進退について決心しました。これからも「命を守る」為に全力で取り組んでいきます!/選挙まで残り12日間。落選しても自分らしさを貫きます

「命を守る」為にこれからも全力を尽くします

これから自分がどうしていくべきか、進退についての結論がようやく出せました。

本日、選挙管理委員会を訪れました。

そして、正式な立候補予定者となることをお伝えしてまいりました。

横須賀市選挙管理委員会へ

横須賀市選挙管理委員会へ


夕方には、SNSを通じて動画でみなさまに素直な想いを報告させていただきました。





ボロボロの自分、完全に消えた自信

2ヶ月間にわたる鬱病による長期休職は本当に長くて苦しくて、長年つちかってきた仕事の成果に裏打ちされた自信も誇りも全て消えてなくなりました。

とても弱気になり、人と会うのは怖くてたまらず、何かちょっと行動しただけでクタクタに疲れ切ってしまうのです。

3月18日に正副議長にお会いしていただき、3月25日に全ての議員にお会いしていただき、長期休職のお詫びとご説明をさせていただきました。

3月26日にはようやくみなさまに向けてブログを通じてこれまでの経緯についてお伝えすることができました。

いろいろな方から今後について尋ねられても

「4月末に任期が終わるまでは全力で働きます。それ以外は分かりません」

正直なところ、その日の僕にはそれしか考えられない状態でした。

これから自分がどうしていくべきなのか、まだ何も考えられませんでした。



全国から頂いた温かい励ましのお言葉

そのブログ記事を3月27日に上西充子先生と三宅雪子元代議士がツイッターでつぶやいて下さったおかげで、全国にフジノの長期休職と復帰をめざしていることが拡散されました。

ブログへのアクセスも久しぶりにすごい数にのぼりました。

さらに3月28日の夜頃には、お返事しきれないくらいにたくさんのメール・SNSのメッセージ・留守番電話を全国からいただきました。本当にたくさんの方から温かいお言葉をいただきました。

僕は『政策』には命をかけて取り組んできましたので自信があります。

予算議会で行なうつもりだった市長への質問原稿も完成していますので、本会議さえあればいつでも質問に立てます。

いつも市民のみなさまの声に耳を傾けてきた自負がありますので、予算委員会が開かれれば、原稿なしでも何時間でも質問に立てます。

この16年間、一般質問や委員会質問が浮かばないということは一度もありませんでした。いつも質問原稿を削って削って、発言時間内におさめることに必死でした。

解決しなければならない問題はいつも目の前にたくさんありますので、提案したい取り組みも叶えたい政策もたくさんあります。

けれども、僕は求められているのでしょうか?

つい数日前まで鬱病で死にかけていた僕には自信もなく、自己肯定感も低くて、『政策』ではなくて『僕そのもの』が必要とされているのかは全く分かりませんでした。

だから、こんなにもたくさんの励ましのお言葉をいただいた時に、泣けてしかたがありませんでした。

病気特有の感情の不安定さもあったとは思います。

でも、こんなにボロボロになった使い古しのぞうきんみたいな僕でも、まだ必要として下さっている方々がおられるのだと、涙が出ました。



ドクターの許可は出ても消えなかった迷いと悩み

3月28日・29日と、体の病院・メンタルクリニック・カウンセリングと立て続けに受診をしました。

ドクターも、カウンセラーも、「藤野さんのやりたいようにやってごらんなさい」とおっしゃって下さいました。医療的なゴーサインは出ました。

それでも、なかなか気持ちが定まりませんでした。

なんといっても、ほとんどの政治家たちは選挙の準備は1年前から始めるのが常識です。

常識が嫌いなフジノは、これまで16年間いつも「予算審査も終わっていないのに自分の進退なんか語ってる場合じゃない」と強がってきました。

予算議会が終わる3月末までいつも選挙の準備をしたことがありませんでした。

でも、それは心身ともに充実していたからこそできた『無理』なのでした。

今の自分の状況は、過去とはかけ離れていました。

なんとか『無理』をして人と会うことができる、なんとか『無理』をしてブログやメールへのお返事を書ける、そんなレベルなのです。

しかも今年は天皇陛下の退位と即位の関係で、例年とは異なってあらゆる選挙の日程がかなり早い時期に繰り上げて行なわれることになりました。

そして4月はもう目の前です。

つまり、僕に残されている時間はほぼありません。

今までとは全く違う完全にマイナス要素しか無い中で『落選確実』なのに立候補してもなあ・・・と迷いました。



苦しんでいる人の存在を知っているのに動かなければ僕には生きている意味が無い

3月30日、初めて市外での仕事に復帰しました。

3期目に入ってからずっと取り組んできた、大切な政策があります。赤ちゃんにまつわる、あらゆる事柄についてです。

不妊症・不育症とその治療。たくさんの涙、葛藤、喜び、悲しみ。

流産・死産・新生児死亡・中絶、グリーフケア(ビリーブメントケア)。

生まれる前の赤ちゃんの状態を調べることができる様々な出生前診断とNIPT。

低出生体重児と呼ばれる小さく生まれた赤ちゃんや人工呼吸器などの医療的ケアが必要な赤ちゃん、NICU・GCU、周産期医療と小児医療。

予期せぬ妊娠によって生まれた赤ちゃん、親の精神疾患やアルコールや薬物依存症や虐待などで引き離された赤ちゃん。

里親制度と養子縁組。

これらのテーマは取り組む人がいないのでフジノがやらねばならない大事なテーマです。

もちろん予算議会でも質問するつもりだった様々な提案があります。

そんな強い想いを持つ僕なので、3月30日に参加させてもらったNPOによる『胎児相談ホットライン設立説明会』は本当に感動しました。

2016年に一般質問して横須賀に立ち上げを提案した取り組みを、民間の産婦人科ドクターをリーダーに、NPOと市民のみなさんが一緒になって設立に向けて本当にがんばっておられました。

ふだんは絶対にシンポジウムや講演会の後の懇親会には参加しないフジノですが、終電にまにあうぎりぎりまで懇親会に残って、たくさんのことをたくさんの同じ想いを持つ方々と語り合いました。

僕の中の

「政治家たちはとりあげないけれど本当に苦しんでいる人がいるのに、誰にも言えないせいでよけいに苦しい想いをしている人たちの存在を知っている以上、僕が動かなければ僕が生きている意味は無い」

という想いが沸々と蘇ってきました。



長年の仲間を置き去りにしてひとりだけ健康になれたとしても僕には意味が無い

翌3月31日は、初めて市内での仕事に復帰しました。

ひとり親支援の為に12年以上前から一緒にがんばってくださっている方々と再会することができました。

『よこすかひとり親サポーターズひまわり』の定期総会に参加させていただいたのです。

僕自身が立ち上げメンバーのひとりのようなものなので、毎年出席している恒例行事です。

けれども毎年とは違う空気(それは僕のせいです)がありました。

うまくここには記せないのですが、ひとり親支援が日の目を全く浴びなかった頃からそれでも一生懸命ともにがんばってきてくれた方々から頂いた励ましのお言葉は、深く心につきささりました。

がんばっている人たちを置き去りにして僕ひとりだけ元気になれたとしても何の意味も無いと感じました。

みんなと一緒にまだまだがんばりつづけたいという気持ちが湧いてくるのを感じました。



心の師匠から頂いたお言葉

ある方にお会いしていただく為に、定期総会・お花見会を途中で抜け出しました。

18〜19歳の頃に読んだ本でその方の存在を知って、いろいろな経緯を経て、僕はその方の後を追うように政治家になりました。

僕にとって『心の師匠』と呼ぶべき存在です。

ご縁があって親しくさせていただいてはいても、やっぱり十代の頃からの憧れの存在なので、今までは個人的な相談を聞いていただくようなことをしたことは1度もありませんでした。

勇気をもってこちらから初めてお電話をさせていただいて、ご自宅でお会いしていただきました。

ブログでも記した12月末に起こった悲しい出来事をはじめ、長期休職に至った経緯とこれからどうすべきか悩んでいることを率直にお話しました。

テレビ出演や執筆など本当にお忙しい方なのですが、一度も時計に目をやることもなく3時間も相談にのっていただきました。

そして明快な結論をいただきました。

「何も恥ずべきことはない。きみは胸をはって立候補しなさい」

このお言葉をいただいて、全てが吹っ切れました。

帰路の電車内で、僕が10代の頃から44才の今に至るまでの人生を振り返っていました。

僕は、誰かが幸せになってくれることが僕の幸せなのだ。

僕は、誰かの苦しみを消えて無くせることが僕の幸せなのだ。

それが僕の生きている意味で、他には無い。趣味もないし、お酒もタバコもやらないし、僕には何も無い。

ただひとつ、「命を守る」為に働き続けることだけが僕の存在意義なのだと改めて確信しました。



家族の想い

そして、昨日4月1日。

入院している家族のもとで1日の大半を過ごしました。

この16年間、かつては大家族だったはずの藤野家はひとり欠け、ふたり欠け、遺されたのはごくわずかになってしまいました。

元気に動けるのは僕しか居ませんし、その僕がまた24時間365日働くような環境に戻っていくことは家族にとって良いこととは思えません。

それでも僕の素直な想いを話して、家族がどう思うのかを聞かせてもらいました。

「英明の生きたいように生きることが大切」

その言葉で、決意は固まりました。



たとえ準備は不十分でも自分らしさを貫きます

この16日間の僕の心の動きを記しました。

そして、今日のご報告に至りました。

過去の経験から、選挙というものは本当に心身ともに疲弊しますし、準備には長い期間をかければかけるほど良いことは分かっています。

残り12日間という状況ですから、準備は不十分にしかできないでしょう。

選挙は甘くない。たぶん落選する。

でも、いい。自分らしさだけを最後まで貫ければ、いい。そう思っています。

僕には訴えたい政策があふれるほどにあります。

僕には守らなければならない人たちがたくさんいます。

僕には声にならない声に常に耳を傾けねばならない責任があります。

僕はその声を必ず代弁して社会を変えていかねばならないという強い想いがあります。

だから、歩き続けます。



これからも歩き続けます

16年間ずっと前を向いて歩き続けてきて、2ヶ月休んでしまったけれど、僕はこれからも歩き続けます。

あいかわらず「長い文章は読まれない」とみんなに言われるのは分かっているのですが、素直な気持ちを伝えるには長くなるのはしかたがありません。

僕のこの想いをあなたに知ってほしくて、この文章を書きました。

これからも歩き続けます!



ようやく「進退」について結論を出しました/ラスト20日間、準備は間に合わないかもしれないけれど「生身の自分」だけで市民のみなさまと向き合いたいです

ようやく今後の進退について「結論」を出しました

ずっと、悩み続けてきました。

父の病院まで向かう道のりから見える風景

父の病院まで向かう道のりから見える風景


誰よりも信頼してきた祖父と5日前に語りあい、今日は父と語り合ってきました。

植物状態で入院中の父と。昨年からずっと危篤状態が続いていて、この1週間もとても危険な状態なのです(涙)

植物状態で入院中の父と。昨年からずっと危篤状態が続いていて、この1週間もとても危険な状態なのです(涙)


そして、1つの結論に至りました。



ひとことではお伝えできないので、20分ほどそのままの気持ちをお伝えしました

父の病院を出たところで、そのままの想いをツイキャスで生中継して市民のみなさまにお伝えしました。

その録画をこちらにも掲載いたします。

相変わらずフジノの言葉はたどたどしく、政治家の言葉としては下手くそです。けれども、今の生の想いを語りました。

よろしければご覧下さい。




フジノの決意が定まらなかった為に長い間ご心配をおかけしたみなさまには、こころからお詫びを申し上げます。

けれども、悩み続ける期間が必要でした。

そして、ずっと本気で悩みぬいた末に最終的に出した結論なのでもはや絶対に逃げません。

この沈みかかった横須賀という船に乗っている人々を、フジノはどんなことがあっても最後まで守り抜きます。



立候補すべきか否か、吐き気がするほど悩んでいます/「横須賀市議会議員選挙立候補予定者向け事前説明会」を終えて

ひとりごと

「現役の政治家は、任期の限り精一杯働くことだけに専念すべきだ」

そう信じています。

ですから、マスメディアの方の取材や市民の方からお尋ねされるたびに

「予算議会が終わるその日(3月25日)まで、自らの今後の身の処し方をフジノはお伝えするつもりはありません」

と答え続けてきました。

けれども、率直に申し上げて、悩んでいます。

吐き気がするほど毎日考えてしまわずにいられません。

僕は、再出馬すべきなのか、否か。

2015年3月8日・神奈川新聞より

2015年3月8日・神奈川新聞より


上の新聞報道の通り、立候補予定者向けの事前説明会が開かれました。

ほとんどの市民のみなさまは知らないと思うのですが(12年前のフジノも知りませんでした)、この説明会に参加して配られる資料をもらわなければ立候補にエントリーすることが(『実質的』には)できません。

だから、迷い続けて悩み続けているままのフジノも、参加しました。

けれども、僕は迷っています。

僕は、自分がこのまちに必要とされているとは自分自身では全く感じられないのです。

やらねばならないことは、いつだって山積みです。

だから、いつだって全身全霊をかけて働いてきました。

全国に誇るような政策をいくつも実現してきました。

今まで実現した政策の数々は、たくさんのテレビや新聞や本に取り上げられました。

そして、今日だって朝から真夜中までずっと(本当に寝ないで食べないで)ずっと市民の方からのご相談を受け続けています。

悩んでいようが、親が死にかけていようが、うつ病持ちでパニック障がい持ちで移動もままならなくても、弱音を吐きながらも、いつだって僕は全力で働いてきました。

けれども、市民のみなさまは『政治家フジノ』を本当に必要としているのでしょうか?

  • 『政治家フジノ』が存在することが逆に、『お任せ民主主義』を深めていませんか。

  • 『政治家フジノ』が12年前に誕生したせいで、誰でも安易に立候補するようになって、このまちの政治家たちは明らかに『劣化』が進んでいませんか。

  • 『政治家フジノ』が吉田市長の1期目の当選を応援したせいで、このまちからは明らかに『活気』が失われていませんか。

歴史に「もしも」は存在しませんが、もしも12年前にフジノが政治家に転職しなかったならば、今の現実はもっとマシなものだったかもしれないとさえ感じる時があります。

僕は、与えられた仕事だけでなく、自分で勝手にどんどん現場に入っていって、苦しんで助けを求めている人の声が微かにでも聴こえれば、どこにだって飛んでいきます。

その悩みや苦しみに、どんなに月日が経とうとも寄り添い続けていきます。

でも、それは『政治家』でなくても僕にはできることです。

明日も、予算委員会です。

政治家フジノはいつもどおり全身全霊をかけて質疑をしてきます。



後日追記:3月30日、結論を出しました

この日書いたように、ずっとずっと悩み続けてきたフジノです。

けれどもようやく3月30日に結論を出しました。

その時の想いを記したブログがこちらです。どうかご覧下さいね。



植物状態の父さんがくれた新しいメッセージ

植物状態の父さんがくれた新しいメッセージ

今日、おふくろから

「英明に見せたい物があるの」

と言われた。

おふくろの後について庭に行くと、壁に立てかけられた横長の板があった。

真っ黒に汚れた板を裏返すと、それは4年前(2003年)の『藤野英明選挙事務所』の『看板』だった。


 
4年前の4月には、妹の結婚式があった。つまり、『選挙』と時期がクロスしていた。

僕の立候補には、おやじ(父)をはじめ家族みんなが反対だったので

「妹の結婚に差し支えるので、お前の立候補のことは(武山では)秘密にしてくれ」

と、おやじに言われていた。

誰に反対されても1人でやればいいだけのことなので、僕は、近所の人にも一切、何も話さなかった。

『今までの選挙』の常識は全てやめて、『新しい選挙』をやろうとしていたから、地元とのカンケーを断ち切るのは望むところだった。

(実際、選挙期間7日間を通じて武山には合計して2時間しか戻らなかった。

過去のブログを読みかえしたら、あえて『近所の人々へ』という文章まで書いていた)

けれど、1つだけ困ったことがあった。

それは、

「選挙の時には必ず1ヶ所、どこかに選挙事務所を作らなければいけない」



と、(たぶん選挙管理委員会から)言われていたのだ。

選挙事務所なんて僕には必要ない。
 
あっても使うことさえ無い。

けれども、法律で決まっいて、しかも自宅以外に住所が無いからどうにもできなくて、しかたなく、おやじに頭を下げて自宅を住所にした。

立候補に反対していたおやじなので、当然ながら、良い顔はしなかった。

電話もあえて別回線を引いて、とにかく家には迷惑をかけないようにした。

加えて、選挙事務所の『看板』だけは付けざるをえなかった。

「選挙の初日から最終日まで7日間だけ、家の壁に看板をつけさせて下さい」

とお願いをして、選挙当日の朝に着けて、選挙最終日にはすぐはずす約束をして、看板をつけることにした。

平成町の『ホームズ』でコンパネ(厚めのベニヤ板)を買ってきて、ステッカー会社に勤める先輩にシールを作ってもらって貼った。

選挙が終わって、約束どおりに看板はすぐはずした。

その後、燃えるゴミに出していたと思っていた。

その看板が、出てきたのだ。

「何これ?どうしたの?」

と、おふくろに尋ねると

「草ぼうぼうの物置の陰に置いてあって、草を刈ったら出てきたの」

と、言われた。

「へえ、捨ててなかったんだね」

そう僕は応えて、次の資源ごみの日までにこのでかい板をどうやって捨てようかと考えていた。

「板を表向きにしてみて」

と、おふくろが言った。

そして、僕は板を表にしてみた。

「あっ!」

思わず、声が出てしまった。

雨ざらしになっていた裏面こそ、どす黒く汚れていたけれど、表面は思った以上にキレイなままだった。

藤野英明選挙事務所の看板

藤野英明選挙事務所の看板


けれども、驚いたのは、それじゃない。

文字が書かれていたのだ。

当選

これは父さんの字だった...。

3年前の12月、僕の父さんは脳出血によって、完全に植物状態になってしまった。

朝、不調を感じた父は自分の足で病院に行き、主治医から入院をするように言われた。

東京の杉並区立和田中学校を視察していた僕は14時頃、入院先の父のもとへ向かった。

意識がある状態で元気だった父は、

「英明、リハビリすればまた動けるようになるかな?」

と僕に尋ねた。

僕はもちろんだよと応えた。

どこの家庭でもそうだろうけれど、父親と息子とはなかなかうまくいかないもので、30年間、僕はおやじとまともに向き合ったことがなかった。

その2日前、やっと僕たちは打ち解けた。
 
「これからは毎月でも一緒に映画に行こう」

と約束した。

でも、あっという間にそれはもはや実現できない夢となった。

父さんは、僕とは対照的な九州男児だった。

柔道・剣道ともに有段者で、豪快にお酒を飲んで、いろいろなことを一人きりで解決していく人だった。

がさつなところもあるけれど、いつも自分のことは後回しにして他人の為に生きてきた人だ。

強くて優しい、素晴らしい父親だ。

幼い頃から僕は、ずうっと父のことを尊敬していた。

けれども、そんな当たり前の気持ちさえ、本人の前では言葉にしたことが無かった。

父が言葉を発することができなくなったあの日から、毎日毎日、父さんのことを考えている。

悩んだり、答えが出ない問題にぶちあたると、

「父さんだったらどうするだろうか」

と、いつも考えてきた。

父さんの声が聴きたい、といつも想ってきた。

過去にもらったメールも手紙も保存してある。
 
父さんが書いたメモ(メモ魔だった)もたくさんとってある。

でも、『新しい言葉』はもう発せられることは無い。

何度お見舞いに行っても、父の状態が好転することは無いままだ。

喉と胃に穴があけられて管を通されて、目は開いているけれど視力は無く、音声だけは聴こえている可能性はあるけれども反応はできない。

植物状態。

真っ暗闇で音の無い世界にいる父。
 
洞窟の中に独りでいるような状態なのか、孤独なのか、苦しいのか。もう戻ってきてはくれないのか。

父さんは今、伊豆の病院に入院している。
 
リハビリがしっかりしているので有名な病院だ。

横須賀の病院ではリハビリをしてくれない。
 
リハビリをしてくれる関東の病院はどこも混んでいて入れない。

だから、遠くこのまちを離れた伊豆にいる。

どれだけ特急に乗っても2時間半、そこからタクシーで20分。

僕は仕事にかまけて、もう半年くらい父さんに会いに行っていない。

決算議会が終わったら、予算議会が終わったら、いつまでもぐだぐだ言っていて僕は足が動かない。

おれは父さんの姿を見たくないのか。

こんなにいつも想っているのに何故おれはお見舞いに行けないのか。

いつもいつも自問自答している。

そんな僕の前に、3年前の12月からずうっと願っていた『父さんの新しい言葉』が現れたのだった。


 
「母さんは、父さんがこれを書いたの知ってた?」

「ううん、私も知らなかったの。きっとね、英明が当選したのがうれしかったんだろうね」

父さん...。

空きスペースに書かれた「当選」の文字

空きスペースに書かれた「当選」の文字


おれは、どうすればいいんだろう。

これから生きていく道を迷って悩んでいるおれの前に、できすぎたタイミングでこんな言葉を送ってきやがって。

父さん、おれはどうすればいいんだろう。

父さん...。