横須賀市長選挙の立候補予定者・広川さとみさんにお会いしました(その2)

横須賀市長選挙立候補予定者・広川さとみさんにお会いしました(その1)から続いています。

スタートから「悲劇の副市長」だった広川さとみさん

広川さとみさんは、2009年12月15日に副市長に就任しました。

現在も副市長を続けておられる沼田さんと広川さんの2人が共に選任されました。

2009年12月15日・神奈川新聞より

2009年12月15日・神奈川新聞より


実は、副市長がこの2人に落ち着くまでには、副市長の人事は激しく難航しました。

その原因は、

吉田市長の『論功行賞』人事

です。

2009年当時のフジノは、市長選挙を全身全霊で応援した立場でしたから、夏から冬にかけてはまだ一定の信頼関係はありました。

吉田市長は、フジノたち応援した市議をはじめとする支援者のみなさんに

「人事だけは私に全て任せて下さい」

と主張し続けてきました。

「一体どんな『サプライズ人事』が飛び出てくるのだろうか」

と、みんな、期待していました。

しかし、吉田市長が出してきた人事案は、なんと選挙で応援してくれた市職員OBの2名(Sさん・Iさん)でした。

これにはフジノも激しいショックを受けました。

「最悪の人事案だ」とフジノは感じました。

適材適所とは全くカンケーない、選挙での応援に対する、露骨すぎる『論功行賞』の人事です。

「こんなことが雄人のやりたかったことなのか?ふざけるな!」

とフジノは怒りに震えました。

応援した側のフジノでさえこんなバカげた人事案に怒ったのですから、蒲谷前市長を応援した9割を超える市議会メンバーは、当然この『論功行賞』人事案を拒否しました。

副市長が清拭に決定して就任する為には、市長が『人事案』を提案して、市議会が『承認』する必要があります。

市議会は、吉田市長の人事案を2度にわたり拒否しました。

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その結果、2009年10月から12月の2ヶ月間にわたって、なんと横須賀市政始まって以来、初めて副市長がゼロという事態に陥りました。

この責任は、もちろん吉田市長にあります。

このような異常事態を打破する為に、市議会と市長とが合意できる人事を探りました。

その結果、吉田市長からも市議会の多数派からも信頼されている、広川さん・沼田さんの2人に白羽の矢が立ったのです。

市職員として30年以上にわたって働いてきた、広川さん・沼田さんのお2人からすれば、何故こんな政局に身を投じなければならないのだろうと感じたと思います。

本音では、火中の栗を拾う想いだったと思います。

それでも、トラブル続きの吉田市政のもとで、市議会と市長との板ばさみになるのが分かっていながら副市長に就任してくれたのです。

つまり、スタートから広川さんは『悲劇の副市長』として働かねばなりませんでした。

経験不足の未熟な市長と、その市長を潰そうと虎視眈々と監視し続ける市議会と、その両方の板ばさみになりながらも副市長職に就くことを決心したのは

「生まれ育ったこのまちを守りたい」

という使命感の一心からだったのではないでしょうか。

黒柴のこてつくんと広川さん

黒柴のこてつくんと広川さん


強面の外見から厳しい性格なのかと誤解されることも多い広川さん。

でも実際には、愛犬家の優しい性格の方です。

その優しさもあって、

「雄人からの副市長への就任依頼も断れなかったのだろうな」

とフジノは感じました。

こんな経緯からフジノは、副市長に選任された広川さん・沼田さんのお2人には、率直に同情を禁じえませんでした。

(その3へ続く)