長期休職からの復職に全国から頂いた温かいメッセージをいただきました。みなさまに心から感謝しています

上西充子先生、ありがとうございます

前回のブログで、議会への長期欠席に至った理由ととお詫びを記しました。

ありがたいことに、そのブログ記事を上西充子先生がご自身のツイッターでご紹介して下さいました。

上西充子先生のツイート1
上西充子先生のツイート2


上西充子先生(法政大学教授)とは、昨年11月に松戸市議会議員選挙でご縁がありました。

昨年11月11日、上西充子先生とフジノ@松戸駅

昨年11月11日、上西充子先生とフジノ@松戸駅


フジノにとって雲の上の方で、過労死防止対策推進法を市民活動として何とか実現したいという想いで居た2014〜2015年頃、上西先生の存在を知りました。

ブラック企業撲滅の為のシンポジウムなどに講師やシンポジストとして良く登壇して下り(つまり僕たちの味方です)、特に、若い人たちが働く上で身を守る為の分かりやすい本を著して下さっているという印象がありました。

昨年は、あまりにも国会で大臣が繰り返すダメ答弁を上西先生が『ご飯論法』と名付けたのがきっかけで、一気に世間の関心がこの問題に集まりました。

(*2018年の流行語大賞にも『ご飯論法』は選ばれています)

昨年11月はカフェで一緒にお食事をして、なかなかタクシーを見つけられずに一緒にタクシーを止めて、松戸駅までの車中でたくさんお話をさせていただき、駅についても話が止まらなかったという素敵な機会を頂きました。

でも、まさかフジノのことなんて憶えて居て下さるとは思いませんでした。

常に精力的に活動されている上西先生が、今回のツイートをして下さったことには本当に驚きましたし、嬉しかったです。

僕はもう若者という年齢ではありませんが、上西先生がずっと著作や講演で訴え続けてこられた「若者を過重労働で殺させない」という想いが伝わるツイートで、心にしみました。

ありがとうございます。



三宅雪子元代議士、ありがとうございます

さらに、三宅雪子元代議士もツイートして下さいました。

三宅雪子元代議士のツイート1
三宅雪子元代議士のツイート2

フジノにとって三宅元代議士は、障がい福祉をより良いものへ変えていく大切な心強い存在のひとりです。

月刊『手をつなぐ』にも寄稿されたり、障がいのある方々の味方です。

ただ、三宅元代議士もフジノが一方的に知っているだけで、やはり雲の上の存在でした。

じかにお会いしたことがあるのは2010年9月26日、茅ヶ崎市での講演会の時に少しお話をさせていただいただけ。

それなのに今回のフジノのツイートとブログを紹介して下さいました。胸を打たれました。

本当にありがとうございます。



みなさまに感謝しております

おふたりを始めとする善意の方々のおかげで、長期休職を報告したツイートは2万人以上の方にご覧いただくことができました。

フジノのそのツイートは2万人以上が見て下さいました

フジノのそのツイートは2万人以上が見て下さいました


そのおかげで、インターネットやSNSを利用しておられる方々にはフジノの状況は正確に伝わったのを感じています。

おふたりには深く感謝しております。ありがとうございます。

そして、全国のたくさんの方々からメール・DM・メッセンジャーなどで激励のお言葉をいただきました。すごく励まされました。

全国のみなさま、本当にありがとうございました。



病院通いが続いていますが、仕事を再開しつつあります

現状をお伝えしますと、昨日も都内の病院へ行き、今日はメンタルクリニックとカウンセリングと、ひたすら病院通いが続いております。

でも、ドクターもカウンセラーの方も

「少しずつ良い方向に向かっているね」

とおっしゃって下さっています。

長期休職中に頂いたご相談のメールにお返事を書き始めるなど、事務仕事を少しずつ再開しています。

できれば週末には、実際に人とお会いするような仕事も再開していきたいと思っております。

みなさまには大変なご迷惑とご心配をおかけしてしまいましたが、ゆっくりとリカバリーへ向かっていきたいと思います。

うつ病とパニック障害の2つの持病とは20年近いつきあいですが、今回の悪化は10年ぶりくらいのひどいものでした。でも、必ず克服したいと思います。

本当にありがとうございました。



【みなさまへ】2ヶ月間にわたる議会への長期欠席のお詫びと現状報告です

ご報告とお詫び

市民のみなさまへ。

このたび、議会を2ヶ月という長期にわたって欠席してしまいました。

特に、大切な2019年度当初予算案の審査に参加できなかったことを心からお詫びいたします。

原因は、20年来の持病である鬱病が極度に悪化してしまった為です。

なかなかご報告できる機会がなく、インターネットやスマホへの接続も禁止されていましたので、多くの方にご心配をおかけしてしまいました。

誠に申し訳ございませんでした。

長期の療養のおかげで少しずつ快方に向かっており、市民のみなさまにようやくご報告とお詫びをできるようになりました。

昨年末、精神的に大きなショックを受ける出来事が連続して起こりました。

12月20日に仕事において、12月27日に家族について、ともに命に関わる出来事が起こりました。

これまで僕は、たとえ家族が亡くなった時も通常通りに働きながら一切休まずに葬儀の手配などを果たしてきました。例えば、4年前に亡くなった父の植物状態は12年に及びましたが、その間に繰り返し起こった危篤の事態や看取りの場面においても仕事は一切休まずに、公私を完全に両立させてきました。

その為、今回の一連の出来事が起こった後も、通常通りに働き続けることにしました。

特に、命に関わることがらは人智を超えたもので、僕がどれだけ努力をしても結果を左右することはできません。

かたや仕事は、必死に努力をすれば現実を良い方向に変えていくことができます。

だから、悩んだり苦しい気持ちは心に蓋をしてガマンをして仕事に懸命に打ち込むことにしてきました。

例えば年末年始も例年通り1日も休まずに「ひとり自殺対策街頭キャンペーン」に立ち続けましたし、毎年見守りに行っている「新成人のつどい」も見届けました。

仕事のスケジュールを調整して、家族の通院には必ず付き添っていたのですが、なかなか病気の原因が検査をしても分からず、大学病院にもたびたび通うこととなりました。

そして、1月21日から始まる週に、家族のひとりが余命宣告を受け、もうひとりは入院しなければならなくなりました。

積み重なっていくばかりの困難は、気づかないうちに僕の精神状態に大きな悪影響を与えていました。

昨年は1年間休み無しでずっと働き続けてきました。

最後に丸一日通しで休暇を取ったのがおととしのいつなのかも正直カレンダーをみても分かりません。無茶な働き方をしている自覚はありましたが、肉体的にもすでに限界まで追い込まれていたのかもしれません。

これまでのように全ての仕事を通常通りに行ないながら、家族の闘病、そして看取りに向けて、毎日を過ごすことがだんだんと難しく感じるようになりました。

人前に出る仕事ですので、まず全く笑えなくなったことに気が付きました。1月下旬には作り笑顔をしなければ笑えないとはっきり自覚するようになりました。

市民相談を常に受ける仕事ですので、僕はプロのカウンセラーにスーパーバイザーとして定期的にスーパーヴィジョン(カウンセラーをカウンセリングするようなイメージです)をお願いしています。スーパーバイザーからも休暇を取るように強く勧められました。

ある時、このままでは自殺してもおかしくないと自覚する瞬間がありました。

かつて元恋人が亡くなった後に、気づくと僕自身も駅のホームから無意識に飛び込もうとしていたことがありました。その時の感覚に近い、危機を感じました。

そこで1月25日、議会事務局に自分の状態をお伝えして、かかりつけの精神科クリニックに行きました。

そして出た診断が、鬱病の悪化がひどい為に長期休養が必要だ、というものでした。

「入院が必要」とのご意見も頂いたのですが、僕の家族が置かれている状況をご説明して(家族・親戚で、自分以外に動ける人間がいない中で僕まで入院になると他のふたりをサポートできる存在がゼロになってしまう)、自宅での療養としていただきました。

まず、1月28日・政策検討会議を欠席させていただきました。

欠席はしたものの、家族の闘病をサポートしながら、まもなく始まる予算議会での質問に向けて文献を読んだり調査を続けていたので毎晩遅くなることが多く、実際には全く自分の休養はできませんでした。

この16年間、本会議での質問の機会は全て質問に立ってきたので、3月の予算議会でも僕は質問を行なうつもりでした。実際に、3月1日の質問原稿も発言通告書も完成させていました。

入院をしないかわりに週1回必ず精神科クリニックに通院するという約束をしていました。実際には休養は取ることができずに家族・仕事で精一杯に動き回っていましたので、毎週通院のたびに復職を訴えるのですが、その許可は全くおりませんでした。

カウンセリングも通常のスーパーヴィジョンではなくて、極度の鬱状態を脱する為のカウンセリングとして毎週通い続けていました。

体調は改善せず、2月15日のFM戦略プラン審査特別委員会、2月18日の本会議(市長の施政方針演説)を欠席せざるをえなくなってしまいました。

質問の発言通告書の締切は2月19日の17時でした。

これまで16年間どんなことがあっても質問を続けてきたという責任感と誇りが、ギリギリまで「質問しないならば議員である資格は無い」という強迫観念となって、僕を苦しめました。

最終的には、日付が19日に変わった深夜2時頃の事務所で、発言通告書を提出するのを諦めることに決めました。ふとした瞬間に「この質問ができなかったら死んでもいい」という異様な精神状態になっていた自分を客観的にみることができたからです。

そして、ドクターの診断どおりに予算議会の本会議での質問を断念することになりました。

本当につらい決断でした。これまでの15年9ヶ月にわたって全ての議会で質問をしてきたのは僕しかいないという状況で、残り任期で最後の1回の質問ができないなんて...。

2月19日に質問を断念し深く落胆していたところに、2月21日には家族が病院で亡くなりました。

動けるのは自分しかいませんので、亡骸を引き取り、火葬し、家族だけの弔いをしました。

そして、16年間横須賀市議会でただひとりの連続質問記録の継続という呪縛からも解放されて、憑き物が取れた感覚もありました。

ここに来て、僕はようやく本当の意味で医師の診断どおりに休養を取ることができるようになりました。

ここから

2月19日、教育福祉常任委員会(補正予算案の審査)
2月25日、議会ICT化運営協議会
2月26日・27日・28日・3月1日、本会議
3月4日、FM戦略プラン審査特別委員会
3月6日・8日・13日・15日、教育福祉常任委員会(2019年度当初予算案の審査)

と欠席させていただき、療養に努めました。

それでも、12月末の仕事での悲しい出来事も乗り越えられない自分がおり、2月に失った家族のことも、そして退院はしたものの再発の可能性がある家族の存在と、なかなか本当の意味で療養をするのは難しかったです。

ようやく3月15日にドクターから「試し運転で議会に顔を出しても良い」との許可が出ましたので、議会事務局にお願いをして、3月18日に正副議長にお会いしていただき現状の報告と長期の欠席をお詫びに伺うことができました。

また1週間後の昨日3月25日には、議会運営委員会の正副委員長、所属する教育福祉常任委員会・FM戦略プラン審査特別委員会の正副委員長、そして全ての会派を回って現状の報告と長期の欠席をお詫びすることができました。

明日27日に本会議(最終日)がありますが、全く予算審査に関わっていない立場で賛否の表明をすべきではないというご意見もあり、僕は最終日も欠席させていただきます。

復職だけが目標の毎日で焦ってばかりだったのが、3月18日に正副議長にお会いしていただいた翌日から議会に戻れてホッとしたのか、扁桃腺が腫れて高熱が出て寝込んでしまいました。

昨日は無事にみなさまにお会いすることができたのですが、今日もまたひどい扁桃炎で寝込んでいます。

まだ以前のように100%の状態で仕事に戻れる自信はありません。

けれども、残された任期があと1ヶ月ありますのでしっかり議員としての責任と役割を果たしていきたいと思います。

ご迷惑をおかけしてしまった正副議長をはじめ、先輩・同僚議員のみなさま、そして議会事務局長をはじめ事務局のみなさまに、深くお詫びいたします。

また、現状報告とお詫びに訪れた際に温かく迎えて下さったことにとても励まされました。心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

そして、市民のみなさま。

みなさまのかわりに議会で発言をするのが僕の仕事なのに、当初予算案やFM戦略プランに対する審査に関われず、本当に申し訳ございませんでした。

また、インターネットやスマホと一切無縁の2ヶ月間でしたので、市民のみなさまからいただいたツイッターやフェイスブックなどSNSのメッセージやメールは一切読めておりません。お返事ができなくて誠に申し訳ございません。

まずは、完全に心身を復調させたいです。

そして、残り任期を精一杯働きたいと思います。

大変にご迷惑をおかけいたしました。



性的マイノリティの方への相談時の対応について/相談業務を担当する市職員向け研修が実施されました

相談業務を担当する市職員向けの性的マイノリティ研修会

先日お知らせした、相談業務を担当する市職員向けの研修会が開催されました。

25名が参加しました

25名が参加しました


講師は、NPO法人SHIPでカウンセラーを勤める長野香さん(臨床心理士)です。

相談業務に従事する市職員等を対象に研修会を開催

相談業務に従事する市職員等を対象に研修会を開催

講義とグループディスカッション

人権擁護委員のみなさまにも参加していただいているのですが、毎回、本当に熱心でとてもありがたいです。

こうした方々がこのまちで人権を守る為に活動して下さっていることに、頭がさがります。

今日のプログラム

今日のプログラム

相談・臨床場面での対応については、以下の指摘がありました。

  • 相談をする方々がセクシュアリティをオープンにすることの難しさ
    ⇒相談を受ける側がメニューに載せることの重要性
  • 相談を受ける側が「見える形」でサインを示す。
    ⇒ポスター、リーフレット、レインボーフラッグ等を積極的に活用していく。
  • 「性的マイノリティであること」は相談者の特徴の1つ。
    ⇒それだけで解決する問題とそうでない問題がある。
    ⇒相談機関が「専門領域」を活かすこと、連携の必要性。
  • 性的マイノリティであっても、また同じセクシャリティであっても、相談者のニーズは1人1人異なる。
    ⇒相談者の状況・段階・求めるものに応じた対応が求められる。
  • 支援者側が、自分がどのような価値観・感じ方をするのか、自覚しておくことも重要。
  • コミュニティ内外の社会資源の活用について。その人の状況や段階に応じたものを。
  • 資源を紹介した後のフォロー。体験の振り返りができるように。

ホモフォビアについて

ホモフォビアについて


講義の後、模擬事例を使ってグループディスカッションを行ないました。

グループディスカッション

グループディスカッション


4〜6人ずつ8グループに分かれて、積極的なやりとりがなされました。

犯罪被害者支援の為に、もっとやるべきことがある/「それぞれの立場からはじめる犯罪被害者支援~神奈川県犯罪被害者支援県民大会」へ(その1)

犯罪被害者支援の為に、もっとやるべきことがある

中学生たちの演劇発表会場を飛び出ると、大急ぎで昼ごはんを食べて、横浜・桜木町に向かいました。

ランドマークタワーの真正面にある『はまぎんホールヴィアマーレ』が会場です。

ランドマークタワー

ランドマークタワー


午後から、

に参加しました。

『それぞれの立場からはじめる犯罪被害者支援~神奈川県犯罪被害者支援県民大会~』プログラム

『それぞれの立場からはじめる犯罪被害者支援~神奈川県犯罪被害者支援県民大会~』プログラム


被害者支援に対して強い想いを持つ県のある職員さんから熱心にお誘いいただいてこともあって、喜んで参加させていただきました。

「犯罪被害にあった方々の支援はフジノの政策課題だ」と受け止めて、横須賀市議会でいろいろな提案をしてきました。

アメリカ軍の兵士が起こす犯罪の防止(加害の予防)だけでなく、全ての犯罪による被害にあった方々へのサポート(被害への支援)も、とても重要です。

ご遺族による基調講演「犯罪被害者等が望む支援」

まず、2人の方から基調講演が行なわれました。

最初に、練馬区での殺人事件の被害者のご遺族である糸賀美穂さんから『犯罪被害者等が望む支援』のテーマでお話がありました。

糸賀美穂さんの講演

糸賀美穂さんの講演


(ここから先は、フジノのメモを基に記したもので、聞き間違いや誤解や重要な情報が欠けている可能性があります。正確なものではなく、あくまでもフジノのメモとお考え下さい)

被害者は、私の息子で25才でした。

息子は、同い年の恋人に殺されてしまいました。

加害者は、極めて一方的な理由によって、息子を永遠に奪い去ってしまったのです。

もともと情緒不安定の女性でした。

息子が彼氏になった後も、平気で他の男性と浮気をしたり、というようなこともありました。

また、彼女は、自分の両親との関係が一方的に悪いと受け止めていました。

実際には彼女の両親は彼女が家出をするたびに毎回、一生懸命に彼女の行方を探してあげたりしていました。

後で供述を読んでしったのですが、彼女は、

「彼氏(息子さん)を殺してあげなければならない」

と自分勝手な思い込みで考えていました。

息子が殺されたことをテレビなどのニュースで観た友人から様々な電話やメールなど連絡がありましたが、事件当日も、お通夜もお葬式も、どのように終わったのか今も記憶がありません。

彼女は、計画性も殺意も容疑も全て認めた為か、刑事裁判は事件からわずか2ヵ月後に始まりました。

けれども2ヵ月後の頃は、まだ私は自分を責め続けていました。

骨壷を抱きながら、毎日謝り続けていました。

私たち被害者の家族の味方と信じていた検察とは話す機会も無いままに、裁判になりました。

「遺族は裁判のはじめに冒頭陳述ができるだけ」

と言われました。

彼女は、何故息子を殺したのか、真実を語ることも無く、息子に対しても私たちに対しても謝罪の言葉も無く、反省の言葉もありませんでした。

2回目の公判では、彼女の親(加害者の親)が陳述することになっていたのですが、当日になって拒否しました。

そこで、私も夫も、彼女の親が自分たちの娘がしたことをどのように考えているのか、謝罪の気持ちがあるのかどうかも、何も知ることができなくなってしまいました。

その日は、私の夫のみが意見陳述をしました。
 
涙でぐしゃぐしゃになりながらの陳述でした。

夫が陳述を終えた後に、

「加害者、何かありますか?」

と裁判長が彼女に問いました。

けれども、

「何もありません」

と彼女は言いました。

彼女の側の弁護士は、加害者の両親に対して、

「20才を超えた加害者に対して、保護者の責任は無いから接触すべきではない」

と指示を出していたようです。

法廷で会っても、お辞儀ひとつ無かったです。

これまで息子が生きている時には彼女のことで何度も相談にのったり、いずれ結婚するだろうと考えていたので、何度も一緒にお話した間柄だったのにあんまりだ、と感じ、とても悲しくなりました。

検察側は懲役13年を求刑しました。

しかし、自首であること、前科前歴が無いこと、25才という若年であること、反省していること(しかしこれは自分の両親への謝罪の言葉)、で減刑されてしまいました。

加害者には保護や人権が守られているにも関わらず、被害者には何の保護も無いことが分かりました。

被害にあった人は国や司法から守られているものと思っていました。

しかし現実には、自分の私利私欲の為に人の命を奪った犯罪者に対しても「心神喪失や責任能力が無い」などの理由によって、量刑が軽くなってしまうだけでした。

被害者の遺族は、なおさら傷つけられてきました。

また、これは同時に、加害者の為にも良いものなのでしょうか。

矯正教育が今、どのように行なわれているのかは分かりませんが、被害者のことを忘れることなく、罪を真正面から見つめることが必要だと思います。

加害者はもし生きて刑務所を出てきたならば、出所の日からが本当の罪滅ぼしの日々です。

2度と取り返すことのできない現実に苦しみながら生きていかなければならないからです。

1年ほどたって民事裁判を行いました。

けれども、相談にのってもらった弁護士さんから

「どうせ何も取れないのだから、請求額は5000万円にしてはいかがですか?」

と言われました。

「これは一体何の話をしているのだろうか」

と私は思いました。

民事裁判の準備を進めていくにつれて争点が無い裁判は刑務所の加害者に書類を送り、署名をして送り返すだけのものだと初めて知りました。

加害者の署名と言い分として

「私にはお金が無いので、出所したら少しずつ払う」

とだけ書いてありました。

加害者の親は、事件の後も、同じ住所でふつうに暮らしながらえていることに、怒りを覚えました。

相手の母親からは謝罪の言葉は無かった上に、お話をしたいと伝えた途端に、むしろ逆切れされてしまいました。

「あんたね、私たちだって大変なんだよ!」

「あなたの息子がつきあわなければ良かったんでしょ!」

と言われました。

殺された上に、なおもけなされる息子が不憫で不憫で、私はその夜、自殺未遂をしてしまいました。

「死にたい」

という気持ちよりも、

「死んだら息子のところに行くことができる。早く息子に会いたい」

という気持ちになりました。

ようやく今、私はそういう命を救わねばならないと思いました。

『被害者支援センター』からお手紙を何度かいただき、友人らの前では語ることができない想いを毎月1回話せるようになりました。

自助グループに参加するまでは

「こんなことに参加して、一体何の役に立つものか」

と疑問に思っていました。

けれども、センターのサポートや同じ苦しみを持つ方々と体験を話すことで、こころの傷が少しずつ小さくなりました。

その後、2006年犯罪被害者基本法、DV法、更生保護法、少年法の改正、刑事訴訟法も今年12月から刑事裁判の中で遺族も意見を言うことができるようになります。

けれども、これらの法改正も、法律に携わる人々の意識が変わらない限り、ただの飾りになってしまうおそれがあります。

警察や司法、地域の支援ネットの理解が必要です。

自殺予防や犯罪を防ぐ為にも被害者の家族は、なるべく早い段階から支援を受けられるように、自治体やカウンセリングとの連携の必要性=協力が本当に必要だと考えています。

県が条例を作ろうとしていることや取り組みを行なってくれていますが、取り組みの単位は県のように大きなものではなく、それぞれの市町村単位にしてほしいと望んでおります。

みなさまにはぜひ他人事とお考えにならないでいただけたらと思います。

次の記事に続きます)