【みなさまへ】2ヶ月間にわたる議会への長期欠席のお詫びと現状報告です

ご報告とお詫び

市民のみなさまへ。

このたび、議会を2ヶ月という長期にわたって欠席してしまいました。

特に、大切な2019年度当初予算案の審査に参加できなかったことを心からお詫びいたします。

原因は、20年来の持病である鬱病が極度に悪化してしまった為です。

なかなかご報告できる機会がなく、インターネットやスマホへの接続も禁止されていましたので、多くの方にご心配をおかけしてしまいました。

誠に申し訳ございませんでした。

長期の療養のおかげで少しずつ快方に向かっており、市民のみなさまにようやくご報告とお詫びをできるようになりました。

昨年末、精神的に大きなショックを受ける出来事が連続して起こりました。

12月20日に仕事において、12月27日に家族について、ともに命に関わる出来事が起こりました。

これまで僕は、たとえ家族が亡くなった時も通常通りに働きながら一切休まずに葬儀の手配などを果たしてきました。例えば、4年前に亡くなった父の植物状態は12年に及びましたが、その間に繰り返し起こった危篤の事態や看取りの場面においても仕事は一切休まずに、公私を完全に両立させてきました。

その為、今回の一連の出来事が起こった後も、通常通りに働き続けることにしました。

特に、命に関わることがらは人智を超えたもので、僕がどれだけ努力をしても結果を左右することはできません。

かたや仕事は、必死に努力をすれば現実を良い方向に変えていくことができます。

だから、悩んだり苦しい気持ちは心に蓋をしてガマンをして仕事に懸命に打ち込むことにしてきました。

例えば年末年始も例年通り1日も休まずに「ひとり自殺対策街頭キャンペーン」に立ち続けましたし、毎年見守りに行っている「新成人のつどい」も見届けました。

仕事のスケジュールを調整して、家族の通院には必ず付き添っていたのですが、なかなか病気の原因が検査をしても分からず、大学病院にもたびたび通うこととなりました。

そして、1月21日から始まる週に、家族のひとりが余命宣告を受け、もうひとりは入院しなければならなくなりました。

積み重なっていくばかりの困難は、気づかないうちに僕の精神状態に大きな悪影響を与えていました。

昨年は1年間休み無しでずっと働き続けてきました。

最後に丸一日通しで休暇を取ったのがおととしのいつなのかも正直カレンダーをみても分かりません。無茶な働き方をしている自覚はありましたが、肉体的にもすでに限界まで追い込まれていたのかもしれません。

これまでのように全ての仕事を通常通りに行ないながら、家族の闘病、そして看取りに向けて、毎日を過ごすことがだんだんと難しく感じるようになりました。

人前に出る仕事ですので、まず全く笑えなくなったことに気が付きました。1月下旬には作り笑顔をしなければ笑えないとはっきり自覚するようになりました。

市民相談を常に受ける仕事ですので、僕はプロのカウンセラーにスーパーバイザーとして定期的にスーパーヴィジョン(カウンセラーをカウンセリングするようなイメージです)をお願いしています。スーパーバイザーからも休暇を取るように強く勧められました。

ある時、このままでは自殺してもおかしくないと自覚する瞬間がありました。

かつて元恋人が亡くなった後に、気づくと僕自身も駅のホームから無意識に飛び込もうとしていたことがありました。その時の感覚に近い、危機を感じました。

そこで1月25日、議会事務局に自分の状態をお伝えして、かかりつけの精神科クリニックに行きました。

そして出た診断が、鬱病の悪化がひどい為に長期休養が必要だ、というものでした。

「入院が必要」とのご意見も頂いたのですが、僕の家族が置かれている状況をご説明して(家族・親戚で、自分以外に動ける人間がいない中で僕まで入院になると他のふたりをサポートできる存在がゼロになってしまう)、自宅での療養としていただきました。

まず、1月28日・政策検討会議を欠席させていただきました。

欠席はしたものの、家族の闘病をサポートしながら、まもなく始まる予算議会での質問に向けて文献を読んだり調査を続けていたので毎晩遅くなることが多く、実際には全く自分の休養はできませんでした。

この16年間、本会議での質問の機会は全て質問に立ってきたので、3月の予算議会でも僕は質問を行なうつもりでした。実際に、3月1日の質問原稿も発言通告書も完成させていました。

入院をしないかわりに週1回必ず精神科クリニックに通院するという約束をしていました。実際には休養は取ることができずに家族・仕事で精一杯に動き回っていましたので、毎週通院のたびに復職を訴えるのですが、その許可は全くおりませんでした。

カウンセリングも通常のスーパーヴィジョンではなくて、極度の鬱状態を脱する為のカウンセリングとして毎週通い続けていました。

体調は改善せず、2月15日のFM戦略プラン審査特別委員会、2月18日の本会議(市長の施政方針演説)を欠席せざるをえなくなってしまいました。

質問の発言通告書の締切は2月19日の17時でした。

これまで16年間どんなことがあっても質問を続けてきたという責任感と誇りが、ギリギリまで「質問しないならば議員である資格は無い」という強迫観念となって、僕を苦しめました。

最終的には、日付が19日に変わった深夜2時頃の事務所で、発言通告書を提出するのを諦めることに決めました。ふとした瞬間に「この質問ができなかったら死んでもいい」という異様な精神状態になっていた自分を客観的にみることができたからです。

そして、ドクターの診断どおりに予算議会の本会議での質問を断念することになりました。

本当につらい決断でした。これまでの15年9ヶ月にわたって全ての議会で質問をしてきたのは僕しかいないという状況で、残り任期で最後の1回の質問ができないなんて...。

2月19日に質問を断念し深く落胆していたところに、2月21日には家族が病院で亡くなりました。

動けるのは自分しかいませんので、亡骸を引き取り、火葬し、家族だけの弔いをしました。

そして、16年間横須賀市議会でただひとりの連続質問記録の継続という呪縛からも解放されて、憑き物が取れた感覚もありました。

ここに来て、僕はようやく本当の意味で医師の診断どおりに休養を取ることができるようになりました。

ここから

2月19日、教育福祉常任委員会(補正予算案の審査)
2月25日、議会ICT化運営協議会
2月26日・27日・28日・3月1日、本会議
3月4日、FM戦略プラン審査特別委員会
3月6日・8日・13日・15日、教育福祉常任委員会(2019年度当初予算案の審査)

と欠席させていただき、療養に努めました。

それでも、12月末の仕事での悲しい出来事も乗り越えられない自分がおり、2月に失った家族のことも、そして退院はしたものの再発の可能性がある家族の存在と、なかなか本当の意味で療養をするのは難しかったです。

ようやく3月15日にドクターから「試し運転で議会に顔を出しても良い」との許可が出ましたので、議会事務局にお願いをして、3月18日に正副議長にお会いしていただき現状の報告と長期の欠席をお詫びに伺うことができました。

また1週間後の昨日3月25日には、議会運営委員会の正副委員長、所属する教育福祉常任委員会・FM戦略プラン審査特別委員会の正副委員長、そして全ての会派を回って現状の報告と長期の欠席をお詫びすることができました。

明日27日に本会議(最終日)がありますが、全く予算審査に関わっていない立場で賛否の表明をすべきではないというご意見もあり、僕は最終日も欠席させていただきます。

復職だけが目標の毎日で焦ってばかりだったのが、3月18日に正副議長にお会いしていただいた翌日から議会に戻れてホッとしたのか、扁桃腺が腫れて高熱が出て寝込んでしまいました。

昨日は無事にみなさまにお会いすることができたのですが、今日もまたひどい扁桃炎で寝込んでいます。

まだ以前のように100%の状態で仕事に戻れる自信はありません。

けれども、残された任期があと1ヶ月ありますのでしっかり議員としての責任と役割を果たしていきたいと思います。

ご迷惑をおかけしてしまった正副議長をはじめ、先輩・同僚議員のみなさま、そして議会事務局長をはじめ事務局のみなさまに、深くお詫びいたします。

また、現状報告とお詫びに訪れた際に温かく迎えて下さったことにとても励まされました。心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

そして、市民のみなさま。

みなさまのかわりに議会で発言をするのが僕の仕事なのに、当初予算案やFM戦略プランに対する審査に関われず、本当に申し訳ございませんでした。

また、インターネットやスマホと一切無縁の2ヶ月間でしたので、市民のみなさまからいただいたツイッターやフェイスブックなどSNSのメッセージやメールは一切読めておりません。お返事ができなくて誠に申し訳ございません。

まずは、完全に心身を復調させたいです。

そして、残り任期を精一杯働きたいと思います。

大変にご迷惑をおかけいたしました。