東京都知事選挙最終日、ついに浅野史郎候補の応援に行きました!

都知事選挙、最終日ついに応援に行きました!

フジノはアサノさん(浅野史郎・元宮城県知事)のことを14年前(大学1年)からリスペクトし続けてきました。

アサノさんの存在は、フジノが『政治家という手段を選ぶきっかけ』になっただけでなく、フジノの『人生そのもの』にものすごく大きな影響を与えた方々の1人です。

だから、アサノさんが東京都知事選挙に立候補を決めた時、

「どんなことがあっても応援に行きたい!」

と願いました。

全国の福祉仲間たちが続々と東京へ向かいました。

そんな中、フジノは意地で横須賀に残りました。

予算議会が続いていたこともありますし、現役の市議会議員としてこのまちでやるべきことがありました。

でも、いつもこころはアサノさんを応援してきました。

東京に暮らす友達と話す時、必ずアサノさんについて語りました。

『横須賀勝手連』を名乗って、ふだんの仕事の合間を縫っては都内の友達にアサノさんを推薦するメールを送り続けました。

毎回、浅野事務所からはお誘いのメールが来ていました。
 
浅野史郎事務所びらきの日、行きたかった。
 
選挙初日の出陣式、行きたかった。

毎日、行動スケジュールを把握していました。
 
毎日の大江戸勝手連の活動、行きたかった。

毎日の事務所前のあいさつ&マニフェスト配り、行きたかった。

アサノさんがわずか数名しかいないスーパーの前で街頭演説しているのが放送された時、

「その後ろでブルーの旗を持っているのが何故おれじゃないんだ」

と悔しくてたまりませんでした。
 
アサノさんの為に働きたかった。

僕ができることは何でもやりたかった。

「アサノさんの為にがんばる」ということは「この国の福祉の為にがんばる」ことと、同じ意味だ。

グループホームを制度化したのは厚生省時代のアサノ課長だ。

最近のワイドショーでしかアサノさんを知らない人はいろんなことを評論家みたいにしたり顔でしゃべってる。

でも、何も分かってなんかいない。

どれだけアサノさんがこの国の福祉に大きな良い影響を与えたか。

みんなが知らないだけで、実はアサノさんが作った制度に助けられてる。

予算議会が終わった3月26日、このまちの福祉を守る為にフジノは再び市政の場で闘っていく決心をしてしまった。

その直前25日に、能登半島地震が起こったので予算議会終了後はどうしても募金活動をやらずにいられなかった。

募金活動を終えたら、今度は大学院の準備でてんやわんや。

さらに、市政への再挑戦の為のいろいろな書類を作らないと自分自身の闘いに間に合わなくなってしまう。

実際、今日も書類のノルマが全く終わっていない(書類が多すぎるんだよ...)。

抑えきれない「応援しに行きたい気持ち」をいろいろな友達に相談するたびに

「東京都知事選挙のことより神奈川県知事選挙と県議会議員選挙のことを教えてよ」

「おまえ、自分のことが終わってないのに他人の応援とか言ってんじゃねえよ」

「いま横須賀を離れたら、横須賀の人たちのこころが離れるよ」

「毎日寝てなくて体調が悪いんだから、少しでも時間が取れるなら、まず体を休めなよ」

と、言われた。

つまり、「行くな」ということだ。

だから、ずうっと今日までガマンしてきました。

でも、でも、今日は都知事選挙の最終日だ!

16時過ぎまでとにかく事務仕事をやりまくったけど終わりのメドなんて尽きそうに無かった。

いまアサノさんの応援に行かなければおれは一生後悔する。

『心の師匠』の闘いに行かないなんて、おれにはありえない!

もう、居ても立ってもいられなかった。
 
夜20時をもって、街頭でマイクを使っての選挙活動は終わる。

行かなければ!

せめて最後の演説を大声で盛りあげに行くのだ。

っていうか、おれは朝からブルーのネクタイしめていたのは例え誰に何と言われようとも絶対にアサノさんの応援に行くと決心していたからだ。

浅野史郎のラッキーカラーはブルー

浅野史郎のラッキーカラーはブルー


ブルーはアサノカラー。福祉仲間の連帯の色。

とにかく書類が終わらなければ、帰ってきて徹夜すればいい。
 
そう決めて事務所を飛び出て、京急快速特急に飛び乗りました。

そして、18時半。ついに新宿東口へ到着!

18時から『打ち上げ』が始まっていました(最後の演説ではなくて、勝手連はみんなで『打ち上げ』と呼んでました)。

ものすごくたくさんの人々が、そしていろいろな人々が新宿を埋め尽くしていました。

障がいのある方々がたくさんいらしゃってました。
 
まるで障害者自立支援法の反対デモの時みたいに本当にたくさんの障がいのある方々が集まっていました。

これがアサノさんのパワーなのだ。

酸素ボンベを抱えながらじゃないと暮らせない人がアサノさんの声を聴きたい、アサノさんに会いたい、そう思って、足を運ぶ。これがアサノさんのパワーなのだ。

こんな政治家いますか?

こんな政治家が他にいますか?

いろんな政党の人々が話し始めるとそれはそれで盛り上がりはするけれども、会場からは「アサノさんに話させろ!」の声がすぐにあがる(笑)。

そして、アサノさん本人が話し始めると会場は一気にすごく盛り上がりました。

新宿駅前での最後の街頭演説

新宿駅前での最後の街頭演説


他の勝手連の方々に

「横須賀の勝手連のフジノです。旗とかのぼりとか持ちますか?」

と尋ねると、

「いいよ!遠くから来たんだから近くで応援してあげて!」

と言ってもらえて、フジノは最前列に行かせてもらえました。

「アサノさん!」

もうガンガン叫びましたよ~。のど潰れた~。

演説する浅野史郎候補

演説する浅野史郎候補

アサノさんの演説はすごい。

聴きながら涙がボロボロ出てしかたがなかった。
 
気持ちが14年前に初めてアサノさんの存在を知った時に戻ったよ。

やっぱり僕の原点は、16年前から関わりをスタートした精神保健福祉だ。
 
このままでは、この国に生まれた障がいのある人は救われないと感じた。
 
あの日のあの時の気持ちが鮮明によみがえってきた。

僕が出口が見つからなくて苦しんでいた時に出会った、いくつかの光。
 
例えば、精神障がいと闘う仲間がいることを教えてくれた全家連との出会い。
 
例えば、慶応大学の佐藤教授による行動分析学との出会い。
 
例えば、UCLAのリバーマン教授によるSSTとの出会い。
 
そして、行政・政治の世界で福祉と闘うことを教えてくれたアサノ知事。

16年前からの苦しい日々、いろいろな気持ち、必死に闘ってきたこと、でも失ってしまったたくさんのもの、それでもまた立ち上がって闘ってきたこと、いろいろなことを思い出しました。

政治をあきらめない。

誰もが自分らしく生きられる社会をつくる。

僕の中の純粋な部分が改めてどんどんクリアになっていくのを感じました。

すっごく感動的なのに、アサノさんはいつもユーモアたっぷりでいつも時間にきっかりで、まわりの人のことをいつも気を遣っている。

「あと3分でマイクも使えなくなりますが...」

とアサノさんが話した瞬間、電光掲示板で正確な時間を見ていたフジノが「2分です」とピースサインすると

「あら、2分でしたね。ありがとう」

って、最後の最後までまわりのことが見えてました。

20時の演説が終わっても集まったみなさんはなかなか解散しないで

「アサノ!アサノ!」

というアサノコールと、ブルーの旗やハンカチが新宿東口いっぱいに揺れていました。

感動した。本当に来て良かった。



ちっちゃな事務所へ

20時15分くらいまで東口にいて、何とか人ごみをかきわけて事務所へと移動です。

みんなのちから号

みんなのちから号


事務所はこちら。

ちっちゃいでしょう?これがアサノ流なんですよね。

ちっちゃな浅野史郎事務所

ちっちゃな浅野史郎事務所


20人も入ったらギュウギュウになっちゃう事務所。

またもここで他の勝手連の方々が

「ほら、中に入って入って!」

と、フジノをどんどん前に進めてくれました。

たくさんの取材を受ける浅野史郎候補

たくさんの取材を受ける浅野史郎候補


たくさんのマスコミが来ていました。

アサノさんは、スタッフのみなさん・勝手連のみなさんにねぎらいの言葉をかけて、あいさつを終えました。

熱く語る浅野史郎候補

熱く語る浅野史郎候補


外は雨が少しずつ強くなっていきましたが、アサノさんは12時を迎える瞬間まで新宿の方々と握手をしてまわるとのことでした。
 
(マイクを使わなければ選挙活動は0時までOKなのです)



選挙の勝ち負け以前に、たくさんの人々の心に灯を点けたことは大きな勝利だ

今夜は行って、本当に良かった。

選挙の勝ち負けは明日決まる。
 
でも、僕たちはもう勝ったんだ。

選挙の勝ち負けとは違う次元の闘いがある。
 
僕たちはもう勝っているのだ。

明日、どんな結果が起こっても僕は絶対にぶれることは無い。

やっと僕のハートに火がついた。

もう絶対にぶれない。

周りの方々からお願いされてお願いされて切なくて逃げられなくて26日になってしまい、追い込まれた末に無理やりした決断。

でも、僕は今日、本気で自分自身が決断した。

この国の福祉を守る。

その為に闘う。

そして絶対に勝つ。



演説する浅野史郎候補

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