政治家、失格。

政治家、失格

今日、市議会の本会議でした。

先日お伝えしたとおり、フジノは市長に対して一般質問を行ないました。

不覚にも、この一般質問の場でフジノは感情を抑えることができずに、崩れてしまいそうになりました。

それは、フジノからの1回目の質問に対して、市長が1回目の答弁をした時のことでした。

「12月にスタート予定の横須賀市の自殺対策連絡協議会には、自死遺族をメンバーに入れるのか?

事前のヒアリングでは入れないと聞いているがその具体的な理由は何か?

もし入れないとしても、必ず自死遺族の『生の声』を聴く機会を作ってほしい」

という質問に対して、

蒲谷市長は

「遺族の方は、今回のメンバーには入れない。

理由は、自殺予防対策の『行政的な課題』をまず優先課題として検討したいから。

自死遺族の方々の声を聴く相談活動を保健所(精神保健福祉班)では毎日行なっているので、必要があれば、自殺対策連絡協議会の場に保健所から意見を伝えてもらうので、特に場は設けない」

と答弁をしました。

それに対して、フジノは2回目の質問を行ないました。(一般質問では3回まで質問ができるのです)

その時、リアルな実態に応じた対策を取る為にもどうしても自死遺族の生の声を聴く場を作ってほしいとフジノは思いました。

そこで、フジノの個人的な体験や想いを、あえて本会議場の壇上から、市長に向けて語らせてもらいました。

もはや、事前の健康福祉部長・健康づくり課長へのヒアリングで「自死遺族は絶対にメンバーにしない」という判断なのは分かっていました。

けれども、たとえ課長や部長がどう判断しようとも行政のリーダーでありトップであるのは、『市長』です。

市長が遺族の想いを汲んでくれたなら、違う答えが出るかもしれないとフジノはトップである市長の決断を信じることにしました。

つまり、1回目の市長答弁が事務方の答えのままだった時には、あえてフジノの2回目の質問では、この4年間の遺族としての自らの苦しみや痛みを直接に市長に語りかけるしかないと決心していました。

そして、1問目の市長答弁は事前のヒアリングどおり「ノー」でした。

そこで、2回目のフジノの質問は「公の場で個人的な体験を語ることは控えるべきなのですが」と断わりを入れた上で自らの体験を語ることにしたのでした。

でも、壇上に実際にあがって言葉を発しようとすると...言葉が出ませんでした。

この苦しさや、この悲しさを、どうやって言葉にすればいいのか、僕には全く分かりませんでした。

「公の場で個人的な体験を語ることは控えるべきなのですが」

まで言葉を発した後、苦しくて何も言葉が出てきませんでした。

沈黙が、何秒くらい、続いたでしょうか...。

ひどく長く、すさまじく長く感じられました。

あえて語らなければならない、がんばらなければいけない。

自死遺族の苦しさを市長に直接に伝えられる人間は僕以外にいないのだから...。

そう何度もこころの中で繰り返して、やっと、自分の想いをふりしぼりました。

「僕が政治家に立候補した理由は、大切な人を自殺によって失なったからです。

 そのことを今年6月、初めて全国紙で公表しました。

 それから数ヶ月の間、毎日のように『大切な人1人守れないで何が政治家だ』という中傷が毎日のように続いています...」

ここまで語った時に、涙が出そうになりました。

立っているのが、やっとでした。

もうしゃべりつづけるのが苦しくて苦しくて悲しくてたまりませんでした。

それでも、何とか最後の気力をふりしぼって、言葉を続けました。

「命日があるのがちょうど今の11月なのですが、信じられないことに亡くなってから4年も経つのに、11月に入ってからは息をするのも苦しいくらい、つらくてたまりません」

ここから先は、どう言葉をつないだのか、はっきりとは思い出せません。

こんな体験が起こるなんてことが保健所を通して間接的に意見を聴いたところで
 
本当に協議会メンバーには伝わるのだろうか、ムリだと思う。

だからどうか直接に遺族の声を聴いてほしい。

何とかこの主旨の言葉を言えたと思います。
 
でも、論理的にうまく話すことができませんでした。

これに対して市長が2回目の答弁をしましたが、論理的にうまく話すことができなかったフジノの言葉を、市長が心情を汲んでくれて答弁をしてくれました。

回答は変わらずに「ノー」だったのですが、市長のその心遣いに対して本当に申し訳が無くて、自分の情けなさを改めて恥じ入りました。

今回の一般質問を行なうにあたってフジノは家族と共に、1つ、決めていたことがありました。

「壇上に、最後まで立っていることができたら、それだけで合格だ」と。

11月はあまりにも苦しくて、特に命日にお墓参りを終えてからはあまりにも全てが苦しくて

一般質問どころかあらゆる公務を行なうことが本当に苦しくて苦しくてたまりませんでした。

 けれども、政治家の仕事は、たくさんの市民の方々から相談をしっかりと受けてその声を政治家として行政のトップである市長にぶつけること。

つまり、『議会での質問を行なうこと』です。

その為にフジノは大好きな映画の仕事を辞めて選挙なんかにあえて出て、政治家になったのです。

わずか1回の一般質問だってムダにしたことはありません。

今まで全ての議会でフジノは質問を行なってきました。

だからどんなに苦しくても今回も逃げたくはありませんでした。

特に今回は、こどもの自殺が全国で連鎖している中で、どうしてもやらなければならない質問がたくさんありました。

いつもそうなのですが、今回も一般質問の中身は全て実際に市民の方々から頂いた相談をもとに作っています。

市民の方々の声を届けない政治家なんて存在する理由がありません。

だから、「一般質問を絶対にやらなければいけない」と考えました。

1度だって「やらない」なんて考えることはできませんでした。

それなのに、そんな想いとは逆に、どんどん心身ともに壊れていきました。

もはやそれを家族にさえ、隠すのは難しくなりました。

そこで今のフジノの状態を、家族とスタッフ数名にだけ話しました。

そうして

「最後まで壇上で質問を終えることができたらそれだけで合格だ」

という結論になったのです。

フジノは完璧主義なので 、それだけ心身ともにめちゃくちゃな中でも質問の原稿は徹夜をしながら何とか書き上げました。

前日の夜中まで、友人たちが一緒に原稿を遂行してくれました。

後は、当日の壇上に最後まで立ち続けていることが、目標でした。

いつもなら「良い答弁(結果を出すこと)だけが目標!」なのですが、とにかく「壇上で最後まで質問を終えることが目標」になりました。

そうして、15時すぎにフジノの質問が始まったのです。

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フジノの信念として「政治家は公人なのだからどんな時にも冷静でなければならない」と固く信じてきました。

前の市長である沢田市長との議会でのやりとりもどれだけ白熱した議論になったとしても、常に冷静でいました。

外側からは「怒っている」とか「感情をむき出しにしている」ように見えても、それは怒っている感情を出すことで効果があるだろうからと冷静に見ている自分がいました。

でも、今日は、全くダメでした。

言葉が、続きませんでした。

43万人の市民のみなさんの代表としてこのまちの未来を語るべき大切な本会議の壇上で、自分の感情を、抑えることができませんでした。

さすがに涙を流すことだけは政治家の誇りにかけて、耐えることができました。

けれども、言葉が、言葉が出ませんでした...。

3回目の質問を終えて自席に戻る時、激しい後悔の気持ちと悲しみと痛みが圧倒的な重みになって僕の胸を押し潰しました。

おれは、政治家失格だ...。

おれは、遺族の気持ちを市長に伝えきれたとは思うけど、政治家としては『へたれ』で、最悪だ...。

そんな気持ちでいっぱいで、苦しくて苦しくてたまりませんでした。



自爆テロだったのか

本会議を終えた後、気力も体力も消耗しきっていたのですが、東京に出かけて、松崎ナオさんのライブに行きました。

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4年前、同じように苦しくてたまらなかった頃、彼女の歌に救われて、毎週のようにライブハウスに通いました。

今夜も、本当ならば体力を考えれば、議会を出て自宅に戻って眠るのが良かったのでしょうが

こんな後悔と苦しみに満ちたひどすぎる気持ちから抜け出したくて、あえて出かけました。

世の中は、クリスマスに向けて美しくライトアップされていました。

カップルたちが腕をくみながら、平和そうに、幸せそうに、街を歩いていました。

僕はひとりで歩きながら、何でこんな人生になってしまったんだろうか、と考えました。

何故、政治家になんかならなければならなかったんだ。

何故、おれがこんな目に遭わねばならなかったのか。

もう何千回も繰り返してきた自問自答に答えなんかあるはずは無く、そのたびにいつも

「それがおれの人生だから、しかたがない」

と、無理やり言い聞かせてきました。

それに加えて、

今日の一般質問はこのまちの自殺予防対策を前進させる為に『意味』はあったのか?

あえて自分の体験を語った『意味』はあったのか?

と、道すがら、何十回も自問自答を繰り返しました。

おれは自爆テロみたいに自分も他人も傷つけただけではないのか。

信念に殉じると言えば聞こえはいいけれど、結局は身勝手に自分と他人を傷つけただけなのではないか。

失なった大切な人のことを語るたび、僕は自分の中の大切な部分が削られていく気がする。

そして、周囲の無理解な中で自分の体験を語る時、相手から同情と憐憫のまなざしを投げられて大切な人が貶められていく気がする。

おれはこれからどこへ行くべきなのだろう。

いくら横須賀市の自殺予防対策を推進する為にこの身を全て捧げたとしても、決して戻ってこない。

決して戻ってこないものの為におれは何故がんばりつづけなければいけないのだろう。

一体いつまで?

自殺予防の効果が一般的に出ると言われる10年間経つまでおれは耐え続けなければいけないのだろうか。

もう何も分からない。

確かに自分が望んでなった職業だし、たくさんの方々の力になりたくて全力でがんばってきた。
 
同じ苦しみをもう誰にも味わってほしくなくて、ここまでがんばりつづけてきた。

でも、いつまでがんばりつづけたらいいのか...。

いろんな迷いがぐるぐると回り続けて、本当に空しくて苦しくて悲しくてたまらなかった。

ライブで気持ちを落ち着かせることができて、なんとかして家に帰ると、また新聞にはこどもが追い込まれた末に亡くなったと書かれていた。

僕はまだ逃げない。

いつまでがんばりつづけられるか、何も分からない。

だけど、こんなふうにたくさんの人が亡くなるのは間違っている。

それだけはハッキリと分かる。

何日間か、しっかりと落ち込もう。カッコ悪い『へたれ』なんだから、しかたがない。

無理やり気持ちを元気にすることも、笑顔を作ることもできない。

だから、何日間は落ち込んで、へたばって、やがていつかからは元気になればいい。

こんな風にたくさん亡くなる人がいるのはおかしい、と感じ続ける気持ちがある限りは、がんばろう。

がんばれるはずだ。

今は必死に、そう信じることにする。
 
そう信じて、ただ前に進むことにする。