ぷれジョブ~小学生からのしごと体験~という試みから見えるもの/「ぷれジョブ藤沢」代表としてのアサノさんの講演を伺いました

県による障がい者週間イベント「障がい者のはたらく現場は今」

今日は、横浜駅西口にあるかながわ県民センターへ向かいました。

会場にて

会場にて


『障がい者週間』の神奈川県の取り組みのひとつとして、いま全国に広がりつつある『ぷれジョブ』についての展示と講演会が開かれました。

「障がい者のはたらく現場は今」チラシより

「障がい者のはたらく現場は今」チラシより


今日9日〜11日まで、会場では下の4つが行われています。

  1. ぷれジョブパネル展
  2. 商品販売コーナー
  3. 経営相談コーナー
  4. 作業体験コーナー

会場は、かながわ県民センター1階展示場です

会場は、かながわ県民センター1階展示場です


アサノ先生の講演は本日だけですが、パネル展示だけでもかなりのボリュームがあります。

また、商品販売コーナーでは、いろいろな商品が販売されています。

県内で活動する障害福祉サービス事業所で作られたお菓子も販売されています

県内で活動する障害福祉サービス事業所で作られたお菓子も販売されています


フジノのオススメは、『ジンジャークッキー』(まどか工房)と『くるみ&チョコチップのパウンドケーキ』(まどか工房)です。

家に帰ってすぐペロリと全部食べてしまいました。

家に帰ってすぐペロリと全部食べてしまいました。


特に『ジンジャークッキー』はぴりりとした辛さが風邪を吹き飛ばしてくれそうでした。

フジノはまたお菓子をたくさん買ってしまいました(汗)

フジノはまたお菓子をたくさん買ってしまいました(汗)


ぜひあなたも足を運んでみて下さいね。

「ぷれジョブ」ってなんでしょう?

さて、『ぷれジョブ』ってなんでしょうか?

この単語を、初めて聴いた方も多いかもしれません。

そこでフジノなりに理解している『ぷれジョブ』をひとことで書いてみますね。

『ぷれジョブ』とは・・・

小学校高学年から高校生までの知的障がいのある児童生徒が、週に1回1時間ジョブサポーター(地域のボランティア)と共に半年間という期間、地域の店舗や企業で仕事体験をするという活動です。

2003年に岡山県で始まり、現在では全国21都府県で行なわれています。

障がいのある子どもたちが、自分たちの街の一員であることを地域の人々に認識してもらえることを目指しています。また子どもたち自身にとっても、地域社会で社会経験を得る貴重な体験となります。

全国ぷれジョブマップ(現在23都府県で実施)

全国ぷれジョブマップ(現在23都府県で実施)


詳しくは『全国ぷれジョブ連絡協議会』のサイトをご覧下さいね。

2年前「ぷれジョブ」とアサノさんが出会った歴史的瞬間にフジノも立ち会えたのでした

フジノが『ぷれジョブ』の存在を知ったのは、わずか2年前のことです。

当時、フジノは慶応大学SFCの『障がい福祉研究会』(アサノゼミ)に潜っていました。

ノートをみると、こんなメモが記してありました。

(2012年4月24日・ゼミの最後にて)

明日、日程が開いている学生さんたちはアサノ先生と一緒に、14時に『藤沢商工会議所』7階(藤沢市役所の隣)に行く。

それは『ぷれジョブ』。

まず声をかけていくのは事業所。そこからおこさんに声をかける。

金井さんという専務理事の方。藤沢在住で、かつては市役所で障がい福祉もやっておられた方。

そこで、金井さんと、この『ぷれジョブ』について理解がある内海智子さんに明日初めてお会いする。

いずれ学生のみなさんには『ぷれジョブ』に関わってもらうこともあるので、前もって面通しをしておくのもいいかもしれない。

まだ、アサノ先生が内海智子さんと初対面する前日。

ということは、この日のゼミは、歴史的瞬間の前日だったのですね。

この翌日から、まさに『ぷれジョブ藤沢』設立がとんとん拍子で進んでいくのです。

ちなみに、内海隼吾さんご一家とフジノは、アサノさんの慶応大学SFC『障がい福祉研究会』で2012年に出会いました。

振り返ってみると、「2012年はアサノさんという触媒をきっかけにしていろいろなことが花開いた年だったんだなぁ」と改めて感じます。

内海智子さんとアサノ先生のお話

さて、講演は以下のプログラムで行われました。

(1)司会者のごあいさつ

(2)神奈川県 保健福祉局 福祉部 障害福祉課 障害福祉課長のごあいさつ

県の障害福祉課長からごあいさつ

県の障害福祉課長からごあいさつ


『障がい者週間』の意義などを語って頂きました。

(3)内海智子さん(ぷれジョブ藤沢・事務局長)のごあいさつ

続いて、『ぷれジョブ藤沢』の活動を実質的に推進して下さっている事務局長の内海智子さんからごあいさつがありました。

2年前に、『ぷれジョブ藤沢』はスタートしました。

知的障がいのあるこどもたちが、年内までに15企業、20ケースが実現しました。

仕組みは、企業へメンバーが1週間に1時間出向いてお仕事をします。それが6ヶ月間続いたら、終了します。これでワンタームです。

そして、次のタームに移ります。

メンバーが企業へ向う時には、ジョブサポーターがついていきます。

メンバーが回数を重ねるうちに、少しずつ仕事を覚えていったりできるようになります。

ぷれジョブがいろいろな企業に体験を受け入れてもらえるように、広げていきたいです。必ずこどもたちにも企業にもプラスになりますから。

(4)内海さんがメンバーひとりひとりの感想をお聴きしました

内海事務局長がメンバーおひとりおひとりの感想をお聴きしました

内海事務局長がメンバーおひとりおひとりの感想をお聴きしました

(5)ぷれジョブメンバーへの記念品の贈呈

記念品の贈呈が行われました

記念品の贈呈が行われました

(6)浅野史郎さんによる講演

『ぷれジョブ藤沢』代表の浅野史郎さんから『地域の福祉力』のタイトルで講演が行なわれました。

ぷれジョブ藤沢・浅野史郎代表

ぷれジョブ藤沢・浅野史郎代表


アサノさんの講演内容の全てをここに記すことは難しいので、かわりにこちら(club willbe web magazinzeでのアサノさんインタビュー)をぜひご覧下さい。

いつもながらとても楽しく語って下さるアサノさん

いつもながらとても楽しく語って下さるアサノさん


『ぷれジョブ藤沢』で、初代のメンバーになったのは、内海さんの息子さんである内海隼悟さん。

さらに初代のジョブサポーターになったのは、アサノゼミの学生Aくんです。

このAくんは、横須賀市議会にフジノの委員会質疑も傍聴に来てくれたことがあります。

このタッグには、感動的な出来事もあって、まさに『ぷれジョブ』を象徴する1組目となりました。

ぷれジョブメンバーのみなさんとアサノさん

ぷれジョブメンバーのみなさんとアサノさん


2組目以降も、アサノゼミの学生さんたちがサポーターとして活躍してくれたこともあって、大きく活動が広がっていきました。

これからはさらにもっと活動が広がっていくことになるのだと思います。

横須賀での「ぷれジョブ」立ち上げに関心のある方、一緒にやりませんか?

講演が終わった後、アサノさんから

「横須賀で『ぷれジョブ』をフジノさんがスタートさせなさいよ」

「あなたが全てをやる必要は無いんだから。協力者を探して、始めてみなさい」

と言われました。

やりたいです。

やりたいなぁ。

でも、こんなフジノにも、他にもいろいろやらなければならないことがあるんです。

『ぷれジョブ』に関心を持った方がいらしたら、ぜひフジノと一緒に横須賀でチャレンジして下さいませんか?

終了後、県民センターを出ると外はすでに真っ暗でした

終了後、県民センターを出ると外はすでに真っ暗でした

(『特定秘密保護法』反対!SASPL、おれはきみたちの活動にこころから賛同しているよ。大人として、政治家として、こんな社会にしてしまったことを恥じています。でも、明日施行されても、おれも何も諦めないぞ!)

浅野史郎教授の「地方自治論」でゲストスピーカーを勤めました/神奈川大学法学部へ(2013)

神奈川大学法学部「地方自治論」へ

今日は、横浜の六角橋(東急東横線白楽駅)にある『神奈川大学』へ向かいました。

神奈川大学に到着したフジノ

神奈川大学に到着したフジノ


先日お知らせした通り、神奈川大学でのアサノ先生の講義でゲストスピーカーをさせていただきました。

アサノ先生の「地方自治論」

アサノ先生の「地方自治論」


フジノの尊敬するアサノ先生(浅野史郎・元宮城県知事、元慶応大学SFC教授)は、今年(2013年)4月から神奈川大学に特別招聘されています。

特別招聘教授・アサノ教授

特別招聘教授・アサノ教授


『地方自治論』は、法学部(法律学科・自治行政学科)の3~4年生317名が受講しています。

地方自治論

地方自治論


受講生317名って、すごいですね。大人気。



4人の地方議員がゲストスピーカー

ゲストスピーカーは4人。

  1. 小川顕正議員(川崎市議会議員・みんなの党)
  2. 松浦芳子議員(杉並区議会議員)
  3. 山口ゆう子議員(神奈川県議会議員・民主党)
  4. フジノ

フジノだけが『政党』にも『会派』にも所属していない『無所属』でした。

アサノ先生と4人の議員

アサノ先生と4人の議員


すでに先週の講義でアサノ先生が『二元代表制』『議会の役割』はお話し済みとのこと。

今日の講義では、実物の地方議員の生の声を学生たちに知ってもらうという趣旨でした。

講義中のアサノ先生

講義中のアサノ先生


まずは、4人の議員が5分間ほど自己紹介。議員になるまでの経歴や、議員になったきっかけや動機を簡単に自己紹介しました。

フジノは講義中に余裕のピース

フジノは講義中に余裕のピース


次に、アサノ先生から話題を振られては順番に話していく、という形になりました。

まず最初のテーマは「個人としての議会活動の実績を紹介して下さい」でした。

フジノからは自殺対策や性的マイノリティ支援についてお話をしました。

小川顕正議員

小川顕正議員


続いてのテーマは、「議員としての、日常活動は具体的にどんなものかについて紹介して下さい」でした。

松浦芳子議員

松浦芳子議員


これはとても面白かったです。

他の議員の方々、特に政党に所属している方々とフジノでは、同じ職業とは言えないくらいにワークスタイルが違います。

ある意味、政党に所属している議員の方は、会社に就職している人に似ているかもしれません。

山口ゆう子県議会議員

山口ゆう子神奈川県議会議員


かたやフジノは、フリーランスの自営業の方に近いです。

市役所や市議会に行くこともあまり無いですし、ノートパソコンさえあればどこでも仕事ができるのでノマドワーカーみたいな感じですし...。

学生のみなさんも、4人それぞれのワークスタイルの違い(=政治家の在り方の多様さ)に驚いていたようでした。

教室の様子(質疑の時間)

教室の様子(質疑の時間)


続いてのテーマは、「行政との関係、有権者との関係、他の議員との関係について述べて下さい」でした。

フジノは、横須賀市役所には伝統的に優秀な職員が生まれる土壌があること、厚生労働省をはじめとする様々な官庁がそうした職員が創りだした『横須賀方式』を国の制度に取り入れていることを紹介しました。

政治と行政は『敵』ではなくて、「このまちを守りたい・今よりもっと良くしたい」という共通の目的を持つパートナーだ、と説明しました。

他の議員との関係についても、今、横須賀市議会では政策提案がどんどん実現している現状を説明しました。

有権者との関係については、やはり最も重要な存在は『市民』であること、政治家の権力が賦与されているのはあくまでも『主権者である市民』からの信任であること、を繰り返しお伝えしました。

教室の様子(質疑の時間)

教室の様子(質疑の時間)



学生たちへのメッセージ

最後のテーマは、「学生たちへのメッセージを語って下さい」というものでした。

フジノは、いつもいつもお伝えしていることの繰り返しですが、こんなことをお話させてもらいました。

人生にはヘビーなことが多くて、苦しくてつらくてくじけそうになることばかりだと思います。

生きていかねばならない理由も分からないままに、不条理な現実に圧倒されてしまう毎日をみんな送っていると思います。

それでも、「必ず現実は変えることができる」ということを知っていて下さい。

例えば、あなたが苦しんでいることの多くは、政治がしっかりと動けば、取り除くことができるのです。

どんなにあなたが『絶望』に追い込まれているとしても、ほとんどの困難は政治が動けばその『絶望』を『希望』に変えることだってできるのです。

だから、あなたに政治を使い倒してほしいのです。

目の前の現実は変えることができて、政治にはその力があります。

そして、その政治を動かすことはできるのは、主権者である市民のみなさまなのです。

フジノは政治家になってもう11年になりますが、このメッセージは永遠に変わりません。

相手が大学生であろうと大人であろうと誰であっても、このメッセージを送り続けたいと思っています。

その後、学生からの質疑応答に移りました。

フジノはいろいろご質問を頂いて、うれしかったです。

講義の後にも話しかけてきてくれた学生さんがいて、とてもうれしかったです。

研究室でのアサノ先生

研究室でのアサノ先生


1時間半の講義が終わった後は、アサノ先生の研究室へ行きました。

政治家が4人も集まると(いや、アサノ先生も元知事なので5人ですね)、いろいろな社会問題についての議論がすぐに始まります。

暮らしているまちも立場も違う方々と議論を交わせたのはとても良い経験になりました。

解散後、フジノはアサノ先生と白楽駅まで2人で歩いて帰りました。

僕がアサノ先生(アサノ知事)の存在を初めて知ったのは、18才の時。

アサノ先生にお会いするたびに、僕は18才の時の胸の痛みを思い出します。

そして、その痛みを今も感じていることも実感します。

これからもずっとずっとがんばっていかなければ、と改めて思いました。

アサノ先生、本日は貴重な機会をありがとうございました。

そして、神奈川大学法学部のみなさま、とても楽しかったです。ありがとうございました!



後日談:アサノ先生のブログ記事から

アサノ先生のブログ『夢らいん』に、この日の日記が掲載されました。

とても面白いので、全文を引用してしまいます。

神奈川大学での授業

神奈川大学での『地方自治論』の授業は、地方議会議員にゲストとしておいでいただく。

小川顕正川崎市議会議員、藤野英明横須賀市議会議員、松浦芳子杉並区議会議員、山口ゆう子神奈川県議会議員の4人。

いずれの議員も、熱く、堂々と語りかけていた。

学生諸君は、「知らない世界を見せてもらった」、「こんなに立派な議員がいるとは知らなかった」などと、出席カードには興奮状態の記述が多数。

こういう授業だと、とても面白いという記述もあった。

そうはいかないよ。詰まらないかもしれないが、私の授業もきっちり聴講しましょう。

大学の教務から、「レジュメの原稿は、授業の1週間前にお送りください」というお達しがあった。

教務で次週の授業のレジュメを印刷してもらうので、早めに原稿が欲しいということだろう。しかし、それは無理である。

私の場合、レジュメにいろいろ記載する。

授業終了時に回収する出席カード180枚分にすべて目を通し、みつけた誤字を名前入りで記載。

「出席カードの記述が秀逸なもの」を提出した学生の氏名も記載。

提出された宿題にもすべて目を通して、「優秀な出来のもの」の学生氏名を記載する。

出席カードに書かれた質問とその回答も掲載する。その後に、来週の授業の内容についての詳しいレジュメを掲載する。

そんなことが、1週間前に出来上がるはずがない。ということを教務に申し入れたところ、「6日前でいいです」という返答あり。

今回は、作成が楽だったので、今日中に送ることができたが、毎回、そうはいかない。

長年にわたってアサノ先生のことを知るフジノとしては、読みながら、思わず笑ってしまいました。

アサノ先生のレジュメの凄さ(丁寧で細かい!)は、アサノ先生の前任校・慶応大学SFCの学生ならばみんな知っていますよね?

学生たちから提出された出席カードを毎回必ず全て熟読しておられて、学生から質問があれば全部に返事を書いています。

アサノ先生は聴講している学生が370人いたとしてもその流儀は変えない御方です。

大学の教務の方々は確かに印刷の手間を考えると1週間前にはレジュメの原稿を提出してほしいと思うのですが...。

ここまで熱心に学生たちに細やかに指導する教授はなかなかおられません。

どうか「6日前までにレジュメを出して」なんておっしゃらずに「1時間前までに出していただければ印刷します」とアサノ先生に言ってあげてくださいませ。

神奈川大学の教務の方々、どうぞよろしくお願いします!



不育症への支援(治療費助成・相談窓口)ついに横須賀市がスタート!/フジノの提案、実現しました

フジノの提案、実現します!不育症への支援がスタートします

今日は、教育福祉常任委員会でした。

議員の出退表示板

議員の出退表示板


市長から提出された議案をはじめ、市民の方々から出された請願・陳情の審査を行なって、報告(法定報告と一般報告)の途中まで質疑を行なったところで今日のところは、時間切れ。

明日の予備日も使って、改めて委員会審議は続きます。

それにしても今日の教育福祉常任委員会は、フジノにとって、政治家冥利につきるものでした。

『一般報告』の中で、こども育成部から『不育症治療費助成事業の開始について』が報告されたのです。

こども育成部提出の報告

こども育成部提出の報告


この10月1日から、ついに不育症治療への支援がスタートします!



今まで「不育症への支援」が全くありませんでした

『不育症』という存在が知られていないが為に流産を繰り返してしまい、本当に悲しくつらい想いをされている方々がたくさんいらっしゃいます。

しかし、『不育症』は適切な治療をすれば、8割の方が無事に出産できるのです。

それにも関わらず、『不育症』を周知する体制は無く、自己負担がとても大きくなることへの公的な補助は無く、不妊症の相談窓口はあっても不育症の相談窓口はありませんでした。

つまり、これまで『不育症』に対しての公的な支援は全く無かったのです。



昨年9月議会での提案が1年後ついに実現へ

そこで、昨年2011年9月議会の教育福祉常任委員会でフジノは『不育症への支援』を提案しました。

生まれてくることのできるいのちを守りたかったのです。

こうしてまさに1年前のこの委員会でフジノが提案したことが、そのまま実現したのを報告を受けました。

  1. 『不育症』を周知する
  2. 市職員をはじめ、産科・助産師・保健師の方々に『不育症』の研修を行なう
  3. 『不妊症』の相談窓口に不育症の相談も受けられるようにする
  4. 『不育症』の治療にかかる費用に対して、公的な支援をする

この全てが実現するという報告を受けました。

まさに、感慨無量です。

(1)『不育症』の周知についてはすでに『広報よこすか』9月号がお手元に届いている方は、下の記事をご覧になっておられることと思います。

「広報よこすか」2012年9月号

「広報よこすか」2012年9月号


こうした『広報よこすか』での記事に加えて、新たにチラシが作成されました。関係医療機関や健康福祉センターにも置かれて、周知がなされます。今後は横須賀市ホームページにも掲載されていきます。

続いて、(2)『不育症』の研修を行なう、についてですがこちらの書類をぜひご覧下さい。

9月13日『不育症』についての研修会が開かれます。

講師は、日本の不育症の治療・研究の第一人者である杉ウイメンズクリニック不育症研究所長の杉俊隆先生です。

研修の対象は、市内の産科の看護師の方々をはじめ、横須賀市の新生児訪問指導員、こども健康課職員らです(フジノも改めて参加して学んできます)。

そして、(3)『不妊症相談窓口』で『不育症』も相談をうけてほしい、について、当初、昨年の委員会で提案した時には「難しい」との答弁でしたが、やはり、無事に実現することになりました!

2ヶ月に1回開催している予約制の『不妊症相談』(面談型の相談です)の場で産科のドクターが不育症の相談も受けてくれるようになります。

(4)経済的な支援、についてですが、1年度あたり最大30万円までの治療費への助成がなされます。



今後は「支援」が実効性あるものになるよう注視していきます

政治家の仕事は、政策を提案するとともに実現することです。それがしっかりと責任を果たせて本当に良かったです。

もちろん今回の不育症支援はフジノひとりの力で実現したのではありません。

同じ問題意識を持って取り組んで下さった鈴木真知子議員(公明党)をはじめ、とても研究熱心なこども健康課長・こども育成部長らの尽力があったおかげです。関係者のみなさまに、あらためてこころから感謝しています。本当にありがとうございます。

今後は、この支援がより実効性のあるものとして必要な方々のもとにしっかりと届くように、より使いやすい制度になるように当事者の方々の声にさらにしっかりと耳を傾けていきます。



慶応大学SFCから学生さんが傍聴に来てくれました!

今日の委員会の傍聴に、慶応大学SFCから学生さんが来てくれました。

アサノ先生(浅野史郎・元宮城県知事)の障がい福祉研究会に所属している学生Aくんです。

Aくんは、フジノよりひとまわり以上も年が離れているのに、フジノに負けないくらいアサノさんのことを愛していて、とてもいい青年です。

ずっと前に彼から

「フジノさんが議会で質問する時があったら教えて下さい。傍聴にいきます」

と言われていました。

一昨日ふと思い出して誘ってみたら来てくれるというので、とてもうれしく、今日はいつも以上に委員会審議に気合いが入りました。

顔出しNGとのことでボカしたら、なんか怪しくなってしまいました(汗)


午前の審議が終わったところで、お昼ごはんを一緒に食べに行きました。

そして、夕方になって委員会が終わった後はスターバックスでお茶をして、初傍聴の感想を聞かせてもらいました。

さらに、傍聴してもらったことがうれしくてテンションが上がったフジノはフジノ事務所にも連れていきました。Aくんの人生では初めてとなる『生の政治家の事務所』を観てもらいました。

フジノ事務所にて

フジノ事務所にて


フジノの事務所の本棚には小さな大学の図書館には負けないくらい保健医療福祉の専門書があるので(分野は限られていますが...)Aくんはやはり意欲ある学生さんなので、背表紙を観ながらさっそくメモをしているのを見て、うれしくて写真を撮ってしまいました。

僕が大学時代に最も影響を受けた2冊の本(精神分裂病の脳に関する本、家族会の本)も見せてしまいました。

今まで誰にも見せたことは無かったのですが、書き込みがびっしりしてあって、付箋もたくさん付いています。僕自身、十数年ぶりにその書き込みを見て、こころが熱くなりました。

若くて意欲のある学生さんと接すると、身が引き締まります。

その意味で、傍聴に来てくれたAくんのおかげで、すっかりフジノは元気をもらってしまいました。傍聴に来てくれて、本当にありがとうございました!

今度は本会議での一般質問もぜひ傍聴に来て下さいね!



内海隼吾さんご一家のお話を伺いました/慶応大学SFCアサノ教授の「障がい福祉研究会」

内海さん一家のお話を伺いました/アサノさんの障がい福祉研究会

今日は、2週間ぶりに慶応義塾大学SFCへ。

先週は『民生委員・児童委員大会』にフジノは出席しましたので、『障がい福祉研究会』(浅野史郎教授ゼミ)は欠席させていただきました。

『研究会』のみなさんは、横浜市内の重症心身障がいのある方々の入所施設を見学されたそうです。

慶応大学SFCにて

慶応大学SFCにて


今日は、内海隼悟さんとご両親の智子さん・邦一さんが講師でした。

隼悟さんが出演した映画やミュージカルや海外での障がいのある方々が俳優として出演している作品を観るとともに

隼悟さんのお話をうかがい、質問をさせていただいたり、智子さん・邦一さんご夫妻のお話をうかがいました。

内海隼悟さんと、智子さん邦一さんご夫妻のお話をうかがいました

内海隼悟さんと、智子さん邦一さんご夫妻のお話をうかがいました


フジノは、昨年の朝日新聞の記事で、内海隼悟さんの芸能活動が取り上げられていたのを読んだことがあります。

横須賀でも上映された映画『筆子~その愛~』にも隼悟さんは出演していました。

2011年7月2日・朝日新聞beより

2011年7月2日・朝日新聞beより


隼悟さんの誕生から現在に至るまでをお母さまの内海智子さんが著したこの本も好評です。

『ぼくはダウン症の俳優になりたい』(内海智子著、雲母書房、2009年)

『ぼくはダウン症の俳優になりたい』(内海智子著、雲母書房、2009年)

『ぼくはダウン症の俳優になりたい』(内海智子著、雲母書房、2009年)


今から20年近く前のことになりますが、1996年、映画『八日目』で主演をしたパスカル=デュケンヌさんは、カンヌ映画祭で主演男優賞を受賞しました。

デュケンヌさんは、ダウン症の障がいがあります。

この作品の中では、俳優としてダウン症のある方の役を演じました。

内海さん一家はこの作品との出会いを通して、日本でも障がいのある方々が『芸能の世界』に進む機会がもっとあるべきではないかと感じたのですね。

そして、内海さんは様々な活動を行なって、知的障がいのある児童のプロダクションの設立も実現しました。

内海邦一さんと内海隼吾さん

内海邦一さんと内海隼吾さん


実際、欧米では障がいのある方々が俳優・女優として、テレビや映画などで多くの作品に出演しています。

それから20年近くが経って、日本での知的障がいのある方々の映画・演劇・テレビなどの芸能活動はここ数年ようやく増えてきました。

先ほど紹介した朝日新聞の記事もこうした傾向を紹介したものなのですが、その背景には内海さん一家の活動が大きく貢献していたのだと改めて今日学びました。

内海さん一家の活動を改めて深く学びました

内海さん一家の活動を改めて深く学びました


内海隼吾さん、内海智子さん・邦一さん、今日は本当にありがとうございました。

アサノ先生、今日もありがとうございました。

3時間の研究会のおやつ休憩に横須賀のおみやげを食べました

ところで...。

アサノさんの障がい福祉研究会は3時間の長丁場なので、途中で10分ほど休憩があります。

この時、ゲストでいらっしゃった講師の方々が持ってきて下さったおみやげをみんなで頂きます。

みんなでおやつの時間、という感じでとても楽しいのですが、実は、毎回、少し気が引けていました。

というのも、フジノは自分がゲスト講師で来た時は緊張しすぎて頭が回らず、おみやげを持ってこなかったのです(汗)。

そこで今日ついに、持って行きました!

黒船かりんとうまんじゅう

黒船かりんとうまんじゅう


『横須賀おみやげコンテスト』の第1回金賞受賞作品である『黒船かりんとうまんじゅう』です。

研究会のみなさんが「おいしい!」と喜んで下さいました。
 
良かった!

横須賀というと『海軍カレー』みたいなイメージがありますが、本当は他にももっとたくさん良いものがあることを、この際、フジノが宣伝してきます。

これからしばらくは『横須賀おみやげコンテスト』の受賞作を毎回おみやげとして持って行こうと思います!

浅野史郎教授の「障がい福祉研究会」でゲスト講師を勤めました/慶応大学SFC・アサノゼミ

アサノさんをリスペクトし続けて20年になるフジノです

政治家に転職してから今年で10年目を迎えるフジノですが、尊敬する政治家は、ずっとたった1人だけしかいません。

アサノ知事こと浅野史郎さん(元・宮城県知事)です。

フジノHPの過去の活動日記を検索すると、ご本人にお会いしたことを記したものだけでも10回以上になります。

アサノさんの存在を18才で知って、この4月でフジノは38才の誕生日を迎えましたので

今年は『respectアサノ20周年』になります(笑)。



浅野史郎教授の『障がい福祉研究会』でゲスト講師を勤めました

そんな一途なフジノの想いを受けて(?)アサノさん本人からものすごいプレゼントを頂いてしまいました。

現在アサノさんが教授を勤めておられる慶応義塾大学・湘南藤沢キャンパス(SFC)

ゲストスピーカーとしてフジノが1コマお話をさせていただくことになったのです。

そして今日、ついにその日がやってきました!

慶応大学SFCの本館前

慶応大学SFCの本館前


SFCでは卒論を書くにあたって、ゼミとはかなり異なる『研究会』というシステムをとっています。

慶応大学SFCホームページの「研究会」を説明するコーナー

慶応大学SFCホームページの「研究会」を説明するコーナー


これは他大学には見られないシステムで3~4年生だけでなく1~2年生も参加できるそうです。

先週からスタートした2012年度の前期ですが、アサノ教授は『障がい福祉研究会』という研究会を主催しています。

この研究会(第2日目)にゲストスピーカーとして、フジノは招いていただいたのですね。

広いキャンパスは、ゆったりとした空間の使い方でした

広いキャンパスは、ゆったりとした空間の使い方でした


今までもフジノは全国のいろいろな場所に招かれて『講師』としてたくさんの講演をしてきた訳ですが

アサノさんの前で講演をするというのは、他の講演とは全く比べ物にならない緊張感があります。

このお話が決まってからずっとフジノは緊張しっぱなしでした(汗)。

だからこそ入念な準備をしたかったのですけれど、雑誌から依頼された原稿書きや『議会報告会』の資料作成に追われてしまい、思うように時間が取れませんでした。

ゲストスピーカーとしてフジノがつまらない講義をすれば、フジノを信頼して任せて下さったアサノさんにもご迷惑をおかけしてしまいます。

そんな緊張感とプレッシャーから、お腹は減っているのに食事が喉を通らなくてすっかり参ってしまいました。

福沢諭吉さん

福沢諭吉さん


これまでフジノが出会ってきた慶応義塾大学SFCの学生さんたちは、とても優秀で社会貢献活動に熱心な方が多く、とても大好きです。

だから、4年間の学生生活の中のわずか90分間の授業であっても、そんな学生さんの時間をムダにするような講義はフジノは絶対にしたくなかったのですね。

フジノにできることは、90分間の講義を通して38年間の人生を全身全霊で学生さんたちにぶつけることだと思いました。

始まる前のフジノ。緊張で顔面蒼白です

始まる前のフジノ。緊張で顔面蒼白です


2コマ連続の研究会のうち、1コマ目は社会保障をライフワークにする大手新聞社の記者の方でした。

とても立派な方で、レジュメも24枚!
 
フジノは圧倒されてしまいました。

お話も大変興味深いものでした。

そして、10分間の休憩の後、フジノの出番です。

学生さんたちにとって午後の授業で、90分×2コマぶっとおしですから

「1人目のゲストスピーカーですでにお腹いっぱいなんじゃないかなあ」

と、フジノはすっかりこころが折れそうになってしまいました。

でも、フジノは全力を尽くしてきました!
 
フジノの38年間の人生をぶつけてきました!
           ↓
           ↓

終わってホッとするフジノ。

終わってホッとするフジノ。


学生さんたちのアンケートも読ませていただいたのですが、中には「感動しました」と書いてくれた方もいて、フジノの方こそ感動しました。

講演の名手であるアサノさんからも

「おもしろかったよ」

「別の授業でもゲストスピーカーやってもらうか」

と褒めていただけました。

大役を果たし終えてとにかくフジノはホッとしました。
 
そして、とにかく疲れ果てました...。



かつて18才だったフジノから現在18才の学生さんたちに

帰り道は、研究会の学生さんとバスと電車で大船駅まで語りながら帰りました。

改めてSFCの学生さんたちは、いいコたちが多いなあと感じました。

学生さんたちは、今、18才から22才。

人生で最も多感な時期であり、最もあらゆることを吸収できる日々ですよね。

フジノがアサノ知事を知ったのが18才。

SFCの学生さんたちの姿に、かつての自分自身の姿を重ねて見てしまいました。

学生さんたちには「ぜひ今この瞬間を大切なものの為に一生懸命に生きてほしいなあ」と、フジノはこころの中でふとそんなことを願ったりしました。

かつて18才だったフジノは、アサノ知事との出会いから20年が経った今も

あの頃と変わらない気持ちで今も全力でがんばっていて、毎日必死にあがいて生きているつもりです。

それが良いか悪いかどうかは分からないのですが、そんな自分の生き方は、これからもずっと変わらないと信じています。

これからも一生懸命、がんばって生きていこうと思います。

アサノさん、今日は貴重な機会を本当にありがとうございました!



東京都知事選挙最終日、ついに浅野史郎候補の応援に行きました!

都知事選挙、最終日ついに応援に行きました!

フジノはアサノさん(浅野史郎・元宮城県知事)のことを14年前(大学1年)からリスペクトし続けてきました。

アサノさんの存在は、フジノが『政治家という手段を選ぶきっかけ』になっただけでなく、フジノの『人生そのもの』にものすごく大きな影響を与えた方々の1人です。

だから、アサノさんが東京都知事選挙に立候補を決めた時、

「どんなことがあっても応援に行きたい!」

と願いました。

全国の福祉仲間たちが続々と東京へ向かいました。

そんな中、フジノは意地で横須賀に残りました。

予算議会が続いていたこともありますし、現役の市議会議員としてこのまちでやるべきことがありました。

でも、いつもこころはアサノさんを応援してきました。

東京に暮らす友達と話す時、必ずアサノさんについて語りました。

『横須賀勝手連』を名乗って、ふだんの仕事の合間を縫っては都内の友達にアサノさんを推薦するメールを送り続けました。

毎回、浅野事務所からはお誘いのメールが来ていました。
 
浅野史郎事務所びらきの日、行きたかった。
 
選挙初日の出陣式、行きたかった。

毎日、行動スケジュールを把握していました。
 
毎日の大江戸勝手連の活動、行きたかった。

毎日の事務所前のあいさつ&マニフェスト配り、行きたかった。

アサノさんがわずか数名しかいないスーパーの前で街頭演説しているのが放送された時、

「その後ろでブルーの旗を持っているのが何故おれじゃないんだ」

と悔しくてたまりませんでした。
 
アサノさんの為に働きたかった。

僕ができることは何でもやりたかった。

「アサノさんの為にがんばる」ということは「この国の福祉の為にがんばる」ことと、同じ意味だ。

グループホームを制度化したのは厚生省時代のアサノ課長だ。

最近のワイドショーでしかアサノさんを知らない人はいろんなことを評論家みたいにしたり顔でしゃべってる。

でも、何も分かってなんかいない。

どれだけアサノさんがこの国の福祉に大きな良い影響を与えたか。

みんなが知らないだけで、実はアサノさんが作った制度に助けられてる。

予算議会が終わった3月26日、このまちの福祉を守る為にフジノは再び市政の場で闘っていく決心をしてしまった。

その直前25日に、能登半島地震が起こったので予算議会終了後はどうしても募金活動をやらずにいられなかった。

募金活動を終えたら、今度は大学院の準備でてんやわんや。

さらに、市政への再挑戦の為のいろいろな書類を作らないと自分自身の闘いに間に合わなくなってしまう。

実際、今日も書類のノルマが全く終わっていない(書類が多すぎるんだよ...)。

抑えきれない「応援しに行きたい気持ち」をいろいろな友達に相談するたびに

「東京都知事選挙のことより神奈川県知事選挙と県議会議員選挙のことを教えてよ」

「おまえ、自分のことが終わってないのに他人の応援とか言ってんじゃねえよ」

「いま横須賀を離れたら、横須賀の人たちのこころが離れるよ」

「毎日寝てなくて体調が悪いんだから、少しでも時間が取れるなら、まず体を休めなよ」

と、言われた。

つまり、「行くな」ということだ。

だから、ずうっと今日までガマンしてきました。

でも、でも、今日は都知事選挙の最終日だ!

16時過ぎまでとにかく事務仕事をやりまくったけど終わりのメドなんて尽きそうに無かった。

いまアサノさんの応援に行かなければおれは一生後悔する。

『心の師匠』の闘いに行かないなんて、おれにはありえない!

もう、居ても立ってもいられなかった。
 
夜20時をもって、街頭でマイクを使っての選挙活動は終わる。

行かなければ!

せめて最後の演説を大声で盛りあげに行くのだ。

っていうか、おれは朝からブルーのネクタイしめていたのは例え誰に何と言われようとも絶対にアサノさんの応援に行くと決心していたからだ。

浅野史郎のラッキーカラーはブルー

浅野史郎のラッキーカラーはブルー


ブルーはアサノカラー。福祉仲間の連帯の色。

とにかく書類が終わらなければ、帰ってきて徹夜すればいい。
 
そう決めて事務所を飛び出て、京急快速特急に飛び乗りました。

そして、18時半。ついに新宿東口へ到着!

18時から『打ち上げ』が始まっていました(最後の演説ではなくて、勝手連はみんなで『打ち上げ』と呼んでました)。

ものすごくたくさんの人々が、そしていろいろな人々が新宿を埋め尽くしていました。

障がいのある方々がたくさんいらしゃってました。
 
まるで障害者自立支援法の反対デモの時みたいに本当にたくさんの障がいのある方々が集まっていました。

これがアサノさんのパワーなのだ。

酸素ボンベを抱えながらじゃないと暮らせない人がアサノさんの声を聴きたい、アサノさんに会いたい、そう思って、足を運ぶ。これがアサノさんのパワーなのだ。

こんな政治家いますか?

こんな政治家が他にいますか?

いろんな政党の人々が話し始めるとそれはそれで盛り上がりはするけれども、会場からは「アサノさんに話させろ!」の声がすぐにあがる(笑)。

そして、アサノさん本人が話し始めると会場は一気にすごく盛り上がりました。

新宿駅前での最後の街頭演説

新宿駅前での最後の街頭演説


他の勝手連の方々に

「横須賀の勝手連のフジノです。旗とかのぼりとか持ちますか?」

と尋ねると、

「いいよ!遠くから来たんだから近くで応援してあげて!」

と言ってもらえて、フジノは最前列に行かせてもらえました。

「アサノさん!」

もうガンガン叫びましたよ~。のど潰れた~。

演説する浅野史郎候補

演説する浅野史郎候補

アサノさんの演説はすごい。

聴きながら涙がボロボロ出てしかたがなかった。
 
気持ちが14年前に初めてアサノさんの存在を知った時に戻ったよ。

やっぱり僕の原点は、16年前から関わりをスタートした精神保健福祉だ。
 
このままでは、この国に生まれた障がいのある人は救われないと感じた。
 
あの日のあの時の気持ちが鮮明によみがえってきた。

僕が出口が見つからなくて苦しんでいた時に出会った、いくつかの光。
 
例えば、精神障がいと闘う仲間がいることを教えてくれた全家連との出会い。
 
例えば、慶応大学の佐藤教授による行動分析学との出会い。
 
例えば、UCLAのリバーマン教授によるSSTとの出会い。
 
そして、行政・政治の世界で福祉と闘うことを教えてくれたアサノ知事。

16年前からの苦しい日々、いろいろな気持ち、必死に闘ってきたこと、でも失ってしまったたくさんのもの、それでもまた立ち上がって闘ってきたこと、いろいろなことを思い出しました。

政治をあきらめない。

誰もが自分らしく生きられる社会をつくる。

僕の中の純粋な部分が改めてどんどんクリアになっていくのを感じました。

すっごく感動的なのに、アサノさんはいつもユーモアたっぷりでいつも時間にきっかりで、まわりの人のことをいつも気を遣っている。

「あと3分でマイクも使えなくなりますが...」

とアサノさんが話した瞬間、電光掲示板で正確な時間を見ていたフジノが「2分です」とピースサインすると

「あら、2分でしたね。ありがとう」

って、最後の最後までまわりのことが見えてました。

20時の演説が終わっても集まったみなさんはなかなか解散しないで

「アサノ!アサノ!」

というアサノコールと、ブルーの旗やハンカチが新宿東口いっぱいに揺れていました。

感動した。本当に来て良かった。



ちっちゃな事務所へ

20時15分くらいまで東口にいて、何とか人ごみをかきわけて事務所へと移動です。

みんなのちから号

みんなのちから号


事務所はこちら。

ちっちゃいでしょう?これがアサノ流なんですよね。

ちっちゃな浅野史郎事務所

ちっちゃな浅野史郎事務所


20人も入ったらギュウギュウになっちゃう事務所。

またもここで他の勝手連の方々が

「ほら、中に入って入って!」

と、フジノをどんどん前に進めてくれました。

たくさんの取材を受ける浅野史郎候補

たくさんの取材を受ける浅野史郎候補


たくさんのマスコミが来ていました。

アサノさんは、スタッフのみなさん・勝手連のみなさんにねぎらいの言葉をかけて、あいさつを終えました。

熱く語る浅野史郎候補

熱く語る浅野史郎候補


外は雨が少しずつ強くなっていきましたが、アサノさんは12時を迎える瞬間まで新宿の方々と握手をしてまわるとのことでした。
 
(マイクを使わなければ選挙活動は0時までOKなのです)



選挙の勝ち負け以前に、たくさんの人々の心に灯を点けたことは大きな勝利だ

今夜は行って、本当に良かった。

選挙の勝ち負けは明日決まる。
 
でも、僕たちはもう勝ったんだ。

選挙の勝ち負けとは違う次元の闘いがある。
 
僕たちはもう勝っているのだ。

明日、どんな結果が起こっても僕は絶対にぶれることは無い。

やっと僕のハートに火がついた。

もう絶対にぶれない。

周りの方々からお願いされてお願いされて切なくて逃げられなくて26日になってしまい、追い込まれた末に無理やりした決断。

でも、僕は今日、本気で自分自身が決断した。

この国の福祉を守る。

その為に闘う。

そして絶対に勝つ。



重大発表!アサノ知事、横須賀に来てくれます/障害者週間(2004年)記念行事「浅野史郎宮城県知事の特別講演会」

ついに発表することができます

2004年11月10日のこのコーナーに、こう書きました。

 

>明日は仙台市視察です。
>スケジュール欄をごらんになった方からメールで質問されました。

> 「あいている時間はアサノ知事に突撃で会うのですか?」

>(中略)
お会いするのは、実はもうすぐ叶います。
だから、突撃で会う必要は無いのです。

そうなんです。

お会いするのは、もう、すぐ叶うのです。

やっと、ついにこの情報をオープンにできるようになりました。

アサノ知事、横須賀に来てくれます!

これを発表できることをこころからうれしく感じます。

 

『障がい者週間』記念行事・浅野史郎 宮城県知事・特別講演会

『MIYAGI発 障がい者福祉の明日』

12月3日から9日は、『障がい者週間』です。

広くみなさんに障がいのある方の福祉について関心と理解を深めていただく為に、障がい者福祉の先駆的事業を展開している浅野史郎・宮城県知事をお招きして講演会を開催します。

日時:12月4日(土)午後2時から

会場:神奈川県立保健福祉大学・講堂

定員:500名

申し込み方法:電話かFAXで、市の健康福祉部障がい福祉課へ

電話番号 046(822)8248
FAX  046(825)6040

FAXの場合は、以下のことをお書き下さい。

  • 障がい者週間講演会参加申し込み
  • 氏名・フリガナ
  • 連絡先電話番号
  • FAX
  • 介護者とご一緒に参加されますか(はい、いいえ)
  • 車イスでご来場されますか(はい、いいえ)
  • 所属している団体など



主催:横須賀市・横須賀市社会福祉協議会

思えば、長い道のりだった...。

横須賀市健康福祉部の英断にこころの底から感謝しています。本当にありがとうございます。

そして、1人でも多くのみなさまの応募をお待ちしています。

プロ野球への楽天の参入のニュースなどで、福祉業界の人間で無くてもいまやアサノ知事のことを知らない人は居ないはず。

有名人を見に来る感覚でけっこうですから、アサノ知事の素晴らしい福祉政策をぜひ聞いて下さい。

ユーモアとジョークをたくさんおりまぜながら語るアサノ知事の語り口は、とても知事とは思えない型破りの面白さ。

僕がこころの底から尊敬しているただ1人の政治家です。
 
10年前からの願いがついに叶います。

浅野史郎・宮城県知事と藤野英明

浅野史郎・宮城県知事とフジノ

どうかこのHPを見ているみなさん、ご参加下さい。

よろしくお願いします!



視察の空き時間に浅野史郎宮城県知事にムリしてお会いする必要は無いのです/実はまもなくお会いできるのです

前の記事から続いています)

明日は仙台市視察です

フジノが公開している明日のスケジュール欄をごらんになった方から

「視察の合間の空き時間にはアサノ知事に突撃で会うのですか?」

というメールをいただきました。

それはムリです(苦笑)。

盛岡の川辺の美しい景色。

盛岡の川辺の美しい景色。


毎朝ジョギングしているアサノ知事だから早朝5時くらいに県庁付近を走ってみたらいらっしゃるかもしれません。

一緒に走りたいなあ。

でも実はお会いするのは、もうすぐ叶います。
 
だから今は突撃で会う必要は無いのです。

明日は視察に専念します。
 
明日こそ税金を使ってまで県外視察を行なうに値する有意義なものになるようにがんばります。



浅野史郎知事(アサノ知事)に「あるお願い」に伺いました/第5回精神保健フォーラムへ

精神保健フォーラムに行ってきました

今日は、銀座で行われた『第5回精神保健フォーラム』(2日目)に参加してきました。

詳しいプログラムなどはこちらをご覧下さい)

基本テーマは『脱施設化とノーマライゼーションの現実』です。

『脱施設化』と『ノーマライゼーション』。

この2つの福祉用語、分かりますか?

『ノーマライゼーション』とは、障がいのある人がふつうに暮らせないような世の中はまちがっている世の中だから、その世の中を直す(ノーマルに直す)ということです。

障がいのある人を変えるのではなく、社会をもっとノーマルに変えることがノーマライゼーションです。

そして『脱施設化』。

これからは全ての障がいについて『施設解体』『脱施設』そして『地域での暮らしへ』です。

障がいのある方々を生まれた場所や育った場所からひきはがして病院の中や入所施設の中に閉じ込めておくような暮らしは、もう終わりだ!

  • 入所施設は全て無くす=施設解体
  • 施設に入っている人々を地域に戻していく=脱施設

(2つの意味はかなり違いますよね)

という意味です。

今日の基本テーマは、どちらもフジノからしたら「もうとっくに達成されていなければならない当たり前の考え方」なのですね。

絶対に、この流れは変えられません。



福祉の変化は遅くとも絶対にあきらめない

福祉の変化は本当に遅くて悲しくなります。

地域で当たり前に暮らしていくなんて、僕が精神保健福祉の道に入ることを決心した14年前にすでに岩波新書で書いてありました。

だけど現実は一体何だろう。涙が出てくる。

いまだに達成されていない。

僕は14年前から信じて生きてきた。
 
それがこんなに時間が経っても変わらなかったのは、明らかに『政治の失敗』です。

僕らは1秒だって待てない。
 
家族は1秒だって待てないんだ。

悔しい。

その為ならおれは何だってやってやると思って、だから政治家になったのだ。

政治なら力がある。変えられる。
 
そう信じて、政治家になったのだ。

この遅すぎる福祉の変化を待ちきれない当事者と家族の為に、たとえ1年でも1ヶ月でも1日でも早くするのが僕の役目だ。



アサノ知事の講演!

今までの政治は遅くてたまらない!いいかげんにしろ!

という感じで、フジノはこれまでの政治が大キライです。

けれどもそんなフジノにも、たった1人だけ尊敬している政治家がいます。

それが宮城県のアサノ知事です。

彼が『知事』だから尊敬しているのではなくて、彼の『政策』が本当に素晴らしいからです。

アサノ知事のことを知ったのは10年前のことです。

詳しい経緯は以前に書いたのでそちらを読んで下さい。

それが今ではお互いのHPにリンクをはってもらえるまでになったのですから感動です。すごくうれしいです。

実はそのアサノ知事が今日、このフォーラムに招待されていて講演を行なうのです。

講演のテーマは、アサノ知事が今年2004年2月に発表した『みやぎ知的障害者施設解体宣言』についてです。

そこでフジノは飛んでいきました。



みやぎ知的障害者施設解体宣言!

講演は素晴らしかったです。

アサノ知事の講演

アサノ知事の講演


アサノ知事は、言いました。

「これは自分(アサノ知事)がいなくなっても大丈夫なようにする為の宣言なんだ。

知事には任期があるから、必ず私はいなくなる時が来る。

たとえ知事が変わろうとも、私がいなくなろうとも、もう地域福祉への流れは絶対に止めさせないという宣言なんだ」

他にも、実践に裏づけられた素晴らしい言葉がたくさんありました。

フジノが本気で感動していると、アサノさんはユーモアで笑いをとろうとする(苦笑)。

でも、どれだけユーモアで包んでも情熱は隠しきれない。
 
アサノさんは、本物だ。

こうして、1時間ぴったり(ほんとにぴったり)でアサノ知事は講演を終えたのでした。



アサノ知事にどうしても伝えたいことがあって

今日のフジノには、講演を聞くだけではなくてどうしても、もう1つやらねばならないことがありました。

アサノ知事にお会いして、伝えたいことがあったのです。

もちろんメールだってかまわないのですが、直接にお伝えしたいことがあったのです。

でも、いつもながら、アポなし...。

フジノはこれまでも何度もアポ無しで憧れの人を直撃してお会いしていただいてきました (竹中ナミねぇ大熊一夫さんべてるの家の方々、などなど)。

だから、今日も気合で挑戦です。

講演が終わると同時にダメもとでフォーラム事務局の方々をつかまえて

「知事の控え室はどちらですか?」

と尋ねまくりました。

「関係者の方ですか?」

と逆に聞かれて

「いいえ、違います。でも、どうしてもお会いしたいんです」

と、必死に想いを伝えました。

一生懸命事情を話して、ついに秘書の方に取り次いでいただきました!


 
やがて、数分して、アサノ知事の控え室に通してもらえることになりました。

やっぱり今までの『私人』へのアポ無し突撃とは全く違いました。

『改革派知事』の中でも『総理大臣になってほしい人1位』に選ばれるくらいの要人中の要人であって公人ですものね。

何人もの方に囲まれてアサノ知事がいらっしゃいました。

浅野史郎・宮城県知事

浅野史郎・宮城県知事


実物、アサノ知事

緊張した...。

手がガクガク震えました。

でも、伝えなければならないことをきちんと伝えることができました。

そしたら、逆に宿題も出されてしまいました。

がんばります。必ずやります。

ちなみに、9年前に買った『アサノ課長が知事になれた理由』という本(僕の福祉バイブルの1つです)にサインしてもらいました!

サインしていただきました!

サインしていただきました!


実は前回(昨年2003年)に初めてお会いした時には、この本を持ってこなかったのです(涙)。 

(本書は今、絶版になってしまっているのですが、出版元の岩波書店のHPを見たら表紙の写真まで無いじゃん。ひどいなあ~。フジノが9年前に買って持ってるヤツを写真とって載せておきます。こんな本だったんですよ。)

「アサノ課長が知事になれた理由」岩波書店

「アサノ課長が知事になれた理由」岩波書店


 
伝えるべきことを伝えたら(仕事を終えたら)あとはもう9年間も憧れた人。

生き方にまで影響を与えられた人だから、握手までしてもらってしまいました(笑)

アサノ知事とフジノ

アサノ知事とフジノ


アサノ知事、お忙しい中、本当にありがとうございました。

アサノ知事が引退しなければならない日が来たとしても、あなたの遺伝子は僕のようにたくさんの人に引き継がれてるはず。

福祉は絶対に後退させませんから。

アサノ知事、またお会いしましょう!

また、精神保健従事者団体懇談会の関係者のみなさま、今日は本当にありがとうございました。

『精神保健フォーラム』、すごく勉強になりました。

もっと報告しなくちゃならないことはたくさんあるのですけれども、今日はヘトヘトです。

昨日の特例子会社への見学も、今日の夕方に会ってもらったフリーペーパーを作ってる方の紹介も少しずつ公開していきます。

今日も1日、みなさまおつかれさまでした。



宣言の全文をご紹介します

最後に、アサノ知事がみずから全て書いたこの文章を載せて終わりにします。

みやぎ知的障害者施設解体宣言

宮城県内にある知的障害者の入所施設を解体して、知的障害者が地域の中で生活できるための条件を整備することを宮城県の障害者施策の方向とすることを、ここに宣言する。

宮城県福祉事業団は、平成14年11月23日、船形コロニーを2010年までに解体し、入所者全員を地域生活に移行させるという、『施設解体みやぎ宣言』を発した。

宣言を発するに至った背景としては、知的障害者本人の希望と関わりなく、施設入所を当然のこととしてきたのではないかという疑問があった。施設運営に関わる職員としては、自分たちの仕事の意義に対する、真剣な反省である。

この疑問、反省は、船形コロニーだけにあてはまるものではない。

船形コロニーは知的障害者の中でも、特に重度の障害を持つ人たちを処遇する場として特別に設置されたものであるから、地域生活への移行を言うならば、県内の入所施設の中では、順番としては一番最後になってもおかしくない位置付けである。

にもかかわらず、施設解体宣言を発したということの重みを、十分に考える必要がある。

知的障害を持った人たちの幸福を実現することこそが、障害福祉の仕事の目的であるという原点に戻って考えたい。地域の中にこそ普通の生活がある。適切な支援措置さえあれば、重度の障害を持った人たちであっても地域での生活を送ることができること、そして、それが知的障害者の生活を豊かなものにすることは、これまでの多くの実践の中で実証されている。

船形コロニーの解体宣言から1年余経った今こそ、宮城県全体として、船形コロニー解体宣言の普遍化をなすべき時である。

つまり、知的障害者の入所施設を解体し、入所者の地域生活への移行を図ることを、宮城県全体の障害福祉の方向として、明確に示す必要がある。

それが、今、このような宣言を発する理由である。

宣言の背景には、これまでの障害福祉施策への真剣な反省がある。

知的障害者への各種の施策が量的にも、質的にも貧しかった頃、知的障害者施策の中心は、施設入所であった。

「親亡き後」の知的障害者の生活をどうやって保証し、年老いていく親に安心感を与えるかが大きな関心事であったとも言える。

施設入所は、こういった環境の下で、頼りになる施策に思えたのは、ある意味で当然である。

入所施設での処遇に比べれば、地域生活支援施策は、歴史的にも浅いものであり、目に見えるインパクトとしても施設のように目立たない。

一握りの先進的な取組みとして存在し、特に、親達から見えないし、見えたとしても頼りにならないものと認識されていた時代が長く続いている。

一方において、入所施設は、多くの職員と関係者を抱える確固たる存在として、永久に存続するものとして受け止められている。

「解体」という発想は、普通は出てくるものではない。

そういった状況の中で、知的障害者本人の幸せとは何かが真剣に問われることがないままに、障害福祉の仕事は成り立っていた。

「あなたは、どこに住みたいのか」、「あなたは、誰と暮らしたいのか」、「そもそも、あなたは、何をしたいのか」という問い自体が発せられないまま、入所施設に入っているのが一番幸せと、外部から決めつけられる存在としての知的障害者という図式である。

障害福祉の仕事は、知的障害者の幸せを最大にすることを目的とするという見地からは、障害者に対して、まず、この問いが発せられなければならない。そして、その答を模索することが求められる。

知的に障害を持っていることによって、特別なニーズが生じる。特別なニーズがあったとしても、知的障害者が普通の生活を送ることを断念する理由にはならない。

障害福祉の仕事は、その特別なニーズにどう応えていくかということである。

普通の生活は施設の中にはない。

地域にしかない。

であるとすれば、地域の中で、知的障害ゆえに発生する特別なニーズに応えていくことこそが、障害福祉の仕事である。

グループホームがある。日常生活の援助がある。金銭管理、人権擁護、就労の確保などなど、やるべきことはたくさんある。

宮城県での知的障害者への福祉が目指すべきは、この方向である。

「施設解体」を宣言しても、解体することに目的があるのではない。

あくまでも、知的障害を持った人たちが、普通の生活を送れるような条件整備をすることに主眼がある。

そのような条件整備がなされれば、入所施設は不要になる、つまり解体できるということになる。

宮城県の障害福祉のありようとして、こういった方向に進んでいくことを少しでも早めるように各種施策を準備するという宣言でもある。

宮城県内の知的障害者の入所施設を、即刻解体すべしと言おうとしているのではない。

時間はかかっても、目指すべきは施設解体、まずは、それが可能になるための、地域生活支援の施策の充実である。

県内のそれぞれの入所施設において、このことを念頭に置いて仕事をするのと、全く考えずに日々を過ごすのとでは、大きな違いが出てくる。

それぞれの施設において、解体が可能になるまでにやるべきことは何か、何が障害になるのか、障害をなくすための方策、こういったことを現場の職員を交えて真剣に討議し、行動することが求められる。

繰り返して言う。

障害福祉の目的は、障害者が普通の生活を送れるようにすることである。

そのために、今、それぞれの立場で何をなすべきか。

たどり着くべき島影をしっかりと視野に入れて、船の進むべき方向は間違わないように荒波を乗り越えつつ進んでいかなければならない。

たとえ時間はかかっても、必ず目指す島に到達することはできると信じている。

同じ船に一緒に乗り込んで欲しい。

平成16年2月21日

宮城県知事  浅野  史郎

繰り返して言う。

障がい福祉の目的は、障がいのある方々がふつうの暮らしを送れるようにすることである。

その為に、今、それぞれの立場で何をなすべきか。

たどりつくべき島影をしっかりと視野に入れて、船の進むべき方向を間違わないように荒波を乗り越えつつ進んでいかなければならない。

たとえ時間はかかっても、必ず目指す島に到達することはできると信じている。

同じ船に一緒に乗り込んで欲しい。

僕は大声で応えたい。
 
「アサノ知事、もちろん!」



後日談:あるお願いについて

この記事で記した『あるお願い』ですが、実は願いが叶い実現しました。

こちらをご覧下さい。



18才から憧れ続けてきた人と会うことができました/アサノ知事こと浅野史郎さんです

憧れ続けてきた人と会うことができました

フジノの人生的にものすごく感動的な出来事があったので書きたいと思います。

大学1年(18歳)から大好きだった浅野史郎さん(宮城県知事)とわずかな時間ではありましたが立ち話することができました。

なんか、ものすごく感慨深かったなあ...。

彼は今は宮城県知事なのですが、もともとは厚生省の障害福祉課長だった方です。

アサノさんって、18才だった当時の僕には本当に『ヒーロー』だったのですね。

大学時代の僕はものすごく勉強に明け暮れていました。

臨床心理/精神保健福祉の勉強の為にとにかく他大学の講義に出かけたり、精神保健福祉の現場に通いまくったり、大学院生と勉強会をひらいたり、図書館の地下書庫でひたすら勉強をしていました。

けれども真剣に勉強すればするほど、気づいてしまいました。

『学問』だけでは限界があること。

『福祉の現場』だけでも、福祉を変えることができないこと。

つまり、『学問』でも『福祉の現場』でも福祉を変えることができないことにハッキリと気づいてしまったんです。

「じゃあ、どうすればいいんだ!」

と、かなり途方にくれていた時期がありました。

そんな時にアサノさんの存在を本で読んで知って、こういう素晴らしい方が厚生省に居てくれて、そして障がい福祉を変えようとしていたことを知りました。

「それならおれも厚生省に入ればいいんだ。そこで福祉のしくみを変えればいいんだ」

と思いました。

「障がいのある人の痛みがわかる厚生省の役人になればいいんだ!」

と考えたのです。

だから大学1年の時、僕は本気で厚生省に入ろうと思って国家公務員Ⅰ種を受験するための講座を法学部の校舎で必死に受けました。

僕の在籍していた大学は司法試験だけでなく官僚もたくさん出してるので、大学がそういう授業(国家公務員Ⅰ種受験対策講座)を有料でひらいてたんです。

うーむ。なつかしいなあ。

いや、なつかしくないな。
 
あらためて思い出したら、すごく苦痛だった(苦笑)。

心理学専攻の学生でこの講座をとってたのは僕しか居ませんでした。

まわりはみんな政治経済学部とか法学部生でした。

そもそも入学直後の1年生からそんな講座を受講してたのは、ほんと僕ぐらいでした。

そして心理学とはまったくカンケーのない勉強(憲法、民法とか)を、それはもう必死に勉強するわけです。

政治家になった今でこそ

「あのときに憲法や法律を必死に勉強しておいて助かった」

と思いますけど
 
当時の僕は自分の専攻の勉強がまずあるわけですね。拘束時間のとても長い実験もあるし。

ふつうの授業がぜんぶ終わってから、図書館に行って独学で精神医学とか脳みそのこととか勉強するんです。

それに加えて、夜に国家公務員Ⅰ種受験の為の法律の講座が始まるんです。
 
自分で決めたこととはいえ、本当に苦痛だったなあ...。

そんな道に僕をひきずりこんだアサノさん。

かつての新人知事も今では改革派知事として知られていて、もうベテラン。

確か、3期目に入ったのかなあ。

当時その本を読んだのは図書館だったのですが、すぐに取り寄せて買って何度も読みました。

今でもちゃんと大切に持ってる僕の『きっかけ』である本を持ってきてサインしてもらえばよかったなあ、と思いました(笑)。

フジノが18才の時に出会った浅野史郎さんの本

フジノが18才の時に出会った浅野史郎さんの本


(*後日談:2004年7月24日にアサノ知事にサインを頂くことができました。人生って何があるか分からないですね!)


 
そんな僕が厚生省をめざすのをやめたのは、『慶応大学の佐藤方哉先生(行動分析学)との出会い』『UCLAのLiberman教授(SSTの世界的権威)との出会い』なのですが、それはまたいつか気が向いた時に書きますね。

いや、なつかしいことをすっかり思い出しました。

僕の人生は、まわり道ばっかりですね。