福光洋一さんの訃報に、改めてソーシャルワーカーとして生きる決意を固めました/神奈川新聞横須賀支社のみなさん、記事を本当にありがとう

福光洋一さんの訃報を神奈川新聞で知りました

けさの神奈川新聞を読んで、福光洋一さんが亡くなったことを初めて知りました。

福光洋一さんとは、社会的に弱い立場に追い込まれた方々に寄り添い続ける、本当の『正義の味方』でした。

あらゆる立場の人々の、どのような悩みや困り事であっても、常に『無報酬』でその声に耳を傾け続けた方でした。

苦しみの中にある方々がその苦境を抜け出せるように、市役所や裁判所をはじめ、あらゆる場所に一緒に同行し、解決してまわったのでした。

人はつらさの極地にある時、体が固まって動けなくなってしまいます。それを福光さんは温かく励まして、そして問題を一緒に解決できるように尽力して下さいました。

まさに『コミュニティソーシャルワーカー』のお手本そのもの。生きる教科書。

本当に、すごい方でした。

2014年10月29日・神奈川新聞記事より

2014年10月29日・神奈川新聞記事より

記事を全文引用させていただきます。

弱者へ寄り添い23年
横須賀で相談1万件、福光さん死去

横須賀市内で23年間、生活困窮者らの悩み相談に応じ、支援してきた福光洋一さん=藤沢市朝日町=が、がんで亡くなった。

少年時代に東京大空襲に遭うなど陰惨な時代を生き抜き、その信念から社会的弱者に寄り添い続け、25日、84年の生涯を終えた。

福光さんは病院職員として勤務後、1991年にJR衣笠駅前で、悩みの無料相談所『くらしの相談センター』を開設。

暮らしに行き詰まり切羽詰まった生活困窮者や多重債務に苦しむ人々など、多種多様な相談に優しい笑顔で応えてきた。

相談件数は23年間で約1万件に達した。

そうした活動が評価され、2002年に横浜弁護士会人権賞を受賞。

体調が悪化したため今年に入って同センターを閉じ、自宅で電話相談を続けていた。

戦争体験者として平和の尊さも訴え続けた。

8月10日、同市長沢で開かれた戦争体験を語り継ぐ会には、つえをついて参加。

「戦争というのは本当にひどい。こんな罪なことはない。死んだ人間も残った人たちも悲しみ、憎しみがある。戦争でそういうことを学んだ」

と語りかけた。

講演の機会は最後となったこの日、旅立つそのときを見据えてか、子どもや親世代を前に自らを奮い立たせながらこう締めくくった。

「僕は今、毎日が充実している。生きているのがこんなに素晴らしいものかって。

これからを生きる君たちには本当に幸せになってほしい。

大人には、子どもが夢を持てるような社会をつくり上げる責任がある。

一人の声はささやかかもしれないが、みんなでやれば必ずできる」

(織田匠)

神奈川新聞と織田匠記者に深く感謝しています

そして、福光さんの訃報を報じて下さった、神奈川新聞社と織田匠記者に深い感謝の気持ちを感じています。

よくぞ報じてくれました。

もしも神奈川新聞が報じてくれなかったら、僕は訃報を知らないままでした。

そしてもう1つ。

一般の読者にとって関心を持ってもらえる記事かどうかを考えた時に、つまりテレビで言うならば「視聴率が取れない」可能性が高いのに、あえて記事にして下さった。

さすが地元紙、素晴らしいと思いました。

たぶん、福光さんのことを大多数の人は知らないでしょう。

でも、弱い立場の人はみんな福光さんのことを知っていました。

市役所の相談窓口でさえ、いざという時には福光さんを頼りました。

議員だってフジノだけでなく、保守も革新もカンケーなく、市民の方からのどうしてあげることもできない相談を受けて悩んだ時に、誰もが福光さんに助けてもらったことがあるはずです。

そんな福光さんのことを神奈川新聞横須賀支社が知っていたこともすごいし、訃報を記事にした織田記者もすごいし、記事を通したデスクもすごい。

神奈川新聞横須賀支社の姿勢を本当にこころづよく感じました。

市内どころか全国から、福光さんを頼って相談に訪れたり電話をかけてこられる人がたくさんいました。

でも、福光さんは決して陽の目を浴びない、むしろそうした外部からの評価なんてどうでも良いと感じておられた方でした。

けれども、福光さんを必要とする弱い立場の方々は、ずっと感謝の気持ちを抱き続けてきました。

僕から見たらナイチンゲールのような『偉人』と同列の存在でした。

彼の為してきた偉業はもっともっと広く知られるべきだと感じてきました。

そんな福光さんのことを神奈川新聞が報じて下さったことは、感謝してもしきれません。ありがとうございます。

10年前、フジノは本気で弟子入りをお願いしました

福光さんは、社会的な意味での評価とは距離を置いてこられた方でした。

『横浜弁護士会人権賞』以外にも、本来ならばもっともっとあらゆる賞を受ける価値のある活動をずっと継続されてきた方でした。

でも、ヘビースモーカーでご自分の健康には無頓着。

そして、お金にも無頓着。

福光さんが考えていたのはいつも困っている人たちのことでした。

フジノはそんな福光さんに「弟子にしてください」と本気でお願いしに行ったことがあります。

今からちょうど10年前のことです。

当時すでに74才だった福光さん。健康状態も決して良くはありませんでした。

もしも『くらしの相談センター』が無くなったら、困る人があふれてしまう。

だから、僕が後継者になろう、と本気で考えたのです。

そんな僕の言葉を、福光さんは喜んではくれたものの、申し出はやんわりと断られてしまいました。

「『くらしの相談センター』の家賃が支払えなくて困っている」と福光さんがふとグチったのを聴いたフジノ。

そこで機会があるごとに篤志家の方々に

「どうか福光さんの活動に『寄附』をしてください」

とお願いして回りました。

実際に、複数の方々が寄附をして下さいました(数百万円になった、と聴いています)。

そのおかげで、しばらくのあいだは家賃問題は大丈夫だったようです。

フジノができた恩返しはそれだけでした。

本当の恩返しは、福光さんの仕事を引き継いでいくこと

いや、まだ恩返しはこれからですね。

福光さんが『くらしの相談センター』で取り組み続けてきたことを、僕が同じ想いをもってずっと活動していくことこそが、恩返しのはず。

フジノは政治家ですが、同時に精神保健福祉士(精神科ソーシャルワーカー)の端くれです。

地域を走り回り、声にならない声に耳を傾け、厳しい現実をいつも見逃さず、声をあげつづけて、社会が少しでも良い方向になるように信じて活動していくこと。

今もその想いを胸に秘めていつも仕事をしているつもりです。

しかし、今以上にもっと強くその気持ちをもって、働いていきたいです。

福光さん、今までずっと、本当におつかれさまでした。

そして、ありがとうございました。

マルチ商法と闘う為に「くらしの相談センター」の福光洋一さんに助けを求めました/食料品の現物カンパをお願いします!

マルチ商法と闘うために

最近、『マルチ商法』についての相談を受けています。

この犯罪の憎たらしいところは、

  • 加害者が自分が犯罪を犯しているという認識が無いまま、
  • サークル活動をやっているような気分で
  • 他人に被害を及ぼしていき
  • 最後には自分自身も破滅する

というところにあります。

福光洋一さんの「くらしの相談センター」へ

横須賀市役所にも消費生活センターをはじめ、いろいろな相談窓口があります。

けれども今回は、衣笠の『くらしの相談センター』に頼らせて頂きました。

ここは、フジノが「弟子にしてください」とお願いをしている、あの福光洋一さんがお1人で運営されている相談所です。

大急ぎのにわか勉強でフジノが相談を受けるよりも、これまで『マルチ商法』とも闘ってこられた福光さんの経験こそが、僕に相談してこられた方には必要だと思いました。

そこで福光さんにお願いをして、相談にのっていただきました。

僕も『マルチ商法』との闘い方を勉強したくて、相談を受ける方にお願いをして同席をさせていただきました。

今回も福光さんはお忙しいのに45分もお時間を取って下さいました。ありがとうございました!

半年、1年かかるかもしれませんが、相談者の方によりそって力になれるように僕もがんばります。
 
福光さん、どうかまた途中経過を報告させてください。

(マルチ商法と闘っている方々は、国民生活センターをはじめ、弁護士会などたくさんあります。代表的なところはこちらをご覧下さい)

【お願い】食料品の現物カンパを募集しています!

ところで、HPをご覧のみなさまにお願いがあります。

福光さんのところに相談に来られる方々の中には、『年を越すこともできない状態の方』がいらっしゃいます。

そこで、福光さんの『くらしの相談センター』では、『食料品の現物カンパ』を受け付けています。

どうかご協力お願いします!

すでに『センター』にはお米が積まれていたりしましたが、もっともっとあっても良いかと思います。

公職選挙法のしばりでこうした寄付さえできない政治家という立場は、本当にふがいないものです。

だからせめて宣伝させてください。

くらしの相談センターに食料品の現物カンパをお願いします!

福光さんの『くらしの相談センター』は、JR衣笠駅を背中にすると、道路を渡って左側になります。


 
歩いて1分ほどするとすぐに看板が出ているので分かります。
 
『TUSUTAYA』まで行ってしまったら通り過ぎてしまった、という合図です。

小さな入り口ですが、路面店ですので、すぐに見つけられるはずです。

どうかご協力をお願いします!

本気で「弟子入り」をお願いしに行きました/福光洋一さんの『くらしの相談センター』へ

福光洋一さんの『くらしの相談センター』へ

今日は、衣笠にある『くらしの相談センター』を訪れました。

このセンターをたったお1人で運営されている、福光洋一さんにお会いするためです。

このセンターは、先日テレビのドキュメンタリーでも放映されて知っている方もすごく多いと思います。

どんな相談にも『無料』でのってくださる、ものすごく素晴らしい方です。
 
こんな方が同じまちに存在していることは「奇跡だ」と僕は思います。

遅まきながら僕もまたこの番組を観て、福光洋一さんという存在を知りました。

番組を観終えて涙がたくさん出て、

「ああ、この方のやっていることは僕のやりたいことを究極までつきつめたものだ」

と感じました。

『センター』という名前ではあるものの、あくまでもわずか数畳くらいしかない部屋です。

そこにテーブルとイスがあって、24時間そこで福光さんは寝泊りしながらたくさんの方々の相談をうけていらっしゃるのです。

75才の福光さんは、退職されてから14年間、たくさんの方々を助けてこられました。

その生き方を知って、僕は僕のめざしているものを突き詰めた姿を見た気がして、「こういう生き方がしたいんだ」と自分のことを再確認しながらも、同時に、ものすごく恐ろしい気持ちになりました。

本気で「弟子入り」をお願いしました

ものすごく運が良かったのですが、長年にわたって福光洋一さんと交流のある方と出会いました。

そこでその方にあいだに入って頂いて、福光さんの忙しいスケジュールをやりくりして頂いて、やっと今日お会いすることができました。

福光さんは今日も朝7時半から相談にのっていらっしゃいました。

僕は10時から11時半までお時間をいただいたのですが、その間も電話がかかってきたり人が訪れてきたり。

本当にたくさんの方が福光さんの存在を必要としていることが、わずか1時間半の滞在でも十二分に分かりました。

僕がお会いした目的は、本音で書きますが

「弟子入りさせてください」

とお願いしに行ったのです。

朝から夜中までぶっとおしで、福光さんのスケジュールは完全に埋まっています。

毎月100件以上の相談に福光さんは支えになって下さっています。

けれども、もしも福光さんがいなくなってしまったら...。

「これだけ多くの『福光さんを必要としている人々』が行き先を失ってしまうのは絶対に避けたい」

と僕は考えました。

「彼の遺伝子・たましいを受け継ぐ人材を育てなければならない」

と(生意気ですが)僕は考えました。

それならば、まず僕自身がそうなろう、僕自身がそうなるべきなのだ、と思いました。

僕でも、僕じゃなくても、誰でもいいんです。
 
こういう大切な『よろず相談所』をこのまちにたくさんたくさん存在させたいのです。

本当は行政がそうなれれば1番いい。

けれども、行政(市役所)でさえ、福光さんに相談をまわしているのが現実の状況です。

そこで、弟子入りをお願いしに行ったのです。

弟子入りは断られてしまいました

「きみはまじめすぎるからなあ(笑)」

あっさりと弟子入りの話は断れらてしまいました。

「週1日だけでも、福光さんのそばについて学びたいんです」

そうお願いしたのですが、やんわりと笑顔で諭されてしまいました。

「市議会議員には、市議会議員にしかできない仕事がある。きみにはそれをやってほしい」と。

そして、これまでの相談体験を1時間半、語ってくれました。

笑いが絶えない、楽しい時間を過ごさせていただきました。

やがて、別の相談者の方が訪れて僕たちは帰りました。

ソーシャルワークを徹底してやり続けて、いつか福光さんの弟子になります

断られても、僕はめげていません。

いきなり今日会っただけの人間を弟子にするような人なんて、いないはずです。

正直なところ、昨日から緊張してしまって、話したいことの10個のうち1個くらいしか話せませんでしたし、僕のことを全然伝えきることができませんでした。

確かに『政治家にしかできないこと』を政治家フジノとして僕がやらなければならないことも、十分に僕は理解しています。

でも、その前に『人間として僕がやらなければならないこと』があるのを
 僕は僕としてやらなければならないのです。

めげずに、邪魔にならないように時々顔を出させていただいて、福光さんのすごさを吸収させていただきたいと思いました。

相談者として生きることの重みと苦しみと

そんなことを書いておきながら、全く逆のことを書きます。

『相談を受ける者』として生きていくのは本当につらいし、覚悟がいるし、精神的にも肉体的に苦しみます。

今日、数ヶ月にわたって相談にのってきた方が、なんとかましな結末を迎えることができて、フジノはふらふらです。

もちろん相談してくださっている方こそが最も苦しくてつらくて大変なんです。

僕なんかどうでもいい。

だから、相談にのっている時はガンガンいけるのです。

でも、無事解決というかハッピーエンドであっても、それがひと段落つくと、気づいていなかった疲れが出てきます。

今日はもう立ち上がれないくらいに、言葉のあやでなく本当に立ち上がれないくらいに疲労感で動けなくなってしまいました。

畳の上でスーツのまま数時間ぶったおれて、やっと今、何とかパソコンの前に座っています。

フジノは「改革者」ではなくて、社会福祉を実践したいだけなのです

まちかどで演説をしていて話しかけられたりする時、多くの方々が

「政治家フジノは『改革者』として在ってほしい」

というイメージを持っているのをつくづく感じます。

若き政治家として、リーダーシップを取っていくことを期待されているのもよく感じます。

けれども、僕自身の中には、『そういう自分』を全くイメージできません。

繰り返しずうっと「市長選挙には出ません」と語ってきたのも決して謙遜でも何でもなく、それは僕自身の『在りたい姿』では無いからなのです。

苦しくても苦しくても他人の相談に少しでも乗りたいと願うのは何故なのだろう、と自問自答した頃もありました。

でも、また疲れが癒えると立ち上がって、少しでも他人の力になれたらと本能のように願うのは、僕が「そう在りたいから」だと今はハッキリと分かります。

僕はそういう人間で在りたいのです。

人の生き死にに少しでもかかわることの重みと覚悟。

それはたぶん相談を受けたことのない方には絶対に理解できない、自分の全存在をかけた時間を過ごすことです。

時に苦しくて吐き気さえしてくることもありますが、でも、それが自分の生き方なのだと思います。