです。

フジノは『現実主義者』ですが、人の善意の存在を信じています。

若者3人の姿に、改めてその想いを強くしました。

明日もがんばるぞ!

秦好子さんと1時間以上も意見交換させていただきました/防災講座「女性の視点で考える防災〜避難所の運営に女性の目を」へ

防災講座「避難所の運営に女性の目を」に参加しました

今日は、逗子市の逗子文化プラザへ向かいました。

「女性の目から見る防災〜被災地支援から見えたこと」会場にて

「女性の目から見る防災〜被災地支援から見えたこと」会場にて


防災講座『女性の視点で考える防災〜避難所の運営に女性の目を〜』に参加する為です。

「女性の視点で考える防災」チラシより

「女性の視点で考える防災」チラシより


参加した理由は2つです。

  1. 講演内容の通りで、災害時の避難所の運営にもっと女性の視点が必要であると考えているから
  2. 講師が「秦好子さん」だから。

フジノは今年、消防局・市民安全部を所管する常任委員会に所属しています。『避難所の運営の在り方』を学ぶのは必須です。

先日は、障がいのある方々の避難所運営の訓練に参加しました。

いわゆる性的マイノリティとされる方々からは、2012年度の人権施策推進会議の場でも『避難所の運営の在り方』についてご意見をいただいています。

横須賀市では外国籍市民の方々も交えた防災訓練や避難所体験も開催しています。

避難所運営の在り方は、フジノなりに機会を捉えてずっと考えてきたつもりです。

けれども、学びにゴールはありません。そして、いざという時の実践をより良いものにできるようにしていかねばならないと考えています。

講演の様子

講演の様子


その意味で、今日の講座はとても学びがたくさんありました。

  • 阪神淡路大震災の事例
  • 新潟県中越地震の事例
  • 東日本大震災の事例
  • 9.11ニューヨークでのテロの事例

秦さんが実際に体験してこられた数々の事例に基いての講演をお聴きして、改めて防災への取り組む気持ちを強くさせられました。



講師の秦好子さん

参加したもう1つの理由は、講師の秦好子さんの存在です。

秦好子さん

秦好子さん


フジノは、3年前の東日本大震災の被災地支援の活動を通して、秦好子さんの存在を初めて知りました。

3.11直後の4月1日、神奈川県からボランティアバスを発車させて気仙沼に向かった団体があります。

その『被災地のこどもを支援するかながわ市民の会実行委員会』の副委員長であり、『横浜災害ボランティアバスの会』の代表理事が秦さんでした。

はじめは『災害ボランティア』のリーダーのおひとり、というイメージでした。

ある時、ふとGoogleでお名前を検索してみたら…めちゃくちゃたくさんヒットしました。

『防災』の世界において、秦さんはめちゃくちゃ有名な方だったことを知りました。

この男女共同参画の時代にあってフジノは『女性初』という単語を使うのは好きじゃないのですが、まさに秦さんはあらゆる『女性初』を切り開いてきた方です。

かつて日本には、消防に男性しかいなかった時代がありました。

秦さんは、日本の女性消防吏員第1期生(1969年)です。

そして横浜市消防局で勤務されて、広報係長・指導課長・消防訓練センター次長などを歴任されました。

1997年には、全国の女性消防職員ネットワーク『JFFW』も創設されました。

在職中から『防災ボランティア』の活動にも尽力され、2005年には内閣府の『防災ボランティア活動検討会』の委員にも選任されています。

秦さんを紹介した数多くのメディアの中から、分かりやすい記事をひとつご紹介しますね。

タウンニュース紙青葉区版・2012年2月23日号

第1回横浜市男女共同参画貢献表彰推進賞を受賞した秦好子さん

自分の目線で歩む

○日本の女性消防吏員第1期生のひとり。全国の女性消防職員ネットワーク『JFFW』を創設し、消防分野で女性消防吏員の牽引役として活躍した。東日本大震災では横浜から被災地に食べ物や衣類などを送り被災地の支援活動を開始。「女性目線の防災」活動が評価された。『男女共同参画』とは「”どっちでもいい”ということ。どちらも知恵を出し合い、問題を解決していく」。穏やかな口調に強い意思を込める。

○東日本大震災後、13回に渡り、気仙沼へ支援に訪れている。今月は区内農家から提供されたサツマイモを渡す為、仮設住宅168軒を訪問した。『どうやって暮らしていけばいいのか』『津波に流されてしまった方がよかった』。そんな声が聞かれる。抽選で個別に入居しているため、見知った人は隣近所に居ない。「孤独を抱え、傷ついた人たちの生活をもっと丁寧に考えていく必要がある」。そう、強く感じている。

 
○18歳まで秋田県で過ごす。姉2人、兄、妹の5人兄妹。母は「仕事を持ち続けた方が人生を選択できる」と娘たちに言い聞かせた。高校卒業後に上京、自動車部品メーカーに就職。女性は寿退社が当然とされる中、24歳で当時、全国初となる横浜市の婦人消防官に転職した。女性トイレや更衣室が整わない環境。「これでもか!というほど勉強して、仕事に打ち込んだ」という。努力は実り36歳で管理職に。「上司が女性で不満はないか」、ある男性部下の返答が忘れられない。『責任から逃げず、正しい判断を迅速にすれば上司は男でも女でもどちらでもいい』。「すごく嬉しかった」。認めてくれる仲間の存在が、人生を誇れるものにする。

○被災地では今、自立のための支援に転換している。農家から提供された野菜を送り、現地の子ども会らでバザーを開催する。「『ありがとう』と言われることで笑顔になる。その機会を増やしたい」。被災地と同じ目線で復興を見据える。




秦さんと二人きりで1時間以上も意見交換させていただきました

そんな訳で「いつか機会があったら、秦さんにお会いしてみたい」とフジノは思っていました。

今回、主催団体である『NPOかながわ女性会議』からお招きを頂いた時、即参加を決めたのはこうした気持ちからでした。

防災講座終了後、秦さんにお声がけさせていただきました。

そして、自己紹介をして、

  • 現在、市議会で防災を担当する常任委員会に所属していること。
  • 社会福祉をメインの政策にしている立場から、中越地震以来、災害時要援護者となってしまう立場の方々への防災対策に力を入れていること。
  • 3.11以降、自分はパニック障がいがあるので現地には行かれないけれども支援物資を集めたりいろんな後方支援に取り組んできたこと。

などをお話させていただきました。

秦さんは横須賀に知人が多いことからも、親身にお話を聴いて下さいました。

それからなんと1時間以上にわたって、秦さんと意見交換をさせていただきました!

秦好子さんとフジノ(完全に意気投合してしまいました!)

秦好子さんとフジノ(完全に意気投合してしまいました!)


特に、市議会議員という多くの方々と日常的に接することができる立場をもっと活用して、『防災』を日常の中にスムーズに溶けこませていく様々なアイディアをいただきました。

  • 今すぐやるべきこと、中長期間にわたって取り組んでいくべきこと。
  • 市議会の中でやるべきこと、市議会の外でやるべきこと。

たくさんの具体的な取り組みをアドバイスしていただきました。

特に、カフェトークについてはとても有効な取り組みだと評価していただきました。

このカフェトークの違うバージョンをあらゆる形で実施しながら、そこに防災や、被災後の避難所運営や、帰宅困難者の方々へのサポートをもっと自然な形で取り込んでいけるのではないかというご提案をいただいたのですが、伺いながらフジノ自身とてもワクワクしました。

防災とは難しい顔をして、めんどくさがりながら訓練に参加するものではない。

もっと日常の中に溶けこませていくことが大切なのだ。

ものすごくたくさんの可能性が広がりました。

同時に、フジノ自身がもっともっとやらねばならないことが分かりました。

議員活動ではなく個人としての取り組みになる可能性が高いのですが、『フードバンク』を横須賀に設立したいとかねてから考えてきました。

これについても秦さんからは

「フジノさんの事務所は横須賀の1番乗降客の多い駅に近い場所にあるという好立地を活かして、フードバンクの倉庫としても使うべき」

とのアドバイスを頂きました。

フジノは今まで「政務活動費でお借りしている事務所だからボランティア活動に併用することはできない」と一方的に思い込んでいました。

でも、秦さんには全国にたくさんの地方議員の知り合いがおられるのですが、秦さんのアドバイス通りに実際に事務所スペースをフードバンクの倉庫として積極的に活用しておられる方もいらっしゃるそうです。

選挙管理委員会や議会事務局と相談しながら、フジノ事務所をフードバンクの倉庫に活用できたら、フードバンク横須賀の立ち上げもすぐに進むと思いました。

本当に今日参加してよかったです。

このような機会を与えてくれた『NPO法人かながわ女性会議』のみなさま、ありがとうございました。

そして、秦さん。数カ月後には良い報告ができるように、しっかりと汗をかいて取り組んでまいります。

市民のみなさま、もっともっと良い防災への取り組みをしていきますからね!



渋井哲也さんが横須賀の性的マイノリティ支援を取材してくれました

東日本大震災の被災地の取材を続けるフリーライター、渋井哲也さん

敬愛するフリーライターの渋井哲也さんが、横須賀の『性的マイノリティ支援』について取材して下さいました。

フジノが初めて渋井さんの取材を受けたのは2010年3月のことです。

でも、実際はそのずっと前から、渋井さんのことは知っていました。

渋井さんは自傷・自殺未遂をはじめ、ネット心中などの現代型の自殺について誰よりも早くから取材し、世間に実態を知らしめてきた、素晴らしいジャーナリストだからです。

渋井さんにしか書けないオリジナリティーがあって、テーマそのものの選択をはじめ、徹底した取材・冷静な文章なのにとても胸を締め付けられるルポを、2003年頃からフジノは読んできたのです。

2011年3月に東日本大震災が起こってからは、渋井さんは現在に至るまで、数えきれないほど多く現地の取材を重ねてこられました。

震災後、現地に入った渋井さんの発信を通して、テレビなどでは報じられない被災地の様子をフジノは少しずつ知るようになりました。

3年半が経った今、メディア業界の大半の人々が現地に入らなくなりました。

しかし、渋井さんは今も東北をはじめとする被災地へと足を運び続けています。

かつて渋井さんの書いた文章に

自分は、阪神大震災の直後から取材に入ったが、数年後には他の取材に追われて現地に行かなくなってしまった。

しばらくは年賀状のやりとりなどをしていたが、それも途絶えてしまった。時々、取材をさせてもらった人々がその後どうしておられるのか、とても気になる。それがずっと気がかりだった。

だから、東日本大震災が発災した後、自分は絶対に取材を途中でやめたくないと感じた。

といった趣旨のことを書いておられました。

今後も渋井さんは現地を訪れて、人々の声に耳を傾け続けるのだと思います。

きっとライフワークになるのではないかとフジノは感じています。

2012年、渋井さんら3人が中心となって、被災地を追い続けたルポが出版しました。

20140814book1

『風化する光と影―“メディアから消えつつある震災”の中間報告』 (E-lock.planning、2012年)です。

さらに今年、続報にあたるルポを出版しました。

20140814book2

『震災以降』(三一書房、2014年)

2冊とも読みましたが、これから月日が経つごとに重要さが増していく文献だと感じました。

そして、これからも現地に足を運び続けるのだろうなと感じました。

横須賀へ3回も取材に来て下さいました

そんな渋井さんから取材依頼を受けて、フジノはとてもありがたい気持ちになりました。

しかもテーマは『LGBTと生きづらさ』についてで、フジノがまさに対外的に強く発信したい政策テーマで、喜んでお引き受けしました。

渋井さん

渋井さん


当初はフジノへの取材のみだったのですが、重ねてお願いをして、合計3回も横須賀に足を運んで頂きました。

渋井さんは横須賀だけでなく、LGBT支援に区長が熱心にリーダーシップを発揮している大阪の淀川区にも取材して下さっています。

最終的にどのような形で記事になるのかは分からないのですが、きっと渋井さんのルポは静かにこころをうつものになるのではないかと思います。

今から発表される日が、とても待ち遠しいです。

渋井さん、取材をありがとうございました。

そして、フジノのお願いを受けて取材に協力して下さったみなさま、ありがとうございました。

映画「犬と猫と人間と2〜動物たちの大震災〜」上映会、とても素晴らしかったです/「ねこじゃらし工房」主催

映画「犬と猫と人間と2・動物たちの大震災」上映会へ

今日は、映画『犬と猫と人間と2』上映会へ参加しました。

配布資料より

配布資料より


ボランティア団体の『ねこじゃらし工房』が主催、『横須賀市動物愛護協会』と『横須賀市社会福祉協議会』が後援して開催されました。

会場にて

会場にて


観る前から泣いてしまうのは分かっていたので、本音を言えば、行きたくありませんでした。

でも、せっかく市議としてお誘い頂いたので、目をそらさずに最後まで観ました。

公式サイトより

公式サイトより


やはり、フジノは泣きまくってしまいました。



人間のいのちが軽んじられている今の日本、動物のいのちはもっと…

『人間のいのち』さえ、軽んじられている今の日本です。

だから、「動物たちは家族の一員」という想いを抱いているたくさんの人々が居ても、その一方で『動物のいのち』は軽んじられてしまっている現実があります。

環境省では『動物を捨てず増やさず飼うなら一生〜いつかペットを見送るその日まで責任をもって飼い続けられますか〜』などの啓発冊子を作って配布していますが…。

環境省「動物の遺棄・虐待は犯罪です」啓発ポスターより

環境省「動物の遺棄・虐待は犯罪です」啓発ポスターより


『動物の遺棄・虐待事例等調査報告書・平成21年度版』(現時点の最新版です)をご覧下さい。



未曾有の災害によって動物たちの多くが見捨てられました/助けようと動いた人もたくさんいました

震災が起こる前から、このように全国的に動物へのabuse(虐待)や遺棄は多く厳しい状況でした。

そんなわが国で東日本大震災のような大災害が起これば、動物の扱いが二の次、三の次にされることは、予想できました。

映画では、そうした動物たちが追い込まれた苦境と、それを何とか打開しようと現状に抗うたくさんの人々の奮闘が紹介されました。

考えさせられる、素晴らしい映画でした。

場内は満員でした

場内は満員でした


災害は、必ず起こります。

危機的な事態の発生に備えて、政治家としてできることはたくさんあると信じています。

今まで以上に、この課題に向き合っていこうと思いました。



(参考)ぜひご覧下さい

環境省パンフレットや報告書などです。

そして、『横須賀市動物愛護センター』の活動もぜひ応援して下さいね!



映画「逃げ遅れる人々・東日本大震災と障がい者」上映会へ

映画「逃げ遅れる人々」上映会へ

今日は、『あんしんネット横須賀』のみなさんが主催して下さった映画の上映会に参加しました。

タイトルは『逃げ遅れる人々〜東日本大震災と障がい者』です。

会場にて

会場にて


2012年に制作されたドキュメンタリー映画です。

震災から1年間の様子を「大地震」「大津波」「原発事故」「県外での避難生活」「当事者派遣」「避難所」の6章で描いています。

フラッシュバック

映画では、2011年3月から2012年までの1年間を描いています。

ちょっと映画そのものとは離れてしまうのですが…フジノがこの映画を観ながら感じたことを記したいと思います。

かつてフジノは、当時のスケジュール帳を読み返して数えたことがあります。

丸1日の「休暇」を取れたのは、1年間で4日だけでした。

とにかく「被災地支援の為に働かなければならない」と強迫的に働き続けていました。

フジノはうつ病とパニック障がいを抱えているのですが、2011年は忙しさで睡眠時間もほとんど取れず、クスリの量を増やしてもらいながら仕事に駆けずり回った心身ともに本当にキツい日々でした。

今日、映画を観ていたら、そんな日々が本当に目の前に見えているかのようにフラッシュバックしてきました。

映像を観ながら2011年の日々が目の前に迫ってきて胸がとても苦しくなりました

映像を観ながら2011年の日々が目の前に迫ってきて胸がとても苦しくなりました

これが2011年3〜4月のフジノの1ヶ月間でした。

5月からは、塩竈の支援、飯舘村の支援の活動にも力を入れました。

元気な若者であるにもかかわらず、持病のパニック障がいで乗り物に乗れない為に被災地に入ることができないフジノは、自分の価値がまるで無いような自責感にさいなまれました。

だから「とにかく今ここでやることができる全てをやらなければならない」と必死に走り回っていました。

毎日ほとんど寝ないで、政治家として、個人として、自分にできることは何かを考えて、とにかく走り回った日々でした。

こうした当時の状況がリアルに頭の中をフラッシュバックして、めまいや吐き気がしてきてしまいました。

フラッシュバックを体験したのは、初めてでした。

亀井県議がスピーチをして下さいました

亀井県議がスピーチをして下さいました


それでも、被災した障がいのある方々はフジノの何倍も苦しい日々を過ごしておられた事実に、映画を通して改めて直面させられました。

映画で描かれていたことは、フジノが理事をしているNPO法人地域精神保健福祉機構も被災地支援に入っていましたので、現地の情報としてリアルタイムで伝え聞いていたとおりでした。

本当にたくさんの方々が言葉にならない困難に追い込まれてしまったことを、映像で改めて追体験しました。

そして、その困難は今も続いていることを理解しています。

まだまだ政治家としても個人としてもやらなければならないことはたくさんあって、くじけてなんていられないのだ、と感じました。

映画についての情報

映画についてご紹介します。

公式サイトより作品紹介を引用します。

障がいがあるということは、災害時には普段以上のハンディとなる。

2011年3月11日の東日本大震災、未曾有の大災害の中、障がいを持つ人々に何が起きたのか?

福島県を中心に、被災した障がい者とそこに関わる人々の証言をまとめた。

障がいゆえに、地震や津波から身を守れず、また必要な情報も得られない・・・。

「ここではとても生活できない」「周囲に迷惑をかけるから」と、多くの障がい者が避難をあきらめざるを得なかった。そうしたなかで避難所に入った障がい者を待ち構えていたのは・・・。

更には仮設住宅へ入居しても、そこでも大変な不自由が待っていた。原発事故により市民の姿が消えた避難区域には、取り残された障害者が不安な日々を送っていた。大震災に翻弄される障がい者と、その実態調査・支援に奔走する人々の、困難の日々。

住み慣れた土地を追われ、避難先で新たな生活を模索する時、涙とともに故郷への思いがあふれる。

マスメディアでは断片的にしか取り上げられない、被災地の障がい者を取り巻くさまざまな課題や問題点が浮かび上がる。

下の動画は予告編です。



関心のある方はDVDの販売も行なわれていますので、チェックしてみてくださいね。

南足柄市が漁網の受入れを表明しました

南足柄市による漁網受け入れの表明について

今日(5月10日)、加藤周平・南足柄市長南足柄市議会に対して、全員協議会の場で『漁網の受け入れ』を報告しました。

4月8日の箱根町長による受け入れ表明に続いて、県内では2カ所目となります。

横須賀市資源循環部を通して、南足柄市が記者発表で配布した資料が届きました。

南足柄市による記者発表資料

南足柄市による記者発表資料

上の画像の文章は、次の通りです。

災害廃棄物(漁網)の南足柄市最終処分場への受け入れについて

当市では、東日本大震災による災害廃棄物(漁網)について、受入れ条件を満たすことを前提に、岩手県洋野町の漁網の受入れについて、本日(5月10日)の議会全員協議会に報告したので、お知らせいたします。

1.受入れの理由

東日本大震災から2年を経過したにもかかわらず、被災地では災害廃棄物(漁網)の処理は遅々として進んでいません。

被災地の処理だけでは限界があり、被災地の復旧、復興のためには、災害廃棄物(漁網)の広域処理は不可欠です。

いつどこで災害が起きるかわからない状況で、当市も被災地となる可能性があります。

こうした中、国難ともいえる未曾有の災害で被害を受けられた被災地の方々のことを考えるとき、困った時は お互いさまとの思いから、被災地の漁網の広域処理に協力し、被災地のお役に立ちたいと考えています。

具体的には、漁網の安全性を大前提に、南足柄市最終処分場においてその受入れを考えています。

2.漁網の受入れ条件

放射線濃度は、100ベクレル/kg以下

※1kg当たり100ベクレルとは、一般食品の基準値と同じ値です。

3.受入れ量

洋野町からの漁網100トン〜200トン

また、下の説明資料も配布されました。


東日本大震災の被災地支援について
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以上です。

後日追記

翌日の神奈川新聞が以下のように報じました。

2013年5月11日・神奈川新聞より

2013年5月11日・神奈川新聞より

新しい「原子力防災パンフレット」を配布します/ぜひご意見ください

大人向けの「原子力防災パンフレット」ができました!

これまで横須賀市では、『小学生向け』に『原子力防災パンフレット』を作成してきましたが、『大人向け』のパンフレットはありませんでした。

横須賀市は、東日本大震災による東京電力福島第一原発事故を受けて、広く『一般向けの冊子』を作成する必要性を痛感させられました。

今までは出前トークなどの場でも小学生向けのパンフレットしか配れるものがありませんでした。そこで、今年度の当初予算で拡充を決めて、内容を更新することにしました。

その新たな『原子力防災パンフレット』が完成しましたので、ご紹介します。

まだ横須賀市のホームページに掲載されていないので、フジノがPDFファイルにしましたのでご覧下さい。




こちらをクリック
して下さい。

わたしたちの生活と放射線


ただ、それでも薄いパンフレットなので、内容としては「知っておいてほしい最小限のこと」にとどまっています。




・横須賀市内に設置されているモニタリングポストの設置場所がどこにあるか。

モニタリングポストの設置場所


・モニタリングポストがどのような仕組みになっているか。

・食材の放射線量をどのように測定しているのか。




・東日本大震災の後に行なった横須賀市の取り組みについて。




などが記されています。

当然ながら、こうした配布物に100%の出来栄えというものはありません。

市民のみなさまにお読みいただいて、ぜひたくさんのご意見・ご批判をお願いしたいです。そして、改訂を繰り返していくことで、より良いものにしていきたいと考えています。

ぜひご覧下さい。