選挙事務所用の看板を取りつけて全ての準備が終わりました/選挙まで残り0日

「いわゆる選挙事務所」と「形だけのフジノの選挙事務所」の違い

『ふつうの政治家の選挙事務所』に行くと、千客万来でドアが空いていて、受付があります。

電話機が数台置いてあって、名簿をもとに支持を求める電話をかける担当の方々がいます。

立ち寄ったお客さんを後援会長らが出迎えて、情勢分析をしたり、談話をしたりしています。お茶を出す方も居たりします。

候補者が選挙カーでスタートするのは選挙事務所で、帰ってくるのも選挙事務所です。

一方、『フジノの選挙事務所』は全く違います。

選挙の初日にポスター貼りをして下さるボランティアのみなさんの集合場所として、ポスターを渡すだけ。

また、貼り終わったボランティアさんが予備のポスターを返却するだけの場所なのです。

電話かけは一切しません。

来客はお断りしています(何故ならば誰もいないから)。

事務所の電話は使いません(何故ならば誰もいないから)。

選挙管理委員会からの急な電話はフジノの私用スマホでやりとりします。

フジノは自宅から街頭演説に出発して、事務所に寄ることはまず無く、20時の街頭演説終了時間が過ぎるとそのまま自宅に帰っていきます。

その日の出来事をブログに書くのも友達のカフェだったり、自宅に帰ってから更新することがほとんどです。

つまり実際には事務所は不要なのです。

それでは何故、選挙事務所なんてなのっているかというと、立候補届け出の書類上どこかを選挙事務所にしなければならないから。

選挙管理委員会に提出しなければならない書類に『選挙事務所設置届』というのがあるので、とりあえずどこかを事務所として届け出なければなりません。それだけの理由なのです。

過去3回の選挙まで(2011年まで)は、『自宅の住所』を事務所として届け出していました。

けれども『選挙事務所の住所』は公開されてしまう情報なので、ストーカー被害に遭って苦しんでいたフジノは『自宅の住所』を届け出先として使うのをやめました。

ふだん政治家として一般質問を作ったり資料を読んだり政務活動で使っている事務所の住所を、書類上、やむなく届け出先としています。



ひとりで看板を設置しようとしたのですが、ピンチ!

フジノの事務所はあまりにも場所が分かりにくいところにあります。

クロネコヤマトさんも佐川急便さんもいつも迷って、場所の問い合わせの電話が入るくらいです。

それくらい分かりにくいので地図を書いて説明をしてもポスター貼りをしてくれるボランティアのみなさんも迷ってしまうことが分かりました。

そこで、4年前(2015年)の選挙の時に看板を新たに注文して取りつけました。

2015年の選挙の時に看板を取りつけてもらった様子です

2015年の選挙の時に看板を取りつけてもらった様子です


この4年前に作ってもらった看板をずっと自宅に保管していました。

数日前、この看板と脚立(折りたたみ式のはしご)をがんばって事務所に運びました。

まずこの作業が本当に大変でした!

前回は看板のプロの方(脱原発の仲間に職人さんが居てくれたのです!)に作成も取り付けもお願いしました。

その時いとも簡単に5分もかからずに壁にとりつけていたので、今回はフジノがひとりで取り付けることにしました。

昨日の午後、作業スタート。

前回の選挙の時に使ったネジと同じものをHOMESで買い揃えたし、自宅から持ってきた電動ドリルドライバーで、あっという間に終わるはずでした。

いともカンタンに全くとりつけができず立ち往生のフジノ

いともカンタンに全くとりつけができず立ち往生のフジノ


それが全く歯が立ちませんでした...。

合計6本のネジで看板を壁につけねばならないのに、全くネジが入っていかないのです。

ドリルで穴を先にあけてからネジを入れようとしたのですが、そもそもフジノの電動ドリルドライバーのドリルの刃では壁に穴がちょっとしかあきません。

結局、壁に3本だけネジが半分だけ入ったものの、看板は風が吹くたびに大きくぶらんこのように揺れ続けました。

友だちと会う約束の時間が近づいてきたので、大量のガムテープで壁に固定しました。

固定したとは言えない不安定な看板にフジノはパニック!

固定したとは言えない不安定な看板にフジノはパニック!


選挙開始前に看板が見えてしまうのはまずいので、とにかくカバーだけかけました。



助けを求めたら友達が来てくれました!

どうしても看板が飛んで人やモノを傷つけるのが気になってしかたなくて、友人に電話して事務所に来てもらうことにしました。

もともと会う理由だったことは先延ばしして、看板を助けてもらえることになりました。

友人が助けに来てくれました

友人が助けに来てくれました


そして、ふたりがかりで作業を再開しました。

選挙がスタートするまではカバーをつけなければなりません

選挙がスタートするまではカバーをつけなければなりません


まず取り外して、そして新たに取り付け直しました。今度はうまくつけることができました!

友達の助けが無ければ本当に危険なところでした。

友よ、ありがとう(涙)

ひと晩たっても風雨に耐えてしっかり壁に固定されていました

ひと晩たっても風雨に耐えてしっかり壁に固定されていました


ひと晩たってもガッチリと壁にくっついていました。これで安心です。

もう全ての準備が整いました。

あとは当日に立候補届け出を出すだけです!



選挙事務所に新しい看板を取りつけて、街頭演説用のぼりに名前を入れて、全ての準備完了です/横須賀市議会議員選挙(1日目・その2)

事務所に「新しい看板」を付けました

選挙管理委員会から立候補届けを終えて事務所に戻りました。

友人が看板を取り付けてくれていました。

看板を取り付けてくれたのは、脱原発の仲間です

看板を取り付けてくれたのは、脱原発の仲間です


今回、『新しい看板』をあえて作りました。

これまで12年間使ってきた看板はとても大切なものなのです。

事務所に誹謗中傷ビラを巻かれた事件があった後なので、きっとこの看板にも嫌がらせをされてしまうかもしれない。

けれども僕の父が僕に遺してくれた最後の『生の言葉』なのです。何よりも大切です。

だから、もう2度と使わずに大切に保管することにしました。

そこで、急きょ友達に看板を作ってもらうことにしました。これが今回から新しい看板を作った理由なのです。



のぼり旗にマジックで名前を書きました

選挙管理委員会に届け出をすると初めてもらえる『のぼり旗』があります。

これを持っていないと、法的に街頭演説ができないのです。

のぼり旗にマジックで名前を書きます

のぼり旗にマジックで名前を書きます


さっそくマジックで自分の名前を書きました。

のぼり旗、完成しました

のぼり旗、完成しました


さあ、完成です。

これで選挙期間中、演説をすることができます。

市民のみなさま、これからあなたのもとへ街頭演説に向かいますね!




横須賀市議会議員選挙1日目・その3に続きます)

実家に放置しておいた「選挙事務所の看板」を友達にフジノ事務所まで運んでもらいました/残り時間あと19日(その2)

母の具合いは良好です。ありがとうございます

昨日倒れて救急車で運ばれてしまった母の様子をみに、朝から実家へ向かいました。

一夜明けて、残っているハッキリとした症状は『打撲』のみでした。

おかげさまで、その他の症状は今のところなく、今後の経過観察ということになりました。



実際は使わない「選挙事務所」。でも届出しないとダメ

選挙の時、フジノには『報酬を支払う選挙運動員』はゼロです。

選挙カーも出さないので運転手もウグイス嬢もいませんし、お金を支払わねばやれないものは何もありません。

唯一、ポスター貼りだけ、毎回、友達に半日だけボランティアをお願いして貼ってもらっています。

それ以外は全て完全にフジノ独りきりで活動をしています。

だから、実際には『選挙事務所』は不要です。

けれども公職選挙法では『選挙事務所』の住所を決めなければならないことになっています。

選挙事務所設置届

選挙事務所設置届


選挙管理委員会に『届出書』まで出さねばなりません。

公職選挙法の第133条など

選挙事務所は1ヶ所のみです。

その他には、選挙運動員が集まる場所など選挙事務所に似た施設(休憩をする場所や連絡を取るための場所等)は、どのような名前であろうと、設置してはいけません。



そこで、過去3回の選挙では、『形』だけ『実家』を『選挙事務所』として届け出させてもらってきました。

フジノは1日中、市内を歩いて演説しています。

実際には使う理由が無いので『名前だけの存在』です。暮らしている家族以外、誰もいません。

選挙用の電話も一切かけません。だから、支出もゼロです。



でも、2つの理由から「看板」は付けてきました

ただ『看板』だけは、2つの理由から、あえて付けてきました。

第1に「親しかった先輩が『好意』から作ってくれたものだから」です。

よくある政治家の立派で高額な『選挙事務所用看板』とは全く違って、これは『島忠ホームズ』で買ったコンパネ(厚いベニヤ)にカッティングシートで文字を貼ってくれただけの物です。

でも、12年前に、その先輩が作ってくれたということがフジノとしてはめちゃくちゃ嬉しかったのです。だから、とても大切なのです。

第2に「父からのメッセージがこめられているから」です。

これは2007年のブログに書いたとおりです。

僕にとって、父からの一番新しいメッセージがこの看板には記されているのです。

だから、今回もこの看板を使いたいなぁと考えています。



「選挙事務所用の看板」として12年前からずっと使ってきた「看板」

そんな大切な看板ならば大切に保管しているはず、とあなたは思うでしょう?

でもズボラで面倒くさがりなフジノは、ふだんは実家の庭に放置したまま。しかも雨ざらしになる場所です。

実家に居たこともあり、どんな状態なのかを改めて確認してみました。

ジャーン。

12年前から選挙のたびに使い続けてきた看板の今

12年前から選挙のたびに使い続けてきた看板の今


おお、案外しっかりしていますね。

これなら今回も使えそうだし、費用もゼロ円です。



友達に横須賀中央まで運んでもらいました

今回、フジノは『実家』を事務所にするのはやめました。

事務所の住所は公的な書類で公表されるので嫌がらせをしにくる人も何人も居ました。

ここ数年は母の具合いも悪いので、形だけに過ぎない事務所ですが、完全にやめます。

そのかわり、ふだん仕事で使っている横須賀中央にある『政務活動用のフジノ事務所』に切り替えることにしました。

収支報告書的には『家賃』が発生してしまいますが、嫌がらせを受けるならフジノだけで十分です。

ただ、やっぱり今回も看板だけは付けたい。

そこで夜、友達にお願いして、トラックで看板を武山から横須賀中央まで運んでもらいました。

友達のトラックで運んでもらいました

友達のトラックで運んでもらいました


看板は、1.5メートル×3メートル以内ならば何でも良いので、けっこう大きいのです。友達がクルマを出してくれなかったら絶対に運べませんでした。

さっそく、試しに『フジノ事務所』の前に置いてみました。

実際に置いてみた様子。ちょっとボロボロ過ぎるかな?心配。

実際に置いてみた様子。ちょっとボロボロ過ぎるかな?心配。


夜で暗いせいもあってか、なんかボロボロ(涙)。

実際に使うかどうかは、昼間の光の様子なども観ながら改めて考えてみることにしました。

今日で残り19日。

果たして準備は、間に合うのやら。



植物状態の父さんがくれた新しいメッセージ

植物状態の父さんがくれた新しいメッセージ

今日、おふくろから

「英明に見せたい物があるの」

と言われた。

おふくろの後について庭に行くと、壁に立てかけられた横長の板があった。

真っ黒に汚れた板を裏返すと、それは4年前(2003年)の『藤野英明選挙事務所』の『看板』だった。


 
4年前の4月には、妹の結婚式があった。つまり、『選挙』と時期がクロスしていた。

僕の立候補には、おやじ(父)をはじめ家族みんなが反対だったので

「妹の結婚に差し支えるので、お前の立候補のことは(武山では)秘密にしてくれ」

と、おやじに言われていた。

誰に反対されても1人でやればいいだけのことなので、僕は、近所の人にも一切、何も話さなかった。

『今までの選挙』の常識は全てやめて、『新しい選挙』をやろうとしていたから、地元とのカンケーを断ち切るのは望むところだった。

(実際、選挙期間7日間を通じて武山には合計して2時間しか戻らなかった。

過去のブログを読みかえしたら、あえて『近所の人々へ』という文章まで書いていた)

けれど、1つだけ困ったことがあった。

それは、

「選挙の時には必ず1ヶ所、どこかに選挙事務所を作らなければいけない」



と、(たぶん選挙管理委員会から)言われていたのだ。

選挙事務所なんて僕には必要ない。
 
あっても使うことさえ無い。

けれども、法律で決まっいて、しかも自宅以外に住所が無いからどうにもできなくて、しかたなく、おやじに頭を下げて自宅を住所にした。

立候補に反対していたおやじなので、当然ながら、良い顔はしなかった。

電話もあえて別回線を引いて、とにかく家には迷惑をかけないようにした。

加えて、選挙事務所の『看板』だけは付けざるをえなかった。

「選挙の初日から最終日まで7日間だけ、家の壁に看板をつけさせて下さい」

とお願いをして、選挙当日の朝に着けて、選挙最終日にはすぐはずす約束をして、看板をつけることにした。

平成町の『ホームズ』でコンパネ(厚めのベニヤ板)を買ってきて、ステッカー会社に勤める先輩にシールを作ってもらって貼った。

選挙が終わって、約束どおりに看板はすぐはずした。

その後、燃えるゴミに出していたと思っていた。

その看板が、出てきたのだ。

「何これ?どうしたの?」

と、おふくろに尋ねると

「草ぼうぼうの物置の陰に置いてあって、草を刈ったら出てきたの」

と、言われた。

「へえ、捨ててなかったんだね」

そう僕は応えて、次の資源ごみの日までにこのでかい板をどうやって捨てようかと考えていた。

「板を表向きにしてみて」

と、おふくろが言った。

そして、僕は板を表にしてみた。

「あっ!」

思わず、声が出てしまった。

雨ざらしになっていた裏面こそ、どす黒く汚れていたけれど、表面は思った以上にキレイなままだった。

藤野英明選挙事務所の看板

藤野英明選挙事務所の看板


けれども、驚いたのは、それじゃない。

文字が書かれていたのだ。

当選

これは父さんの字だった...。

3年前の12月、僕の父さんは脳出血によって、完全に植物状態になってしまった。

朝、不調を感じた父は自分の足で病院に行き、主治医から入院をするように言われた。

東京の杉並区立和田中学校を視察していた僕は14時頃、入院先の父のもとへ向かった。

意識がある状態で元気だった父は、

「英明、リハビリすればまた動けるようになるかな?」

と僕に尋ねた。

僕はもちろんだよと応えた。

どこの家庭でもそうだろうけれど、父親と息子とはなかなかうまくいかないもので、30年間、僕はおやじとまともに向き合ったことがなかった。

その2日前、やっと僕たちは打ち解けた。
 
「これからは毎月でも一緒に映画に行こう」

と約束した。

でも、あっという間にそれはもはや実現できない夢となった。

父さんは、僕とは対照的な九州男児だった。

柔道・剣道ともに有段者で、豪快にお酒を飲んで、いろいろなことを一人きりで解決していく人だった。

がさつなところもあるけれど、いつも自分のことは後回しにして他人の為に生きてきた人だ。

強くて優しい、素晴らしい父親だ。

幼い頃から僕は、ずうっと父のことを尊敬していた。

けれども、そんな当たり前の気持ちさえ、本人の前では言葉にしたことが無かった。

父が言葉を発することができなくなったあの日から、毎日毎日、父さんのことを考えている。

悩んだり、答えが出ない問題にぶちあたると、

「父さんだったらどうするだろうか」

と、いつも考えてきた。

父さんの声が聴きたい、といつも想ってきた。

過去にもらったメールも手紙も保存してある。
 
父さんが書いたメモ(メモ魔だった)もたくさんとってある。

でも、『新しい言葉』はもう発せられることは無い。

何度お見舞いに行っても、父の状態が好転することは無いままだ。

喉と胃に穴があけられて管を通されて、目は開いているけれど視力は無く、音声だけは聴こえている可能性はあるけれども反応はできない。

植物状態。

真っ暗闇で音の無い世界にいる父。
 
洞窟の中に独りでいるような状態なのか、孤独なのか、苦しいのか。もう戻ってきてはくれないのか。

父さんは今、伊豆の病院に入院している。
 
リハビリがしっかりしているので有名な病院だ。

横須賀の病院ではリハビリをしてくれない。
 
リハビリをしてくれる関東の病院はどこも混んでいて入れない。

だから、遠くこのまちを離れた伊豆にいる。

どれだけ特急に乗っても2時間半、そこからタクシーで20分。

僕は仕事にかまけて、もう半年くらい父さんに会いに行っていない。

決算議会が終わったら、予算議会が終わったら、いつまでもぐだぐだ言っていて僕は足が動かない。

おれは父さんの姿を見たくないのか。

こんなにいつも想っているのに何故おれはお見舞いに行けないのか。

いつもいつも自問自答している。

そんな僕の前に、3年前の12月からずうっと願っていた『父さんの新しい言葉』が現れたのだった。


 
「母さんは、父さんがこれを書いたの知ってた?」

「ううん、私も知らなかったの。きっとね、英明が当選したのがうれしかったんだろうね」

父さん...。

空きスペースに書かれた「当選」の文字

空きスペースに書かれた「当選」の文字


おれは、どうすればいいんだろう。

これから生きていく道を迷って悩んでいるおれの前に、できすぎたタイミングでこんな言葉を送ってきやがって。

父さん、おれはどうすればいいんだろう。

父さん...。