木村正孝さんの受勲をみんなでお祝いしました

木村正孝さんとの再会

今夜は、木村正孝さんと久しぶりの再会を果たしました。

フジノにとって、木村正孝さんは『政治家としての父』として、とても尊敬している大切な方です。

木村さんとフジノ(この写真は2012年2月のものです)

木村さんとフジノ(この写真は2012年2月のものです)


木村さんは元市議会議員で、フジノの大先輩です。

在職中は、横須賀市議会の『良心』と呼ばれる、素晴らしい政治家でした。

政治家を引退しなければならなかったのは、8年前、僕たちの想いを受けて市長選挙に立候補して下さり、落選してしまったからです。

僕らの勝手な想いで、まだまだ若く仕事もバリバリこなしていた木村さんの政治家生命を結果的に断ってしまったことをいつもこころに留めて、僕は木村さんの分まで働かねばならないのだと思いながらいつも働いています。

旭日双光章を受章されました

その木村さんが、実は秋の叙勲で『旭日双光章』を受章されました。

内閣府ホームページ「平成25年秋の叙勲受章者名簿」より

内閣府ホームページ「平成25年秋の叙勲受章者名簿」より


そこで旧知の間柄のみなさんが集まって

「ぜひ木村さんをお祝いしよう!」

と『発起人』になり、今夜のお祝いの機会を企画して下さいました。

5人の発起人のみなさん

5人の発起人のみなさん


しかし、いつもながら謙虚(かつガンコ)な木村さんは

「いやあ、自分の為にわざわざそんなこと申し訳ないですよ」

と言ってきかなかったそうです。

そこで発起人の方々が一計を案じて

「じゃあ、みんなで集まって2013年をワイワイと振り返ろう!そして、ついでにお祝いもしよう。それならば、良いだろう?」

ということで、『2013メモリアルパーティー』のタイトルにしたそうです。

…そのやりとりがフジノには目に浮かびます。木村さんらしいなぁ(笑)

壇上に立つ木村正孝さん

壇上に立つ木村正孝さん


でも、そんなガンコ一徹の木村さんがみんな大好きだからこそ、今夜もたくさんの人が駆けつけた訳です。会場に用意したイスは足りなくなってしまい、立ち見多数という状態でした。

政治家を引退した後も木村さんの活動ペースは全く変わらず、市民のみなさまの相談にのって駆けまわる、まさにソーシャルワーク活動を実践してこられました。

そんな木村さんがこのたび叙勲を受けたことを、僕はこころから嬉しく思います。木村さんの長年の仕事と生きざまが評価されてのことと思います。

本当におめでとうございます。

ステージ上に立つ、木村さんご夫妻

ステージ上に立つ、木村さんご夫妻


奥さまの秀子さんにも久しぶりにお会いすることができて、とても嬉しかったです。

お2人ともお元気そうで、本当に良かったです!

木村さんの遺伝子は政治家フジノの中に息づいている

政治家フジノの中には、木村さんの遺伝子が流れています。

  • 必ずオヤジの仇を取る。
  • オヤジに恥ずかしくない生き方をしなければならない。
  • いつかオヤジの背中に追いついて、超えなければならない。

ふだん木村さんとお会いすることは全くありませんが、いつもそう思ってフジノは仕事をしてきました。

この想いは、何年経っても変わりません。

5年前に、

『このまちの改革』という家族があって父は木村さん、長男はフジノ、次男が吉田雄人…

という文章を書きました。

2005年6月の市長選挙、フジノ・木村さん・吉田市議(当時)

2005年6月の市長選挙、フジノ・木村さん・吉田市議(当時)


2009年当時のフジノは、「吉田市長の中にも木村さんの遺伝子が流れているのだ」と考えていました。

でも、この4年半と現在の吉田市長の姿からは、そう感じることができずにいます。

ならばこそ、フジノは『木村イズム』を受け継ぐ唯一の政治家として、これからも努力を続けていかねばならないと思っています。

ところで今夜は、今年6月の市長選挙で一緒に闘った同志とも再会できました。最高にうれしかったです!

気持ちは今も同じ。

といっても、フジノの次の仕事のつごうで会をすぐに中座してしまい、会話できたのは数分だけでした。

ぜひ今度こそ、ゆっくりごはんでも食べながらお会いしたいです。

彼らに限らず、会場のあちこちに同志の姿を見つけることができました。

みんな、元気そうで嬉しかったです。

壇上からフジノもご挨拶をさせていただきました

壇上からフジノもご挨拶をさせていただきました


木村さん、本当におめでとうございます!

これからもその姿を励みに、フジノはがんばっていきます。

中学校給食の実現に向けて、来年1月、中学校スクールランチ充実事業が試行されます!

中学校給食の実現に向けた取り組み

けさの教育委員会・定例会では、重要な報告がありました。

『中学校スクールランチ充実事業の試行』についてです。

中学校スクールランチ充実事業の試行

  • 1月27日(月)〜31日(金)の5日間限定
  • 中学校14校
    (追浜、鷹取、田浦、常葉、馬堀、浦賀、鴨居、岩戸、野比、北下浦、長沢、長井、武山、大楠)
  • 教育委員会学校保健課に所属する管理栄養士が、小学校の給食メニューをアレンジした内容の献立を作成。その献立を弁当事業者が作成して、提供する。
  • 事前予約制
  • 一律400円
  • 期間中は、他の弁当注文は無し。パン注文は通常どおり。
  • 試行を行なった後、生徒・保護者・教職員にアンケートを実施する予定。

5日間のみ限定で、教育委員会作成の献立に基いたスクールランチ(お弁当のことです)の注文・提供を市内14中学校で行なうことになりました。

かねてから中学校給食の実現に向けて「何校かモデル校を設定して試行事業を行なうべき」と提案(2013年6月10日・教育福祉常任委員会など)してきたフジノにとっては、提案の実現でもあります。

これはとても良い取り組みだと評価したいです。

おいしそうな献立ですね。

献立案
27日ごはん、鶏の照り焼き、炒めビーフン、ほうれん草サラダ
28日ごはん、揚げじゃがいものそぼろ煮、魚の角煮、もやしのカレー炒め、ピリカラきゅうり
29日ごはん、ねぎ塩豚炒め、コーンポテト、春雨サラダ、チーズ
30日ごはん、フライ2種(白身魚、えび)、五目豆、フルーツナタデココ
31日チキンカレー、キャベツソテー、福神漬

今後は、まず来年2014年度にさらに試行をおこなってその効果や問題点などを検証していき、2015年度には全面実施を目指すという予定とのことでした。

さきの市長選挙においては、吉田市長だけでなく、全ての候補者が『中学校給食の実現』を選挙公約に掲げました。

つまり、中学校での給食実現は、全市民的な大切なニーズなのです。必ず実現させねばなりません。

この試行事業を通して、これまでの弁当事業者との関係も見直したり、いろいろな必要な課題が見えてくるはずです。この取り組みを注視していきたいです。

今回の試行について、保護者のみなさまには、12月20日頃には文書で正式なおしらせが届くことになります。

こどもたちが安心して栄養バランスの良い食事をとれる為に、毎日の仕事や家事で忙しい保護者のみなさんがお弁当を作らなくて済むことによって少しでもゆとりを持っていただける為に、全面実施にむけてしっかりと進めていきたいです。

市長への一般質問に向けて発言通告書を提出しました/2013年9月議会

発言通告書を提出しました

10年間、横須賀市議会ではただ1人、1度も休まずに一般質問を続けてきました。

そしてその回数、現在50回になりました。

もちろんこの9月議会でも、フジノは市長に対して一般質問を行ないます。

その一般質問の内容を記した『発言通告書』のしめきりがけさ10時でした。

連日、深夜までの作業が続いて大変でしたが、無事に提出してきました。

市議会にて

市議会にて


ここしばらくは、ふだんの仕事とあわせて『発言通告書』の作成に追われて、本当に大忙しでした。

その疲れが出たのか、昼過ぎから体調を崩して寝込んでしまいました。

午後から『第2回神奈川県性的マイノリティ人権・教育推進連絡会議』という大切な会議に出席するはずだったのに、無念の欠席。

性的マイノリティ

神奈川県性的マイノリティ人権・教育推進連絡会議の開催要項


夜まで全く動けませんでした…。

関係者のみなさま、申し訳ございませんでした。

中秋の名月でした

今夜は「中秋の名月」でした


でも、これでとにかく一般質問は無事に行なうことができます!

一般質問の5つの項目を紹介します

取り急ぎ、大きな項目のみこちらに掲載しますね。

【9月議会でのフジノの一般質問の項目】

  1. 市長選挙において対立候補の陣営に立った方々にも、吉田市長が心から協力を求めることの必要性について
  2. 市民・市議会に対して今後4年間の市政の在り方を語る「所信表明」を実施すべきであったにもかかわらず、再選後の本定例会で吉田市長が「所信表明」を行わなかった問題について
  3. 吉田市長の選挙公報の記述から感じられた、入所施設への誤解・美化された在宅ケアのイメージ、そして死生観について
  4. 「事務事業等の総点検」における「見直しの基本方針」について
  5. 健康寿命を伸ばす為の新たな組織および取り組みの「実施計画」への明確な位置づけの必要性について

大きく5項目について質疑を行ないます。

さらに取り上げたい項目もあるのですが、一般質問は1人20分間という質問時間のしばりがあるので、カットしました。残念です。

絞りに絞った上での、5項目です。フジノにとってはどの1つも外せない、大切な質問です。

市長としっかりとした議論を交わしたいと願っています。

一般質問は、9月24日or25日のどちらかに行ないます。どちらの日付なのか、また順番は何番目なのか、は明日の議会運営委員会で決まります。

*後日追記 9月24日(火)朝10時からフジノは一般質問を行なうことに決まりました!

横須賀市長選挙に向けて「公開討論会」が開かれます

公開討論会は6月10日(月)18:30開会です

今日、市議会議員向けにお知らせが配られました。

公益社団法人横須賀青年会議所(JCI横須賀)の主催で、市長選挙に向けて、今回も『公開討論会』が行なわれます!

横須賀市長選挙・公開討論会・6月10日(月)開催です

横須賀市長選挙・公開討論会・6月10日(月)開催です


フジノは『ローカル・マニフェスト推進地方議員連盟』に所属しているのですが、『JCI』はそのタッグパートナーとも言える存在です。

2000年代前半から、『政策本位での候補者選び』を進める為の様々な取り組みをしてきて下さいました。

その1つが『公開討論会の実施』です。

中でも『JCI横須賀』の活動は素晴らしいです。

8年前(2005年)、全国で初めて『公示前(選挙スタート前)』の公開討論会を行なったのは、この『JCI横須賀』なのです!

2009年6月18日の横須賀市長選挙公開討論会の写真です

2009年6月18日の横須賀市長選挙公開討論会の写真です


実は、公示前に公開討論会を行なうのは公職選挙法のしばりがたくさんあって、とても制約も多いのです。

それでも4年前(2009年)の市長選挙でも『公開討論会』を開催して下さいました。

そして、この6月の市長選挙を前に、今回も『公開討論会』が開かれます!

JCI横須賀のみなさん、本当にありがとうございます。

このまちの未来を決めるリーダーは「政策」で選ぼう!

市民のみなさまが政治家を政策本位で選ぶことを繰り返していくことで、必ず政治家は政策を大切にするように変わっていきます。

朝の駅前のちらし配りや街頭演説などでは、通勤・通学途中のみなさまがじっくりと政策に耳を傾けることはできません。

この討論会は、候補者の訴える政策をしっかり知ることができるチャンスです。

もちろん、公開討論会も完璧ではありません。

平日の夜の開催ですし、18時半スタートでは都内にお勤めの方々はまず間に合いません。

本来ならば、インターネットでの生中継や録画中継なども行なうべきだと思います。

それでも、今回も公開討論会が開かれることは、民主主義を前進させていく大切な取り組みです。

そして、市民のみなさまにとって、たくさんの課題が山積みのこのまちのリーダーを決める上で、良き判断材料になるはずです。

  • 日時:6月10日(月)開場18:00、開会18:30
  • 場所:ヨコスカ・ベイサイドポケット(横須賀市本町3-27。汐入駅徒歩1分)
  • 入場料:無料(定員になりしだい入場は締め切らせていただきます)
  • 問い合わせ先:公益社団法人横須賀青年会議所 046-824-1061

どうか1人でも多くの方に参加していただきたいです。

そして、あなたの毎日の暮らしの中で感じている「不安」や「困難」を変えてくれる『政策』を訴えている候補者を見極めて下さい。

あなたが必要としている『政策』を実現しようとしている候補者を、あなた自身が見つけて下さい。

選挙には行かない、政治は分からない、市長なんて誰がなっても同じ、ではありません。

確かに選挙に行くのはめんどくさいし、忙しくて時間がとれないかもしれません。

でも、その忙しさを生み出しているのもまた政治の結果なのです。

確かに政治は難しい単語で語られて、ふつうに暮らしている人々には分からないことばかりです。

でも、難しい単語や専門用語を使って政治を市民から遠ざけるような政治家は、ダメです。

もっとふつうの言葉で語りかける、分かりやすい説明を一生懸命行なおうと努力する政治家を選んで下さい。

そうすれば、政治はあなたにとって身近なものに変わっていきます。

確かに市長なんて誰がなっても同じだと思えるかもしれません。

でも、国会では『政権交代』が繰り返し行なわれることで、官僚の意識も大きく変化しました。選挙によって政治家の政策がより練られていき、少しずつではありますが、単なる理想を訴えるだけの政治ではなく、現実的な成熟した議論が行なわれるようになってきました。

横須賀市でも同じです。

36年間続いた官僚政治。

その『官僚政治』の打破を訴えて4年前に当選した吉田市長。

けれども、この4年間を振り返ってみれば大きな成果は何も無い現実。

さらに、今では、官僚以上に『官僚主義』に陥っている吉田市長。

あなたは、この先の4年間も吉田市長に横須賀市政を任せるのでしょうか?

それとも、改めて『政権交代』を横須賀でも選ぶのでしょうか?

それを決めるのは、市民のみなさまです。

つまり、あなたです。

みなさま、ぜひ『公開討論会』にいらして下さいね!

横須賀市長選挙の立候補予定者・吉田雄人さんにお会いしました(その1)

6月の市長選挙に立候補を予定している3人に順番にお会いして頂き、お話を伺ってきました。

4月4日、岸牧子さん4月7日、広川さとみさん

今日は、ついに最後の1人である吉田雄人さん(現・横須賀市長)にお会いしました。

吉田雄人さんの「選ばれるまち横須賀へMOVE!」

吉田雄人さんの「選ばれるまち横須賀へMOVE!」


そこで感じたことを記します。

現職の市長と市議会議員である前に、長年の戦友であり、大切な後輩

今日は、3年半以上ぶりに、僕は『政治家フジノ』という公人の肩書きを外して、『藤野英明』という私人として、吉田雄人さんと向き合いました。

このブログを読んで下さっている方々は、この11年の間に大きく変化しました。

かつては、僕の同級生や長年つきあいのある方々を中心に、いち私人としての僕を立候補前から知っている方々がメインでした。

それが今では、このブログを読んでいる方々の半数以上が、政治家になった後のフジノしか知りません。

フジノを知ったきっかけというのも、「自殺対策」「性的な多様性を保障する政策」「脱原発」「給食食材の放射性物質対策」などを通して知った、という方々が大半を占めるようになりました。

特に「3.11後に初めてフジノの存在を知った」という方々がとても増えました。

そうしたみなさまは「吉田市長」と「政治家フジノ」が、政治家になる以前から20年という長年の関わりがあることも全くご存じないと思います。

そこで、改めて(僕の側から見た)これまでについて少し記したいと思います。


そもそも、フジノ(39才)と吉田市長(37才)は、神奈川県立横須賀高校の先輩・後輩にあたります。

僕が高校45期生、吉田市長が高校46期生。

当時、僕は17才。雄人は16才。

1学年しか違わず、現役の高校生時代からお互いに知っていました。

だから今でも僕は、つい当時からの親しみをこめて「雄人」と呼びすてにしてしまいます。

当時から、接点はいろいろありました。

例えば、高校の文化祭の実行委員会。僕が2年生代表、雄人が1年生代表を勤めました。

また、体育祭では、各学年から1クラスずつで3学年で1つのカラーを作るのですが、僕と雄人のクラスとは同じカラー(緑軍)でした。

20年以上前からお互いに知りあいであるだけでなく、共通の知人も多いです。

大学も、同じく早稲田大学でした。

僕は93年入学、教育学部。雄人は94年入学、政治経済学部です。

ふだん接点は無いものの、同じ早稲田キャンパス(当時は「本キャン」と呼んでました)ですから、見かけることもありました。

また、渋谷駅で偶然に再会したりすると、お互いの近況について話したりしました。

大学時代、僕はアメリカへ。彼はイギリスへ。それぞれに短期留学をしています。

卒業後は、それぞれ民間企業に勤めていました。

僕は映画会社、彼はコンサルティングファームです。

同じ時代の空気をともに吸って生きてきました。

雄人と僕は、高校・大学が同じ、年齢も1才しか違わない。街頭演説を中心とする活動や、若さや同期での当選。

こうしたキャリアパスに共通点が多いことから、現在に至るまで、市民のみなさまから「吉田・フジノ」と並べて言及されることが多いです。

でも、実際の2人は、かなり対象的な在り方でした。

11年前(2002年)の夏、彼が初めて横須賀市議会議員選挙に立候補する為に、逗子から引っ越してきました。

今では信じられないと思うのですが、雄人は僕に「選挙の応援をしてほしい」と頼んできました。

僕は、雄人に対して

「お前の幸せは、本当に政治家になることなのか?それで良いのか?」

と、強く引き止めました。とても良く憶えています。

雄人は高校時代から「総理大臣になりたい」と言っていたのですが、僕は「政治家なんかになることは間違っている」と感じていました。

だから、僕は、彼が政治家なんかを目指すよりも、ひとりの個人として、ハッピーな人生を送ってほしいと素直に願ったものでした。

それにも関わらず…。

とても数奇な運命から、そのわずか数カ月後(2003年1月31日)に僕自身が政治家に転職をする決意をしました。

この僕の決心も、実は、雄人が僕にかけてくれた言葉が強く背中を押してくれたのでした。

公職選挙法などを全く知らない無勝手流の僕に対して、時にアドバイスをくれたのも雄人でした。

こうして2003年4月の統一地方選挙で、2人とも市議会議員に当選しました。

山本賢寿さん巨人軍入団祝賀パーティーでの雄人とフジノ

山本賢寿さん巨人軍入団祝賀パーティーでの雄人とフジノ

それから6年の間に、雄人は、政界の階段を2段抜かし3段抜かしでどんどん登っていきました。

彼は、後援会組織をしっかりと固めて、学生インターンを募集してシンパを増やし、街頭演説を1000日も続けるなど地歩を固めていきました。

市内のあらゆる交差点などの人目につく場所には、彼の看板が付けられています。

選挙になれば、日に焼けた姿で自転車に乗りまくる。

そして自転車と同時に、選挙カーもしっかりと活用していました。

イメージ戦略・空中戦と同時に、地べたをはうようなドブ板選挙・地上戦も雄人は得意でした。

真夜中の終電まで駅に立ってお辞儀を繰り返す、精力的な選挙でした。

政治家に当選後は、4年間の任期で4つの常任委員会を全て回りました。

会派(ニューウイングよこすか)にも所属したり、離脱したり

また、他のまちの若手政治家と積極的に交流をして、他のまちで選挙があればすぐに飛んでいってお互いの選挙を支援しあったりというのが雄人のスタイルでした。

かたや僕は、政治家でありながら政治家であることにいつも違和感があり、自分が政治家であることを嫌い続けました。

後援会は作りませんでした。

まちなかにも、1つも看板を出していません。

街頭演説に立つことはあっても、政治家になる前からパニック障がいとウツ病もちの為、人前で話すことは今に至るまで嫌いなまま。

選挙では「選挙カーは絶対に嫌だ」と、僕は1度も使ったことはありません。

しかも、「雄人が自転車に乗るのはパフォーマンスだから絶対に間違っている」と公言してきました。

だって、『自転車に乗ってまちを走り回ること』は政治家の仕事ですか?

ひたすら政策を訴えて市民のみなさまに信を問うのが政治家の本分でしょう?

彼の選挙のやり方が嫌いでしたので、僕はひたすら自分の足(徒歩)で市内を歩いてはひたすらに政策を訴えて回りました。

体力抜群の雄人とは違い、精神疾患もちで体力の無い僕は、すぐに過労で倒れてばかりでした。

心理学を専攻していた学部生時代から大学院進学をすすめられていたように、僕はもとから研究者気質の性格でした。

政治家に当選した後も、政局は大キライで、ひたすら保健・医療・福祉の政策の為だけに働くことを望みました。

資料を読み漁る方が性格にあっていました。

派閥に属することも嫌い、無所属でひとりきりで仕事だけに専念することを好んできました。

8年前、『政治家としての父』と慕っていた木村正孝さんが市長選挙に立候補しました。

2005年6月の市長選挙、木村正孝さんが立候補して下さいました

2005年6月の市長選挙、木村正孝さんが立候補して下さいました

雄人はこの時すでに市長選挙立候補の決意をしていましたが、みんなで「まだ早い」と必死に止めました。

「将来、必ず良き政治家に成長するであろう『プリンス』である雄人を、みすみす落選させるなんてできない」

というのが、木村さんや僕の想いでした。

木村さんが立候補してくれたのは、あくまでも僕の中では「雄人を守る為に代わりに立候補してくれたのだ」と受け止めています。

2005年市長選挙、木村さんは落選しました。

政治家としてたくさんの市民の方々から厚い信頼を受けていた木村さんの、政治家人生を絶つことになってしまいました。

この時、フジノは「どんなことをしてでもオヤジ(=木村さん)の仇を取る」と誓いました。

そして4年前(2009年)、横須賀市長選挙が行なわれました。

今回は、もはや雄人が立候補するしかありませんでした。

フジノは全てを賭けて、吉田雄人候補を応援する決心をしました。

記者クラブでの声明発表では

「吉田候補が市長選挙に落選したら、僕も市議会議員を辞職します」

と宣言しました。

雄人が市長になる為に、僕は全てを捨てる決意をしました。

2009年、市長選挙直前の決起集会のバックステージで語り合う2人

2009年、市長選挙直前の決起集会のバックステージで語り合う2人

「新しい横須賀」を実現する為であると同時に、政治家としてのオヤジの仇を取る為であり、大切な後輩(=雄人)をどんなことをしてでも守る為でした。

こうして、2009年の市長選挙に突入しました。

当時は「現職が絶対に有利」「絶対に当選不可能」と言われていた吉田候補は、奇跡の逆転当選を果たしました。

吉田市長が当選した翌朝、ワイデッキにて報告に立つフジノ

吉田市長が当選した翌朝、ワイデッキにて報告に立つフジノ

市長選挙終了後。

僕は、公人に戻りました。

フジノは「市長が誰であろうと僕は是々非々で厳しく臨む」と市民のみなさまにあらかじめ約束してきました。

その言葉どおり、歴代市長に向きあってきたのと同じように、吉田市長には、フジノこそが誰よりも厳しい追及をしてきました。

マニフェスト実現に向けて誰よりも厳しく質疑を行なって来ました

マニフェスト実現に向けて誰よりも厳しく質疑を行なって来ました


プライベートでは雄人の結婚式にまで呼ばれている間柄ですが、市政という41万人のいのちを預かる場において、とにかく僕は私情をはさんではいけないと自分を強く戒めました。

先輩・後輩の『情』の部分で流されてしまわない為に、彼が市長に就任してからは公の場以外では一切接点を持たないようにしてきました。

つまり、年4回の市議会だけが2人の接点です。

その場での真剣勝負の質疑のやりとりだけが、フジノが吉田市長と交わる唯一の接点です。

来賓などで招かれたり、自殺対策街頭キャンペーンなどで一緒に活動する時であっても、第三者が立ち会って居る場だけでしか一切の会話をしないようにしてきました。

市議会議員として、市民のみなさまに開かれた場で無ければ、市長とは個人的な会話は徹底的に慎んできました。

つまり、今日に至るまで3年半以上、私的な会話をしたことはありません。

これが僕の側から見た「政治家として10年間、個人としては20年以上にわたる藤野英明と吉田雄人との関わり」です。

吉田雄人はフジノにとって、市長と市議会議員である前に、同じ時代を同じ空気を吸って生きてきた大切な同世代のひとりなのです。

そして、僕にとってはどんなことがあっても、20年来の大切な後輩なのです。

誰がなんと言おうとも、僕たち2人にしか分かりあえない固いつながりが存在しています。

適当な言葉が見つからないのですが、『信頼感』や『絆』のようなものでしょうか。けれども、もっと強いつながりです。

だから、フジノが市議会議員としてどれだけ激しく厳しく吉田市長を追及したとしても、それによって2人の20年以上のつながりが消えることは無かったと僕は信じています。

こうしたことを知らない方々は

「フジノさんは吉田市長のこと大キライなんですよね?」

と真面目な顔で尋ねてきたりします。

僕は、笑い飛ばしています。

僕は、2003年に政治家に転職することを決意した時、こころの深い底の部分で信じている希望ある未来を実現することを誓いました。

それ以来、「好き」「嫌い」といった感情のレベルで『まちの未来』『政治』『市長』などを考えたことは全くありません。

政治家として雄人と僕がお互いに目指した夢、『新しい横須賀』の実現を市長としての雄人の取り組みがダメな時、大切な後輩に檄を飛ばすのが先輩の義務ですし、このまちの為に働く公人として全力で批判をしてきました。

それができるのは、20年間のつながり、同じ時代を生きてきた戦友、と雄人のことを感じているからです。

市長選挙が近づいてきて、いろいろな人が僕に近づいてきては(僕からすると信じられないような)『不仲説』みたいなものをニヤニヤしながら話しかけてきます。

そういった全てのことを、僕は否定します。

長い長い前置きになりましたが、まずこのことを市民のみなさまに改めてお伝えすべきだとフジノは感じました。

(その2へ続く)

市長選挙で「市民に問うべき争点」はそれじゃない!

あと2ヶ月で市長選挙。神奈川新聞に特集記事が出てました

足をケガしてしまい、数日ぶりに事務所に向かいました。

溜まってしまった新聞を、少しずつ読んでみました。

すると、神奈川新聞に『横須賀市長選挙』の記事が載っていました。

2013年4月12日付・神奈川新聞より

2013年4月12日付・神奈川新聞より

横須賀市長選/課題山積、争点どこに
出馬意向3氏が活動本格化

任期満了に伴い6月23日に告示、30日に投開票される横須賀市長選に出馬を表明している3氏が、活動を本格化させている。

現職1期目の吉田雄人氏(37)、昨年12月まで副市長を務めた広川聡美氏(61)、市民グループ元代表の岸牧子氏(56)がこれまで順番に立候補の意向を表明。

少子高齢化に対応した財政運営や経済対策、医療福祉の充実など課題は山積している。

選挙戦までに政策面の争点をどれだけ明確化できるかが焦点だ。

(引用はここまで。この後に、3氏それぞれの事務所開きや集会でのコメントなどが掲載されていますが、以下省略します)

6月下旬に市長選挙は実施ですから、あと2ヶ月。

もはや目の前です。

それなのに、残念ながら全国紙では全く取り上げてくれません。

そんな中、神奈川新聞はちゃんと報じてくれている。やっぱり地元紙の存在はありがたいなぁと思いました。

今回の市長選挙は、前回以上に重要です

『財政』が厳しい横須賀。

6月から国民健康保険の保険料が値上げされ、12月には下水道使用料が値上げされます。

今後もあらゆる分野での『値上げ』が避けられません。

他市よりも『高齢化率』も高く、『人口減少』のスピードも早い横須賀。

この先の数年間のかじ取りを誤れば、2025年を待つまでもなく、このまちは一気に衰退していくでしょう。

ですから、市民のみなさまにとって今回の市長選挙はとても重要です。

4年前より、もっと重要な選挙です。

信じられないコメントに衝撃を受けました

神奈川新聞の記事は「立候補を予定している3者がそれぞれに活動を本格化させている」という見出し。

『政策論争』が進むことは、とても良いことだと感じました。

しかし、記事を読み進んでいくうちに、フジノは衝撃を受けました。

市長を支援している市議のコメントが取り上げられていたのです。

2887億円の規模を持つ横須賀市予算のうち「わずか3500万円の減額修正」が市長選挙の争点?

2887億円の規模を持つ横須賀市予算のうち「わずか3500万円の減額修正」が市長選挙の争点?

3月27日に閉会した予算議会において、吉田市長が提案した当初予算案を、市議会は減額修正しました。

この「予算が減額修正された経緯を市長選挙で市民に信を問うべきだ」というのです。

ショックで思わず、絶句しました。

フジノは、同じ政治家としてこのコメントを「恥ずかしい」と感じました。

それは、2つの理由からです。

  1. もしも、本気でそう信じているならば…
    →政治家としていかに無能であるかを自ら世間にアピールしているコメントだから。
  2. もしも、あえてそう発言したのならば…
    →『市議会と市長の対立』を必要以上に市民にアピールすることで『劇場型選挙』を狙っているものであり、『政策』を競う場である市長選挙を単なる『政局』に貶めているから。

コメントの真意が2だとすれば、『このまちの未来を決める大切な選挙』を『くだらない政局』に歪小化するもので、『政治屋』のやることです。

このまちの将来を本気で考えていない発言だと情けなく感じました。

もしも4年前のようにフジノが雄人のそばに居たら、少なくともこんなコメントは絶対に周りに出させなかったのに。

市の財政規模の0.012%を市長選挙の争点にするのは完全な誤り

コメントの真意が1で、3500万円の減額修正を本気で争点とすべきだと考えているとすれば、それも完全な間違いです。

横須賀市の予算規模は、2887億円です。

このうち、減額修正されたのは3500万円に過ぎません。

横須賀市全体の予算のわずか0.012%です。

一方、市長選挙というのは、これからの4年間の横須賀市の進路を決める政策選択の場です。

横須賀には、もっと問うべき大切な争点がいくついくつも存在しています。

例えば、横須賀の未来を想って立候補を決意した岸牧子さんを、フジノは讃えずにいられません。

3.11後、初めての市長選挙なのに原子力空母が争点にならないのはおかしい、と自らが立つ決意をしたのです。

こういう姿勢こそが横須賀のリーダーを決める選挙に臨む者の『本当の覚悟』です。

では、フジノが争点にすべきだと考えるの何か?

国民皆保険の最後のとりでである『国民健康保険』についてです。

横須賀市の国民健康保険の赤字は毎年約50億円にのぼる見込みです。安心して医療を受けられるセーフティネットが今、崩れようとしています。

市長選挙で市民に問うべきなのは「これから毎年続く赤字50億円をどうやって対応すべきなのか」という財源の選択肢についてであるべきだ、とフジノは考えます。

  1. 選択肢の1つ目は、保険料の値上げによって『国民健康保険に加入している世帯』に負担してもらう。
  2. 選択肢の2つ目は、市の一般会計から税金を投入することで『市民のみなさま』に広く負担してもらう。
  3. 選択肢の3つ目は、行政改革やハコモノ廃止によって財源を作り出す。
  4. 選択肢の4つ目は、この1から3を全てミックスして対応する。

ただでさえ財政危機の横須賀で、どうやって毎年50億円もの財源を生み出すのか。

こうした重要な争点から目を逸らさせて、3500万円の減額修正を煽り立てるのは、ニセモノの政治家のやることです。

国民健康保険の他にも、いくつもいくつもの争点にすべきテーマが横須賀市には山積みです。

まさに神奈川新聞の記事の見出しが

課題山積み、争点どこに

だった通りです。

この記事を書いた神奈川新聞の記者の方は、このコメントをした議員よりも『横須賀の現実』をしっかりと直視しています。

政局はいらない。政策を語れ!

今回の市長選挙には、くだらない『政局』レベルの策略はやめてほしいです。

市民のみなさまも、現実がどれほど厳しいものか、肌ですでに感じておられます。ワイドショーレベルの話題に飛びつくはずもありません。

あと2ヶ月。

市長選挙の立候補予定者もまわりで応援している市議たちも、もっと誠実に、もっと切実な目の前の問題を直視して、議論すべきです。

フジノは近日中に吉田市長にお会いして、政策についてお話を伺います。

すでに岸牧子さんと広川さとみさんにはお会いして頂いています。

その後で、フジノの想いを託せる政策を訴えている方はどなたなのか、フジノ自身も決めます。

その決心がついた時は、すぐに市民のみなさまにもお伝えします。

横須賀市長選挙の立候補予定者・広川さとみさんにお会いしました(その2)

横須賀市長選挙立候補予定者・広川さとみさんにお会いしました(その1)から続いています。

スタートから「悲劇の副市長」だった広川さとみさん

広川さとみさんは、2009年12月15日に副市長に就任しました。

現在も副市長を続けておられる沼田さんと広川さんの2人が共に選任されました。

2009年12月15日・神奈川新聞より

2009年12月15日・神奈川新聞より


実は、副市長がこの2人に落ち着くまでには、副市長の人事は激しく難航しました。

その原因は、

吉田市長の『論功行賞』人事

です。

2009年当時のフジノは、市長選挙を全身全霊で応援した立場でしたから、夏から冬にかけてはまだ一定の信頼関係はありました。

吉田市長は、フジノたち応援した市議をはじめとする支援者のみなさんに

「人事だけは私に全て任せて下さい」

と主張し続けてきました。

「一体どんな『サプライズ人事』が飛び出てくるのだろうか」

と、みんな、期待していました。

しかし、吉田市長が出してきた人事案は、なんと選挙で応援してくれた市職員OBの2名(Sさん・Iさん)でした。

これにはフジノも激しいショックを受けました。

「最悪の人事案だ」とフジノは感じました。

適材適所とは全くカンケーない、選挙での応援に対する、露骨すぎる『論功行賞』の人事です。

「こんなことが雄人のやりたかったことなのか?ふざけるな!」

とフジノは怒りに震えました。

応援した側のフジノでさえこんなバカげた人事案に怒ったのですから、蒲谷前市長を応援した9割を超える市議会メンバーは、当然この『論功行賞』人事案を拒否しました。

副市長が清拭に決定して就任する為には、市長が『人事案』を提案して、市議会が『承認』する必要があります。

市議会は、吉田市長の人事案を2度にわたり拒否しました。

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その結果、2009年10月から12月の2ヶ月間にわたって、なんと横須賀市政始まって以来、初めて副市長がゼロという事態に陥りました。

この責任は、もちろん吉田市長にあります。

このような異常事態を打破する為に、市議会と市長とが合意できる人事を探りました。

その結果、吉田市長からも市議会の多数派からも信頼されている、広川さん・沼田さんの2人に白羽の矢が立ったのです。

市職員として30年以上にわたって働いてきた、広川さん・沼田さんのお2人からすれば、何故こんな政局に身を投じなければならないのだろうと感じたと思います。

本音では、火中の栗を拾う想いだったと思います。

それでも、トラブル続きの吉田市政のもとで、市議会と市長との板ばさみになるのが分かっていながら副市長に就任してくれたのです。

つまり、スタートから広川さんは『悲劇の副市長』として働かねばなりませんでした。

経験不足の未熟な市長と、その市長を潰そうと虎視眈々と監視し続ける市議会と、その両方の板ばさみになりながらも副市長職に就くことを決心したのは

「生まれ育ったこのまちを守りたい」

という使命感の一心からだったのではないでしょうか。

黒柴のこてつくんと広川さん

黒柴のこてつくんと広川さん


強面の外見から厳しい性格なのかと誤解されることも多い広川さん。

でも実際には、愛犬家の優しい性格の方です。

その優しさもあって、

「雄人からの副市長への就任依頼も断れなかったのだろうな」

とフジノは感じました。

こんな経緯からフジノは、副市長に選任された広川さん・沼田さんのお2人には、率直に同情を禁じえませんでした。

(その3へ続く)

横須賀市長選挙の立候補予定者・岸牧子さんにお会いしました

「憲法9条の会」代表の岸牧子さん

2月初旬、『横須賀市民9条の会』でとてもお世話になっている岸牧子さん(代表)から「市長選挙のことで会ってほしい」とのご連絡を頂きました。

「予算議会が終わるまでは、6月の市長選挙についてはどなたであっても一切お会いしないことに決めているんです」

とフジノはお返事をしました。

会期中は、ただひたすら予算案・議案の審議に集中しているので、それ以外の全て(例えば、食事も風呂も睡眠も)に何も関心が持てなくなってしまうのです。

そんな訳で、2ヶ月間も岸さんをお待たせしてしまいました。

6月の市長選挙に出馬へ!

けれども、要件は何だったのか、お会いする前に分かりました。

岸さんは、3月25日に記者会見を行なって、きたる6月の市長選挙に立候補することを発表されたのです。

2013年3月29日付・タウンニュース紙より

2013年3月29日付・タウンニュース紙より


立候補の決心を新聞各紙の記事を通してフジノは知りました。

その率直な感想は「とても大変な決断をなさったことをこころから歓迎したい」というものです。

フジノは、岸さんの決意に心から敬意を表します。

こればかりは『実際に立候補をしたことがある人間』にしか分からないことなのですが、「立候補する」という決断をするのは本当に大変です。

「立候補したい」と思うだけならば誰でもできます。

しかし、実際に立候補するとなるとあらゆる人々が反対し、自分自身も悩みます。

身近な存在である家族の反対、まわりの反対、外野の軽口。また、自分の中での葛藤や迷いもどんどん出てきます。仕事を辞めることになり落選すれば無収入。果たして生活していかれるだろうか...などなど。

こうしたいろいろな迷いや悩みを1つずつ解決していって、最後は周囲の反対も振り切って決断するのです。

立候補に至る『すさまじいハードルの高さ』は、実際に立候補したことがある人にしか絶対に理解できない大変さがあるのです。

だから、その決意をなさった岸さんは、改めてとても勇気ある方だと感じました。

3.11後初めての市長選挙に「原子力空母ノー」を訴える候補者がいない現実

今日、岸さんと実際にお会いしました。

そして、立候補を決心するに至った岸さんの想いを聴かせて頂きました。

3.11後、初めての市長選挙であるにも関わらず、原発と同じリスクを持つ原子力軍艦(空母・潜水艦)が横須賀を母港としていることに「No」と言う候補者がいないのはおかしい。

岸さんのその率直な想いは、とてもフジノの心に響きました。

去年12月、フジノは衆議院選挙に立候補した山本太郎さんの手伝いに行きました。

3.11後、初めての総選挙なのに、脱原発が争点にならない。脱原発をハッキリと訴える候補者がいないのはおかしい。

そんな山本太郎さんの言葉にフジノは強く共感したからです。

誰も訴えないならば、自分が訴えるしかない。そして山本太郎さんは自らが立候補したのです。

岸さんもまた山本太郎さんと同じ想いで「自らが立たなければならない」と感じたのだと思います。

横須賀は原発立地自治体そのものではありません。

しかし、原子力空母をはじめとする原子力艦船の母港であることは、原発立地自治体と同じリスクにさらされているのです。

国防や安全保障は国政マターだとしても、このまちに暮らす人間の率直な想いをこのまちのリーダーである市長が訴えていくことはとても大切だとフジノは信じています。

昨年の総選挙に山本太郎さんが立候補しなければならなかったのと同じく、6月の市長選挙に岸さんは立候補しなければならないのだということがとてもよく共感できました。

まちづくりの理念を伺いました

岸さんが目指す横須賀の姿は

みんなでつくる幸せ度No.1の街YOKOSUKA

とのことでした。

その実現の為の5つの柱がこちらです。

「幸せ度No.1の横須賀」をつくる5つの柱

  1. 未来に希望の持てる横須賀をつくります

    仕事があり、文化的で人間らしく暮らせる街をめざします
    再生可能エネルギーの普及で仕事をつくります
    中小企業を応援し、商庖街の活性化に取り組みます
    障がいがある人も、病気になっても、高齢者にも安心な街をめざします 横須賀を文化あふれる街にします

  2. 平和で安心して暮らせる横須賀をめざします

    放射能事故の危険をかかえ、戦争に加担する原子カ空母の母港化の撤回を求めます
    アメリカの戦争の拠点である米軍基地の撤去を求め、平和産業都市への転換を求めます
    即時原発ゼロをめざし、核燃料工場の製造中止を求めます

  3. 「子育てするなら横須賀」と実感できる街にします

    すべての子どもの健やかな成長を支えます
    放射能から子どもたちを守ります
    子どもの医療費を小学6年生まで無料にします
    中学校給食を実施します

  4. 憲法のいきる横須賀をめざします

    憲法改悪に反対し、憲法の生きる街づくりをめざします
    誰もが憲法で保障された人間らしく暮らせる街をめざします

  5. 市民みんなの知恵とカを集めてつくります

    住民投票条例制度を制定します
    市政への市民の参画をすすめます

この5つの柱の他にも、岸さんのお考えが記されていますので、『「幸せ度No.1のよこすか」をみんなでつくる会』のホームページもぜひご覧下さいね。

岸牧子さんと「みんなでつくる幸せ度No.1の街YOKOSUKA」

岸牧子さんと「みんなでつくる幸せ度No.1の街YOKOSUKA」


岸さんからは「想いが同じであればぜひ応援を」というお話をいただきました。

市長選挙、まだまだ先のことだと思っていたのですが、もうあと2ヶ月しか無いのですね...。

立候補予定者全員にお会いしてからフジノは決めます

これまで過去2回の市長選挙では、フジノは必ず全ての立候補予定者の方にお会いして、必ず全ての方からお話を伺ってきました。

2005年2009年

そして、「この人に市長にぜひなってほしいので応援しよう!」と決心した時には、必ずこのホームページや記者会見を開いて、フジノの決意をお伝えしてきました。

『政策』本位の市長選挙を実現することがフジノの目標です。

厳しいこのまちの現状を少しでも良い方向へと変えていく「ビジョン」を示すこと。

目の前の壮絶な財政危機、制度そのものが維持できなくなりつつある社会保障など、山積みの問題をどう乗り越えていくかの「具体的な政策」を示すこと。

この2つを基準に、じっくりとそれぞれの立候補予定者の方々にお話を伺いたいと思います。

岸さんのシンボルマーク、とてもかわいいですね!

岸さんのシンボルマーク、とてもかわいいですね!


岸さん、本日はありがとうございました!