政桜台中学校の閉校式が行なわれました
今日は、桜台中学校の『閉校式』でした。
終業式を終えた1・2年生とともに10時40分から体育館に集合しました。
PTAのみなさん、OB・OGのみなさん、地域のみなさん、歴代教員のみなさん、多くの関係者のみなさんが、一同に介しました。
3月3日の『47周年を祝う集い』とは違って、今日の『閉校式』はあくまでも教育委員会の主催でした。
だから当然ではあるのですが、司会進行も学校再編を担当した教育委員会がやったのですが、そのことにフジノは激しく強い違和感を覚えました。
この素晴らしい学校の統合を決めた教育委員会が式典を進めていくことに複雑な気持ちになったのは、フジノだけではなく、他の来賓の方々からも指摘を受けました。
ふつうに考えれば、当然のことですよね。
最後の桜台中学校校長・小幡先生の言葉
教育長のあいさつの後、小幡校長先生からの言葉がありました。
小幡校長先生は、第17代目にして最後の校長先生です。
桜台中学校の魅力は何よりもまずこどもたちの存在、そして教員の方々も素晴らしい方が多かったことだと思います。
そんな中でも小幡校長先生はフジノにとって、このコーナーで何度も書いてきましたが
「こんな素晴らしい校長先生が居てくれて、本当に良かった」
という存在でした。
3年前に辞令が出されて着任早々、『統合』についてすさまじい量のマスコミに取材ぜめにあったこと。
教育委員会は、最初は
「『統合』ありきではなく『小規模校』を積極的に支援する」
と言ったこと。
しかし、寝耳に水で、『統合』が決定されてしまったこと。
PTAによる統合撤回を求めた署名活動が始まり、市議会でも論議が始まったこと。
そして、結局はウワサどおりに『統合』が決まってしまったこと。
『統合』が決まっても、こどもたちが入学してきてくれたこと。
そのおかげで統合が1年先延ばしになったこと。
(これらの経緯は全てこちらのコーナーをご覧ください)
大きな戸惑いと激動の中で、PTAのみなさんの大きな期待と励ましに力づけられたこと。
何よりもいつも生徒たちのことを最優先して考えてきたこと。
こどもたちを守れなかった政治家フジノの敗北
小幡校長先生のお話を聴きながら、フジノは、涙が出てしかたがありませんでした。
先生の言葉のひとつひとつに様々な光景が浮かんできました。
しまいには、涙が嗚咽になってしまい、声を出さないようにハンカチで口元を押さえました。
悔しかった。
こんなに素晴らしい学校を統合することは、明らかに間違っている。
けれども、統合を止められなかったのは、明らかに「政治家としてフジノが敗北した」ということだ。
統合について生徒たちが書いた作文を自分の立場が危うくなるかもしれないのにフジノにコピーしてくれた先生。
どうしたら統合を止められるかを一緒に何時間も話し合ったPTAの方々。
統合が決まってからも政治家としてフジノは
「絶対に桜台中学のこどもたちが不利にならないように」
と、必ず市議会があるたびに取りあげてきました。
昨日おこなわれた、政治家としての任期4年間で最後の予算委員会(教育経済常任委員会)でも
「学校の統廃合はこどもたちの気持ちを最も大切にしてほしい」
「統合してからも桜台中から坂本中へ移ったこどもたちをしっかりと追跡調査してほしい」
と、くりかえし訴えました。
けれども、結局そんなことは小手先でしかない。
やっぱり僕は、このまま桜台中学校を残したかった。
悔しくて悔しくて、泣けてしかたがありませんでした。
来賓席の最前列に座っていましたが
もはや外面だとか対面なんて考えることすらできないくらい、悔しくて悲しくて、ずうっと泣けてたまりませんでした。
政治家としての無力を感じました。
今日の活動日記に生徒たちの写真が無いのは、生徒たちを見るにつけても涙がこぼれて仕方がなくて、写真を撮るどころじゃなかったのですね。
4年間ずっと大好きだった合奏
その後、『PTA会長のあいさつ』、『生徒お別れのことば』があり、『生徒の合奏』が行なわれました。
フジノは合奏を誰よりも1番前で聴かせてもらえました。
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4年間、この合奏がとても大好きでした。
2度目に桜台中学校を訪れた時に、『第一教室』の先生が
「文化祭に向けてみんなで練習した風景をおさめたビデオがあるんだよ」
と、1本のビデオを貸してくれました。
大きな音が鳴ると体調が悪くなってしまうこどもに何日も何日もかけて、少しずつ音に慣れていってもらうのですね。
そして、それから今度は少しずつ音符に合わせて、楽器を鳴らせるように練習していきます。
一人の時には演奏できてもみんなで合奏する時にはうまくできないこどももいます。
こんないろいろなことがあって、練習によって少しずつ少しずつ1つの曲が完成していくのです。
障がいのないこどもたちは、ゆっくりとした歩みの障がいのあるこどもたちのことをはじめのうちは
「何でこんなこともできないの!」
と思ったかもしれません。
でも、桜台中学校で一緒に過ごしていくうちに、障がいのないコから見た「ゆっくり」は障がいのあるコにとって「全身全霊をかけた速さ」であることにやがて自然と気がついていくのです。
校旗の返還、そして最後の校歌斉唱
合奏が終わって、席に戻るこどもたちを見つめながら、やっとフジノは涙を止めることができました。
ついに、『校旗』の返還です。
桜台中学校の旗を教育委員会へと返すのです。
そして、最後のプログラムが『校歌斉唱』でした。
毎年2~3回しか訪れなくても、フジノもこどもたちと一緒に、この校歌を歌ってきました。
だから、今ではそらんじて歌えるようになりました。
この文章を今、パソコンに打ちながらも気づいたら鼻歌で校歌を歌っていました。
しかし、桜台中学校のこどもたちと一緒にあの場所で歌うことはもう2度と無いのだと思うと、本当に残念です。
歌い終わると、ついに閉校式が終わりました。
どんな立場になっても、坂本中学校に編入されたこどもたちを守ります
PTAの方々やいろいろな方々が
「フジノさん、これまでありがとうございました」
と、声をかけてくださいました。
そのたびに僕は
「桜台中学校を残すことができなくて、本当に申し訳ございませんでした」
と謝りました。
そして、
「こどもたちが坂本中学校に編入してからも苦しんだり困ったりしないように、どんな立場になっても絶対に僕は卒業まで見守ります」
とお伝えしました。
僕はいつものようにバイクに乗って、正門へ向かって走り出しました。
桜台中学校の正門の前の桜が1本だけ、この日に間に合って、咲いていました。
僕は、本当に悲しくてたまらず、桜台中学校を出てからもまっすぐに事務所に向かうことができませんでした。
1・2年生のこどもたち、親御さん、先生方、卒業生、OB・OGのみなさん、PTAのみなさん、歴代の教員のみなさん、本当に申し訳ございませんでした。
政治家として力が足りなかったばかりに、大切な素晴らしい特色のある学校を守ることができませんでした。
本当にごめんなさい。
規模の大きさが『社会性』を育てる、という仮説
今回の統廃合は、「最後の最後までこどもたちを抜きにしてなされた」と感じています。
昨日の教育経済常任委員会でも『学校再編』『規模の適正化』についてフジノは教育委員会と議論をしました。
「ある程度の人数がいなければ『こどもたちの社会性』が育たない」と教育委員会は主張します。
けれども、それは『フィクション』だと思います。
誰がそれを事実だと証明できますか。
小規模の学校で育ったこどもたちは大人になった時に、本当に『社会性』が弱いのでしょうか。
30年とか40年とか経って追跡調査をした研究があるのでしょうか。
(公衆衛生学には『コホート調査』という同一集団を何十年も追いかける調査研究がありますが、教育学の分野でこういった研究がなされたということは聞いたことがありません)
つまり、壮大な『仮説』に過ぎないとフジノは断言します。
こどもたちが社会性を育めるかどうかは、あくまでもそのこどもたちを取り巻く全ての環境(学校だけではなく、兄弟や家族、親族、地域との関係)と時代背景に左右されるものだと思います。
だから、小規模な学校を『適正化』するという発想そのものにフジノはこれからも徹底的に反対し続けます。