認知症が悪化していく愛犬との日々

認知症がどんどん悪化していく愛娘(柴犬15歳10ヶ月)

 認知症の症状が日に日に強くなっていく愛娘(愛犬15歳10ヶ月)と一緒に、直径120センチの円形に近い八角形のサークルの中に入っている。

 今は深夜1時。

 すでに3時間、僕はサークルの真ん中に座り、愛娘はサークルの端っこをずっとグルグルと歩き回っている。

 サークルを買った直後の僕は甘い考えで、ここで仕事をしようとノートパソコンを持って入ってみた。実際には愛娘の体がぶつかる事が多くてノートパソコンは無理だとすぐに諦めた。

 今はスマホを持って入るか、身一つで入る。

 外部から完全に遮断されて聴こえるのは愛娘の悲鳴のような鳴き声と無限に繰り返されるグル活、まさに修行と覚悟を決めていつもサークルに入る。

 ちなみに今はサークルの真ん中に座りながらスマホのメモ帳にフリック入力している。

犬の認知機能不全症候群(CDS)

 何故こんなことになったか。

 残念ながら僕の愛娘は人間ではなくて、犬だ。さらに全ての犬種の中で最も認知症になりやすいと言われる柴犬だ。そしてありがたいことに3月には16歳を迎える。平均寿命が13歳と言われる中でもてる愛情の全てを注いで育てたし、それに応えて長生きをしてくれた。

 けれども15歳を迎える数ヶ月前頃から以前のように意思疎通ができなくなった。

 それまで愛娘と僕との関係は、人間と犬との関係というよりも信頼しあったパートナーそのものの関係だった。通じない言葉はなく、お互いの考えはとてもよく理解しあっていると感じていた。長年の人間の親友や家族以上の絆を感じさせるくらいで僕にとっては人生最高のパートナーだった。

 それがあっという間に損なわれた。

 犬の認知機能不全症候群(CDS)、いわゆる認知症が愛娘の身にも起こったのだ。

 僕は精神保健福祉士でもあるし、政治家として長年にわたって認知症に取り組んできたし、父と母の看取りも終えて、人間の認知症については一般的な人よりは知識も経験もあると思う。

 さらに柴犬の認知症についても愛娘を迎える前からずっと学んできた。講座があれば受講し、SNSの老犬のリアルな体験談も常に読み込んできた。

 だから愛娘の認知症発症についてもショックはほとんど無くて、目の前の愛娘の変化を1つずつ受け容れて、さみしさは確かに感じながらも、今を一緒に生き続けてくれていることに感謝をしながら向き合ってきた。

「グル活」という無限地獄

 それでも、父と娘として15年以上過ごしてきたからこそ、つらくてたまらない瞬間がたくさんある。

 そのひとつが今も目の前で行なわれているサークルの中をずっと走り続けている『グル活』だ。『グル活』という愛称は可愛いけれど、実際には本人はかなりつらいのが見ていても強く感じられる。

 犬の認知症になると特有の脳の変化が起こって、部屋の中などの空間をクルクルと回るようになる。

 ケガを防ぐ為に老犬仲間はよくこども用のプールを膨らませて、そこに老犬を入れる。ゴムの壁で守られるからだ。円形なのもグル活にはちょうどいい。

 けれども愛娘の場合、背が高いので市販のプールのふちでは高さが足りず飛び出してしまう。また、閉鎖的な空間にとじこめられるのを極端に嫌う事もあって、いくつか試した結果、壁がメッシュになっている布でできたサークルを導入することにした。

⚫︎

 愛娘はすでにかれこれ3時間半以上、サークルの壁にぶつかり顔や鼻を擦りむけてしまってもひたすら歩き続けてる。

 明らかに本人は息があがって疲れ果てている。

 しかし止まりたいのに止まれないのがひとめで分かる。

止まりたくても脳が体を止めさせてくれない「グル活」

 犬の研究は進んでいていろいろなことが解明されている。

 『グル活』は「止まる」「方向を変える」「目的を思い出す」という脳のブレーキが壊れ、いちばん単純な動作(歩き続ける)だけが残るから起こると言われている。

 止まれないのは行動の『停止ボタン』が壊れてしまったから。

 脳には本来「もう十分」「ここで止まる「次は別の行動」を決める前頭葉の制御機能があるけれど、認知症ではそれが弱る為「歩き始める → 止まれない」「回り始める → やめられない」となって一度始まった動作がループしてしまう。

 そしてここが最もつらい点なのだけれど「疲れた」という感覚を脳が正しく認識できなくなることも分かっている。「筋肉は疲れている」「でも脳が止めない」だから「倒れるまで歩く」「角に詰まっても動こうとする」のだ。

 1時間おきくらいに僕は、愛娘が疲れてきたのをみはからって抱きあげて、隣に置いてあるベットに寝転がらせてみる。

 けれども脳の命令はまだ止まっておらず、寝転んでもマットの上で愛娘は身体を必死に起こそうとして「立たせて」「歩かせて」と悲鳴をあげる。

 やむなく僕は愛娘を抱きあげて再びサークルの中に入れる。そして『グル活』が再開される。

 まれに運良く体の疲れが脳の命令を遮断してくれると、そのままベットの上で眠ってくれる。ほっとする。

 でもその眠りも2時間も続かない。脳は激しく命令を出して愛娘を叩き起こす。そして終わりなき『グル活』へと追い込むのだ。

認知症は長生きに対して神様が与えた罰なのだろうかと考えてしまうことがある

 僕はなるべくマインドフルネスで過ごすようにしているけれど(それは僕がどう考えようが努力しようが変えられず目の前で起こっている事実である)、それでもふと愛娘は何か刑罰を受けているように見えてしまう時がある。

 強いて言うならば、神様からの長生きをした事に対する罰なのだろうか。

 苦しいのに小走りでサークルを回り続けるのをやめさせてもらえない。老体なのに疲労困憊で倒れるまで走り続けねばならない。やっと眠りについても長くて二時間で脳に叩き起こされてまた小走りを続けずにいられない。これを24時間のうち、ほとんどの時間、繰り返している。

 シーシュポスの神話の世界だ。

 この罰を僕が代われるものなら代わりたいとひたすら願いながら、サークルの真ん中に座って、壁にひっかかって動けなくならないように愛娘の体を誘導する。

 人間も犬も寿命が延びて、それは本当に素晴らしいことなのだけれど脳をはじめとする臓器はその延びた寿命に対応しきれずに心身にいろいろなトラブルが起こる。

 「長生きしてほしい」という家族としてのすなおな願い。

 同時に「こんなにも苦しまねばならない長生きとは何なのだろうか」という疑問がいつも湧きあがってくる。

 医学の進歩は望む。もちろん安楽死は望まない(この問題も政治家人生を通して常に考えてきた)。寿命が来るまで共に生き続けたい。

 僕はただひたすらこの時間を、父として、愛娘の隣に常に居続ける。何が起ころうとも最善の努力を尽くして、結果を受け容れる。

 愛娘がグル活を始めて四時間が経った。冬の遅めの明け方はまだ遠い。

 僕は毎日ほとんど眠っておらず、とても苦しい。

 けれども最も苦しいのは愛娘だと分かっているので、愛娘が眠りにつけるその時まで必ずそばにいようと思う。

サークルの中で寝転ぶ愛娘

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