おカネの報告

政治家フジノとカネについて公開します

フジノが公開すべきだと考えている『政治とおカネ』カンケーは、次の5つです。

そこで、それぞれについてオープンにしますね!



1.政務活動費

『政務調査費』と呼ばれてきた経費の名前が2013年度から『政務活動費』に変わりました。

5期目(2019年5月~2022年4月分)
2019年度5月〜9月分・69万5000円が交付されました。
・79万3,792円、使いました。
 →詳しい使いみちはこちら
後期



*2016年度から議会改革のひとつとして、政務活動費収支報告書を年2回(前期・後期)提出することになりました。

4期目(2015年5月~2019年4月分)
2019年度4月分・13万9000円の交付が決定されました。
・14万8,144円、使いました。
 →使いみちはこちら
2018年度前期・166万8000円の交付が決定されました。
・前期分83万4,000円が支給されました。
後期・後期分83万4,000円が支給されました。
・83万6,731円、使いました。
 →使いみちはこちら
2017年度前期・83万4,000円、支給されました。
・80万6,153円、使いました。
 →使いみちはこちら
後期・83万4,000円が支給されました。
・80万7,840円、使いました。
 →使いみちはこちら
2016年度前期・83万4,000円が支給されました。
・95万0,375円、使いました。
 →使いみちはこちら
後期・83万4,000円が支給されました。
・84万5,881円、使いました。
 →使いみちはこちら
2015年度・166万8,000円が支給されました。
・4月分の使いみちはこちら
・5月~翌3月分の使いみちはこちら。




3期目(2011~2014年度)
2014年度・166万8,000円が支給されました。
・198万1,625円、使いました
2013年度・166万8,000円が支給されました。
・188万4,123円、使いました
2012年度・166万8,000円が支給されました。
・218万5,781円、使いました
2011年度・166万8,000円が支給されました。
・4月分の使いみちはこちら
・5月~翌3月分の使いみちはこちら




2期目(2007~2010年度)
2010年度・使いみちはこちら
2009年度・166万8,000円が支給されました。
・事務所設置(変更)届
→2008年5月に事務所を引っ越ししました。個人情報保護の観点から大家さんの住所と名前は全ては載せていません。
2008年度・166万8,000円が支給されました。
186万8,567円、使いました。
2007年度135万5,286円、使いました。
領収書の写しも公開しています!
本年から、下の書類作成も義務づけられました。
・事務所設置届(こちら
・携帯電話使用届(こちら




1期目(2003~2006年度)
2006年度・166万8,000円が支給されました。
155万5,385円、使いました。
2005年度175万7,979円、使いました。
2004年度172万9,284円、使いました。
2003年度 ・「美術館建設をストップできなかった責任」をとって全額を返却しました!
・全額返却したらいろいろ大騒ぎになりました




2.選挙にかかったお金

選挙費用
5度目(2019年)合計7万6,753円
4度目(2015年)合計11万8,669円
3度目(2011年)合計11万3,396円
2度目(2007年)合計11万4,874円
初選挙(2003年)合計15万2,503円




3.お給料とボーナス

お給料とボーナス
3期目2011年度の内訳はこちら
2期目2007~2010年度の内訳はこちら
1期目2003~2006年度の内訳はこちら




4.政治団体(解散した為、現在はありません)

 政治団体「横須賀をおもしろくする会」の収支報告(2003~2013年) 
03年04年05年06年
07年08年09年10年
11年12年13年 解散

*政治団体『横須賀をおもしろくする会』は2013年6月13日付で解散しました。




5.議員年金について




最後に

※フジノは、条例や法律で「公開せよ」と決められてなくても、勝手にどんどん報告していきたいと思います。



選挙費用は15万円あれば十分だ/藤野英明の過去4回の横須賀市議会議員選挙の費用を報告します

政治家として、お金にまつわるあらゆる情報を全て報告し続けてきました

フジノは、政治家に転職する前、とにかく政治家はカネに汚い・汚職をしている・仲間内だけで税金を分配している、というネガティブなイメージしかありませんでした。

特に、選挙となればお金が飛び交うものなのだろうとイメージを持っていました。

そこで自分自身が政治家に転職するにあたって、『政治とカネ』を全てオープンにしようと決めました。

実際にブログにも政治とカネの関係をディスクロージャーするコーナーも設置しました。



さきの市議選(2015年4月)でフジノが使った選挙費用を報告します

この5月11日が、今回の選挙でかかった費用の収支報告書の締切日でした。

選挙管理委員会にて

選挙管理委員会にて


無事に提出を終えましたので、その内容を報告します。

11万8,669円

でした。

フジノの選挙活動費用収支報告書の表紙より

フジノの選挙活動費用収支報告書の表紙より


詳しい内訳はこちらをご覧下さいね。

いずれにしても「政治にはカネがかかる」「選挙には多額の費用がかかる」というイメージは、フジノが壊しました。

フジノの選挙には供託金30万円と実際の費用15万円の合計45万円があれば、十分です。

他の政治家の方々それぞれに選挙スタイルがありますが、少なくともフジノのやり方ではお金は50万円もいりません。



過去4回の選挙費用も報告します

下の一覧表はすでに他のコーナーで報告済なのですが、改めてこちらにも掲載しますね。

選挙費用
4度目(2015年)合計11万8,669円
3度目(2011年)合計11万3,396円
2度目(2007年)合計11万4,874円
初選挙(2003年)合計15万2,503円




初めての選挙の時は勝手が分からなくて15万円もかかってしまいました。

でも、2回目以降は毎回11万円代で選挙を終えることができています。

何故、世の中の政治家たちは汚職やカネにまつわるダーティーなニュースがいつまで経っても消えないのでしょうか。

すごく残念です。

政治家に必要なのは『カネ』ではなく『政策』です。



命がけの友達がいてくれたからフジノは自分らしさを貫いても当選できたのだ/ポスター貼りをしてくれたみんなと「おつかれさま会」でした!

初日からどこまでも終わらない仕事にキリをつけて・・・

今日は、朝の『議員総会』からスタートしました。

午後からは『各会派代表者会議』に委員外委員としてフジノは出席をして
 
「定例会の前倒し開催をするべきだ」

との提案を行ないました。

震災からまだ1ヶ月半、今すぐ議会を開くべきです。

さらに、無会派の議員のみなさんと集まって所属委員会を話し合って決めました。

また、多くの議員の方々と震災対策の意見交換をし続けました。

とにかく初日から大忙しでした。

まだまだやらなければならないことはあったのですが、どこかで自分で区切りを付けないと政治家の仕事に終わりはありません。

エイヤッと17時半に市議会を出ました。

そして、大急ぎで事務所に戻って一通りの事務仕事を終えると、自宅に着替えに戻りました。



友人たちとめちゃくちゃ久しぶりに会うことができました

19時から友達と待ちあわせ。

選挙初日にフジノのポスター貼りをしてくれた人たちを中心に『おつかれさま会』と称して、ふだんは忙しくて会えない友達らと集まりました。

選挙初日にみんなはボランティアでポスター貼りをしてくれたのですが、フジノは誰とも会えていません。

みんながポスターを貼っている間、フジノはひとりきりで歩いて街頭演説に向かい、そのまま20時まで戻りません。みんなはポスター貼りを終えたら帰っていきました。

だから、誰とも会えていないのです。

久しぶりに再会できた友達と(ポスター貼りの日にフジノは誰とも会えてません)

久しぶりに再会できた友達と(ポスター貼りの日にフジノは誰とも会えてません)


こんな機会でも無いと、僕の働き方では友達には全く会うことができません。

だから本当にうれしかったです。

それでも声をかけた4分の1も集まれませんでした。

大人になると忙しくてなかなか会えなくてさみしいです。



友達にも家族・親戚にも会えない。でもそれが僕の仕事だから

政治家の仕事はとにかく忙しくて、友達にも会えないのですが、家族とも全く過ごせません。

特に、甥っ子にはいつも可哀そうな想いをさせています。フジノが忙しいせいで、まだ1度もうちに泊まりに来たことがありません。

大切な甥っ子

大切な甥っ子


選挙が始まる前に
 
「ゴールデンウィークになったら泊まりにおいで」

と約束をしたのですが

やっぱり選挙が終わってもフジノの忙しさが全く変わらず約束を守れません...。

そこで、お泊りのかわりにはならないのですが、今夜の『おつかれさま会』に来てもらいました。

8年前の初めての選挙の時には甥っ子はまだ3才でした。

でも、まちかどの選挙ポスター掲示板の中にフジノのポスターを見つけると

「ひでにいにがいる!」

と、言ってくれたのですね。とても大切な家族です。

甥っ子はフジノの幼い頃にそっくりな顔をしています

甥っ子はフジノの幼い頃にそっくりな顔をしています


今日の司会は、わが甥っ子が勤めました。

甥っ子の「カンパイ!」のかけ声で、みんなで乾杯しました。



僕がいま生きていられるのは「命がけの友達がいてくれたから」

今回の選挙は、とにかくタイトなスケジュールになってしまいました。

  1. フジノ自身が立候補への決心がなかなか付かなかったこと
  2. 立候補を決めてからも選挙よりも震災対応を最優先にしたこと

など

とにかく選挙のことを後回しに後回しにしたせいで、ポスターが完成したのも締切日の前日という感じでした。

そんなフジノのガンコさを理解して、さらに助けてくれたのが今夜こうして集まってくれた友達のみんなでした。

「『選挙なんかやってる場合じゃない』というフジノの気持ちはよく分かった。

ただ、政治家の肩書があってこそ実現できることもたくさんあるんだから、

当選する為に最低限やらなければならないことだけはやって、それ以外の時間は全て震災対応すればいい」

フジノの想いを汲んでくれてこんな風に言ってくれた友達がいたから、最後の最後までフジノは、自分流を貫くことができました。

かつて雨宮処凛さん(フリーライター)がフジノのことを取材してくれたのですが

「知名度ゼロ、資金ゼロ、世襲でも何でもないフジノさんが何故、当選できたと思いますか?」

と質問しました。

それに対してフジノは

「命がけの友達がいてくれたから」

と答えました。

「生きのびろ!」雨宮処凛著、太田出版より

「生きのびろ!」雨宮処凛著、太田出版より


(このやりとりは『生きのびろ』という本に収録されています)

人見知りの激しいフジノは、友達がごく少ししかいません。

でも、その数少ない友達はみんなフジノがこころの底から信じられる親友なのです。

今回の選挙でも、いや、今までのあらゆる苦しかった日々を通じて、友達が居てくれなかったらフジノは生きてこれなかったと思うのです。

自分でも

「本当にフジノはめんどくさい性格だな」

と思うくらいに、自分が正しいと信じたことしかできないフジノを

理解してくれて

信じてくれて

体を張ってくれて、
 
支えてくれて

助けてくれる、

そんな友達のみんなのおかげで僕はこうして毎日生きのびてこれたのだと思いました。

小中高大の友人、大人になってから出会った友人も。

小中高大の友人、大人になってから出会った友人も。


横須賀から名古屋に引っ越した友達夫婦が、わざわざ「当選おめでとう」を伝えに来てくれました。

名古屋から来てくれた友達夫婦と。フジノの顔はひどいのでモザイク

名古屋から来てくれた友達夫婦と。フジノの顔はひどいのでモザイク


多くの政治家たちは、目の前の選挙に当選する為に必死になりすぎて、選挙のたびに政党を移ってみたり、会派を出たり入ったり。

実現することもできない夢のような公約をしてみたり、媚びたり、おカネに頼ったりします。

でも、僕にはこういう友達が居てくれるから、目の前のことにいちいちブレずにいられるのだと思います。

今回の選挙でも、多くの候補者の方々がフジノよりも目立つ豪華なポスターを作っていました。
 
おカネもかかってるんだろうなあと思います。

一方、フジノのポスターは相場よりもかなり安い価格で、しかも写真撮影から納品まですさまじく短い期間で完成させたものです(レタッチという修正なども一切かけていません)。

けれども、何が決定的に違うのかといえば、関わってくれた人たちの『思い入れの強さ』が違うのだと思います。

思い入れが強くなければいくらおカネをかけてもどんな有名なカメラマンやデザイナーがついてもダメなんだろうなと思います。

今回のポスターは写真の3人のおかげで作ることができました

今回のポスターは写真の3人のおかげで作ることができました


今夜もみんな忙しくて、途中で帰る人もいれば、仕事が終わってから最後に顔だけ出して終わりという人もいました。

でも、こうしてわずか2時間半だけでもこころから信じている友達たちと再会できたことは本当にうれしかったです。

中学時代から大好きな言葉「NOBODY'S PERFECT」

中学時代から大好きな言葉「NOBODY’S PERFECT」


今ではすっかり『政治家フジノ』も有名になってしまい、全国の「立候補したい」という方々からよく質問を受けるようになりました。

「どうしたら当選できるのでしょうか?」

「フジノさんはどうやって当選したのですか?」

こんなこと、人それぞれなので答えることはできません。

でもその答えがもしもあるとすれば、僕に言えることはひとつだけ。

「命がけで信じてくれる友達がいてくれること」

これは言葉のあやではなくて、本当にリアルな意味で「命をかけて」信じてくれる友達のことです。

僕はその点において、すごく素晴らしい友達がいてくれて、とても恵まれているのだなあと感じます。

これからも友達から信頼を失わない為には、フジノは自分の信念にどこまでも誠実にまっすぐ歩いていくことが何よりも大切なのだと信じています。

それは政治家としてというよりも、僕の人生を通じて大切なことだと思います。

だからこれからもずっとずっとがんばっていきます。

みんな、今夜は会えてうれしかったよ!
 
またいつか会おうね。



選挙グッズ一式を選挙管理委員会に返却しました。今回の選挙にかかった費用を報告します/横須賀市議会議員選挙終了後2日目

市議会議員選挙の後片づけ

今日は朝から市議会議員選挙の後片づけでした。

午後は選挙管理委員会へ行ってきました。
 
4月17日の告示日に渡された『選挙グッズ』一式(正式名称は『選挙運動用表示物』と言います)を全て返却する為です。

この1週間、フジノとともにずっと過ごしてくれた『選挙用のぼり旗(標旗)』とも今日でお別れです。

標旗ともお別れしました

標旗ともお別れしました


多くの政治家はふだん街頭演説の時に自前のキャッチコピーを記した『のぼり』を使っていますが、フジノは自前の『のぼり』は使いません。

2007年4月を最後に、フジノは『のぼり』を使うのは一切やめました。
 
それは「名前を売るのが政治家の仕事では無い」という決意からです。

だから、ふだんフジノは『のぼり』を絶対に使いません。

でも、この『選挙用のぼり』だけは、選挙期間中の街頭演説の時には必ず持ち歩かなければならないと法律で決まっています。

全ての候補者に対して選挙管理委員会が配ります(標旗と呼びます)。

1週間いつも一緒だったので愛着がわきました。手放すのは、さみしくなります。

そして、メガフォン(8年前から使っている愛機『チャベス2号』です)に常に付けていなければならない『プレート』ともお別れです。

この『プレート』も選挙管理委員会から全ての立候補者に渡されるもので『選挙運動用拡声機表示板』といいます。

フジノのチャベス2号には『プレート』を付けられる平らなスペースが無いので、いつも無理やりガムテープでくっつけていました。

フジノのメガフォンにガムテープで取り付けていた「拡声機用表示板」

フジノのメガフォンにガムテープで取り付けていた「拡声機用表示板」


演説している時も歩いている時も、腰骨にぶつかって痛いし邪魔でしかたがありませんでした。

メガフォンにつけていた拡声機用表示版

メガフォンにつけていた拡声機用表示版


いつも気にしてた存在なので愛着がわいていて、お別れとなるとやっぱりさみしいものです。

選挙グッズ一式を選挙管理委員会にお返ししました

選挙グッズ一式を選挙管理委員会にお返ししました


こうして、4月17日に渡された形のまま、選挙グッズ全てを選挙管理委員会にお返ししました。



今回の市議会議員選挙で使ったおカネの報告です

それから、友達に立て替えてもらっていたもろもろをレシートを受け取って清算をしました。

今回の選挙にかかった総費用は、11万3396円でした。

前回の選挙(2007年)では11万4874円最初の選挙(2003年)では15万2503円でした。

つまり、今回が1番安い費用で選挙を終えることができました。

政治におカネをかけない為には、選挙におカネをかけないことです。

選挙におカネをかければいくらでも高くなってしまうし、節約しようとすればもっと安くすることができるはず。

フジノはいつもどおりおカネをかけない選挙をしました。
 
今回もいつもどおり信念を貫くことができて良かったです。



今回の市議会議員選挙について後日談が報じられました

けさの毎日新聞には、こんな記事が出てました。

2011年4月26日・毎日新聞より

2011年4月26日・毎日新聞より


フジノ自身は、今回の市議会議員選挙ではほとんど街頭演説をしませんでした。

むしろ選挙期間という意識もあまりなく、議員としてのふだんの仕事をしている時間の方が長かったです。

他の候補者の活動は全く意識になかったので、毎日新聞の記事を読んで初めて紳士協定は破られていたことを知りました。

残念です。



当選証書の授与式でした。1年間を通して自分に起きた大きな変化を感じます/横須賀市議会議員選挙終了後1日目

当選証書の授与式でした/1年間を通して自分に起きた大きな変化

昨日書いたとおりで、今日は15時から『当選証書の授与式』でした。

会場は、市役所の5階にある『正庁』というホールです。

横須賀市役所前にて

横須賀市役所前にて


北口駐車場のみなさまをはじめ、市役所の警備員のみなさま、受付の方々、エレベーターでのりあわせた市職員の方々に

「また4年間、よろしくお願いします」

と御挨拶をしてまわってから、まずは市議会の控室(市役所10階です)に向かいました。

配布されていたいろいろな資料を読んだりして、時間が近づいてきたので正庁へ。

選挙管理委員会から受け取った「当選告知」

選挙管理委員会から受け取った「当選告知」


選挙管理委員会事務局の方から『当選告知』を受け取って、式がスタートするまでイスに座って、待ちます。

ご挨拶をされる選挙管理委員会委員長

ご挨拶をされる選挙管理委員会委員長


議会改革の先頭に立つリーダー的存在である矢島まちこ議員をはじめ、一緒に何度も議員提案をさせてもらった井坂しんや議員ら信頼している先輩方と再び仕事をできることは改めてうれしく感じました。

その一方で、

いつも是々非々で熱く議論をさせていただいた佐久間のりお議員(ひとり親家庭への支援でも本当に大切な存在でした)をはじめ、『スクールソーシャルワーカーの導入とさらなる拡大』などあらゆる政策で同じ想いで一緒に活動させていただいた瀧川きみえ議員らが落選してしまったことは、フジノにとって大きなショックでした。

かねてからフジノはくりかえし

「どんな結果でも市民のみなさまの判断は正しいと受け容れる」

と述べてきました。

けれども、『政策通』で本当に素晴らしい政治家が落選してしまう、という現実だけは、受け容れられません。

大切な政治家を失なうことで、このまちは大きな損失を受けたのです。
 
市民のみなさまは、この損失を必ず後悔することになるはずです。

個人としても、市議としても、本当に残念でつらいです。



当選証書授与式で考えたいろいろなこと

さて、式が始まりました。

ここからは撮影できませんので、TVK(テレビ神奈川)の夜の報道番組『ニュース930』で流れた映像から拝借です。

1人ずつ、選挙管理委員会委員長に名前を呼ばれて『当選証書』を手渡されます。

ニュース930での映像より

ニュース930での映像より


フジノは、こんな表情でした。

早く仕事に戻りたくてウズウズしているフジノ

早く仕事に戻りたくてウズウズしているフジノ


『自分の内面の想い』と『まわりの方々の見方』がいつも一致しないことが多いフジノにとって

選挙期間中も、終わってからも、会う人会う人に

「フジノくん、ふだんと変わらないね」

「落ち着いてるね」

と言われることが多くてうれしかったのです。

珍しく『フジノ自身の想い』と『まわりの方々の見方』が一致していたから。

選挙中からずっと変わらない、穏やかな気持ち。
 
そして、気力も体力も充実していて、仕事への姿勢はすでにバッチリ。

昨日から選挙の残務を片付けながらも、すでに100%全開ですでに『ふだんの仕事』に戻っています。

でも、何故か、自分の名前が呼ばれて選挙管理委員長の前に立った時、

めまいというか、倒れそうになりました。
 
体調不良とかそういうことではありません。

この仕事の持つ責任の重みに、全身が震えたのです。

僕はこの仕事に、僕の身を捧げて、全身全霊を尽くしたい。

そう強く感じました。

過去2回の選挙では、こうして『当選証書』をもらっても何も感じなくて

事務所のどこかに放っぽって、数年ごとに大掃除をすると出てきて、黄ばんでいる、
 
そんな感じでした。

でも、今日は8年間で初めてこの『当選証書』を胸に抱きしめて、市民のみなさまからの信託の重みを感じました。

当選証書を持つフジノ

当選証書を持つフジノ


僕は、たくさんの人にいつも誤解されて過剰に期待されるのが嫌で、ふだんはどんなことにもわざとヘラヘラしたり、褒められたり持ち上げられたりすると『価値を無化させるようなこと』を言いまくってきました。

暴言を吐いたり、皮肉を言ったり。

基本的にシニカルなふりをしてきました。

でも、今は自分の本当の気持ちに率直に、天邪鬼ぶりを発揮したりせずに、あえて受け流さずに、

この仕事の持つ責任の重さを一身に感じて、慄いていようと思います。

3つ目の議員バッジ

3つ目の議員バッジ


市役所を出て、バイクに乗って、事務所まで向かう間、ヘルメットの中で何故か涙がこぼれました。

自分の中で、1つの大きな変化が起こったのを感じました。



メディアからの取材に、この数年間の苦しみと3.11を受けて迷いを断ち切った想いを語りました

夜、あるマスメディアから取材を受けました。

その記者の方は、過去のフジノの選挙も見ておられるので、率直にフジノの想いを1時間にわたってお話ししました。

この数年間のうつ病との闘病生活の苦しさ、特に、昨年3月30日から新薬へ切り替えてつらかった日々。

半年間以上もクスリの副作用が続いて1日中倦怠感で起きることもできず

議会中でも副作用で起きていられずに、他の議員の方々からそれを咎められても「クスリのせいだ」とか絶対に言い訳はしないで耐えてきたこと。

ようやく半年が過ぎて副作用に慣れた時に、またクスリが増量されて、再び副作用に苦しみ続けたこと...。

「そんな身体で僕はこの仕事を続けて良いのか」

という葛藤がずっと僕を悩ませました。

けれども父に少しでも長生きしてもらいたいから、医療費を工面する為にも、絶対に今はこの仕事を辞めることもできない、という煩悶に苦しみました。

大雪が降った日のみなとみらいでの『小児高次脳機能障がい』についての集まりで、ようやくこの仕事を続ける決心がついたこと、

それでも選挙活動を行なうことへの決心ができず、立候補の費用も工面できない為に、ポスター作りも遅れに遅れて、公選ハガキも最後まで全ては出せなかったこと、

それが3月11日を境に、全てが変わって、一切の迷いが消え去ったこと。

自分自身の運命を受け容れて、目の前の現実を全て肯定して乗り越えていこうと決めたこと。

それでも、それでも、「選挙活動をしている場合では無い」という固い決意は揺らがず

この1週間を通じて、『午前』は現役の政治家としての仕事を続けて、あくまでも選挙活動は『午後から夜だけ』と決めて徹底したこと、

最後の最後まで、ひとりきりで選挙にむきあっていったこと。

こんなフジノの長話は当然ながら記事になる訳でも無く、あくまでも記者の方との個人的な信頼カンケーの上でお話しさせていただきました。

でも、改めて自分自身の変化を語ることを通じて自分自身が整理して理解することができました。

もう僕は今までの僕では無くなったから、今までの僕が好きだった人は、もしかしたら僕のことを嫌いになるだろうと思います。

けれども、僕はこの今の新しい僕がとてもしっくりきていて、そしてこのまちの為にも良い方向に関わることができるのだと確信しています。

この数年間、特に1年間、ずっと苦しんできたことは、今、ようやく実を結びつつあるのを感じています。

さあ、これからもがんばって働こう。
 
しっかり働こう。

そんなことを改めて深く感じることができた、この選挙はすごく貴重なありがたい機会だったと感じています。



最終的な選挙の結果

最終的な開票結果は下のとおりでした。

2011年4月26日・毎日新聞より

2011年4月26日・毎日新聞より





横須賀市議会選挙(2011年)で藤野英明が使った選挙費用

選挙で「実際に使ったおカネ」を報告します(速報値)

『平成23年・市議会議員選挙』は2011年4月17日〜24日の1週間が選挙期間でした。

横須賀市選挙管理委員会ホームページより

横須賀市選挙管理委員会ホームページより


フジノがこの選挙で実際につかったおカネを報告します。

このコーナーの目的はあくまでも『実際に使ったおカネ』を知っていただくことです。したがいまして、以下の2点についてあらかじめご理解下さいね。

  • これは速報値です(2011年4月26日現在)。正式な『収支報告書』は5月9日に第1回目の提出を行ないます。
  • 選挙管理委員会に正式に提出を義務づけられている『収支報告書』では、ボランティアも金額換算している為、ここでの『実際に使った金額』とは一致しません。

こちらがフジノの実際の選挙費用です!

<支出>

費目金額備考
人件費0円『公職選挙法』ではボランティアで手伝ってくれた方々も金額に換算して計上しなければならないルールです。

けれどもこのブログでは『実際に使ったおカネ』を知っていただく為に『人件費』からあえてボランティアは外して記しました。

家屋費0円過去2回の選挙と同じく自宅を事務所にしたので、出費はゼロでした。
通信費0円ありませんでした。
交通費1,150京浜急行とJRを利用した『電車代』です。

選挙の7日間、フジノはお昼12時から10分ほど横須賀中央Yデッキで演説をして、それから電車に乗って、その日の目的地まで移動しました。

例えば、長沢駅で降りて、その後はひたすら『10分演説しては歩いて移動、10分演説しては歩いて移動』を繰り返しました。

印刷費63,837円選挙ハガキ2000枚の『紙代』と『インク代』(自宅のプリンターで印刷しました)と、選挙ポスターの『印刷代』です(注)。

また、その地図帳の『コピー代』です。

広告費11,550選挙中に肩からかけていた『たすき代(1本分)』です。

事務所の看板は4年前のものを使ったので出費はゼロでした。

文具費33,600円ポスター掲示板638か所を探す為の『ゼンリン住宅地図』という詳しい地図帳3冊分の代金です
食糧費0円ありませんでした。
休泊費0円ありませんでした。
雑費3,259円ポスターを掲示板に貼る時に雨にぬれているといけないので拭く為のぞうきん代と、ポスターを貼る時に空気が入らないようにうまく貼る為に買った「はけ」の代金です
合計11万3,396円4年前の選挙では11万4,874円でしたので、前回よりも1,478円、安くおさえることができました

この表の分類は『公職選挙法』第14章に基づいています。

(注)選挙ポスターの印刷代は、『選挙運動の公費負担に関する条例』の第6条によって税金で補助していただけるのですね。

今回は市内638ヶ所に掲示板がありましたので、638枚分が公費負担となります。

ただ、実際には638枚ではなくて700枚を印刷しました。「雨が降ってポスターが破けたりした時の予備が必要」と考えたのです。

そこで、700枚(実際に印刷)-638枚(公費負担)=62枚、でこの62枚分の金額がフジノの自己負担分となります。

選挙管理委員会に提出する予定の収支報告書ではポスター印刷費を19万4、670円としていますが、フジノの場合は17万3,812円を税金で補助して頂きましたので、このブログでは実際のポスター印刷費の出費は2万858円としています。

以上のことから、フジノが選挙で実際につかったおカネは

11万3、396円

でした。



供託金30万円を預けて立候補し、ある程度の票を得ると選挙後に返済されます

あと、立候補する時に『供託金』といって30万円を預けさせられます。

この30万円は、ヘルパーをしている親族から借金をしました。

当選後に供託金は返ってきますので、この借金は全額をお返しすることができるので、ホッとしています。



誰でも見ることができるんです!

選挙でいくらかかったか、という『収支報告書』は誰でも見ることができます。

フジノの選挙活動費用収支報告書の表紙より

フジノの選挙活動費用収支報告書の表紙より


『選挙管理委員会』で3年間保存されていてこの期間中は、誰でも閲覧することができます(法192条)。

今回このコーナーでは『実際にかかったおカネ』という観点から報告しました。
 
でも『公職選挙法に基づいた収支報告書』は少し内容が異なりますので、そちらもぜひ機会があれば閲覧してみてください。



横須賀市議会議員選挙の投票へ。藤野英明は候補者リストの最後に名前が載っていたので市民の方からお叱りをいただきました/横須賀市議会議員選挙・投票日(その3)

投票に行ってきました

3つの用事(横須賀市横須賀市腎友会への出席、東日本大震災復興NPOへの出席、逗子高校吹奏楽部定期演奏会への出席)を終えた後、フジノも投票に行ってきました。

フジノ自身も投票所へ行ってきました

フジノ自身も投票所へ行ってきました


投票所では、市職員の方々が立ち会いをしていました。
 
休日なのに、選挙への立会い、本当におつかれさまです。ありがとうございます。



候補者リストの最後にフジノの名前は掲載されていました

投票用紙に名前を記入するボックスの中に61名の候補者がリストになって貼りだされています。

実はフジノの名前はリストの1番最後でした。

その為、投票所でお会いした市民の方から

「フジノくん、本当に立候補してたのかよ?名前が見つからなかったよ!」

とお叱りを受けてしまいました。

確かにかなりしっかり探さないと見つからない、というのはフジノ自身、感じました。
 
でも、それも『くじ運』ということで、お許し下さいね。



フジノの政策があなたの信じるに足るものならば、きっと名前も覚えてくださるはずと願っています

ポスターの貼る場所や選挙公報のどこに掲載されるかとか、届け出番号だとか、いろいろな要素を気にする人は候補者にも市民の方々にもたくさんいらっしゃいます。

『くじ引き』で決まるこうした要素が本当に投票に影響しているのかは分かりません。

心理学の研究結果では、たくさんの単語がたくさん出ているリストの中から何かを記憶する時に

  • リストのはじめの方に出てきた単語ほど憶えやすいとする『初頭効果』
  • リストの最後の方に出てきた単語ほど憶えやすいとする『親近効果』

全く矛盾する心理的要素が報告されています。

フジノとしては

「あなたが政策を信じられる政治家ならば名前は憶えているべきもの。リストのどこに名前が出ているかなんてカンケーないのですよ」

というのが率直な想いです。

さて、夜8時で投票が締め切られます。どうなることやら。



逗子高校吹奏楽部の定期演奏会へ/横須賀市議会議員選挙・投票日(その2)

逗子高校吹奏楽部の定期演奏会へ

午後から夕方にかけて逗子高校吹奏楽部の定期演奏会に行きました。

図示高校吹奏楽部では、春は横須賀芸術劇場、冬は逗子文化プラザ、と年2回の定期演奏会を開いています。

昨年2010年暮れの定期演奏会に続いて今日も行ってきました。

逗子高校吹奏楽部の定期演奏会へ

逗子高校吹奏楽部の定期演奏会へ


いつもながら演奏はとても素晴らしくて、楽しい時間を過ごせました。



めだちまくりで疲れてしまいました(汗)

けれども、今日は別の意味で、とても疲れてしまいました。

演奏が始まる前、休憩時間、終了後、とても大変でした...。

昨日までの1週間、世の中は選挙でした。

市内約650か所にフジノは顔と名前がポスターとして貼り出されて、すっかり面が割れてしまっています。

そして、今日が投票日。
 
夜には開票されて当選・落選が決まります。

演奏はいつもどおり最高に楽しかったです

演奏はいつもどおり最高に楽しかったです


会場に来ていた多くの方々がフジノに気づいて、驚いたり指をさしたり、応援の声をかけてくれるのですが...。

「投票したよ!がんばってね!」

「きっと1位だよ」

と言われたりするたびに

「政治家は当選しても落選しても、応援に対してお礼もお詫びも申し上げることが許されていませんので、もしも当選したら全力で仕事をすることでお礼にかえさせてください」

とか

「1位か1位以外かは僕の中ではカンケー無いんです。とにかく被災地支援の仕事に一刻も早く戻れれば何位でもいいのですよ」

というようにお返事をしまくって、すっかり疲れてしまったのです。

こんなことを言うと応援して下さっているみなさまに怒られてしまうのは分かっているのですが

フジノがここに来ているのは逗子高校吹奏楽部の音楽を聴きに来る為なので、できれば、放っておいていただけたら、と思いました。

うまく言えないのですが、今のフジノにとっては当選でも落選でもどちらでも構わない気持ちです。

フジノは今この瞬間も現役の政治家ですから、選挙中だってずっと仕事してきましたし、どっちにしても放っておいても時は流れて、夜中には結果は出ます。

フジノは当選すれば選挙で公約した政策を全力で実現に向けて働きますし

落選すればそれはフジノの政策が市民のみなさまの想いとは違うということなので、私人に戻るだけです。

「東日本大震災のいま選挙なんてやってる暇は無い」

と感じながらも、フジノが伝えるべき政策はしっかりとお伝えしました。

あとは市民のみなさまが判断することです。

逗子高校吹奏楽部のみなさま、素晴らしい演奏をありがとうございました

逗子高校吹奏楽部のみなさま、素晴らしい演奏をありがとうございました

いずれにしても、逗子高校吹奏楽部のみなさま、今日もとても楽しいひとときをありがとうございました!



災害が起こっても切れ目の無い医療福祉が受けられる体制づくりを。横須賀市腎友会・第4回定期総会へ/横須賀市議会議員選挙・投票日(その1)

災害が起こっても、切れ目の無い医療・福祉が受けられる体制へ

朝いちばんでヴェルクよこすかへ。

『横須賀市腎友会』の第4回・定期総会に出席しました。

議案書

議案書


今日は『投票日』なので、実は候補者の多くはこうした行事には参加しません。

選挙活動の最後の活動として、市民の方々に選挙へ行ったかどうかの『電話かけ』をします。

いわゆる『追い出し作戦』です。

(「選挙へ行って下さい」「投票して下さい」とは言えないのですが、「投票に行きましたか?」と尋ねることだけはできます。公職選挙法の変なルールの1つです)

でも、フジノは過去1度もやったことがありません。

もちろん今回もやりません。

だから今回、『腎友会』から総会へお招きいただいた瞬間、とてもうれしくて参加を即決しました。

2008年4月の腎友会・結成総会に参加してから『腎友会』の総会への参加は3年ぶりになってしまいましたが

今夜フジノが落選すれば、この総会への出席が市内での最後の仕事になる訳です。

保健医療福祉に取り組んできたフジノに、最もふさわしいラストだと感じました。




毎回、『腎友会』の総会では、透析歴の長い方々(15年・30年・35年・40年)を表彰します。

わが国で透析療法がスタートしてから約40年になりますが

透析を続けながら元気に生活をしてこられた人生の先輩方の姿は、今、新たに透析療法を始めた/始める方々にとっても大きな希望を与えてくれます。

その表彰に立ち会わせていただけることは、政治家冥利に尽きるとありがたく感じます。

今年は、透析歴15年表彰の方が8名、30年の方が1名、35年の方が3名でした。

35年というと、昭和50年にあたります。

フジノが生まれたのが昭和49年ですから、僕の人生とほぼ同じだけ、透析を続けながら暮らしてこられた訳です。

本当にすごいことだと思います。

ご本人をはじめ、ご家族、医療関係者の方々の大変なご苦労にこころから敬意を表します。



大災害と透析

今回の総会のテーマは、

『大災害の中でもふだんどおりに透析を受けられるようにするには』

ということでした。

災害のもとでも継続して透析治療を続けられる体制づくりは2007年の新潟中越沖地震、2008年の岩手・宮城内陸地震の時にも大きなテーマとなりました。

けれども、今回の東日本大震災のように、全国的に大規模な『計画停電』が行なわれるのは初めてです。

電力会社による送電が不可能になった時にも自家発電によって医療を続けられるようにする体制は1日から数日程度であれば、可能です。

しかし、1週間から1ヶ月などの期間になると、透析に限らず、ほとんどの医療機関が対応できません。

神奈川県が平成8年に作成して改訂を行なってきた『災害時透析患者支援マニュアル』があって

横須賀市は県と連携しながら『災害が発生した時にも透析が可能な診療所・病院』の情報収集や情報提供をはじめとするネットワーク化をすすめています。

けれども、情報を集めることだけでなく、そもそも『災害が発生した時にも透析が可能な診療所・病院』を増やすことが絶対的に重要です。

それも今までのような重油などを使った自家発電だけに頼るのでは無くて

  • 太陽光発電(ソーラー発電)を診療所・病院に設置する
  • 移動式のソーラー発電を整備する
  • 横須賀市内にメガソーラーを設置する
  • 晴天時でなくとも長時間の対応ができる充電池の開発促進と実用化

など、考えうる限りの新しい取り組みを市も県も国も行なっていかねばなりません。

どんな災害が起ころうとも、切れ目の無い医療・福祉を継続する。

この体制づくりは政治家としてフジノにとって、ものすごく重要なテーマに今、なっています。

それは10年単位の長期的な取り組みになるかもしれません。

でも、大震災は必ずまた起こるのです。絶対にやりとげなければ。



カネの切れ目が医療の切れ目になんかさせない

僕のまわりには人工透析をしておられる方が何人もいらっしゃるので、いつも関心を寄せてきました。

政治家としても、神奈川県による『医療費の助成制度カット』の問題をこの3年間ずっと追いかけてきました。

約40年前、透析療法がスタートした頃には何の制度も無かった為に、自己負担が1ヶ月50万円という時代がありました。

昭和42年にようやく保険が適用されたのですが、それでも自己負担が1ヶ月20万円にものぼりました。

当事者のみなさまの全国的な粘り強い活動によって、昭和47年に『透析医療の公費負担』が実現して、自己負担額は1ヶ月1万円になりました。

さらに、神奈川県は独自の制度によってこの自己負担額も補助をして、実質ゼロ円で透析を受けることができました。

それを松沢県知事が『見直し』という名前の『カット』をしてしまったのです。




横須賀市は、県がやめてしまった補助を市単独でなんとか補助を続けています。

そこで、『腎友会』をはじめとする障がいのある方々の団体から、何度も請願・陳情がなされています。

昨年8月下旬にも腎友会から市議会宛てに『重度障害者等医療費助成制度』の継続についての陳情が出されました。

フジノはこの陳情を『主旨了承』(=賛成)としましたが、横須賀市議会としては『審査終了』(=賛成でも反対でもない)という結論になりました。

まだまだ市議会議員のみなさんにとっても、透析療法を続けながら生活していくことのリアルな現実が理解されていないことを感じます。

これまではフジノは「自分がその大切さを理解していれば良い」と考えていましたが

これからは他の議員のみなさんに対しても、大切なことの大切さを同じように理解してもらえるように説得も行なっていきたいです。

  • 災害が起こったら医療が受けられなくなる
  • おカネが無くなったら医療が受けられなくなる

そんなまちでは絶対にダメです。

どんな時でも誰もが医療・福祉を切れ目なく受けられる。そんな当たり前のまちをフジノは目指していきます。



ついにポスターの見本刷りが届きました/「印刷も含めて納期12日間」という絶対不可能な状況を乗り越えました

ついにポスターの見本刷りが届きました

ポスター用の写真撮影を16日に終えたのですが、すぐ印刷に回せる訳ではありません。

写真のデータに文字などを入れていく『デザイン』という作業が必要です。

こういう段取りですね。
 
(1)撮影 → (2)デザイン → (3)印刷

フジノのポスターの場合、「無所属」「藤野英明」「37才」など、わずかな単語しか無いのですが

どんなフォントで、どれくらいの大きさで、何色で、どこにどんな風に配置していくのか、などの細かな作業はやっぱり専門のデザイナーさんでなければできません。

けれども、すでに書いたとおりで、フジノのポスターを過去2回とも担当してくれたデザイナーさんは会社を倒産させてしまった後、消息不明に...。

これまで1ヶ月間ずっと探してきたのですが、フジノにはデザイナーのアテは全くありませんでした。

もしも新たにデザイナーを見つけられたとしても、その人が信頼できるかどうか、全く分かりません。

さらに今回は、「印刷も含めて納期がわずか12日後」というすさまじく厳しい条件付きです。

まさに、絶望的な状況でした。



僕のヒーロー・Mくん、登場

そんな時、Mくんが名乗りをあげてくれました。

かつて『エンマ堂』として知られていたMくんとは、2006年に彼が主催したイベント『詩孫』を通じて出会いました。

共通の友人はいるものの、お互いに全く知らない同士で、最初はピリピリしていました。

でも、それから、1つの場を創りあげるために一緒に活動していくうちに、印象は大きく変わり

やがて『詩孫』が無事に大成功に終わった時には、共に汗を流した仲間としてMくんのことを大好きになりました。

そして、「いつか『詩孫2』をやろう!」と約束したのです。

あの日に感じた『熱』をいつかまた感じたい、と、フジノはずっと願ってきました。

でも、あっという間に5年間が過ぎていきました。

フジノにとってMくんは、お酒を飲んでくれる数少ない大切な友人になってくれたのですが

やっぱりいつか一緒に何かに挑戦したくて、その機会が来るのを心の中でずっと願っていました。

だから、「フジノくん、おれがやるよ」とMくんが言ってくれた時は本当にうれしかったです。

Mくんには、デザインの経験があります。

でも、もちろん、選挙ポスターを作った経験なんてありません。
 
ちゃんとしたポスターが完成する保証は全くありません。

友達の中にはとても心配して

「今回ばかりは金額が高くても仕方ないから、専門家をとにかく探して頼むべきだ」

と言う人もいました。

でも、フジノは再びMくんと一緒に仕事をできることが純粋にうれしくてたまりませんでした。

Mくんを100%信じて賭けてみたいと思いました。



なんと、わずか2日でデザイン完成!

Mくんとフジノは忙しくて会えなくて、打ち合わせはひたすら、EメールとiPhoneのショートメールだけで行ないました。

ちゃんとできあがるのか、とてもドキドキしました。

それでもMくんはフジノの想いをじっくりと受け止めてくれた上で、予想以上のスピードで完成させてくれました。

わずか2日間です!

16日の夜に写真のデータをMくんに届けたのですが、18日には早くもデザイン完成となりました。

残り時間は、あと10日。
 
ここからが時間との戦いでした。

次にやらねばならないことは、印刷所へデータを送って完成品と全く同じの見本刷りを作ってもらうこと。

印刷所の心当たりも全く無かったフジノですが、Mくんが印刷所も手配してくれました。

「大阪で印刷所をやっている友人なら必ずやってくれる」

こうして19日に大阪のKくんのもとへデータが届けられました。

もしも震災が起こっていなければ、10日間もあれば何の不安も無かったのですが

今は、関西から関東への発送もふだんよりかなり時間がかかってしまうとのことでした。

「1番早く着くとしたら24日か25日の予定」とのことでしたが、ドキドキしながら到着を待ち続けたものの25日にも届きませんでした。

そしてようやく今日28日、大阪からポスターが到着しました。

大阪から届いたポスターの包みをあけるMくん

大阪から届いたポスターの包みをあけるMくん


明日29日が『選挙管理委員会への提出日』なので、本当にギリギリでした。

今日ばかりは忙しいみんなも集まって、4人で実物を見てみることにしました。

ドキドキしながら、みんなで見守ります。

固唾を呑んで見守るみんな

固唾を呑んで見守るみんな


そして、ついにポスターの見本刷りが!

この超短期間で100点の出来栄えです!

この超短期間で100点の出来栄えです!


出来栄えは、100点だと思いました。

過去2回とも引き受けてくれたチームが壊滅して完全にゼロからのスタートだったのが今回です。

唯一、カメラマンの方だけが引き受けてくれたものの、震災が起こったことで撮影中止になる可能性もありました。

無事に撮影ができた後も、デザインを頼める人がいませんでした。

そこにMくんが引き受けてくれることになったものの、選挙ポスター作成の経験はゼロだったのです。

さらに、デザインが完成した後も、印刷所が大阪と離れているが故に提出締切日までに間に合わない可能性もありました。

そして実際に届いたのは、しめきり前日でした。

全て「ムリかもしれない」と覚悟しながら1つずつ何とかクリアしてくることができました。

この経緯を思えば、フジノが願ったとおりに完成したポスターは100点以上の出来栄えだと思いました。



やってできなくてもいいから僕はやってみたい

できるかどうかは、やってみなければ分からない。
 
やっても、できないかもしれない。

やらないのも1つの道かもしれない。

そんな時、たいていの場合、僕はやってできなくてもいいからやってみたい。

今回のポスター作りも「もうムリだ。作るのをやめよう」と最初は思いました。

それでも「やっぱりやるだけやってみたい」と感じたのです。
 
そして、たまたま今回はうまくいきました。

でも、もしも何もしなかったならば、うまくいくことはありませんでした。

僕は「逃げなくて良かった」と思いました。

さらに、Mくんと5年ぶりにドキドキするような仕事を一緒にすることができたのが本当にうれしかったです。

たぶん、世の中の99%のふつうの政治家たちは、選挙ポスター1つ作るのにこんな想いをすることは無いでしょう。

1年以上も前にポスターの写真撮影を終わらせてその写真をブログのトップ画像にしてる人もいますし

デザイナーも印刷所もお金をかけて、プロの専門家にお願いしている人ばかりです。

大きな政党の場合には、政党がまとめて発注していて、候補者は写真撮影の場に来るだけでいい、と聴いたこともあります。

でも、フジノは今の僕のやり方が好きです。

ぎりぎりのスケジュールにドキドキしながらも、仲間たちが知恵をふりしぼって問題をクリアしていく。

だって、そもそも選挙ポスターなんて「存在する必然性は無い」のです。

本当は無い方がいい。
 
でも、今はある。

それならば、フジノはポスター1つであっても、そこに全身全霊を賭けて自分の想いを反映したいのです。

4月17日に、市内638ヶ所の掲示板にそんなフジノのポスターが貼り出されるはずです。

ぜひみなさま、観て下さいね。