11回目の命日

今日は、大切な人の命日でした。

いつものようにお墓を訪れて、彼女が好きだった花を手向けました。

2008年の七回忌を最後に、「ブログではもう命日について触れないようにしよう」と思い、今年まで来ました。

でも、今日こうして墓前でしばらく過ごしているうちにいろいろな感じたことや考えたことがあったので、あえて記してみることにしました。

こうして彼女の命日にお墓参りを続けているのは僕だけでなくて、僕のおふくろやきょうだいたちもそれぞれにお墓参りを続けています。

亡くなってから11年が経つ今も、彼女は誰からも愛されているのだとつくづく感じます。

でも、

「誰からも愛されるような人で無かったら、彼女は亡くならずに済んだのかもしれないのに」

とも、今の僕は感じています。

優しい人や他人の想いに寄り添う気持ちを持つ人は、とても生きづらい世の中です。

彼女は20代で亡くなり、同級生である僕が来年には40才になろうとしているのは、僕が彼女のようにはこころが純粋では無かったからなのだと思います。

『生き続けていく』という作業には、いろいろなこと(特に痛みや悲しみ)を直視し続けないという能力も必要です。

忘れることや感じないようにしていくことは、長生きを続けていけば、心身の老化もあって自然に身に着けていくことができます。

けれども、十代や二十代の頃には、特に純粋なこころを持つ人々には「忘却」や「無反応」であることはとても難しいことなのだと思います。

僕のこころは人並みに濁っていたし、世の中への怒りや嫌悪感も強く持っていました。でも、それが僕を生き延びさせたのだと感じます。

この世界は決して美しいところではないし、人間はとても醜い、お互いを憎みあい、自分の利益のみを追及する側面も強く持っています。

そして僕は僕自身もまたこの忌むべき世界の一部であることを自覚していました。それはそういうものなのだ、という諦めをこころの中に理想と同居させることができたのです。

かたや彼女は、どんなに苦しい状況にあっても、世の中の良い側面に目を向けようとし続けていました。

今も彼女の記した文章がインターネット上に残っているのですが、明るい言葉で未来への希望を記してあって、それを読むたびに僕はこころが痛みます。

自殺対策を掲げて政治家に転職をして、僕は自殺を減らすことに30代の全てを捧げてきました。

けれども、ただ苦しみの中に追い込まれたままムリに我慢をしながらも生き延びれば良い、と感じたことは1度もありません。

今の世の中では、まともな人は誰もが疲れ果てていて、優しい人や脆さを持つ人は、容易に精神疾患へと追い込まれるような経済社会状況にあるからです。

こんな世界に生きていて、ただ『生き続けること』だけに価値があるとは僕は考えたことはありません。

自殺を減らしたいと願ってはいますが、そもそも自殺へと追い込まれるような社会そのものを変えることに意味があります。

自殺が減ることは、単なる結果に過ぎないのです。

原因と結果を履き違えるつもりは全くありません。

僕は、彼女の死をとても悲しく感じるけれど、一方でその出来事をとても『合理的な事実』としても受け止めているのを感じます。

こんな社会では、彼女のような清く優しい人はそのままの在り方で生き延びていくことはとても困難なことだと感じるからです。

彼女は彼女らしさを保ったまま、この世界を去っていった。

そして僕は、この世界と迎合的に生きることができたから、生き延びているのだと思う。

「死なないうちは、生きる」と僕は約束をした。

けれども、死なないから生き続けていることに僕自身どうしても意味を感じられなくて、意味を感じられないままに生き続ける日々ほど苦しい物は無いともハッキリと感じている。

生きていくことは、とても難しい。

苦しくて、そしてとても長く、まるで終わりがない道を歩き続けねばならない苦行のようだ。

せめて彼女のような人がそのままでも生き続けていかれるような社会へと僕が少しでも変えることができれば、僕が生き延びてしまっていることに意味が生まれるのかもしれない。

そんなことをとても強く、彼女と墓前で会話をしながら感じたのでした。